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第四章 誰もいない世界から脱出編

ACT-46『いつまでも、泣いてはいられません』

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 今日はかなり良い陽気で、季節の割には結構温かい。
 そのせいか、長袖かつ厚手の服を着ていると、かなり暑くなる。
 卓也は、近所のコンビニに立ち寄って水と食べ物を調達すると、まず一番最初に発見した落書きを再度見つめた。

  “一万八百二十三円、借用いたしました!”

 レジの側面部に、油性マジックで書き込まれている、謎の落書き。
 これ以外にも、同一人物が書いたと思われる落書きが、各所で発見されている。

(ここ以外にも、俺の部屋の同じ階の別の部屋と、駐車場にも書かれていたな。
 他にもないか、ちょっと探ってみよう)

 今までは、ちょっと不気味さを感じていた卓也だったが、今は違う。
 むしろ、落書きよドンドン出て来い! といった心境だ。
 今まで特に入ることのなかった場所にも、何かないかと探ってみる。
 バックヤード、ロッカー、トイレ、倉庫などを見回すが、特にそれらしきものはない。

 ――と思った矢先、

「あ、あった!」

 新しい落書きは、店内の商品棚にあった。
 パンコーナーの菓子パン置き場で、たまたま手に取ったパンの下から出て来たのだ。
 そこには、


“このパンマジうめー! 今までこんな美味いの食ったことねー!
 超オススメ! 食わないと絶対人生損するレベル!”


 と、書かれていた。
 やはり黒マジックで、特徴のある雑な字体。
 誰もいない世界で、いったい誰に向かって書いたんだと思わず笑ってしまう。

「せっかくのオススメだし、食べてみるか」

 卓也は、落書きの上に乗っていた“スイートコーン入りピリ辛チョココロネ”を手に取り、その場で食べてみた。

「……これはその、大変、人を選びますね、ハイ……」

 卓也は、口に入れた分を我慢して呑み込むと、悩んだ末、残りは店内のゴミ箱に捨てた。






  ■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
 
  ACT-46『いつまでも、泣いてはいられません』





 コンビニを出た後、卓也はひとまずの目標地点を「駅」に定めた。
 理由は、以前JR新宿駅の南口改札前に、落書きを見つけた事があるからだ。
 落書きの主は、もしかしたら手近な駅を巡っているかもしれないという予想を立ててみる。
 であれば、ここの最寄り駅である「東京メトロ四谷三丁目駅」または「JR 四ッ谷駅」にも現われている可能性は高い。
 そう判断したのだ。

(ふう、まさかこの世界で、通勤路を歩くことになるとはなあ)

 卓也は、もう何度歩いたかわからない、かつての馴染みの路を、注意を払いながら歩き始めた。


 十分くらい歩き、四谷三丁目駅に辿り着く。
 薄暗い構内で、LEDライトの光だけを頼りに進んでいくと、まるで地下迷宮を探索しているような気分になる。

「うわぉ……ビンゴ!」

 卓也の読み通り、改札口の手前の壁に、またも落書きを見つけた。
 こんな暗い場所でよくもまあ、と思いながら、卓也は落書きを読む。


“ここなんて地下迷宮ですか?
 ラスボスは何階ですか?”


「うわぁ、俺と全く同じこと考えてやがる」

 急に親近感を覚えた卓也は、苦笑しながらも別な場所を調べてみる。

(そうだ、ホームの中はどうかな?)

 ふと思い立ち、自動改札の向こうに行く事にする。
 閉じたままの改札を通り抜けるのは思ったよりも困難だったが、通い慣れた場所でもあり、その後は特に問題なくホームへ辿り着けた。

 ライトを照らしながら、ホームの端から端までをゆっくり歩く。
 すると、途中の案内板に、またも落書きを見つけた。

(落書きの主、もしかして、行動パターンが俺と似てね?)

 つまらないことを考えながら、落書きにライトを当ててみる。
 
 
“良かった、ここの線路はまともだ!
 四ッ谷駅みたいなことになってなくて、本当に良かった良かった!

 あ、でも誰もいないんじゃ良いも悪いもないか”


「これ、いったいどういう意味だ?」

 思わず、独り言が漏れる。
 四ッ谷駅といえば、ここから歩いてだいたい十分くらいの距離だ。
 卓也は、この落書きに非常に強い興味を覚えたが、同時に、少し薄ら寒いものも感じた。

「えっと、これ、撮影しておこうかな」

 右手でライトを支えながら、卓也は、その落書きをスマホで撮影する。
 念のため、ホームドアの向こう側をライトで照らしてみるが、何の変哲もない線路がただ敷かれているだけだった。

 


 ランドクルーザーに乗り込むと、沙貴はシートベルトを着け、助手席の澪を見る。

「悪いわね、つき合わせちゃって」

「いいのよ、あんたとの付き合いも、もう長いんだから」

「助かるわ」

「途中で、お花を仕入れていかない?」

「あ、そうね。
 ありがとう、気が回らなかったわ」

「じゃあ、急ぎましょう!」 

 澪の声に合わせるように、沙貴はハンドルを握り、アクセルをそっと踏み込んだ。



 二人の行き先は、秋葉原。
 あの謎の壁に覆われたエリアに、もう一度向かうのだ。
 先日と同じ装備をまとい、途中で物資を仕入れてから出来るだけ迅速に走る。
 目的地は、あのビルだ。

 予定より早く秋葉原に到着した二人は、先日と同じ手順で壁の向こう側に入り込む。
 相変わらず植物で満たされている路をごつい靴底で踏み締めながら、沙貴と澪は、注意を払いつつ例のビルを目指した。

「二回目となると、前よりは慣れたものね」

「そうね、でも足元に注意して。
 怪我をしたら大変だからね」

「うん、分かってる」

 陽気のせいでかなり暑いが、我慢して目的地を目指す。
 十分くらいかけて、二人はまたあのビルの中に入り込んだ。

「れ、冷房つけようよ! あっつい~!」

「ふふ、そうね。
 今日は澪のお願いをなんでも聞くわよ」

「そう?! じゃあ、今夜の順番譲って?」

「それはダメ~」

「沙貴の嘘つき! イジワルぅ!」

「あはは」

 無理矢理ほっぺを膨らませ、ふざける様に怒る。
 だが、そんな彼の態度は、今の沙貴にはとても嬉しかった。
 重圧で押し潰されそうになる気持ちを、いくらか和らげてくれるから。

 二階のレストランに入り、例の場所に向かう。
 相変わらず、そこには二人の骸が、抱き合うように眠っていた。

 一瞬酷く悲しそうな表情を浮かべるも、沙貴は、キッと表情を引き締めた。

「間違いないの? 沙貴……」

「ええ、間違いないわ」

「何処で、気がついたの?」

「この髪飾りよ。
 これ、私が“彼に”プレゼントしたの」

「ああ……そっか。
 それですぐにわかったのね」

「驚いたわ。
 まさか、こんな場所で――“麗亜れいあ”と再会するなんて」

「……まさに、奇跡みたいな確率の巡り合わせね」



 ロイエ・麗亜。
 それが、ここに眠る二人のうち、大人の方。
 彼は、澪や沙貴と同じ世界の住人だった。
 
「良かったら、話してくれる?
 この人達のことを」

「そうね、聞いてくれる?」

 沙貴は、跪いて二人の骸を見つめながら、背中越しに澪に語り出す。


 澪も噂で聞いていた、“クライアントの孫を連れて逃走したロイエ”が、麗亜だった。
 沙貴と同期であり、プラント時代も共に技量を磨き合った大親友であり、ライバル。
 皮肉にも、身体的な問題で商品対象から外された沙貴だったが、ロイエの管理側に回ってからも、少ない機会ではあったが、麗亜との交流は続いた。

 そんな彼に、購入者の情報を与えたのも、沙貴だった。

 ロイエの中でも突出した美しさを誇り、やや男勝りな態度が特徴的な、それでいて慈愛に満ちた存在。
 そんな彼に、いささか……否、かなり異常な環境下にある仕事を回す羽目になった沙貴は、非常に心を痛めた。

 やがて沙貴は、規則違反すれすれの範囲で、出荷後の麗亜とのコミュニケーションを取る手段をいくつか考案していた。
 そして、麗亜の悩みや相談を聞き、親身になって力を貸していたのだ。

 だがそんな麗亜は、自分が面倒を見ているクライアントの孫を護るため、強行手段を取ることを選んだ。

 沙貴は、巧みな手段を駆使して逃走する麗亜を止めるため、なんとか追い詰めることに成功する。
 だが、その時に、彼に言われたのが、


『――僕達を、殺して欲しいんだ』

『それはどういう意味なの?! 自暴自棄になってしまったんなら……』

『そうじゃない。
 僕は、最後の最後まで、可能性を諦めない。
 それは、君も分かってるだろう?』

『そ、そうね』

『頼みたいのは、僕達の“存在を”抹消して欲しいってことさ』

『隠蔽工作ってこと?』

『ああ、その通りだ』


 ――悩んでいる時間はなかった。
 沙貴は、麗亜が崖から身を投げ、クライアントの孫と心中したように装い、上層部に報告した。
 その後、数ヶ月に及び沙貴は責任を追及され、処分ぎりぎりの状態まで追い詰められたものの、巧みに仕組んだ偽装工作が功を奏し、沙貴はなんとか処分を避けられた。

「イーデルは、出荷後のロイエの直接管理権がクライアントに移る事と、ロイエの情報を外部流出しないという初期段階の契約を持ち出して、クライアントを黙らせる方向に舵を切ったわ。
 そして、その後は誰も、麗亜達の消息を掴むことが出来なかったの」

「そうだったんだ……沙貴、えらい! 頑張ったんだね」

「ええ、かなりね。
 でもそれ以来、特定のロイエに目をかける事は一切出来なくなったわ。
 麗亜以外、あと一人だけ力を貸したけど、それが限界よ」

「そっか……でもこの人を含めて、沙貴に助けられたロイエ達は、きっと感謝してると思うよ」

 澪の言葉に、沙貴の瞳が潤む。

「ありがとう、澪。
 そう言ってくれると、気が楽よ」

「えへへ。
 さて、と。
 この二人だけど、これからどうする?」

「そうね……こんなところに置き去りにするのは可哀想だわ。
 出来るなら、ちゃんとした所に埋葬してあげたい」

「そうだね。
 ボクも協力するから、二人でなんとか頑張ろうよ」

「澪……あなたって子は」

 方針を決めたら、ロイエの行動は早い。
 二人は、担架に使えそうなものをビル内から探し出すことになった。
 沙貴によれば、事業者は救急用品と共に担架を常備しなければならない決まりがあるとのことだ。
 幸い、三十分ほどの探索で、ビル最上階の事務所のようなスペースで担架を発見出来た二人は、協力して麗亜と子供の遺体を載せることが出来た。

「け、結構、重いもんだね」

「そうね。
 でも、引っかかるわ」

「何が?」

「麗亜達の、死因よ。
 彼は、相当多岐に渡るスキルを持っていたし、何より不屈の精神の持ち主だったわ。
 そんな彼が、誰の目にも止まらないかもしれない張り紙をするほど追い詰められるなんて、私には、ちょっと理解が及ばないの」

「そうだよね!
 リセットがかかるわけだから、食べ物に不自由することはないし、ライフラインも来ているんだし」

「もしかして、私達が気付いていない何かが、ここで起きているのかしら……」

 沙貴は、何か手がかりがないものかと、三階のフロアを点検してみることにする。
 そして、ものの数分もしないうちに、異常事態に気が付いた。

「澪! ちょっとこっちに来て!」

「え、ナニナニ? どうしたの?」

「これは……どういうことなの?」

「何があったn――って、ええっ?!」

 沙貴が見つけたのは、厨房に入れられていた野菜の箱だった。
 恐らく葉野菜が詰められていたのだろうと予想は出来るが、そこに入っていたものは、もはやかさかさになってしまった残骸でしかない。
 それだけではない。
 冷蔵庫内の肉も、飲料製品も、口が開いている容器に入っている物などは全て水分が飛び、乾燥し切っている。
 はじめは、肉の塊であることすらわからなかったほど、ドス黒く変色してしまっているものまである。

 水道の蛇口を回すと、流れ出てきたのは、茶色に変色したサビ混じりの水だ。
 
「リセットが、かかってないってこと?」

「そうみたいね、ここだけ、何故か新しい情報が更新されてないみたい」

「そうか、もしかしたらそれで?!」

「ああ、麗亜……貴方は、この世界に来て、なんでこんな事に巻き込まれてしまったの?」

 悲しそうな表情で天井を見つめる沙貴をよそに、澪は、ふと手を入れたポケットの中に、何かが入りっ放しになっていることに気付いた。
 それを取り出した澪の目が、点になる。

「ちょ、さ、沙貴!」

「どうしたの、澪……って、あなた、少し場をわきまえて」

「そうじゃないの! これ、ここを見て!」

「なに、使用期限?
 ――2026年12月……まだ使えるじゃない。
 これがどうしたの?」

 不思議そうな顔の沙貴に向かって、澪は、青ざめた表情で首を振る。

「コンドームの使用期限は、だいたい五年くらいよ。
 ってことはこれ、実質的に五年前の日付ってことでしょ」

「そうなるわね……って澪、これ、何処で手に入れたの?」

 ようやく意図に気付いた沙貴が尋ねると、澪は、無言で下を指差した。

「二階の……薬品店……?」

「そうよ。
 ってことは、これ2021年12月頃の製造ってことになるでしょ。
 そんな製品が店頭にあるってことは」

「2021年って……私達の基準からしたら、二年以上前?!」

 二人の声が、止まる。
 その視線は自然と窓の外に向かい、ビルを覆う蔓や葉がそれを遮る。

「まさか、この秋葉原は……」

「何かの理由で、この世界の法則から隔離されてしまったんだわ」

「それって、まさか――」

「沙貴、お二人を早く運び出して、ここを脱出しようよ」

 澪の提案に、沙貴は大きく頷いた。

 担架に乗せた遺体を持ち上げようとした時、ふと、近くに一冊のファイルが落ちていることに気が付いた。
 それは、何かをコピーしたものが複数枚綴じられているようだ。
 良く見ると、テーブルの上には、B5サイズのノートと筆記用具が無造作に置かれている。
 それに気付いた沙貴は、ノートとファイルを開いて内容を確認してみた。

「これって……もしかして」

「何が書いてあるの?」

「罫線が写っているから、何かのノートのコピーみたいね。
 だいぶ霞んでいるけど……これ、もしかして」

「あれ? この内容、どこかで読んだような」

「とりあえず、部屋に戻ってから分析しましょう」

「OK」

 沙貴は、ファイルとノートをザックに収納すると、澪と協力して担架を運び出すことにした。
 目標は、ランクルの停めてある場所。
 あまり力に自身のない二人には、ランクルを停めたところまで担架を運ぶのは、想像を超える重労働だった。





「――なんだ、こりゃ?!」

 JR四ッ谷駅。
 ホームまで降り立った卓也は、思わず目を疑った。

 一番線ホームと二番線ホーム。
 ここは、本来であれば中央線快速が停まるところである。
 だがしかし、この駅に関しては、永久に止まることはないだろう。

 中央線だけではない。
 中央・総武線が停車する三番・四番ホームについても、今後総武線がやって来ることは絶対にない。
 無人の世界なのだから、それは当然のことではある。
 だがしかし、仮にこの世界に人間が沢山現われ、電車が動き出したとしても、この四ッ谷駅には電車が入ることは、未来永劫ありえない。

「いったい、何が起きてるんだ……?」

 あまりにも衝撃的な光景に、卓也は、思わずホームのベンチにドッカと座り込んでしまった。
 どこかで、魚が跳ねたような水音が聞こえる。


 JR四ッ谷駅の線路は――否、線路があるべき場所は、全て“川”になっていた。

 線路が沈んでいるわけではない。
 まるで最初からそうであったかのように、そこには、自然豊かで魚が楽しげに泳ぐ清流があるのだ。

 太陽光を受けて、川の水面が光り輝く。
 思わぬマイナスイオン溢れる環境下で、卓也は、静かに流れる川を呆然と眺め続けた。



 
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