春画作家がだるま男に狂う

ルルオカ

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車が行き交う大通りから、横道に入って、すこし歩いていくと、にわかに視界が開ける。遠くまで連なる長屋。両脇にあるその家々の狭間に、真っ直ぐ伸びる道を人が埋めつくしていた。

人混みをかき分けて、お土産屋や飲食店が並ぶエリアを抜ければ、道の奥のほうは人がまばらで、閑静だ。観光客にもみくちゃにされたのに、一息ついてから、連なる長屋の一軒、暖簾がかかったその戸を開き「ごめんください、木藤です」と呼びかけた。

「あらあら、木藤さん。わざわざ、ご足労で」と玄関にでてきたのは、薄い黄色の着物を着た、お上品な老年の女性。この旅館の仲居、といっても、一人しかいないから、実質、女将のような人だ。

老舗旅館を定年で辞めたのを、スカウトされたという彼女と、料理人と番頭と主人。俺の会社と同じく、少数精鋭の四人で切り盛りしている、この旅館は一日、四組しか受けいれない。

宿泊費はいいお値段がするものを、大型のホテルより手厚いサービスを提供し、民宿より贅沢な気分にさせてくれると評判で、一年先の予約も埋まっているとか。なので、なんだかんだ忙しくしているようだけど、締め切りを破る言い訳にはならない。

旅館の営みは有能な三人でまかなえているので、ここの主人がすることといえば、挨拶と酒の席での接待くらい。作品を郵送する暇は、十分、あるはず。はす、だけど。

「お急ぎでしょうし、つれてまいりますね」と仲居さんが折角、気を利かせてくれたのに「おお!きたか、木藤くん!」と奥の部屋から、跳びだして、廊下を走ってきて。

そのまま足を止めずに「うまい蕎麦屋を見つけたんだ!」と腕を引っぱられて、外へ。いつの間にか、雪駄をつっかけ、上等な着物が乱れるのにかまわず、羽織をはためかせて走るのは、そう、締め切り破り常連にして「摩訶クラブ」の人気春画作家、嶋田さんだ。

春画作家として、手がけるのは浮世絵。昔の手法に則りながらも、本来は分担する、絵師、彫師、摺師の作業を一人でこなす、相当な腕利き。弟子入りしたこともある、その技術はたしかなもので、且つ、一から描くデザインも優れているし、なにより「無修正の動画より、めっちゃ勃つわあ!浮世絵マジパねえ!」と雑誌愛読者の需要を満たしてくれている。

先輩とはつきあいが長く、先輩のお気に入り作家でもある。先輩のためにも、雑誌的にも、手放したくない人材とはいえ、編集者にとっては、天敵のような厄介者だ。

本業の旅館経営と、趣味でやっている(表向きの春画以外の)浮世絵のネット販売や展示会で、食っていけるので「別に?雑誌に載せてくれなくても、かまいませんけど?」と強気なかまえで、毎度毎度、締め切りを守らないし。だけなら、まだしも、とっくに完成させている作品を人質に、こうして呼びだして、食事や買い物、果てには遊園地にまで、連れて行かされるから、たまったものではない。

いくら「赤字OK!」と気前がいい、お許しをもらっているとはいえ、肝煎りで出版会社を任された身にすれば、できるだけ、売上げを伸ばし、貢献をしたいところ。となれば、忌々しいながら、締め切り破り常連やくざな作家の顔色を窺わないといけない。なにせ摺りたて、ほやほやの浮世絵を抽選のプレゼントにすると、雑誌の販売数が格段に上がるのだから。

といって「ヌードのモデルになってよお」の要求だけは、断固として、飲みこまないけど。「蕎麦くらいならいいか」と諦めつつ「今日は家に帰れないな」とため息を吐かずにはいられず。

肩の力を抜いたのは、掴む腕から伝わったろうものを、放してくれずに、小走りをつづける。「なにを、はしゃいでいるんだ?」と訝るうちに、道の突き当たり、山の斜面が阻む行き止まりに至って。長屋の端っこの家と山との隙間にある、緩やかな階段に踏みこんだのに、ぎょっとして「え、島田さん、そっちは旧町(きゅうちょう)ですよ!」と声を張った。

ここは昔から変わらず、長屋が連なる町並みをしていたけど、観光地として注目されるようになったのは五年前くらいから。島田さんが三十五で脱サラをして旅館をはじめたのは、四年前からで、この町では新参者。

そんな新参者と、昔から住んだり商いをしている古参の人たちと、町家が並ぶ二つの通り、それぞれを、とょうど二分して住み分けている。たまたま、そうなっただけで、お互い、目の仇にして不可侵にしたり、張り合って対立してはいないものを、新参者のほうは「観光客目当ての軟派な連中」と古参に軽蔑されているのではと、被害妄想を抱いているという。

「旧町には、恐れ多くて踏みこめない」と嘆いたいたのが、なんの風の吹き回しか。スキップするような足どりで、俺を引っぱって曰く「この前、新町の知り合いが旧町にいって、なんともなかったっていうからさ」と。で、その知り合いが偵察してくれた蕎麦屋に向かっているとのことだった。

二つの通りをつなぐ階段を降りれば、そこは旧町。新町と光景は、さほど変わらないながら、人気も活気もなく、ひっそりとして寂しげ。代々住んでいる人、地に足つけて生きる彼らの息遣いと古い町並みが馴染んで、歴史的な重みがある趣と粛々とした空気感がある。

新町と別物な旧町の雰囲気に、スキップルンルンだった嶋田さんも、着物と羽織の崩れを直し、背筋を伸ばして、お口をチャックした。もう逃げるつもりはないというに、腕を放してくれないのは、怖気づいているからだろう。

その緊張がうつって、俺もだんまりとし、猫もいない通りを二人で歩くことしばし「あ、あそこだ」と指が差された。看板を見上げようとして、ふと、香ばしい匂いを嗅ぎつけて。

「お、茶・・・?」と見渡せば「ほんとうだ」と島田さんも、ひくつかせる鼻を、あちこちに向ける。「そこからだ」と見やったのは、格子越しに開けっ放しの硝子の窓。

鼻をひくつかせながら、格子に寄って覗きこむのを「あまり、じろじろ見ては」と袖を引く。かまわず、大袈裟な身ぶりで、じろじろと見て「うーん誰もいないな」とやっと視線を外すも「看板もないし、お茶の卸しでもしているのか」と今度は表玄関のほうに足を向けた。

すり硝子の木戸には、看板どころか、呼び鈴も表札もない。木戸に手をかけるも、びくともせず「んー?」とすり硝子越しに目を細めてみせるのに「いい加減、失礼ですよ」と手首をつかんで引っぱった。

「蕎麦屋さんは向かいなんですから、気になるなら、お店の人に聞いたらいいじゃないですか」

とたんに顔を振り向け、頬を引きつらせる。この期に及んで、旧町の人と顔を合わせるのに「ましてや、口を利くなんて!」と慄いているらしい。

アラフォーの、着物と羽織りが似合う渋い男が、情けなくも、十も下の俺に先導をさせ蕎麦屋に入り、二階の個室に案内されるまで、こそこそと背中に隠れたもので。そう怯えずとも、蕎麦屋の女将は、一見さんの俺に唾を吐くような態度を見せず、窓から向かいを見下ろし「あの、あちらはお茶屋さんなんですか」と聞いたら「そうなんですよ」と愛想よく応じてくれた。

「茶葉を作る工程を途中から手作業でいたしまして、できあがったものを、届けてくれるのです。このお店でも、毎日、手揉みしたり、炒ったばかりのお茶をださせてもらっています」

人に斥候のようなことをさせ、女将の反応を注意深く窺い、やっと踏ん切りがついたらしく「ああ、どうりで、香ばしい匂いがしますね」と湯のみを持ち上げてみせる嶋田さん。団子虫のように縮こまっておいて「なんだ、そのドヤ顔は」と俺は眉をしかめたものを「ありがとうございます」と女将はスマイルゼロ円を惜しまず。

「私も商売していることもあり、お茶にはうるさいんですよ。全国津々浦々で作られた、有名無名関係なく、さまざまな茶を探しだし、飲んできましたが、その日、できたばかりの茶葉となると、別格ですな!」

「そうなのです。お向かいさんとは、長いつきあいですが、後を継いだ若い方が、いい腕をしてらっしゃいまして。こういうお茶が飲みたいと、おおまかでも、細かくでも要望すれば、その通りに茶葉をしあげてくれます」

「へえ!どんな要望にも応えてくれるんですか!だったら、是非、私も頼んでみたいものだ!」

「すこし、お時間をいただければ、できたてのものを、ご用意できると思いますよ。今の時間帯は、お家にいるでしょうし」

「返事はなかったけどな」と思いつつ、もちろん口にはしないで「じゃあ、お言葉に甘えて」と嶋田さんが調子に乗りだした、その成り行きを見守る。

「さらに、甘えさせてもらえるなら、紹介していただけないでしょうか。私の店も近いものですから、できたら、届けてもらえないかと」

直前まで、小気味よく返していたのが、一瞬、声を詰まらせた。すかさず口を開いたものを「あの・・・」と切りだしにくそうにし、察した嶋田さんは「いや、すまないね」と先手を打つ。

「まだ、この店で食事もしていないのに、ずけずけと。初めての客が、こんな、おこがましくしては、店としては困ってしまいますよね」

いまだ旧町にへっぴり腰でいながらも、一端に客商売をしているから、こういう駆け引きとなれば、お手のものとばかり、一芝居を打ってみせる。接客では、どんな失礼無礼な客であっても、卑しめたり、恥をかかせることをしないのが鉄則。

「ですぎた真似を」と恐縮する客の頼みを断れば、相手がおこがましいと認めるようなもの。それを避けるのに、聞き入れるか、譲歩をするだろう。との見込みは当たって、いや、別に訳があるらしく「じつは・・・」とやや顔を伏せて、声を潜めた。

「向かいのお茶屋さんは、とてもよいお店ですが、初対面だったり、よく知らない人は、誤解しかねない事情があるのです。だから、私たちを含め、近所の者は、何かと、お世話になってますし、個人的に懇意にしていますから、お店の宣伝をしたくありつつ、広く浅く知られるのを心配していまして。

大したことでないとはいえ、私の語れる範囲の内容を聞いていただいてから、判断してもらえれば」

やたら回りくどく、予防線を張ってきたものだけど、むしろ「誤解?」と身を乗りだす嶋田さんは興が乗ったらしい。が、興味本位なのを悟られまいと、咳払いをして「私も商売人ですし」と居住まいを正した。

「隣町ですけど、近くに住む者です。近場のよしみの方に失礼なことをしたくありませんし、それほど慕われている方なら、下手を打った場合、私のほうが町に居づらくなるでしょうから。どんな判断をするにしろ、口外をしませんよ」

先まで、店の敷居を跨ぐのに、つま先を震わせていたのが嘘のように「近くに住む者」なんて、厚かましくも名乗れたもので。旅館の名をださなかったあたり、まだ慎重とはいえ「近所づきあいを心得ている」アピールは、女将さんに有効だったらしく「そうでございましたか。でしたら・・・」と語りだした。

が、嶋田さんほど、向かいのお茶屋に関心がなかったこともあり、忙しくトイレにいけなかったのを、今更、もよおして「すみません、お手洗いに」と口を挟む。嶋田さんには、かるく睨まれたとはいえ「ああ、一階の階段を降りて、すぐ横にございます」と教えてもらって。

トイレタイムを待っていられず、女将さんが語りだしたのを尻目に、一階へ下りていく。階段を下りきって、靴を履こうとしたら、がらがらと戸の開く音と「遅くなって、申し訳ありません」と客でない人の声がした。

「ああ、ショウちゃん。悪いね、わざわざ。お前さんとこのお茶が旨いもんだから、お客さんが、がぶがぶ飲んで、すぐ、茶葉を切らしちまうんだよ」

「そう、おしゃっていただければ、商売冥利に尽きます。弟にも聞かせてやりたいものです」

「彼が向かいの人か」と靴から目を上げたところで、ちょうど顔を見合わせた。とたんに身を強張らせ「菖、くん・・・」と靴を履けずに、落とす。

ワイシャツにチノパンとシンプルな装いに、半被を羽織った美青年。端正な顔の右半分には青痣が。そして、左半分に赤く斑のような皺が刻まれたさまは、目を背けたくなるほど醜く、目を放せないほど、怪しげで艶かしかった。



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