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消えた友人

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 現在時刻、二十一時二十七分四十五秒──良い子はとっくにおやすみの時間に、僕は我が校の校門前に立っていた。一人で。──くり返そう。一人で。

 ッ時政さぁぁん!? あんにゃろう、自分から九時集合とか言っておきながら、思いっきり遅刻してるじゃないか! 恐怖映像観たばかりなのに、その現場に一人きりとか勘弁してよお!


「うううっ」


 すっかりカーディガンだっていらなくなった春の気候を無視して己の両腕を摩る。縮こまる。自分も影の一員になってしまわぬよう懸命に周囲を見渡す。ぬうっと背後に立つ校舎が怪物のように見える。今にも意思を持って頭からパックリ飲み込まれそうだ。
 いやだなぁ。今ここで僕が校舎に食べられたとしても、誰にも気付いてもらえないんだろうな。


「よお。はえーな、ちゃんと飯食ってきたか?」


 ──この人以外は。


「よお。じゃないですよ!! 三十分も遅刻してくるとか、社会人としてどうなんですか! どれだけ僕が心細かったかわかってるんですか!?」

「そんなカッカすんなって。俺は九時『頃』って言ったんだ。正確に九時とは言ってねぇだろ?」

「そ、それはそうですけどぉ!」


 なんという屁理屈。大人の言い訳とは思えない。だがしかし、どれほど切実に喚いたところで時政さんが相手では暖簾に腕押しだ。……どうせ口ではこの人に敵わないんだ。怒るだけエネルギーの無駄だ。


「はいはい、遅刻して悪ぅござんした。……ケータイ準備して、と。──んじゃ、ちゃっちゃと行きますか」

「ほ、ほんとに行くんですか?」

「なんだよ。こえーのか?」

「そりゃ怖いですよ。夜の学校なんてきもだめしの定番だし……」


 自慢じゃないが、僕は小学生の頃、お泊まり会のきもだめしで真っ先に泣いた過去がある。それはもう盛大に泣いた。火がつくように泣いた。流石にこの歳にもなって、たかだか暗闇を歩く程度で泣くなんてことはもう無いと思いたいが、怖がりなのは健在だ。本当に自慢にならないな。
 そしてもう一つ。在校生の僕はともかく部外者の時政さんが戸締まりされた学校に侵入となると、どう足掻いても正真正銘の不審者だ。噂が真実になってしまう。


「時政さん、」

「だーいじょうぶだって。──何があっても俺が守ってやる」

「────」


 ──だなんて。失礼なことを考えていた僕に、顔の半分しか見えない不審者ルックのくせに、その半分が妙にかっこいいことを言うものだから思わず面食らってしまった。
 なんて声を出すんだ。今さら気付いたけど、この人、声も良いのか。これで顔良し・懐の暖まり具合良しだったら、世の女性がとても放ってはおかない存在となっていただろう。……女性だけで済むだろうか。
 不覚にも熱くなってしまった頬を手うちわで冷ます。気休めだ。


「……早く行って終わらせましょう」

「仰せのままに」


 玄関から堂々と侵入し、僕は自分の上靴に(佐竹の上靴は相変わらず不明だ)時政さんは持参らしいシューズ……確かスリッポン、とか云うのだったか。に、外靴から履き替える。
 今夜は月だって細い。廊下の先は穴の底を覗くようだった。先の見えない暗闇。誘い吸い込む黒。──こわい。とても、こわい。
 なので。


「……おい。歩きにくいんだが」

「絶対に放しません」

「……お前、高校生だよな」

「絶対に放しません」

「…………」


 僕は現在、時政さんの腰にしっかりバッチリへばりついているのだった。
 だってこれ、シャレにならないやつだもん。もう泣かないとか調子に乗ったけどちょっと無理かもしれないヘルプミー!

 頭上から降り落ちる深々としたため息と、鉄壁の前髪越しに送られる冷視線を背中に感じながらも頑として時政さんから離れない。かつ、僅かばかりのプライドから、時政さんと顔を合わせないよう前を見るか下を見るか横を見るかに目の先を徹底していると、ふと時政さんの腰に先客がいることに気が付いた。


「これ……懐中電灯ですよね? どうして使わないんですか?」


 子供でも簡単に握ってしまえるくらいのコンパクトサイズの懐中電灯だった。それが、ぷらりと。すっかり時政さんのトレードマークになっているジャージのゴム紐部分から下がっていた。
 


「お前な、少しは考えろ。こんな暗闇で明かりなんぞ点けたら、やっこさんにバレるだろうが」


 それはそうだ。────ん?


「やっこさん──て、犯人、今ここにいるんですか!?」

「シィッ、大声を出すな!」


 べっちん。とうとう、時政さんが腰に引っ付く荷物の大きい方を雑に叩いた。痛い。遠慮もクソもない。間違いなくこの人の頭の中に、僕が依頼人であるという情報は残っていない。


「……時政さん」

「……悪かった。手が滑った。ともかく、騒ぐな。──犯人は確実にいる」

「──!」


 殆ど糸程度だった意地もここでプツリと切れて、時政さんを見上げた。闇を背にする時政さんは、不審者ルックもあって不気味も不気味だったけれど、不思議と怖いとは思わなかった。


「なんでそんなこと、」

「『なんで・どうして』はナシだ。一度自分で考えてみろ」

「うっ」


 ぐぐっと顔をしかめて向きを定位置へと戻す。ぷらりぷらり揺れる懐中電灯を意味もなく目で追う。
 素人になんて無茶をおっしゃるんだ、この横暴探偵は。そんなこと言われても、僕には島先生の可能性しか────あ、そういえば。


「──玄関、開いてましたね」

「……ああ、そうだな?」

「こんな時間に開いてちゃ──駄目ですよね、普通」

「駄目だろうなあ」


 ──楽しそうだ。探偵は実に楽しそうだった。と、いうことは、これで正しい。


「鍵を開けた人が──犯人?」

「もしくは、共犯者」


 仮説を絞り出すのでやっとな僕に対して、探偵はポンッと簡単に答えを返してくる。ずるい、と僻みつつ打ち返す言葉を懸命に探す。


「さて、ではその鍵を持っているのは?」

「……教師?」

「の、中の誰だ?」


 誰だなんて、そんなことまでは流石に知らな────あ、


 ──〝戸締まりは教頭の仕事だから。〟


 立ち止まる。時政さんを見上げる。その先にある階段を見る。闇を見る。


「────きょうとう、先生?」


 おそるおそる呟いた名に、時政さんはよく辿り着いたと誉めるように大きく頷いた。思いもしなかった犯人像に、教頭先生の穏やかな微笑を思い出しては途端にそれを薄気味悪く感じてしまった。なんて現実だ。
 

「それじゃあ、教頭先生が犯人──?」

「まだ断定はできねぇよ。学校に忍び込むくらいなんだから、ピッキングくらいできる奴かも知れねぇだろ」


 ピッキング……聞き慣れない言葉を貧弱な脳内辞書を捲りに捲って探し当てる。──ドラマとかで見る、ピンで鍵をこじ開けたりするやつ、だっけか。


「失踪した生徒達は確かにその犯人に襲われたんだろう。じゃあ、何故犯人は生徒が侵入してくる日を知ってたんだろうな?」

「え、」


 探偵の誘導が続く。首を振って降参を示す。


「わかりません」

「誰かがそいつに教えていたからだ」

「! それじゃあ──犯人は二人?」

「あるいは、それ以上。少なくとも一人の犯行ではない。さらに、共犯ではあれどそいつ等が満足に意志疎通できていたとは限らない──」

「うええ……? よくわかりませんよぉ……」


 淡々と続く探偵の推理に頭がぐちゃぐちゃにこんがらがって、ペラペラの脳内辞書も慌てて隅っこに投げ捨てて時政さんへと泣き付いた。もう時政さんは僕が腰に引っ付いているのなんて気にしていないようだった。……泣きそうになったら、全部このジャージに擦り付けてやろう。


「ま、これは俺も調べるまで解んなかったからな。それじゃあ別のヒントだ。──実は、男の不審者の噂の前にもう一つ噂が有ったんだ。わかるか?」


 噂の前の、噂?


「いいえ」

「〝夜の学校に子供が忍び込んでいる〟」

「え──でも、それって……」


 前提の全てが引っくり返る。時系列の謎が探偵によって正されていく。


「そう。ここで俺達は勘違いをしたんだ。怪しい子供は生徒じゃない。全くの別もんだ」


 当然顔で断定する探偵に、思わずあんぐりと口を開けて頭の中で頭を抱えてしまった。だって、それじゃあ──犯人どころか不審者まで二人いる事になってしまうじゃないか!


「では、最後のヒント──いや、そろそろ締めに入るとしようか。仮に教頭が犯人の一人とすれば──目的はなにか」

「…………」


 ふと、時政さんが腰の懐中電灯を手に取った。カチリ。明かりを点ける。とある教室の室名札を、暗闇に慣れてしまった目では眩しくすら感じる明かりで照らす。──『家庭科室』


「……わかりません。だって、あの教頭先生ですよ? 僕にはいまだに犯人だということも信じられないのに」

「こうは考えられねぇか? 子供の噂を聞いたお前いわく熱血な教頭先生は、それを生徒と勘違いし捕まえようとした。しかし捕まらない。次の日も捜す。が、捕まらない。そして、それを繰り返している内に不審な男として噂が上がってしまった。────そうですよね? 教頭先生」


 戸が開いた。時政さんの手によって。謎が今、暴かれようとしていた。──探偵の言葉によって。

 家庭科室内にあった人影は────毎朝作られる微笑みを完全に排除して佇立していた。







「教頭先生」
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