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ぐうたらで享楽的な恋を
吉谷のぐうたらな生活②
しおりを挟む目覚めたら、部屋は朱色に染められ、窓からは「蛍の光」の電子音が流れていた。
寝起きで呆けることしばし、「やばい!銭湯が!」ととたんに起き上がったものを、「あれ?」と置時計を見やる。
一日の半分以上が過ぎて今更、銭湯が休みの曜日なのを知り、ため息を吐いて、また畳に寝ころがった。
俳優業をこなすこと二十年。
二年先くらいまでスケジュールが埋まっているのは当たり前で、その予定を念頭にしないで、衝動的にセックスするなんてことは、一度もなかった。
それが今や、随分、ぐうたらな心と享楽的な体になったものだけど、大川曰く「世のぐうたらの基準を舐めている」とのこと。
大スキャンダルを巻き起こし、失踪して、下町の住宅街に身を潜め生活をするようになって三か月。
人生初めてバイト志願の電話をして、十秒も経たず素性がばれたのに、すっかり腰を引けたものの、今は正式雇用でないにしろ、お手伝いのようなことをしていた。
劇団「凡人」の事務仕事だ。
劇団「凡人」の団長とは十年来のつきあいがある。
きっかけを作ったのは団長のほうで、僕が立つ舞台公演を、たまたま観にきて、その数日後、事務所に手紙を送ってくれた。
手紙には、舞台の感想や評価はなく、「どうして、この仕草をしたのか」「ここの演出を、どこまで自分で考えたのか」「この台詞は、台本通りなのか」と質問が畳みかけられていた。
その返答をたしなめ返信したら、また手紙が寄こされ、謝意を述べるとともに、お礼として劇団のチケットが添えられていた。
早速、足を運んだ僕は、観賞後、やっぱり質問攻めの手紙を劇団に送った。
それからというもの、親交を深めたというより、舞台に関する質疑応答のやり取りをしつづけて十年。
失踪前後は、文通を絶っていたはずが、下町感あふれる木造アパートに住みはじめ、少しして、団長が訪問してきた。
団員の一人が、近くに住んでいるらしく、目撃情報を団長だけに耳打ちしたのだとか。
まともに顔を合わせるのも、プライベートな言葉を交わすのも、文通すること十年を経て初めてだったものを、久しく会った叔父甥のように、適度な距離感で打ちとけられた。
そのせいか、普段、あまり、愚痴っぽく内情を明かさないところ、「バイトで本名を名乗ってしまって」と口を滑らせてしまい。
自立して働く人で構成される「凡人」を運営する相手に、要らぬ口を利いたと、すぐにはっとして、謝ろうとしたら、見越してか、団長は首を振り、気分を害したようでもなく、ある提案をしてきた。
「ちょうど、今、劇団の事務員が辞めたばかりで、困っている」と。
「別に、ずっといてもいいし、すぐにやめてもいいから」と至れり尽くせりな条件で誘ってくれたからに、本当は人手不足で困ってはなく、恩情をかけたのかもしれない。
と思いつつも、考えなしに、一か月分の生活費くらいしか携えず、木造アパートにころがりこんだ僕に、「そんな」とかまととぶる余裕はなかった。
六畳一間の部屋に住み、生活に必要ない以外、さほど浪費しないとあって、事務員として働くだけで、なんとか一人で食っていけた。
が、復帰を目指し活動しつつ、たまに僕に会いきていた犬飼君が、もぐりこんだ布団からでてこなくなってしまい、そうもいかなくなった。
翌日、ラジオを聞いていて、犬飼君の事務所が、週刊誌と情報を提供した女性に訴訟を起こしたのを知った。
詳しくは分からないけど、似たトラブルに巻きこまれた、僕の知人がそうだったように、「裁判が終わるまで、どんな些細なことでも、不利に働く場合があるから、じっとしてろ」とおそらく弁護士と事務所に指示されたのだと思う。
身の程を弁え、忠告に従いつつも、積極的で行動派の彼なので、居ても立っても居られないのだろうと、察しられた。
ので、すこしでも気が紛れるよう、犬飼君を同居人として扱わず、ペットとして飼いはじめた。
「飼う」となれば、無一文で跳びこんできた迷い犬から、生活費の徴収をするわけにいかず、全面的に養わなければならない。
といって、バイトをしようにも「面接で素性がばれそうだしなあ」と悩んでいたところ、同アパートの住人で親交のある芳江さんに「銭湯の親父さんが倒れたらしいわよ。で、今日は休みだって」とさらに踏んだり蹴ったりな情報がもたらされた。
風呂なしアパートで、たまにセックスもするとなれば、近くの銭湯を利用できくなるのは死活問題。
下町生活に慣れて、すっかり銭湯愛好家になったこともあり、心のダメージもすさまじかった。
「休みっていつまで・・・?」とおそるおそる聞いてみると、「親父さんが薪割って、ボイラーの管理してたからねえ。そう、すぐには代わりは」とまったく、見通しが立っていなさそう。
「なんてこった」と肩を落としかけ、でも、すぐにはっとして「あ、あの、同居人が資格を持っているし、経験もあるんですよ!」と前のめりに訴えかけた。
ドラマ共演時、二人で談笑したのを思い起こしたのだ。
まだ、ぴちぴちのプードル系男子だった犬飼君は「これまで、どんな端役でも、一からなりきって演じてきたんです」と胸を叩き、例として、ボイラーを扱う役を担ったときは、資格をとり、研修までしたと教えてくれた。
風呂なし家が多い町の危機を救う、おあつらえ向きな人材が、時機良くして、よくもまあ身近にいたものだけど、犬飼君の素性を正されては、困るところ。
婦人会のボスであり、町の顔利きの芳江さんが、「まあ!ちょうどいい!もし、あの子がいいっていうんなら、早速!」と手を叩いてはしゃいだことから、ノー問題になった。
犬飼君は、芳江さんと顔見知りで、でくわせば会釈するも、まともに会話したことがない。
僕もあらためて紹介せずにいて、芳江さんが、どう捉えているのか知れなかったものを、僕らを銭湯に紹介するのを、躊躇わなかった。
もちろん、今は忠犬の犬飼君は、僕の頼みを断るわけがなく。
翌日から、銭湯の親父さんの指示を電話で受けながら、作業しだした犬飼君は、合間に薪を割りつつ、ボイラーの調節をこなしていった。
僕もまた、事務員の仕事を終えたなら、遅れて銭湯に赴き、女将さんの手伝いをした。
女将さんが女湯の見回りや掃除をしている間は、僕が受付に座り、僕が男湯の見回りと掃除をしている間は、女将さんが受付をと、かわりばんこに席を立つ。
他に男手が必要な作業に駆りだされたり、たまに犬飼君を窺いにいき、湯加減とボイラーの調子との情報交換をして、差し入れのスポーツドリンクとアイスを、しばしの休憩に、肩を並べ口に含んだ。
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