スペルバインド

浦登みっひ

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予感

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 結局その日は、昼休み以降一度も武田と言葉を交わすことなく帰路についた。

 率直に言って、気まずかった。キューピッド役になるどころか、武田を差し置いて僕が由比さんと一緒に昼食をとってしまったことを一応謝っておくべきかとも考えた。けれど、その日の武田はとても声をかけられるような雰囲気ではなかったし、下手に謝ったりしたら却って惨めな思いをさせるかもしれないし……などと考えて、結局話しかけられなかったのだ。武田の方から『おい、お前!』と詰ってくれたらどんなに楽だったかわからない。

 そして翌日の昼休み。
 由比さんは武田のいる前で、堂々と僕を昼食に誘いに来た。昨日彼女に声をかけたのが元々武田の指示によるものであったことを、彼女は知らないのだ。
 僕たちの会話をすぐ傍で聞いているのに、武田の後姿は微動だにせず、こちらの様子を見て見ぬふりをしているようだ。『武田も一緒にどう?』と誘ってみるべきか、という考えがちらりと頭を掠めたが、あまりに残酷すぎると思い直した。それに、由比さんと二人で食べたい、それが僕の偽らざる本音だったから。

 僕たちは昨日と同じように売店に行ってお茶とおにぎりを買い、中庭にやってきた。今日も天気は快晴。絶好のランチ日和だ。
 僕がトロすぎるのかもしれないけれど、今日も全てが由比さん主導で進んでいった。こんなに受け身でいいのだろうかとは自分でも思う。けれど、僕だって女の子にここまで優しくしてもらったのは初めてだし、優しくされて悪い気はしない。それどころか、昨日はアパートに帰ってからもずっと由比さんのことが頭から離れなかった。

 由比さんは客観的にみても美人だし、お淑やかだし、優しいし、面倒見がいい。そんな彼女が、どうしてこんなに僕に優しくしてくれるのか。考えないほうがどうかしていると思う。僕があまりにも頼りなくて可哀想だから放っておけないだけとか、そんな理由も有り得るかもしれないけれど、もしそうでないとしたら……?

 傍目から見たら、今の僕たちはどう見えるだろう。カップルみたいに見えるだろうか。

 『彼女が欲しい』

 それは僕が花倉を選んだ最も大きな理由だし、ガールフレンドとして考えたときの由比さんは、性格的にも、外見的にも、その他諸々のスペック的にも、とてもいい子だと思う。スタイルもいいし、一緒に街を歩いたりしたら、他の男に羨ましがられること間違いなし(ああ、嫌らしい思考だ)。こんなにかわいい彼女ができたら、最大の懸念である僕のシスコン気質も自然と解消されていくかもしれない。だから、このチャンスをみすみす逃す手はないように思える。
 武田には気の毒だけど、彼に義理立てするほど親しいわけでもないし、そもそもそんなにいい奴だとも思わない。武田に気を使って由比さんと距離を置くなんてことはもう考えられなかった。

 今日はお互いにおにぎりを一つずつ選んで買ってきた。僕は筋子で、由比さんはツナマヨネーズ。お茶は今日も一本だけ。
 陽だまりの中、二人並んでベンチに腰掛ける。昨日僕がおにぎりのフィルムに苦戦していたせいか、今日は由比さんがあらかじめフィルムを外して僕に手渡してくれた。昨日話していた通り、由比さんのお弁当はおかずの量が増えていて、二人で食べても充分満腹になる量だった。コンビニで割り箸を貰ってくることもできたはずなのに、今日も一膳の箸を二人で交互に使って。

 食事が終わっても、僕たちはベンチから立つことなく、昼休みギリギリの時間まで色々な話をした。彼女が子供の頃からピアノをやっていたこと(これは武田から既に聞いていたけれど)、お菓子作りが趣味なこと、ディズニーランドの話など。
 僕が最後にディズニーランドに行ったのは小学校低学年の頃で、両親が亡くなってからは一度も行っていない。だいいち、そんな贅沢をするお金がなかった。姉貴もあまりああいうキャラクターを愛でるタイプではない。姉貴は現実的なのだ。

 ディズニーなんて、もう長いこと行ってないなあ。そう呟くと、彼女は、じゃあ今度一緒に行こう、と言ってくれた。ディズニーのことなら任せて、と――これってつまり、デートのお誘いと受け取ってもいいのだろうか? 他に解釈のしようがないよね?
 僕が即座に頷いたのは言うまでもない。

 去年の花倉高校の学園祭を見に来たという由比さんは、姉貴のことも藍子さんのことも知っていた。二人が演じた『ロミオとジュリエット』は鳥肌が立つほど美しく、その場にいた観客は皆二人の演技に魅了されていたという。同じ中学から花倉高校に来た子の中には、演劇部の催し物を見て花倉高校への進学を決めた子もいるというから驚きだ。
 姉貴のことを褒められて、弟としてはとても誇らしかったし、これは全くお門違いかもしれないけれど、藍子さんの生徒としても嬉しかった。藍子さんに次に会った時には必ずこの話を教えてあげよう。

 短い昼休みが終わり、僕たちは一緒に教室に戻った。僕の席は窓際の一番後ろ、由比さんの席は廊下側の一番前。つまり対角線になっていて、教室の中では一番遠い席だ。距離にすればほんの数メートルしかないはずなのに、今ではその数メートルが随分遠くに感じられる。
 別れ際、由比さんがこっそり耳打ちした。

「放課後、校舎裏の桜の木のところに来て。誰にも内緒で」

 僕が頷き返すと、由比さんは小さく手を振りながら、自分の席へ戻って行った。その可憐な後ろ姿に微かな甘い余韻を残して。
 教室で一人昼食をとったらしい武田は、僕たちの姿を見てもやはり何も言わなかった。
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