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第四の殺人

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 昨夜、霞夜の死体を何度も何度も繰り返し犯して部屋に戻った私は、激しい疲労感に襲われて、ベッドに入るとすぐに深い眠りについた。

 そして、長い夢を見た。
 それは私がまだ幼かった頃、私たち家族が最も幸せだった時期の夢。
 一般家庭と比べればとても裕福な家庭の子供として、私はこの世に生を受けた。それなりに知的な父親と、それなりに美しい母、少し年の離れた姉。
 この乙軒島の屋敷よりさらに広い家に何人もの使用人を雇い、今時時代錯誤ではないかと思うほど、私たちは富豪のテンプレートのような家庭だった。

 とはいえ、何もかもが満たされていたわけではない。私の姉は才色兼備で運動神経も良く、両親に溺愛されていた。しかし、私は顔だけは姉に似ていたものの、勉強は苦手だったし、運動も決して得意とは言えない。それ以上に大きなハンディギャップもある。
 そのせいだろうか。今振り返っても、両親の愛情は、姉の方にだいぶ偏っていた。私が全く愛されていなかったとは思わない。けれど、私に接するときと姉に接するときでは、両親の態度は明らかに違っていた。子供だからわからないとでも思ったのだろうが、親の愛情については子供のほうがずっと敏感なのである。

 私がどんなに努力しても、姉と同じように褒めてはもらえない。劣等感は両親への態度を徐々に硬化させた。人より少し早めの反抗期を迎えると、両親の愛情はさらに姉の方へと傾いていく。
 振り返ると、あまり幸福な子供時代ではなかった。それでもあの頃は、私を含めた家族みんなが最も幸せな時期だったと言える。

 ある日、不慮の事故によって、姉が命を落とすまでは――。


!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i


 もうこれで終わりにしよう。
 動かなくなった霞夜の肢体を見下ろしながら、私はそう決心したつもりだった。

 それなのに、私は今夜も部屋を出て、廊下をうろついている。いや、うろついているという表現は適切ではない。もうターゲットは限られている。私は標的の部屋の前の廊下で待ち伏せをしているのだ。
 彼女だけは絶対に穢したくない、その身代わりとして、既に二人もの女を手にかけてしまった。だが女体の柔らかさを知るたびに、男としての本能が、私の自我を侵食してゆく。その罪を錦野になすりつけるための偽装工作までしたことを考えれば、私の中の彼は、本当は霞夜で終わりにしようなどとは露ほども思っていなかったのかもしれない。

 霞夜を殺し、死体を凌辱した俺は、投げ捨てられた霞夜の着衣のポケットから屋敷のマスターキーを取り出して、錦野の部屋に向かった。そして、部屋の前に築かれた棚などのバリケードを音が立たないよう丁寧に取り除き、足元にマスターキーを落としておいたのだ。
 これではあまりに露骨すぎるだろうか、とも考えたが、既に強い疑いをかけられている人物がいる場合、やりすぎということはない。疑心暗鬼に陥った人間は、まず最も疑わしい人物を素直に疑い、可能ならばそれを排除しようと考える。疑惑を晴らすためには絶対的な証拠が必要になるが、それはこの島に警察が来るまで齎されない。

 そして、施錠された扉を通って中に入るためには鍵が必要。物証と成り得るマスターキーを錦野の部屋の前に残しておくことで、疑惑はより決定的になる。ちなみに、マスターキーを錦野の部屋の中に入れたのは今朝になってからだ。綸と錦野に注意が向いているのを見て、廊下から室内にさりげなく蹴り込んだのである。綸が見たときにはマスターキーはまだ廊下にあったはずだが、興奮した綸は、キーが室内に移動していることには気付かなかったようだ。

 それにしても、綸がいきなりあのような凶行に及ぶとは考えもしなかった。警察が来れば、二人の殺害が俺の犯行であることはすぐに明らかになるだろう。だから、せめてそれまでの時間稼ぎとして、錦野に疑いを向けておきたかっただけなのだ。彼には気の毒だったが、直接手を下したのは綸である。乙軒島に来てから既に二人の女を手にかけた俺が、今更責任転嫁などできる筋合いではないけれど。

 ――と、昨夜から今日にかけてのことを思い起こしながら廊下を徘徊していると、暗闇の中に突然一筋の光が差した。どこかの扉が開いたのだ。俺は咄嗟に息を殺して、その扉の様子を窺った。

 扉から出て来たのは綸だった。

 ボディラインにぴっちりと沿った薄いタンクトップとショートパンツ。地黒でグラマー、起伏の大きい綸の肢体は、扉から漏れる微かな光を浴びて複雑な陰影を生んでいる。
 犯人だと思い込んでいた錦野が死んだことで、綸はすっかり無防備になっていた。露出の多い格好で、周囲に気を配りもせず、出てきた部屋の隣のドアノブに手をかける。どうやら自分の部屋に戻るところらしい。

 チャンスだ。綸が部屋に入るその瞬間を見計らって、俺は扉の隙間へと素早く体を滑り込ませた。

「えっ、何?」

 背後に人の気配を感じても尚、綸は一切警戒する様子を見せない。おそらくは、崩壊しそうな自我を保つために、犯人は錦野だった、という強烈な自己暗示をかけているのだろう。俺は部屋の扉を閉め、そのまま綸を床に押し倒した。
 しかし、それでも綸は抵抗しなかった。
 その時、不意に綸の口からアルコールの臭いが漂ってきた。
 こいつ酔っているのか。おそらく冷蔵庫の中にあったワインに手を付けたのだろう。
 何気なく置いた手が綸の豊かな胸に触れる。

 綸の腕は弱々しく形だけの抵抗を示していたが、その吐息は次第に甘く艶めかしく変わってゆく。
 嬰莉と霞夜の場合、私はまず相手を殺し、完全に動かなくなったのを確認してから行為に及んだ。だから、生きた女の反応を見るのはこれが初めてだった。
 酔った勢いもあるのか、綸は俺の首をぐいと抱き寄せた。

「んむっ……」

 触れ合う唇の柔らかい感触。唇を押し割るようにして差し込まれた綸の舌が、私の口の中でうねる。
 しかし次の瞬間、異変に気付いた綸はさっと唇を離した。

「えっ……何……? 違う……あんた、誰……?」

 どうやら俺を誰かと間違えていたらしい。俺が意中の相手でないことを悟り、密着した綸の体がにわかに震え始める。その一瞬で酔いが覚めたらしく、綸は両手で俺の体を押しのけようとするが、完全にマウントされた状態からではどんな抵抗も無意味だった。

「ひっ……ひぃっ、助け……!」

 助けを求めて声を上げようとした綸の顔に、俺は体重を乗せた拳を思い切り振り下ろす。
 躊躇はなかった。何度も何度も、拳に当たる綸の顔の感触が変わるまで、俺はひたすら殴り続けた。

 綸はすぐに大人しくなった。まだ息は残っていたが、意識は完全に飛んでいるようだ。もし部屋の明かりがついていたら、醜く腫れあがった綸の顔面を目にして萎えていたかもしれないが、至近距離でも顔が見えないほどの暗さなのが幸いである。

 綸はこの島に来た女の中で最も愚かな女だった。
 彼女自身が自覚していた通り、体以外には何の取り柄もなく、嬰莉が死んだ後はただただ怯えてばかり。そして極めつけは、霞夜の死後に発狂して無実の錦野の命を奪ったことだ。ヒステリーに陥った女の最も醜い部分を、綸は最悪な形で体現したのである。

 が、しかし。
 首から下に限って言えば、綸は紛れもなく逸材だった。最高のダッチワイフだと言い換えてもいいだろう。
 明日には風も止み、外部との連絡が回復する可能性がある。警察がやってきたら、俺の犯行は自ずと暴かれることになる。逃げも隠れもするつもりはなかった。そろそろ覚悟を決めておかなければならない。
 おそらく、これが俺にとって最後の殺人になる。
 奇妙な感慨に浸りつつ、俺は綸の乱れた衣服を引き裂いた。
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