33 / 36
ぐうたらで享楽的な恋を
犬飼の享楽的な一日③
しおりを挟むつもり、文句なしの健全な生活を送っていた。
自分がペットに成り下がり、吉谷が人を犬扱いして、プレイ的な日々を過ごしていると思えないほど。
そう、吉谷は「犬になってよ」と屈辱的な要求をしておいて、一応、その設定を守らせつつ、ドックフードを食わせるとか、皿に顔を突っこませるとか、目の前で排尿や排便をさせるとか、リードをつけて四つん這いにさせ散歩するとか、極端なことをしなかった。
一方的に養うわけでないし、一方的に奉仕させるわけでなく、俺がしたがることをさせ、さりげなくフォローをしつつ、マイペースにのらくらする。
銭湯のお給金から、生活費を徴収しないで、といって、お小遣いをくれるでなく、俺が自ら財布の口を開くのに、口出しをしない。
さすが、ミスターバランスの吉谷とあって、適度に調整して共同生活を成り立たせていた。
散々、こき使われ、我慢を強いられてきた芸能界から、解き放たれても、まんまと堕落せず、わがままに生きようともしない。
「いやいや、人にナめられる芸当で、二十年も踏ん張ってきたのだから、自分を褒めてやって、ご褒美をあげろよ!ちょっとくらい、はめ外したり、欲求のまま馬鹿になれ!」と説教してやりたいところ。
前の生活リズムとそう変わらないだろう、節制を心がけた日常を、真摯に過ごす吉谷は、でも、前より、顔色や肌艶がよく、表情も明るい。
欲求を満たすことが、幸せとは限らないのか。
そう、考えるのは、またもやSMバーの女王が語ったのを思い起こしてのこと。
「好き好んで女王をする人は、自分がしたいようにするほど、うまくいかなく、破滅することが多い」と。
「自分がしたいこと」といっても、生理的なものと精神的なものに分かれるらしい。
生理的なのは、たとえば、無限に食べたい、酒を飲みたい、延々に寝ていたい、薬物でハイになりたい、セックスに溺れたいなど。
好き好んで女王をする人は、そういった生理的な欲求に、逆に支配されてしまうのだろう。
これが厄介で、いくら食べても、いつかはお腹が空くように、どこまでも飢餓感がついて回る。
底なし穴を埋めようと躍起になるあまり、我を失い破滅を招くわけだ。
生理的な欲求を満たそうとしても幸せになれないし、精神的なのと、ごっちゃにしやすく、迷走する人もいる。
そもそも、生理的な欲求以外に「自分がしたいこと」を分かっている人は少ないかもしれない。
分かっていても、社会情勢や規制、人間関係や世間の目があって、自分のしたいことを通すことはできない。
結局、この世では、自分のしたいことを十割成せないわけだが、その前提があると分かっていて、どう生きようとするのかが、本題なのだ。
「苦しい」「辛い」と頭を抱えるか「憎い」「むかつく」と歯ぎしりするのか「やり甲斐がある」「どうやって切り抜けよう」と胸を弾ませるか。
吉谷は胸を弾ませるほど、でなくても、自分の思うようにならない人生を、試行錯誤して歩んでいくのが、醍醐味だと分かっているのではないかと思う。
だから、そんな基本の姿勢を変えないまま、でも、芸能界と比べたら、この町の人は、ずっと公平に扱ってくれるから、前より充実した日々を送れているのだと思う。
本来、芸能人から庶民に格下げになるのが、耐えられないものだが、吉谷は支障がなさすぎにしろ、俺にだって、意外に葛藤を持たなかった。
湯船に入って、はじめの熱さをやり過ごし、いい具合にのぼせるように、今は享楽に浸っているような。
と思うほど、まえに属していた業界が厳粛というか、狭量すぎたというか。
他意なく、親切にしたところで「余計なことを」と唾を吐かれ「どうせ下心あるんだろ」と蔑視される。
手柄を立てても「調子に乗るな」と舌打ちされるし、相手が悪くても謝らないのはもちろん「結局、お前のせいだ」となすりつけられる。
弱みを見せれば、すぐに付けいり、騙され利用され、よほど警戒をしないと、口を滑らせたが最後、週刊誌に売られ、貶められる。
悪意、敵意、嫉妬、憎悪を剥きだしにしていた業界人に対し、米二十合と掃除当番の取引をするくらいで、干渉してこない同アパートの住人。
素性を聞かず、いいふらしもせず、良くしてくれる芳江さん。
「助かるわあ」「お父さんがうるさくて、ごめんねえ」と常々、感謝し謝る銭湯の女将さん。
ボイラー室に挨拶し、差し入れしてくれる常連。
「いつも、いいお湯をありがとう」とたまに、手紙をくれる近所の子供。
俺も吉谷と同じく、幼いころから、どっぷり業界に入り浸っていたから、当たり前に人が接してくれるのが、割と感動的だった。
そりゃあ、比べたら、今のなにげない生活のほうが享楽的で、裁判を投げだしたくもなるが、いつまでも、ぬるま湯に浸かっているわけにいかない。
芸能界のあり方は狂っている。
が、異常な磁場が働いているからこそ、理不尽なほど強大な力を手に入れられる可能性があり、法外的な絶対的権力をふるえる。
スポンサー様をもひれ伏せさせるような地位を手中にできれば、吉谷を排除しようとする勢力を、押さえつけることができる。
吉谷の貢献度に応じ、正当な報いを受けさせてやれる。
もし、吉谷が庶民の生活を気にいったというのなら、その生活水準と遜色ないほど「ありがとう」「ごめんなさい」と当たり前に口にし合えるような、心優しき業界に再編してやる。
そうしたら、ミスターバランスの負担が減り、吉谷は気兼ねなく、現場に立つことができる。
きっと、今のように伸び伸びとして、前より、女王様な一面を覗かせるはず。
放任主義で気ままに生活を送っているようで、時に「待て」と冷たい手で頬を叩くように、毅然と一線を引く吉谷を、おそらく、俺だけが知っている。
そのことに優越感を覚えながらも、俺が独り占めするのは、あまりにもったいなかった。
0
あなたにおすすめの小説
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
有能課長のあり得ない秘密
みなみ ゆうき
BL
地方の支社から本社の有能課長のプロジェクトチームに配属された男は、ある日ミーティングルームで課長のとんでもない姿を目撃してしまう。
しかもそれを見てしまったことが課長にバレて、何故か男のほうが弱味を握られたかのようにいいなりになるはめに……。
鈴木さんちの家政夫
ユキヤナギ
BL
「もし家事全般を請け負ってくれるなら、家賃はいらないよ」そう言われて鈴木家の住み込み家政夫になった智樹は、雇い主の彩葉に心惹かれていく。だが彼には、一途に想い続けている相手がいた。彩葉の恋を見守るうちに、智樹は心に芽生えた大切な気持ちに気付いていく。
イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話
タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。
瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。
笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。
はじまりの朝
さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。
ある出来事をきっかけに離れてしまう。
中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。
これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。
✳『番外編〜はじまりの裏側で』
『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。
タトゥーの甘い檻
マリ・シンジュ
BL
執着系わんこ攻(大学生)× 高潔な美形教授受(30代)
どのお話も単体でお楽しみいただけます。
「先生、ここ……僕の瞳を入れるから。ずっと、僕だけを見てて」
真面目な大学教授・新城が、大学生の・羽生にだけ許した、あまりにも淫らな「わがまま」。
それは、誰にも見えない内腿の奥深くに、消えないタトゥーを刻むこと。
「下書き」と称して肌を赤く染めるペン先の冷たさ。
アトリエの無機質なライトの下、四つん這いで晒される大人の矜持。
ずっと年下の青年の、必死で、残酷で、純粋な独占欲。
愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。
「……お前のわがままには、最後まで付き合う」
針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。
執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。
初恋の実が落ちたら
ゆれ
BL
オメガバースの存在する世界。スキャンダルが原因でアイドルを辞め、ついでに何故かヒートも止まって、今は社会人として元気に働く千鶴。お相手である獅勇は何事もなかったかのように活動を続けており、いちファンとしてそれを遠くから見守っていた。そしておなじグループで活動する月翔もまた新しい運命と出会い、虎次と慶はすぐ傍にあった奇跡に気づく。第二性に振り回されながらも幸せを模索する彼らの三つの物語。※さまざまな設定が出てきますがこの話はそうという程度に捉えていただけると嬉しいです。他サイトにも投稿済。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる