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消えた友人

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 室内も時政さんも僕自身も落ち着いたところで、僕達はボイスレコーダーを中心に向き合っていた。時政さんは格好こそ緊張感がないけれど、雰囲気はすっかり昨夜と同じものに切り替わっていた。──ピリッとしていて、鋭い。


「幾つか質問する」

「はい」


 頷く。いっそアルバイトの面接時よりも緊張していた。現実逃避に、大して美味しくもない紅茶をもう一度淹れたくなった。……帰ったらお茶の淹れ方、勉強しようかな。


「まず、お前はこの中で誰が一番怪しいと思う?」

「…………」


 陳腐な質問だ。推理物のドラマを見る時、友人と互いが思う犯人について囁き合うような。微笑ましいとすら思える単純さだ。だからこそわかる──探偵に試されている。


「僕は、島先生が怪しいと思います」

「理由は」

「明らかに様子がおかしかったし……」


 それに、あのとき島はなんと言った?

 ──〝お前は余計な詮索するんじゃない。〟


「島先生は、僕が佐竹について調べ回っていることを知っていました」


 何故知っているのか。僕なんて彼からすれば存在感も然程ないイチ生徒だろうに。僕を監視していた? 何故?
 考えれば考える程、島への不信感が明瞭になっていく。


「ン、及第点だな。じゃあ次──お前、佐竹のこと、結局この先生に話せてないんだよな?」

「……あ。」


 忘れてた。と間抜けに口を開けた。島先生があんまりにも怪しいものだから、そればかりに気を取られていた。
 しまったと頬を引くつかせる僕に、時政さんは妙に凄みのある笑みを浮かべていた。


「よーし、ナイスアシストだ。コイツで多少はつつけるかもな。動揺を誘えれば御の字、だ」


 動揺──やっぱり島が怪しいのは確定なのだろうか。担任の先生としてごく普通に彼を慕っていた僕としては複雑な心境だ。そも、仮に島が関わっているとして、彼が佐竹をどうこうする理由がさっぱりわからないのだ。
 そして。それはそれとして時政さん、その笑い方は不気味すぎるのでやめた方がいいと思いますよ。


「次。噂の件だが──この不審男の噂が出始めたのが二週間程前、だったな」

「あ、はい。らしいです」


 後藤さんをはじめ、後々の聞き込みに含まれていた内容だ。まさしく尾ひれはひれ背びれ胸びれの部分だ。


「で、男だけじゃなく子供が出るという噂もあった──」

「あ、それなんですけど、たぶん忍び込んだ生徒の事だと思います」


 咄嗟に自分の推理を披露してみる。ほんの少し、得意気だった。話してから──後悔した。


「ああ。それは俺も考えた。が、…………。」


 結局、時政さんは尚更難しい顔をして黙り込んでしまったのだ。──あ、これ、余計なこと言っちゃったかな。
 思わずソファに縮こまる。素人の意見なんて、プロの彼からすれば稚拙で何の益にもならないだろうし、当てにだってできやしないだろう。混乱させてしまっただけかもしれない。そんなのは、恥ずかしいし、申し訳ない。


「あの、ごめんなさい」

「あ?」

「僕、余計なこと言っちゃって」

「……? なにが余計だったんだ?」

「え? だから、子供の噂は生徒かもしれない、とか……素人のくせに」

「…………」


 時政さんが沈黙した。無音が重力を伴ってのし掛かるようだった。ああ、顔を上げられない。この人に怒られるのは──軽蔑されるのは、誰に否定されるよりも苦しい。どうしてかそう思う。
 時政さんのことを──土御門時政という人間を、僕はまだちっとも知らないのに。


「……?」


 ふと、頭に触れる手があった。ミステリーのごとく事務所内に第三者が隠れてでもいない限り、この手は時政さんのもので間違いないはずだ。──時政さんに頭を撫でられている。
 あれ……別に僕、撫でてほしかったわけでは、ないんだけど。


「時政さん……?」

「──俺だって同じことを考えた。何も余計なんかじゃない。同じ事件を追っているなら、気付きだってどんなものでも共有すべきだ。そこに立場は関係ない。現に、俺はお前とこうして情報の一つ一つを確かめられて助かっているし、お前はお前が思う以上に役に立ってる」

「…………」

「遠慮はいらないし、する必要もない。佐竹が大切なら、むしろ噛み付く勢いで来い。──その程度、片手で受け止めてやるから」


 顔を上げる。時政さんの腕がある。時政さんは笑っている。時政さんがそこにいる。
 ──どうしよう。やっぱり僕、この人のこと嫌いになれない。意地悪だし、人前に出る格好じゃないし、怪しいし、事ある毎にひとをバカにしてくるし、僕のこと完全に子供扱いだけれど──もしもこの探偵の真実が嘘つきの詐欺師であったとしても、僕はきっと憎めないのだと思う。とんでもない人だ。


「時政さんってずるいなぁ。探偵、向いてますね」

「なんたって──探偵だからな? さて、ご機嫌お直し遊ばされたところでこの探偵めに仕事を続行する名誉をいただいても?」

「よろしくお願いします」


 クックと企むように笑い合う。目の前の彼に、実に似合う笑い方だった。無論──不気味という意味で。


「子供・事故・癖・男・噂・失踪──かなり繋がってきたが、どうにも動機が見えない。この失踪した先輩とやらだが、どんな奴等だった?」


 つられて笑っていた顔面が固まった。唖然と時政さんを見る。だって、仕事が早すぎる。動機の話が出るということは、もう既に彼の中で犯人は定まっているということだ。────やはり、島なのか。


「……確か、有名な不良グループの人達だったと思います。関わると良くないって一年生の間にも浸透してて……教師にもかなり反抗的だったらしいですし」


 と、いうのも、実は以前に教頭先生を罵倒していたのがこの不良グループなのだ。そこまで話して、漸く時政さんは顔を上げた。


「──繋がった。んでもコレじゃあ証拠が足んねぇな。レコーダーだけじゃ心許ねぇし……いっそ小型ビデオでも持たせときゃ良かったか」


 だとか、彼がぼやくものだから────────あ。


「ビデオ」

「んあ?」

「──っすみません! 実は佐竹のやつ、当日にビデオを回してたらしくて……僕、それらしい物を拾ったんですけど、その事をすっかり忘れてました……」

「おまっ──それを早く言えバカ! 今どこにある!?」

「………………家に」

「ッ早く取ってこぉぉい!!」


 蹴り出される勢いで時刻探偵事務所を後にする。事務所から僕の住むマンションまで、丁度三駅分の距離だ。大して頼りにならない脚力を駆使して、我が家と事務所の往復・最短記録を更新する。(なお、檜垣高校はその中間にある)


「こ、これ……です……!」


 どうにか重要参考物が時政さんの手に渡った頃には、僕は息も絶え絶えだった。体育でだってここまで全力疾走したことないよ……それくらい、時政さんの「取ってこい」には絶対的命令権と迫力があった。訓練を受ける犬ってこんな気持ちなんだろうか。


「あの、でも、画面割れてて……壊れてるかも」

「いや、大丈夫だ。電源は入る。こことメモリーさえ生きていればPCから拾える。ほら、さっさと再生すんぞ。何へばってんだ」

「んぎゃっ」


 ソファーに懐いていた僕の上腕をむんずと掴んで、デスクトップパソコンの前へと連行する時政さん。普通にひどい。ちょっとは依頼人を気遣えよ、この横暴探偵!
 そんな僕の心の抗議が届くはずもなく、勝手に仮定・佐竹のHDビデオカメラから最新の映像データをPCへコピーした時政さんは、有無を言わせず再生ボタンを押した。読み込みマークがぎゅるりと回って、明かりのない校舎をバックに最早懐かしくすらも感じる佐竹のドアップ顔が映る。


『──おおーうっ、フインキたっぷりですなあー!』

「「…………。」」

「バカ丸出しだな」

「アホの佐竹ですから」


 なんかこれと友達やってるの、恥ずかしくなってきた……あと佐竹、フインキじゃなくてフンイキが正しい日本語だよ。


『おっ、ラッキー。開いてんじゃん』


 柵の間を難なくすり抜けて、佐竹視点のカメラがゆらゆらと校舎の玄関を揺らす。酔いそうだ。彼の落ち着きのない性格をまさに写し取っているみたいだ。
 手ぶれ補正皆無のまま下駄箱へと差し掛かる。映像は肝試しらしくおどろおどろしいのに、佐竹の楽しげな鼻歌が絶妙に観る者を和ませる。つられて、夏のホラー特集にありがちな、映ってしまった系のビデオとしては使えなさそうだ、なんて僕の思考も散乱し始める。そのうちに鼻歌にも歌詞が付き出して………………佐竹、見付け出したら絶対にデコピンをお見舞いしてやるからな。覚悟してろよ。


 ──────ヒタ


「「ッ!!」」


 空気が換わった。入れ替わるように。表と裏をひっくり返すみたいに。
 無意識に隣の時政さんへと身を寄せていた。肩が当たって、漸く自分がこの大人に縋ろうとしていたことに気付いた。怪談だの超常現象だのとは全く縁がない僕でも、思ってしまった。────こわい。


 ──ヒタ、ヒタ
 階段だ。カメラは左に曲がった。

 ──ヒタ、ヒタ
 僕等の教室だ。誰もいない。

 ──ヒタ、ヒタ
 また階段だ。ここを上がれば最短で職員室に辿り着くことを知っている。

 ──ヒタ、ヒタ




 おにいちゃん。




『────っう、わあああッ!!』


 カメラが走り出した。ノイズ。揺れて、ブレて、世界が歪む。学校が歪む。闇が迫り来る。
 サイレンのように懐中電灯の明かりが飛び散る。途切れ途切れにカメラが佐竹の背景らしき廊下を映す。佐竹は追われている。佐竹は逃げている。それなのに────そこにはのだ。

 その後、ビデオを落としてしまったのか景色が反転し、大きな音と共に映像はブツ切れた。一夜が終わった。


「──ッは、ぁ」


 前言撤回だ。夏のホラー番組に適任の映像だ。────怖い。
 冷や汗が止まらない。これはあくまでも二日前の記録であるというのに、液晶の向こうで今まさに出来事が在ったかのような。臨場感。この言葉を今ほど思い知らされたことはない。


「時、政さん」

「────映ったな」


 時政さんが呟いた。冷静に──あるいは冷徹に。


「証拠。二つ、映った。これで確信した。──お前、今夜出てこられるか?」

「え? は、はい……」

「じゃあ決まりだ。今日、夜九時頃に檜垣高校の校門前集合な」


 よーし、準備すっかー。と困惑する僕を置き去りにして猫のごとく伸びをしている時政さんに閉口する。だって──今夜、すぐに? 犯人が今日も現れるとは限らないのに?
 クルリと、時政さんが僕を見る。僕からあなたの瞳は見えないのに。時政さんはいつだって真っ直ぐに僕を見る。視る。




「プロの謎解き、見せてやるよ」

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