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ぐうたらで享楽的な恋を

犬飼の享楽的な一日①

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俺の不屈の精神は底なしだ。

頭を掻きむしり床をのたうって、身悶える暇があったら、頭をフル回転させ、突破口を見いだし行動に移す。

戦略的に猪突猛進する性分のおかげで、追放をされかけた芸能界で、屈辱的な立場になりながらも、まだ成り上がれるチャンスを手にすることができた。

今は、懲りずに、また崖っぷちに立たされているとはいえ、「もう駄目だ」と嘆かず、「二度目なら、もっと賢く立ち回れるだろう」と奮起したほど、その性分は長所だと思っていたのが、そうでもなかったらしい。

積極的な行動派なのではなく、多動性障害の気があるのだ。
前向きにあらず、じっとしていたり、ぼうっとしているのが、あまりに苦で、耐えられないだけ。

現に、裁判沙汰になり、必要に迫られて、自室にこもっていたら、発狂しそうになった。

「これはやばい」と隠れ住処、木造アパートに着の身着のまま、ころがりこんだものを、吉谷の顔を見てほっとしたらしたで、どうしてか、また極端に、塞ぎこんでしまった。

部屋に跳びこみ、片付けようとしていた布団に、真っ先にもぐりこんだならば、くるまったまま身動きできなくなり。

二日間は、引きずりだそうとせず、夜には寄り添って寝て、水分や食事を提供しながら、放っておいてくれた吉谷だが、三日目の朝に、ある提案をしてきた。

「前から、犬を飼ってみたかったんだ。
でも、このアパートはペット禁止だし。

だから、犬飼君、犬になってくれない?」

僧侶が説法を聞かせるような声音で、割と人権を踏みにじる発言をしてきたもので。

布団をめくって見れば、やはり、発言内容にそぐわない仏のように微笑が拝めて、つい、はしたなく背筋を震わせた俺は、気がついたら、肯いていた。

ヒモに尽くす女のように、偽善的なマゾヒストに見える吉谷とはいえ、「犬になってくれない?」と爽やかに暴言を吐いたのから分かる通り、たまに、サドな一面を覗かせる。

まあ、性的に、というよりかは、ぞっとするほど冷徹な思考の切り替えや判断をするというか。

はじめは俺も吉谷を見下し、ナめていたから分かる。

そもそも、人に鼻で笑われて、怒るどころか、すこしも笑みを引きつらせないだけでも、人並みならぬ自制心がある。
二十年も、大した、ぼろをださず、笑って受け流してきたとなれば、驚異的にストイックといっていい。

そして、これまた俺がそうだったから、分かるのだが、説教されたり諫められた覚えがないまま、襟を正されていたという、恐ろしさ。

人にナめられっぱなしに見せかけ、逆に嘲笑うように、人を掌にころがすテクニックは、もう神がかっていてた。
我ながら、吉谷を讃えるのがサブイボものとはいえ、まんまと丸め込まれた手痛い経験があるとなれば、しかたない。

自尊心を粉砕された俺は、まだ気づけたものを、ほとんどの人は「吉谷はちょろいなあ」と鼻歌交りにツイストしているつもりで、掌の上で裸踊りをさせられているわけだ。
仏に弄ばれた孫悟空のようなもの。

人の心を動かすのはもちろん、動かされていると気取らせないのは、もっと容易でない。

地雷を踏んでいけないし、ほんの機嫌を損なうことも、ちょっとした気に障るようなことも、してならない。

そのことを踏まえて、猫が撫でられて、ごろごろとする顎の下のような、いい意味での急所を見つけるのが必須。
ピンポイントのそれを、吉谷はほぼ外すことなく、突いてくる。

前に、M男を演じるため、SMバーにいき、女王に貴重な意見を賜ったから、吉谷の猫の顎の下テクニックが、彼女のそれに通じるのが、分かる。

M男といっても、虐げられれば、なんでもいいというわけではない。

言葉責めに勃起する男は、身体的苦痛には萎えるし、むしろ怒る。

言葉責めと身体的苦痛に、分けられるだけでなく、ピンヒールで踏まれてよくても、鞭はタブー。

「ブタ」呼ばわりされて涎を垂らしても、「キモイ」と罵られたら泣く。

など、SMといっても、性的傾向は人それぞれで、案外、許容範囲は狭い。

なので、高笑いして鞭を振るう女王は、一見、自分に酔っているようで、M男の限られた許容範囲内のプレイをするよう心がけ、少しでも、ツボではない言動やふるまいをしないよう、細心の注意を払っているのだとか。

曰く「相手が嫌がる虐げは、単なる犯罪的な虐待や暴力、訴訟ものの名誉棄損になるから」と。

M男は自己申告する場合もあるが、プレイの流れ的に、性的傾向を打ち明けないこともあり。
なので、意外に気苦労が多い女王は、リクエストに応えるだけでなく、欲求のツボを探り当てる難題も科される。

お膳立てや盛り上がりに、水を差さないよう、探っているのがばれないよう、高飛車な女王をやり通す。
そこらへんが吉谷の、猫の顎の下テクニックに通じるわけだ。

といって、吉谷も、そして女王も、加虐性愛的欲求が強いわけではない。
吉谷なんて、サド心をくすぐる、マゾ的表情や言動をすることもあるし。

まあ、女王の教えによれば、誰でも、根っこにはSM、どちらの質もあるというが、それにしても、商売人には、ばりばりのサディストは少ないし、人気になるとも限らないのだという。

だったら、人気になる人の特徴とは?

アンサーは「女王様に成りきるため、どこまでも尽くせる人」と、ややこしくも、エム的な発想。

たとえば、普段は、質素だったり、家庭的だったり、なんなら逆に男に奉仕する生活をしていたとして、客には、口が裂けても明かさない。
微塵にも匂わせもしない。

プライベートでも女王様よろしく高級志向で、札束をまき散らすように、贅沢三昧に放埓な日々を送っている。
と徹底して見せかけないことには、M男はしらけて、寄りつかなくなる。

現実逃避しにきていると、自覚がありながら、それでも、客である以上、夢を破綻させられたくはないだろう。

そう、この点も吉谷と似ていた。
仕事でもプライベートでも、オーラがなく冴えない俳優で通していた。

本人が女王のように、商売の戦略的に貫いていたとは思えないが、「使い勝手がいい」「問題を起こさないし、多少の失礼も見逃してくれる」「事務所も弱小だから」とナめられるキャラでいたことで、仕事依頼されていたのは確か。

ただ、崇められる女王と違い、踏みにじられるほうの吉谷は、背伸びしたり、虚勢を張らなかったので、まだ気負わなくてもよかったのかもしれない。

人にないがしろにされ、見下し足蹴にされて、心が荒んだこともあろうものを、さほど根に持たず、鬱屈ともしなかったのではないか。

そうでなければ、裏切られて、大スキャンダルに追いやられ、やけになったように、豪遊するか、酒浸りになるか、女に溺れるか、自殺未遂して、精神病棟送りになるか。
逆襲に週刊誌に裏事情を明かしたり、自ら発信したり、暴露本を発表するはず。

が、今の吉谷は、木造アパートの一室で家事をして、近所づきあいをし、半日働いて、ペットの世話を見てと、案外、忙しい日常を、生き生きと過ごしていた。





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