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椎名憂希

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こんらぶ

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 ──────そんなわけ、ないだろ。





 走る。走る。走る────ヒュウヒュウと喉から空風じみた音が抜けていく。或いは肺。哀れに虐げられる小動物がごとく、肺が縮こまって苦痛に鳴いている。
 痛い。苦しい。しんどい。そして、こわい。
 赤い街頭が夜道を照らす。行く先々の標識には『レマ止』とある。
 レマ止──険危、先ノコ──レマ止──レマ止──レマ止──────『ナルゲ逃』


「そんなわけ、ないんだよっ──!!」


 走る。時政さんは僕の兄じゃない。
 走る。僕に家族はもういない。
 走る。だって兄ちゃんは。
 走る。僕の、兄ちゃんは。


「うッ──ぐ、ううぅッ」


 転倒した。咄嗟に地面へ手を着き衝撃の緩和を試みるものの、パジャマでむき出しになっていた手のひらと膝小僧は無惨に擦り剥けていた。
 砂が食いこんで、肌を破って、肉を抉って、血に混ざる。
 どろりと、暗く──昏く──黒い血が爪の先へとしたたる。


「え、」


 血が──血とは、こんな『色』だっただろうか。
 ぽつんぽつんとアスファルトを汚す黒。血。これが、僕の身体の中を巡り流れているもの。生命の色。
 それは、なんて。

(ちがう)

 兄ではない誰かから貰ったブレスレットが黒々と僕を覗く。玉の中に斑に色が浮いている。────赤だ。


(ちがう)


 震える指で傷口に爪を立てる。黄色い肉の間に爪先が埋まって、やわらかに黒を掻き出す。緑色の爪に黄と黒が染み付く。吐き気。どうにか落ち着きたくて、この身を侵す黒をすべて取り除いてしまいたくて、さらにさらにと肉に憤りを埋めていく。

 痛い。──うそだ。


 いたくない。


「こんなの、ちがう」


 咄嗟に太陽がうるさい夜空を見上げた。だって、街灯の赤い光を遮る影が、地に伏せる僕へとなにものかの存在を示していたのだから。




「こんばんは。あるいはこんにちは。それともおはようが正しいかな?」




 ──────男、だった。

 たぶん。
 そんなふうな声だったし、体型も男性のものであるように見えた。

 髪は銀。輪郭に添わせるように頬左右の束を三つ編みにして結い、それを肩下まで垂らした様子は洒落た銀糸のリボンを思わせた。しかして後ろ髪はさっぱりとうなじの辺りで切り揃えられている。
 首から下は豪奢なフリルが胸元を飾るブラウスを着こなし、サスペンダーでスラックスを吊り上げながら足元には編上げのブーツを合わせている。そして、頭のてっぺんには黒のシルクハット。
 一見にして彼は一昔前の英国風な紳士であった。
 だが、彼は間違いなく奇妙だった。そして、ちぐはぐに奇抜ながらももしかしたら医者なのかもしれないと思わせる風体があった。────ペストマスクと、白衣だ。それが、僕にこのよくわからない男が実のところ医者であると強く印象付けた。


「……夜なんだから『こんばんは』、だと、思いますけど……」


 何拍かおいて、漸く声と返答を絞り出す。どうしてか場違いになってしまった気がする。すると、男は「おや」と小首を傾げると、手に持っていた傘を開いて掲げながら仰々しい鴉調のマスクを取った。
 仮面の向こうに現れたるは、黒だ。黒い瞳だ。ビスクドールに埋め込むための硝子玉にも似た純度が、無防備に銀縁のモノクルの向こうで瞬いてみせる。無機質、故に純粋──そんな目だった。


「夜だからこんばんは、か────うん、その通り!〝不正解〟だ!」

 
 男は繊細な見た目からは到底、想像つかない快活さで笑顔を見せた。そして、そのままある点を凝視したと思うと、パチクリと僕を黒い眼差しで覗き込んだ。


「きみ──もしかして、ここにいちゃいけないんじゃないかい?」


 ──はて。
 なんだってそのように伺われたのだろう。不思議に思う。初対面の筈なのに。僕のことなんて、微塵も知りやしないくせに。次には、失礼な奴だと瞬発的な怒りが沸いた。
 こんな男に、なぜ僕がこの世界から弾き出されねばならないのだろう。僕は、………………? 


「随分とわかりやすいマーキングをされてるもの。これは──ああ、土御門の血だね」


 そうして、男が白手袋に包まれた指で繊細に手に取ったのは僕の右手首──延いては、そこに鎮座する黒々しいブレスレットだった。
 土御門の、血────
 男に倣って、眼前に引っ張り出された黒玉の連なりを眺めてみる。そして気付く。この斑に埋め込まれている赤は、血なのか。時政さんの────そうだ。血って、赤色だ。
 気付きを得た途端、ぐりゃりと世界が捻れた気がした。おかしい。僕はおかしい。狂っている。────この世界はおかしい!!


「ぼ、ぼく、」


 傘の影にある男の顔を見上げる。この時の僕の目は、きっと無我夢中で縋っていたと思う。僕を世界の異物であると正確に認識した彼に、この不可思議への説明を求めていた。
 それに応えるようにして、彼は薄らと笑った。


「ここは定番らしく、なんでこんなとこにいるんだ! とか、きみに怒鳴ってみるべきなのかな。おれは」

「……は?」

「あれ、知らない? そういう『都市伝説』。きみくらいの歳の子って、そういうの好きだろう?」


 都市伝説。よく、わからない。恐慌状態のまま首を横に振る。すると、やけに甘く濁った臭いが追って鼻をついた。
 思わず口も丸ごと力任せに手のひらで押さえる。肺まで無遠慮にやってくるかおりをどうにか喉の奥で留める。果実が完全に腐り切り、発酵してしまったみたいな強烈さだった。甘ったるくて、ほんのり酸っぱくて、生臭い──
 臭いに交じって、たらりと滴る液によって、口の中に鉄臭さが広がる。僕の血だ。土が歯と舌に擦れる。僕の肉だ。たまらなく不快だ。
 ああ、だから。彼の鴉を模したマスクの意味を知る。同時に、何故〝これ〟を無視していられたのか──平然と笑っていた少し前の自分に慄く。


「ぼく、は、どうしたら」

「同じことをすればいいんだ」


 シルクハットを留め具に、マスクを装着し直した男は事も無げに答えた。


「さあ、急いで。もうすぐ夜更けの太陽のせいで干上がってしまう。そうなれば、同じ条件が揃うまできみは正しい〝裏側〟に戻れないよ。四人目になる前に辿り着かないと。おれが手助けしてやれるのはここまでだから──ああ、そうだ。もうひとつ、サービスしてあげよう」


 やっぱり洒脱した姿とは裏腹に陽気な男は、傍に膝を着くと、ささやかに血を流していた僕の掌と膝へと指を大きく広げ翳した。そこに手袋は無かった。
 ふい、と。空気を撫でるような仕草。手品を子供に見せるみたいな簡捷さ。はてさて、男の手が離れた頃には、魔法のように傷口がなくなっていた。


「よぅし、これでまた走れるだろう?」

「……あ、ありがとう、ございます……。あの、あなたは、その、」

「うんうん、おれの名前かい? 都市伝説に倣って〝時空のおにいさん〟とでも呼んでくれればいいよ。もしくは怪医ドクター。あるいは率直に『管理人メイヤ』でもかまわない」


 ペストマスクの男──メイヤがマスクの向こうで声を弾ませる。ご機嫌にタンッとブーツの踵を鳴らし、立ち上がり様くるんと傘から白衣からすべてを翻らせて道の先を指し示す。
 舞台役者のようにも、道化のようにも見える立ち回り。そして、告げる。

 さぁ、向かいなさい。きみのあるべき世界へ。


「──っ」


 改まっての礼も捨て置いて、僕は衝動と焦燥のままに駆け出していた。
 また転んだって構わない。何度怪我したって立ち止まらない。もう躊躇わない。僕は、奇妙に整ったこんな箱庭ではなく、僕のあるべき場所に帰らなくちゃならないんだ。
 そうして、先を目指す僕にちぐはぐな男はカラカラと笑いながら続けた。大して声を張り上げているわけでもないのに、彼の声は淀む空気をすり抜けよくよく僕の元まで届いた。


「迷子のきみ、傘を忘れずにね! ──今は梅雨の季節なんだから」


 僕は走った。がむしゃらに。
 向かう場所はわかっていた。もう少しで着ける筈だ。
 やる事も──たぶん、わかっていた。

 吐き出す息で〝におい〟を払うたび、少しずつ〝視〟えるものが増えていく。夜顔、いいやちがう、乱れ咲きの朝顔が先々に蔦を伸ばして蔓延る。僕の足を絡め取ろうとする。自動販売機のボタンはすべて赤が点る。信号は黒く点滅し、黒猫がワォンと僕を咎める遠吠えをしてミミズクがカァカァと嘲笑う。
 見えてきた。立ち入り禁止の看板が墓標みたいに立ち並ぶその先────ブランコが四つ、デタラメに揺れる児童公園。
『レマ止』──『険危、先ノコ』──『ナク行』──『目駄』──『ニココ』──『イコテッ戻』──『トッズ』──『ニココ』──『ナルゲ逃』──『ナルゲ逃』──『ナルゲ逃』『ナルゲ逃』『 ナ ル ゲ 逃 』



「逃げるもんか。──ただ、帰るだけだ」



 全体的に錆付きくたびれているのに、一つだけ殊更キレイなブランコを前にして立つ。傍に捨て置かれていた僕の傘を取る。他の三席は悪戯好きの子供が乗っているみたいに不規則に揺れているのに、一つだけ沈黙に徹する座椅子に腰を下ろす。
 目標のものは────あった。両足を揃えてやっと収まれる、それくらいに小さくなっていた。きっと夜が明ければ干上がってなくなっていただろうモノだ。
 これを逃せば、次に同じ条件が揃う事なんてないかもしれない──たぶん、チャンスは一度きり。途方もない絶望感。緊張と、高揚感。

 ぐうっと、くうを漕いで限界まで浮かび上がる。青白い太陽がジリジリと容赦なく肌を焼くのに咄嗟に目を眇める。しがらみを手放す為に両手を離す。

 そして。



 僕は水鏡みずたまりを踏み付けた。
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