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十五

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忌まわしい過去を思いかえしているうちに、喉が焼けるような悔しさがこみあげ「くそ!くそ!」と歯噛みしながら、斜面をのぼっていった。

そろそろ岩山に行きつく。
手紙を根拠に、一目散にここまで走ってきたとはいえ「さてどうしたものか」と速度を落とす。

なにせ、俺は黄泉のうつろの場所を把握していない。

昔、一回だけ、南につれていかれたが、そのときは目隠しをしていたから、分かるのは、おおよその方向しか。
範囲は広大だし、神話にまつわる禁断の地だけに、易々とは見つからないだろう。

焦りながらも「渚は知っているのかな」「南に教えてもらったのかな」と考えているうちに、岩山に踏みこみ、地面に血痕があるのを見つけた。
点々とつづくのを目で追えば、岩山の奥のほうへと。

渚が滴らせたものだろう。
なにせ、胃潰瘍だから。

昨夜は精力があり余っているとばかり俺を抱きつぶしたはずが、血を吐くほどの重症なのか?

あらためて渚の体調が心配になり「早くつれもどして病院につれていったほうが・・・」とさらに焦りを募らせて走りだす。
まあ、不幸中の幸いで、血の跡が目的地へと俺を導いてくれたが。

日がのぼっていき、だんだん辺りが明るくなるも、岩のそり立つ斜面が影を落とし、足元は暗い。
しばらく、硫黄が鼻についたが、そのうち両側が絶壁の狭い隙間を通りぬけ、開けた場所にでたなら、呼吸がしやすくなった。

そこは隙間以外、岩の絶壁に囲まれた円形の広場のようなところ。
日の光は届かず、全体的に影におおわれ、うすら寒い。

隙間からでた向かい、十五メートルほど先に大岩があり、欠けた部分から常闇が覗ける。
まさに、この光景は過去に見たとおり。

過去とちがうのは、大岩の付近にふらつく男が見えること。
その背中を目にしたとたん「だめだ!渚!」とまえのめりに走りだし、ありったけの声を張りあげた。

「南ではなく、俺を選んでくれ!」

閑寂とした岩山に絶叫を響かせたなら、ゆっくりと振りかえってくれた渚。
魂がぬけたような、呆けた顔つきをしながらも、俺と視線を交わらせて、こちらに一歩踏みだそうと。

が、肩を跳ねると、しばし静止し、急にまた大岩のほうに向いたなら、そのままの勢いでつんのめった。
大岩の隙間に腕をいれて、伸ばせるだけ伸ばしているのだろう。

「南のやつ!」と舌打ちしつつ、懸命に呼びつづけ、走りつづける。

黄泉のうつろに、すっかり渚は心を奪われているとはいえ、その体格で小さい大岩の隙間を通りぬけられない。
現に、今も肩がつかえて、それ以上、のめりこめず。

残念だったな、南!
いくら、黄泉のうつろに誘いこもうとしても、渚の体は縮まないし、大岩の隙間も広がらない!

渚がいやがろうと、無理矢理にでも引っぱりかえして、そのまま村から脱してやる!

そう息巻いて、突進していったものを、にわかに渚の体が弾かれるようにのけ反った。
のもつかの間、まえに倒れて、大岩に体を激突。

静かだから、その音が否応にも耳について。
肉が千切れて、骨が折れるような。

むごい響きがしたのに、思わず息を飲み足を止めるも、渚のほうはとどまらず、体を反って大岩にぶつけての繰りかえしを。

黄泉のうつろにいれた腕を、南が引っぱっているのか。
引きずりこむのは不可能と分かりながらも、むきになって、渚の体を振りまわしているのか。

いや、ちがう。

岩にぶつかるたび、関節が外れ、肉体がしなり、骨が砕け、歪んでいく渚の上半身。
反るとき、体はだらりとし、引っぱられると、だんだんと隙間に上半身がのめりこむように。

一見、渚が自ら大岩に体を叩きつけているような狂った光景に、すっかり飲まれていたのが、やっと南の目的に勘づいて。
「渚!」と叫んでおおきく踏みだし、手を伸ばしたが、時すでに遅し。

打撃によって崩れた、ぐにゃぐにゃの体は、とうとう隙間をすりぬけ、洞窟に引きずりこまれてしまい。

まだ、はみでている足をつかもうとしたものを、届きそうで届きなく、手が空ぶり。
といって諦めず、すぐに上体を起して大岩にはりつき隙間を覗いたが、視界は闇一色。

すかさずスマホをとりだし、明かりをつけて差しむけるも、どこにも渚は見当たらず、がらんどう。

あまりにあっけなく、渚を連れさられたのに、今一、現実感が湧かず。

これは悪夢であり、まだ渚の腕に抱かれながら安眠しているのではないかと。
そう思った、思いたかったが、足元にちらばる血の跡はやけに生生しい。

結局、俺は死んだ南にも敵わなかった。

神話も当てにならないもので。
イザナギは、朽ち果てたイザナミを見捨てたとはいえ、人は神より盲目なのか、思い人が醜く変貌しようと恋焦がれるものらしい。

いや、もとより、つけいる隙はなかったのだろう。
俺の告白で、すこしは渚の心が揺れうごいたものと思ったのが、とんだ勘ちがい。

つい、さっきまで浮かれていた自分を殺したいほどの屈辱を覚えたが、それにしても、南は死んでも鬼畜だと思う。

きっと未練まみれの渚なら、いつでも黄泉のうつろに呼びこめたはず。
渚と体を重ね「やっと俺のものになった!」と舞いあがったところで、地獄の底に叩き落とすような真似をするなんて。

「長年、手紙を寄こしつづけてまで、これが、おまえのしたかったことなのか・・・」

怒るのを通り越し、無気力になってスマホを落とす。
大岩にもたれながら、洞窟の暗闇に「満足かよ」と呟けば、冷気が吹いた。

鳥肌が立ったものを、風が頬を撫でたのに、目を見開いて絶句。

昨夜、渚が俺を抱いたとき、頬に滑らせた手の冷たさ、しなやかな感触が甦って、腰がぬけたように、その場にへたりこむ。

渚と交わっているときに覚えた違和感。

争いを不得手とする彼らしくなく言葉責めしたり、平手打ちしたり、首を絞めたり。
嬉嬉として乱暴にふるまっていたし、なにより方言がなりをひそめ、標準語だった。

そのせいか、最中はほかの男の顔がちらついてしかたなく。

あらためて戦慄したなら、溢れる涙をちらして、できるだけ隙間に顔をねじこみ「どこまで、俺を侮辱すれば気が済むんだ!!」と慟哭したもので。



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