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五月二十日 真紀(2)
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「で、パトカーの件。どうやらね、首切り殺人だったみたいなの」
そう切り出した途端、瞬と小雨の箸がぴたりと止まった。心美ちゃんは一口分のハヤシライスが載ったスプーンを皿の上に待機させたまま答える。
「首切り殺人……ですか? ミステリによく登場する、あの?」
「そうそう、しかもね、被害者の衣服も細かく切り刻まれていたんだって。何か思い出さない?」
「それって、もしかして、あのカーテン切り裂き事件のことですか?」
「うん。今回、カーテンは切り裂かれていなかったみたいだけど、その代わりに衣服が切り裂かれた……っていう考えも成り立つんじゃないかな」
「じゃあ、真紀はあのカーテン切り裂き事件と、その、首切り……の犯人は同一人物だと思っているの?」
この質問は小雨だった。よく見ると、瞬と小雨の箸はさっきからずっと止まったままで、食事中の話題としては不適切だったかもしれないな、と私は自分の非常識さを恥じた。
「ごめん、やっぱり食後に話そうか? 冷めちゃうよ、料理」
「いえ、大変興味深いお話です。私は聞いてみたい」
二人とは対照的に、心美ちゃんはとても乗り気のようだった。この四人で集まると、年下の心美ちゃんはゲスト的な立場になるし、他の二人と比べるとゆっくり話せる機会も少ないのだから、なるべく心美ちゃんの意向を尊重したい。小雨は一瞬ぎょっとした表情をしたが、『どうする?』と視線を送ると、目顔で『OK』という答えが返ってきた。瞬からは特に反応がなかったが、まあいいか。私は事件の話を続けることにした。
「布、あるいは衣服を切り裂く行為、それと首を切り落とす行為。ただ人を殺すだけなら必ずしも必要ではない行為を、時間と手間をかけて敢えて行うからには、そこに犯人にとって何らかの重要な意味があったんだと思う。特に、衣服を細かく切り刻んでいる点が気になる。その辺りに、二つの事件の類似性を感じるの」
カーテンを切り裂くという、悪趣味なイタズラの域を出ないような行為。そして、殺人事件の被害者が身に着けていた衣服を切り裂く行為。一見すると無意味にしか思えない行為だからこそ、二つの事件に共通している、犯人の布に対する異様な執着が気になるのだ。私はこの二つが同一人物による犯行だと睨んでいた。
「まずは、二つの事件で重複していない首切りの方から考えてみようか。たとえば、ミステリで首切りが行われる場合、よくあるのが死体の入れ替わり……つまり、死体の頭部を切断することで被害者が誰かを曖昧にして、それをトリックの核に据えるというものだね。でも、科学捜査の技術が進んだ現代日本で、これはほとんど意味を成さない。首なんかなくても、身体があれば簡単に身元を特定できてしまうからね」
「身体どころか、DNA鑑定をすれば、毛髪や体液、皮脂からでも個人を特定できるらしいね」
これは瞬の発言だ。さすが、最近ミステリを読んでいるだけのことはあるな、と私は思った。
「うん。次に考えられるのは、被害者の頭部に犯人を示す何らかの痕跡が残っていて、犯人が自らの保身のために切断して持ち去らなければならない場合。たとえば……そうだね、さっき話に出た、体液とか」
体液という単語に反応したのか、小雨は急に口を押さえた。
「体液って、その、口とか?」
「うん、犯人が男だとしたら、それも当然考えられる。あとは、被害者が犯人に噛みついて、血液や肉片が……いや、これ以上はやめとこう」
小雨は普段からホラーやグロテスクな話が苦手で、食事中の今なら尚更である。
「可能性は他にもあるよ。被害者の死因がわかるような痕跡が頭部にあって、それが犯人の特定に直結するものである場合。たとえば、ピストルで頭部を撃って殺害したものの、弾丸が頭部に残ったままだと、弾の線条痕から所有者を特定される可能性が出てくる。線条痕っていうのは、銃身の内部にある溝の痕が弾丸についたもので、指紋みたいに二つとして同じものはないと言われているね。頭部を切開して弾丸を取り出すよりは、頭部全体をまるごと切断して持ち去るほうが早いし簡単なはず。刃物や鈍器でも、それが極めて特殊な物だったりすると、傷口から犯人の特定が可能な場合もあると思う……ああ、どうしてもグロい話になっちゃうなあ。ごめんね小雨」
「いや、まあ、大丈夫……続けて」
「次に考えられるのが、被害者の頭部に、犯人にとって必要ななにかがあった場合、かな。目、鼻、耳、髪……まあ、これだと、その部分だけ切り取って持ち去ればいいことになっちゃうから、ちょっと弱いね。ピアス等のアクセサリーに貴金属が使われていた場合にも同じことが言える。それよりなら、犯人が被害者を愛していて、形見が欲しかったから頭部を切断して持ち去った、とかの方がまだ有り得そう」
「ええ……でも、愛していたら殺さないんじゃないの?」
「う~ん、そりゃあ私だって瞬を殺したいとは思わないけど、でも、愛の形も人それぞれだからね。『愛してるって言わなきゃ殺す』っていう歌もあるぐらいだし。ね、瞬」
この物騒な文脈で突然話を振られたせいか、瞬は体をびくりと震わせる。
「戸川純のやつか……え、それはもしかして、俺にその言葉を言えってこと?」
「うん、あとでね。で、これ以外に考えられるとしたら、もう、首切り自体にそもそも合理的な理由がない場合。たとえば、犯人が歴史マニアで、昔の武将の慣習みたいに、相手の首を切り落として自分の行為を誇示してみたかったとか。でも、この理由だと、被害者の頭部はどこかもっと人目につきやすい場所に置いておくはずだから、今回の事件の動機としてはちょっと弱いね。犯人が被害者に強い恨みを持っていて、見せしめに晒し首にしようとした……も、同様に考えづらい。あとは、頭部を持ち去ることに何か呪術的な意味がある場合。これはもう、全然わからないな……ただ、犯人は頭部の切断以外にも遺体をデコレーションしたような形跡があるみたいだから、全く有り得ないとも言えない。最後に、一番厄介なのは、犯人が頭部を切断するという行為そのものに快感を覚えるような、いわゆるサイコパスだった場合。首切りの動機は、ざっとこんなところかしら」
「単に首切りと言っても、色々な理由が考えられるんですね……」
心美ちゃんがハヤシライスを口に運びながら、感心したような口調で言った。
「被害者の衣服が切り裂かれていたことについても、この考え方が応用できるよ。衣服に犯人を特定しうる何らかの痕跡が遺されていて、衣服の一部を持ち去らなければならなかった。でも、そこだけ切り取ると不自然に見えるから細かく切り刻んだとか。あとは、衣服に犯人にとって重要なものがあって、それを持ち去るために切断した――たとえば、部分的なデザインが気に入ったとかね。呪術的、儀式的な意味合いでなら、それこそ、遺体を飾るために衣服を切り刻んで使用した……あと、サイコパス的な観点なら、服を切り裂く行為それ自体が快感だったとか。どれも私たちには理解が困難だけど、とにかく、犯人にとっては何かの意味があったってことね。問題は、これが先のカーテン切り裂き事件にも応用できるかどうか」
「真紀さんは、この二つの事件に何らかの関連があると考えているんですか?」
「それぞれの事件を単体として考えれば、あまり関連性があるようには見えない。かたや単なるイタズラ、かたや殺人、遺体損壊事件だものね。カーテンを切り裂く動機としては、カーテンに残された何らかの痕跡を隠すため、カーテンそのものが必要だった、カーテンを切り裂く行為そのものが目的だった、漫研に何らかの恨みがあった……ぐらいかな。ただし、二つの事件を連続したものとして考えると、少し見方が変わってくる。あのとき、私が話した内容を覚えてる? 犯人がサイコパスで、カーテンを切り裂いたのが何らかの代償行為だった場合。それなら、カーテンを切り裂くだけでは発散しきれなかった欲求が、殺人及び死体の切断へと発展した、という考え方もできる。犯人がカーテン切り裂き魔と同一人物だったら、衣服が切り裂かれていた理由にも合点がいくよね。この二つの事件が同一人物によるもので、尚且つ犯人がサイコパスだったと仮定すると、一見不可解に見える一連の切り裂き行為にも、一つの道筋が見えるような気が……」
「ごめんなさい、ちょっと……」
気がする、と言いかけたところで、心美ちゃんは苦悶の表情を浮かべながら口を押さえて突然立ち上がり、走って食堂の外まで出て行ってしまった。
やっぱり気持ち悪かったのかと、私は今更ながら後悔した。首切り殺人の分類なんて、やっぱり食事中に話すべき内容ではなかったのだ。もしかしたら、本当はグロテスクな話が苦手だったのに、私が話したがっているように見えたから、ずっと我慢してくれていたのかもしれない。特に、彼女のメニューは赤いハヤシライスで、具には肉も入っている。死体の切断なんて話を聞きながら食べてしまったら、そりゃあ気持ち悪くもなるだろう。私の配慮が足りなかったのだ。
「ごめん、私、ちょっと心美ちゃんの様子を見に行ってくる」
心美ちゃんの後を追って、私も食堂を飛び出した。
ここの学食は廊下を挟んだ向かい側にトイレがあり、廊下に出た瞬間、女子トイレに駆け込む心美ちゃんの後姿が見えた。後を追うべきか一瞬悩んだけれど、やっぱり彼女が心配だ。トイレに入ると、心美ちゃんは洗面台に頭を突っ込み、激しくえずいている最中だった。個室の方へ目をやってみたが、間の悪いことに、個室は一つも空いていない。
ゲエゲエという音に合わせて大きく波打つ心美ちゃんの背中をさすりながら、私は彼女に謝罪した。
「大丈夫? ごめんね、食事中なのに、気持ち悪い話をしちゃって……」
心美ちゃんのえずきが収まるまでには数十秒の時間を要した。幸い、食べたものを戻してしまったわけではないようだ。彼女は洗面台から顔を上げ、ハンカチで口元を拭いながら言った。
「いえ、こちらこそ、すみません。真紀さんの前で、こんな姿を……」
「ううん、私の方こそ、気が利かなくてごめん。食べ終わってから話すべき……いや、そもそも、心美ちゃんにこんな話をするべきじゃなかったね」
「違うんです、そういうわけでは……。真紀さんの考察は大変興味深く聞かせていただきました。それが不快だったわけじゃないんです。ただ、急にご飯の匂いが気持ち悪く感じてしまって……」
「ご飯の……匂い?」
「本当に、何でもないんです。もう大丈夫。ご心配をおかけしました」
「そう? ならいいんだけど……」
心美ちゃんと一緒に食堂に戻ると、瞬と小雨が座っているテーブルの脇に、黒いスーツを着た長身の男が立っていた。格闘家やスポーツ選手のようにがっちりした体格で、学生や職員には見えない。男は瞬と小雨に何か話しかけているようだったが、不意に顔を上げ、周囲を見渡した。その視線は私と心美ちゃんのところで止まり、睨み付けるような眼光の鋭さに、思わず足が竦みそうになる。男は、瞬と小雨に軽く頭を下げた後、まっすぐこちらへ歩いてきた。
その男は私たちの前まで来ると、黒いスーツの懐から黒光りする革の手帳を取り出し、胸元に掲げて開いて見せた。
「お昼時に申し訳ありません、私は美矢城県警捜査一課の片倉といいます。失礼ですが、袴田心美さんはどちらで?」
警察……? 例の首切り殺人の件だろうか。でも、それが心美ちゃんとどう関係するのだろう。隣の心美ちゃんは、怪訝そうな表情でおずおずと答える。
「はい、私ですが……」
「どうも、お食事中お邪魔してしまい申し訳ありませんが、少々お聞きしたいことがございまして……今日の午前、サークル棟で死体が発見されたのはご存じですね?」
「ええ、もう、学内はその話題で持ち切りですし、私もちょうど真紀さんからその話を伺っていたところで」
「ふむ。では、織原伊都子という名前に心当たりは?」
「……ええと……たしか、梨子っちと一緒に文芸部の勧誘に来た方だったでしょうか。一応、名前は憶えています」
「実は、サークル棟で発見された遺体は、その織原伊都子さんと見られています。ご存じでしたか?」
「いえ、初耳です……それ、本当なんですか?」
「司法解剖の結果待ちではありますが、その可能性が極めて高いと思われます。ところで、昨晩はどこで何をしておられましたか?」
「……穀分町で夕食をとって、少し街を散策してからマンションに戻りました」
「諸星亘さんと一緒に?」
「……ええ、ある時間までは」
「その件について、もう少し詳しくお話を伺いたいのです。お食事の後でも結構なのですが……」
「今日は食欲がないので、今すぐでも構いませんよ。何か、私でお力になれることがあるのでしたら」
「ありがとうございます。立ち話というのも何ですから、もっと落ち着いてお話を聞かせていただける場所へお連れしたいのですが……」
「落ち着いて……というと?」
「もし宜しければ、ええ、ぜひ、署の方へお越し頂きたく存じます」
流れるようにスムーズに進んでいく二人の会話を、私はしばらく黙って聞いていたけれど、そのまま聞き流すことのできない、とんでもない言葉が最後に飛び出した。署の方へって、つまり、これは聞き込みではなく……。私は二人の会話に割り込み、片倉と名乗った刑事に尋ねた。
「ちょっと待ってください、それって、もしかして……心美ちゃんに任意同行を求めているんですか?」
すると、片倉刑事は口元を軽く曲げて見せた。その落ち着き払った態度が少し、いやとても癪に障る。
「そう受け取って頂いても構いません。何か不都合が?」
「いえ、そういうわけでは……でも、彼女は今、体調が悪いんです。話を聞くだけなら、大学の施設でもできるでしょう。どういう理由があって任意同行を?」
「真紀さん、私なら大丈夫です」
心美ちゃんは私の肩に軽く手を置き、それから、片倉刑事の前に自ら進み出た。
「なんだかよくわかりませんけど、拒否する理由もありませんので、仰せのとおり署まで伺います。やましいところは何もないし、大丈夫。ただお話をしてくるだけです」
片倉刑事は硬い表情を崩さぬまま、僅かに目尻と口元を吊り上げる。それはまるで獲物を見つけた肉食獣のような獰猛さを孕んだ表情だった。
「ご同行頂けると解釈してよろしいですね。ありがとうございます。外にパトカーを待機させてありますので、こちらへどうぞ」
片倉刑事が食堂の出口を指し示すと、そこにはいつの間にか、二人の警官が控えていた。心美ちゃんは、意外なほど余裕のある表情で答える。
「あの、食事をカツ丼以外のものにしていただくことはできますか?」
そう切り出した途端、瞬と小雨の箸がぴたりと止まった。心美ちゃんは一口分のハヤシライスが載ったスプーンを皿の上に待機させたまま答える。
「首切り殺人……ですか? ミステリによく登場する、あの?」
「そうそう、しかもね、被害者の衣服も細かく切り刻まれていたんだって。何か思い出さない?」
「それって、もしかして、あのカーテン切り裂き事件のことですか?」
「うん。今回、カーテンは切り裂かれていなかったみたいだけど、その代わりに衣服が切り裂かれた……っていう考えも成り立つんじゃないかな」
「じゃあ、真紀はあのカーテン切り裂き事件と、その、首切り……の犯人は同一人物だと思っているの?」
この質問は小雨だった。よく見ると、瞬と小雨の箸はさっきからずっと止まったままで、食事中の話題としては不適切だったかもしれないな、と私は自分の非常識さを恥じた。
「ごめん、やっぱり食後に話そうか? 冷めちゃうよ、料理」
「いえ、大変興味深いお話です。私は聞いてみたい」
二人とは対照的に、心美ちゃんはとても乗り気のようだった。この四人で集まると、年下の心美ちゃんはゲスト的な立場になるし、他の二人と比べるとゆっくり話せる機会も少ないのだから、なるべく心美ちゃんの意向を尊重したい。小雨は一瞬ぎょっとした表情をしたが、『どうする?』と視線を送ると、目顔で『OK』という答えが返ってきた。瞬からは特に反応がなかったが、まあいいか。私は事件の話を続けることにした。
「布、あるいは衣服を切り裂く行為、それと首を切り落とす行為。ただ人を殺すだけなら必ずしも必要ではない行為を、時間と手間をかけて敢えて行うからには、そこに犯人にとって何らかの重要な意味があったんだと思う。特に、衣服を細かく切り刻んでいる点が気になる。その辺りに、二つの事件の類似性を感じるの」
カーテンを切り裂くという、悪趣味なイタズラの域を出ないような行為。そして、殺人事件の被害者が身に着けていた衣服を切り裂く行為。一見すると無意味にしか思えない行為だからこそ、二つの事件に共通している、犯人の布に対する異様な執着が気になるのだ。私はこの二つが同一人物による犯行だと睨んでいた。
「まずは、二つの事件で重複していない首切りの方から考えてみようか。たとえば、ミステリで首切りが行われる場合、よくあるのが死体の入れ替わり……つまり、死体の頭部を切断することで被害者が誰かを曖昧にして、それをトリックの核に据えるというものだね。でも、科学捜査の技術が進んだ現代日本で、これはほとんど意味を成さない。首なんかなくても、身体があれば簡単に身元を特定できてしまうからね」
「身体どころか、DNA鑑定をすれば、毛髪や体液、皮脂からでも個人を特定できるらしいね」
これは瞬の発言だ。さすが、最近ミステリを読んでいるだけのことはあるな、と私は思った。
「うん。次に考えられるのは、被害者の頭部に犯人を示す何らかの痕跡が残っていて、犯人が自らの保身のために切断して持ち去らなければならない場合。たとえば……そうだね、さっき話に出た、体液とか」
体液という単語に反応したのか、小雨は急に口を押さえた。
「体液って、その、口とか?」
「うん、犯人が男だとしたら、それも当然考えられる。あとは、被害者が犯人に噛みついて、血液や肉片が……いや、これ以上はやめとこう」
小雨は普段からホラーやグロテスクな話が苦手で、食事中の今なら尚更である。
「可能性は他にもあるよ。被害者の死因がわかるような痕跡が頭部にあって、それが犯人の特定に直結するものである場合。たとえば、ピストルで頭部を撃って殺害したものの、弾丸が頭部に残ったままだと、弾の線条痕から所有者を特定される可能性が出てくる。線条痕っていうのは、銃身の内部にある溝の痕が弾丸についたもので、指紋みたいに二つとして同じものはないと言われているね。頭部を切開して弾丸を取り出すよりは、頭部全体をまるごと切断して持ち去るほうが早いし簡単なはず。刃物や鈍器でも、それが極めて特殊な物だったりすると、傷口から犯人の特定が可能な場合もあると思う……ああ、どうしてもグロい話になっちゃうなあ。ごめんね小雨」
「いや、まあ、大丈夫……続けて」
「次に考えられるのが、被害者の頭部に、犯人にとって必要ななにかがあった場合、かな。目、鼻、耳、髪……まあ、これだと、その部分だけ切り取って持ち去ればいいことになっちゃうから、ちょっと弱いね。ピアス等のアクセサリーに貴金属が使われていた場合にも同じことが言える。それよりなら、犯人が被害者を愛していて、形見が欲しかったから頭部を切断して持ち去った、とかの方がまだ有り得そう」
「ええ……でも、愛していたら殺さないんじゃないの?」
「う~ん、そりゃあ私だって瞬を殺したいとは思わないけど、でも、愛の形も人それぞれだからね。『愛してるって言わなきゃ殺す』っていう歌もあるぐらいだし。ね、瞬」
この物騒な文脈で突然話を振られたせいか、瞬は体をびくりと震わせる。
「戸川純のやつか……え、それはもしかして、俺にその言葉を言えってこと?」
「うん、あとでね。で、これ以外に考えられるとしたら、もう、首切り自体にそもそも合理的な理由がない場合。たとえば、犯人が歴史マニアで、昔の武将の慣習みたいに、相手の首を切り落として自分の行為を誇示してみたかったとか。でも、この理由だと、被害者の頭部はどこかもっと人目につきやすい場所に置いておくはずだから、今回の事件の動機としてはちょっと弱いね。犯人が被害者に強い恨みを持っていて、見せしめに晒し首にしようとした……も、同様に考えづらい。あとは、頭部を持ち去ることに何か呪術的な意味がある場合。これはもう、全然わからないな……ただ、犯人は頭部の切断以外にも遺体をデコレーションしたような形跡があるみたいだから、全く有り得ないとも言えない。最後に、一番厄介なのは、犯人が頭部を切断するという行為そのものに快感を覚えるような、いわゆるサイコパスだった場合。首切りの動機は、ざっとこんなところかしら」
「単に首切りと言っても、色々な理由が考えられるんですね……」
心美ちゃんがハヤシライスを口に運びながら、感心したような口調で言った。
「被害者の衣服が切り裂かれていたことについても、この考え方が応用できるよ。衣服に犯人を特定しうる何らかの痕跡が遺されていて、衣服の一部を持ち去らなければならなかった。でも、そこだけ切り取ると不自然に見えるから細かく切り刻んだとか。あとは、衣服に犯人にとって重要なものがあって、それを持ち去るために切断した――たとえば、部分的なデザインが気に入ったとかね。呪術的、儀式的な意味合いでなら、それこそ、遺体を飾るために衣服を切り刻んで使用した……あと、サイコパス的な観点なら、服を切り裂く行為それ自体が快感だったとか。どれも私たちには理解が困難だけど、とにかく、犯人にとっては何かの意味があったってことね。問題は、これが先のカーテン切り裂き事件にも応用できるかどうか」
「真紀さんは、この二つの事件に何らかの関連があると考えているんですか?」
「それぞれの事件を単体として考えれば、あまり関連性があるようには見えない。かたや単なるイタズラ、かたや殺人、遺体損壊事件だものね。カーテンを切り裂く動機としては、カーテンに残された何らかの痕跡を隠すため、カーテンそのものが必要だった、カーテンを切り裂く行為そのものが目的だった、漫研に何らかの恨みがあった……ぐらいかな。ただし、二つの事件を連続したものとして考えると、少し見方が変わってくる。あのとき、私が話した内容を覚えてる? 犯人がサイコパスで、カーテンを切り裂いたのが何らかの代償行為だった場合。それなら、カーテンを切り裂くだけでは発散しきれなかった欲求が、殺人及び死体の切断へと発展した、という考え方もできる。犯人がカーテン切り裂き魔と同一人物だったら、衣服が切り裂かれていた理由にも合点がいくよね。この二つの事件が同一人物によるもので、尚且つ犯人がサイコパスだったと仮定すると、一見不可解に見える一連の切り裂き行為にも、一つの道筋が見えるような気が……」
「ごめんなさい、ちょっと……」
気がする、と言いかけたところで、心美ちゃんは苦悶の表情を浮かべながら口を押さえて突然立ち上がり、走って食堂の外まで出て行ってしまった。
やっぱり気持ち悪かったのかと、私は今更ながら後悔した。首切り殺人の分類なんて、やっぱり食事中に話すべき内容ではなかったのだ。もしかしたら、本当はグロテスクな話が苦手だったのに、私が話したがっているように見えたから、ずっと我慢してくれていたのかもしれない。特に、彼女のメニューは赤いハヤシライスで、具には肉も入っている。死体の切断なんて話を聞きながら食べてしまったら、そりゃあ気持ち悪くもなるだろう。私の配慮が足りなかったのだ。
「ごめん、私、ちょっと心美ちゃんの様子を見に行ってくる」
心美ちゃんの後を追って、私も食堂を飛び出した。
ここの学食は廊下を挟んだ向かい側にトイレがあり、廊下に出た瞬間、女子トイレに駆け込む心美ちゃんの後姿が見えた。後を追うべきか一瞬悩んだけれど、やっぱり彼女が心配だ。トイレに入ると、心美ちゃんは洗面台に頭を突っ込み、激しくえずいている最中だった。個室の方へ目をやってみたが、間の悪いことに、個室は一つも空いていない。
ゲエゲエという音に合わせて大きく波打つ心美ちゃんの背中をさすりながら、私は彼女に謝罪した。
「大丈夫? ごめんね、食事中なのに、気持ち悪い話をしちゃって……」
心美ちゃんのえずきが収まるまでには数十秒の時間を要した。幸い、食べたものを戻してしまったわけではないようだ。彼女は洗面台から顔を上げ、ハンカチで口元を拭いながら言った。
「いえ、こちらこそ、すみません。真紀さんの前で、こんな姿を……」
「ううん、私の方こそ、気が利かなくてごめん。食べ終わってから話すべき……いや、そもそも、心美ちゃんにこんな話をするべきじゃなかったね」
「違うんです、そういうわけでは……。真紀さんの考察は大変興味深く聞かせていただきました。それが不快だったわけじゃないんです。ただ、急にご飯の匂いが気持ち悪く感じてしまって……」
「ご飯の……匂い?」
「本当に、何でもないんです。もう大丈夫。ご心配をおかけしました」
「そう? ならいいんだけど……」
心美ちゃんと一緒に食堂に戻ると、瞬と小雨が座っているテーブルの脇に、黒いスーツを着た長身の男が立っていた。格闘家やスポーツ選手のようにがっちりした体格で、学生や職員には見えない。男は瞬と小雨に何か話しかけているようだったが、不意に顔を上げ、周囲を見渡した。その視線は私と心美ちゃんのところで止まり、睨み付けるような眼光の鋭さに、思わず足が竦みそうになる。男は、瞬と小雨に軽く頭を下げた後、まっすぐこちらへ歩いてきた。
その男は私たちの前まで来ると、黒いスーツの懐から黒光りする革の手帳を取り出し、胸元に掲げて開いて見せた。
「お昼時に申し訳ありません、私は美矢城県警捜査一課の片倉といいます。失礼ですが、袴田心美さんはどちらで?」
警察……? 例の首切り殺人の件だろうか。でも、それが心美ちゃんとどう関係するのだろう。隣の心美ちゃんは、怪訝そうな表情でおずおずと答える。
「はい、私ですが……」
「どうも、お食事中お邪魔してしまい申し訳ありませんが、少々お聞きしたいことがございまして……今日の午前、サークル棟で死体が発見されたのはご存じですね?」
「ええ、もう、学内はその話題で持ち切りですし、私もちょうど真紀さんからその話を伺っていたところで」
「ふむ。では、織原伊都子という名前に心当たりは?」
「……ええと……たしか、梨子っちと一緒に文芸部の勧誘に来た方だったでしょうか。一応、名前は憶えています」
「実は、サークル棟で発見された遺体は、その織原伊都子さんと見られています。ご存じでしたか?」
「いえ、初耳です……それ、本当なんですか?」
「司法解剖の結果待ちではありますが、その可能性が極めて高いと思われます。ところで、昨晩はどこで何をしておられましたか?」
「……穀分町で夕食をとって、少し街を散策してからマンションに戻りました」
「諸星亘さんと一緒に?」
「……ええ、ある時間までは」
「その件について、もう少し詳しくお話を伺いたいのです。お食事の後でも結構なのですが……」
「今日は食欲がないので、今すぐでも構いませんよ。何か、私でお力になれることがあるのでしたら」
「ありがとうございます。立ち話というのも何ですから、もっと落ち着いてお話を聞かせていただける場所へお連れしたいのですが……」
「落ち着いて……というと?」
「もし宜しければ、ええ、ぜひ、署の方へお越し頂きたく存じます」
流れるようにスムーズに進んでいく二人の会話を、私はしばらく黙って聞いていたけれど、そのまま聞き流すことのできない、とんでもない言葉が最後に飛び出した。署の方へって、つまり、これは聞き込みではなく……。私は二人の会話に割り込み、片倉と名乗った刑事に尋ねた。
「ちょっと待ってください、それって、もしかして……心美ちゃんに任意同行を求めているんですか?」
すると、片倉刑事は口元を軽く曲げて見せた。その落ち着き払った態度が少し、いやとても癪に障る。
「そう受け取って頂いても構いません。何か不都合が?」
「いえ、そういうわけでは……でも、彼女は今、体調が悪いんです。話を聞くだけなら、大学の施設でもできるでしょう。どういう理由があって任意同行を?」
「真紀さん、私なら大丈夫です」
心美ちゃんは私の肩に軽く手を置き、それから、片倉刑事の前に自ら進み出た。
「なんだかよくわかりませんけど、拒否する理由もありませんので、仰せのとおり署まで伺います。やましいところは何もないし、大丈夫。ただお話をしてくるだけです」
片倉刑事は硬い表情を崩さぬまま、僅かに目尻と口元を吊り上げる。それはまるで獲物を見つけた肉食獣のような獰猛さを孕んだ表情だった。
「ご同行頂けると解釈してよろしいですね。ありがとうございます。外にパトカーを待機させてありますので、こちらへどうぞ」
片倉刑事が食堂の出口を指し示すと、そこにはいつの間にか、二人の警官が控えていた。心美ちゃんは、意外なほど余裕のある表情で答える。
「あの、食事をカツ丼以外のものにしていただくことはできますか?」
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