スペルバインド

浦登みっひ

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Jupiter

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「茉莉花とこうしてゆっくり話すのも結構久しぶりだよね」
「ん~、そうだね、そういえば。学校も変わったし、あたしはバイトもあるし……」
「ね。JKの頃はほとんど毎日一緒にいたのに」

 姉貴と藍子さん。二人の美女の笑顔に、すれ違う人々はかなりの確率でこちらを振り返った。アイドルや女優も顔負けの美貌を誇る二人なら、無理もないことかもしれない。間に僕がいなかったら、きっとドラマや映画の撮影風景に見えてしまうだろう。
 姉貴は普段の着古したシャツとデニムパンツだけど、藍子さんは昨日のガーリーなファッションとは一変して、大きな黒縁眼鏡をかけ、ゆったりした白いセーターにベージュのガウチョパンツという装い。眼鏡をかけた藍子さんを見るのは初めてだったし、そういえばスカートを履いていない彼女を見るのもこれが初めてではないだろうか。
 僕は藍子さんに尋ねた。

「藍子さん、視力、悪いんですか?」
「え? うん、まあね。普段はコンタクトしてることが多いんだけど、気分次第で眼鏡かけたり。でも、あんまり眼鏡似合わないでしょ? 私」
「いえ、そんなことは……」
「またまた。葉太郎くん、何でもかんでもかわいいって言えばいいと思ってるよね?」
「まさか! 本当ですって!」
「ふーん。ま、そういうことにしといてあげましょう」

 と、藍子さんは意地悪な笑みを浮かべる。

 説明が前後したけれど、僕は昨日藍子さんに約束させられた通り、姉貴と三人で初めて一緒に街へ繰り出している。姉貴には藍子さんから話が通っていた。今日はたまたまバイトが入っておらず、久しぶりに一日フリーだったようだ。昼前にアパートを出て藍子さんと合流し、電車で池袋まで出てきた。
 僕たちが向かっているのは、池袋にある小劇場。これから小さな劇団の演劇を見に行くことになっている。二人が花倉高校のJKだった頃は、演技の勉強も兼ねて、こうしてよく一緒に観劇していたらしい。
 目的の小劇場は、池袋駅から程近く、飲食店やオフィスビルが隙間なく立ち並ぶ一角、そのオフィスビルの地下にあった。人混みを抜け細い路地を通り、小さな通路から人がすれ違えるかどうかというぐらいの狭い階段を地下へと降りる。階段の左右の壁には、劇の宣伝のチラシが壁を埋め尽くすようにびっしりとテープで貼り付けられている。
 昼間なのに薄暗い階段を降りた先には紺色の無機質なドアがあり、目の高さのあたりに白い文字で『Jupiter』とだけ書かれていた。これがこの劇場の名前らしい。

 僕は姉貴に尋ねた。

「姉貴、前にもここに来たことあるの?」

 姉貴は慣れた様子でドアノブに手をかけながら答える。

「うん、何度か。あんまりメジャーな劇団だと、観るのに結構お金かかっちゃうから。これぐらいの小さいトコがちょうどいいんだよね」
「まあ演技の参考になるかっていうとちょっと微妙なのが多いんだけどね……お金ならあたしが出すから、もっと有名なところ見に行こう、って誘っても、茉莉花は絶対首を縦に振らないんだもん」

 藍子さんが不満げに言うと、姉貴は苦笑を浮かべた。

「まあまあ……無名でも、それなりに勉強になるところはあるじゃん」

 劇場、というからにはある程度広い空間を想像していたのだけれど、『Jupiter』は花倉高校の視聴覚室よりも狭かった。今降りてきた階段よりさらに暗い室内、前方には床より一段高いステージがあって、十個ほどのライトがステージへ白い光を降らせている。
 ステージの前には木製の椅子が一列十脚ほど、それが四列並ぶ。劇場内のスペースの大半がステージと四十脚の椅子で占められていると言えば、大体の広さが伝わるだろう。客席の側にも天井にいくつかライトは取り付けてあるが、ステージのライトより光量は少なめだ。
 開演時間まではあと十分ほど。客席では既に十人以上の観客が開演を待っている。耳元で藍子さんの声。

「ここね、普段はカフェとして営業してるお店なんだって。カフェにも来てみたいね、って話してたんだけど、まだ演劇しか見に来たことないよね、そういえば」
「カフェのためだけに池袋まで出ようとは思わないもんね、なかなか」

 と姉貴が応じる。カフェと言われると確かにこの狭さにも納得できる。ステージの前に並べられている木製のシンプルなデザインの椅子も、劇場の客席として見れば少し風変りだと思うけれど、カフェの客席の椅子として見れば違和感はなかった。
 僕は二人に尋ねる。

「ところで、これから見る劇ってどういう感じ? この劇団、姉貴たちは前にも見たことあるの?」

 姉貴は首を横に振った。

「いや、あたしはないな……藍子は?」
「私も初めて。聞いたことない劇団だね。最近新しく立ち上げたところかな?」
「まあ、小さいのも含めれば、都内だけでも星の数ほどあるからね。単にあたしたちが知らなかっただけかも」
「そうかもね。それより、早く座ろうよ」

 僕達が席に着いてからも、『Jupiter』には十人以上の客がやってきて、客席は八割がた埋まった。客席側のライトがすっと落ち、照明は舞台のライトのみになる。それからすぐに劇が始まった。


!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i!


 上演時間は二時間半ほど。
 劇のあらすじは、ざっくり言えばボーイ・ミーツ・ガール。学校でいじめを受けている高校生の少年がある日、クラスメイトにパシリをさせられている最中、セーラー服を着た不思議な少女に出会う。少年はその後も何度か少女に出会い交流を深めていくが、少年以外に少女の姿を見た者は誰もおらず、少年は次第に少女の存在、実在する人間なのか疑うようになり――と、序盤から中盤にかけてのストーリーはそんな感じ。終盤では少女の抱える事情が明らかになったり、少年をいじめていたグループが少女のことを知って嗅ぎ回ったりとなかなかシリアスなシーンがあり、ラストシーンは個人的には結構印象的だったと思う。それは単に、僕がかつていじめを受けていたことがあるから、主人公の少年に感情移入できる部分があった、というだけかもしれないけれど。

 劇場を出て、近くにある大手チェーンの喫茶店に入った僕たちは、コーヒーを啜りながら劇の内容について感想を述べあった。

「なんか、まあ、ちょっと子供っぽいと思ったな、私は」

 藍子さんの評価は手厳しい。たしかに、主人公の少年にしろヒロインの少女にしろ、不安定で子供っぽい印象を受けるキャラクターだったことは否めないかもしれない。

「たしかに、全体を通してのテーマはちょっとボヤけてたかな……でも、今時ドラマでも何でもテーマが浅いものは結構多いしなあ。主人公とヒロインのキャラクターは、あたしは割とよく練られてると思ったよ。結末は、まあありきたりと言えばありきたりだけど、バッドエンドよりはよかったんじゃないかな」

 姉貴は藍子さんより幾分肯定的に評価しているようだ。全体を通してのテーマとは、つまりこの作品で作者が伝えたかったものは何か、というメッセージのことだろうか。国語や現代文に出てくるこの手の問題が僕はとても苦手なのだが、明確なテーマと言えるものはハッキリとは伝わってこなかったような気はする。メッセージ性は決して弱くなかったと思うんだけど。

「茉莉花はハッピーエンド厨だもんね。どうして悲劇の良さがわからないかなあ」
「藍子が古典厨なだけだって。シェイクスピアの見すぎなんじゃない?」

 言葉だけ見ると二人は激しく対立しているように感じられるかもしれないが、姉貴も藍子さんも笑っていて、緊張感は全くない。無二の親友同士、演劇に対する価値観の違いをお互いに認め合っているんだろう。
 藍子さんが僕に尋ねる。

「葉太郎くんは? どうだった? 劇場で劇見るの、初めてなんだっけ」
「ええ、まあ……劇って言ったら、姉貴と藍子さんの演劇部時代のものを映像で見たことがあるぐらいで」
「ふぅん。劇場って言っても、今日のはホントに小さいところだったからなぁ。で、さっきの脚本、葉太郎くん的にはどう?」
「僕は好きでしたよ。主人公には、結構感情移入できる部分もあったし」
「そっか。ヒロインの子は? あんな情緒不安定な子、見ててムカついてこない?」
「う~ん、たしかに、実際身の周りにいたら振り回されて大変そうだな、とは思いますけど……でも、彼女には彼女の事情があったし、仕方ない部分もあるんじゃないかなって」
「へぇ。心が広いんだね、葉太郎くんは。私はああいうの見てるとなんかイライラしちゃって」

 口を曲げる藍子さんに、姉貴は薄笑いを浮かべながら言った。

「藍子ってさ、同性には結構厳しいよね」
「ええ? そうかなぁ」
「うん。だからO型の割に友達少ないんだと思うよ」
「O型の割に、って何? それを言うなら、茉莉花だってあんまりA型っぽい性格じゃなくない?……あ、そういえば、葉太郎くんは血液型、何型?」
「僕ですか? 僕は……」
「いや、ちょっと待って。当てるから……うーん……O型! O型でしょ、葉太郎くん」

 藍子さんは指でピストルの形を作り、挑むような眼差しで僕の目を見据える。実際僕の血液型はO型である。その視線の鋭さに、僕は一瞬怯みながらも答えた。

「は、はい、当たりです。O型です」

 すると、藍子さんは我が意を得たり、と言わんばかりの表情で大きく頷く。

「やっぱりねえ。そうだと思った。大らかだもん葉太郎くん」

 ここで血液型と性格に関連性はない、なんて言うほど僕は無粋な人間ではない。いや、姉貴と藍子さんだって、それぐらいのことは当然知っていて、単に話の種にしているだけなのだろう。そんな風に考えるところが、あるいは僕のO型らしい部分なのかもしれない。

 喫茶店を出た僕たちは、近くのゲームセンターに寄ってプリクラを撮ったり、姉貴と藍子さんのためにクレーンゲームでお菓子を獲ったりして楽しく過ごした。
 池袋からの帰りの電車の中、吊り革に掴まって立ちながら、藍子さんが言った。

「葉太郎くん、今日は楽しかった? いい気分転換になったかな?」

 藍子さんのその一言で、僕は今更ながらに思い出した。三人で遊ぼうと藍子さんが誘ってくれたのは、岡部さんが亡くなったことや、それに関して学校で起こった色々なことで気が滅入っていた僕を元気づけるため。そんなことすら忘れてしまうぐらいに今日は新しい経験をさせてもらったし、とても楽しかったのだ。

「はい、もちろん。すごく楽しかったです。三人だと、やっぱり賑やかですね。姉貴もいつもと少し雰囲気違うし」

 すると、姉貴は小首を傾げながら言う。

「え? そう? あたしは別に何も変わってないと思うけど……」
「いや、違うよ。なんていうか、藍子さんがいるから、ちょっとカッコつけてるっていうか」
「へぇ~? そうなんだ、茉莉花。じゃあ葉太郎くんと二人きりだと、もっとデレデレだったりするの?」
「う~ん、デレデレっていうか、ベタベタっていうか……」
「おい葉太郎! そんなベタベタしてないだろ?」

 姉貴は顔を真っ赤にして反論したけれど、その反応は僕の言葉が図星であることを如実に証明している。藍子さんもそう理解したらしく、含みのある笑みを浮かべて姉貴をしげしげと見つめた。

「へぇ~、茉莉花がねえ、ふぅ~ん、前々からブラコンだとは思ってたけど、まさかそこまでとはねえ」
「ちが……違うって!」
「いいのいいの。照れなくて。このことは私の胸の中だけにそっとしまっておくから……あ、そういえばさ」

 と、藍子さんはこの話題をそそくさと切り上げ、今度は僕の方を向く。

「葉太郎くん、まだ部活決まってないんでしょ? 演劇部にしなよ。絶対その方がいい」

 演劇部。姉貴と藍子さんがかつて所属しており、クラスメイトの福島さんからも熱心な勧誘を受けている部だ。入学式の日に顔を合わせている人もいるし、最も縁のある部なのは間違いない。
 ただし、不安はある。僕に関して流れている噂の件もあるし、それでもかまわず入部希望を出せるほどの演劇経験者でもない。のこのこと顔を出しても、迷惑に思われてしまうのではないだろうか。

「でも僕、幼稚園のお遊戯会でも端役ばっかりだったし、演技とか全然苦手で……」
「大丈夫大丈夫。そんなの、入ってからどうとでもなるから。それに、ぶっちゃけ、演劇部だからってみんな演技が上手いわけじゃないし。ね、茉莉花」
「う~ん、そこまでハッキリ言っちゃうのもどうかとは思うけど」

 姉貴は藍子さんの言葉に苦笑しつつ、完全に否定するつもりもないようだった。

「演劇部だったら私たちの後輩ばっかりだからさ。葉太郎くんに変なこと言ってくるヤツなんていないはずだし、もし万が一何か理不尽な扱いを受けることがあったとしても、私と茉莉花がちゃんと注意してやれるし。ねえ、そうしない?」

 たしかに、姉貴や藍子さんの庇護を受けられるならこれ以上頼もしい味方はいない。藍子さんの意見に、姉貴も今度は大きく頷いていた。演技にあまり自信はないけれど、それを言い出したら、自信を持って入れる部活なんて僕にはおそらく一つもないのだ。

「……わかりました。演劇部に、入部希望出してみます」

 二人からの助言を受けて、僕はこの時ようやく演劇部に入る決心がついたのだった。
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