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Section12:真相

82:錯乱 - 2

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 キリルくんは、わたしたちに見えるように、三つ目のデータを机に向けて広げてくれた。
 中身はアニマリーヴに関するあらゆる情報だ。と言っても、役に立つのか立たないのか、どうでもいい基礎情報まで含まれているところを見ると、このデータを手に入れる頃には冥主に見つかっていたんだろう。
 しばらく中身を確認していると、初めて見る情報に目が留まった。



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 NASA海底実験用施設「Neptune」改築における「アーク」の収容について
 二二〇〇年 八月十三日
 
 作成 VR・AGES社 アーク建造部

 <1:概要>
 この度、NASAの極限環境ミッション時に運用される海底実験用施設「Neptuneネプチューン」を弊社が改修し、アニマリーヴ計画の際に再利用させていただく運びとなった。
 そもそも、Neptuneは、十年前(二一九〇年)の火星テラフォーミング計画で建造する簡易居住区の試験運用施設として建築されたものだ。火星移住計画が中断された今、弊社がこの施設を買い取り、改修を行う。

 <2:用途>
 アニマリーヴ時に使用する小型船「アーク号」の収容に用いる。施設内は各階ごとに正十二角形の居住区があり、ここをアークの収容場所とする。
 また、中央に配備されている巨大昇降機は、アーク進入経路確保のために撤去。入り口の二つのゲートの開閉は、セキュリティ面からもアークからの信号だけを主とし、内部からは最下層のコントロールルームで操作する。

 <3:最下層の施設について>
 警備用の宿泊施設として、コントロールルームを含めた最下層一帯を居住区として残しておく。念のため、備蓄用品を取り揃えておき、最低限一年はここで過ごせるようにする。
 また、表のゲートからは人が入れないため、裏口を増築し、セキュリティコードと網膜認証で出入り可能にする。

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「そんな、まさか……」

 この書類を読んで、何より驚いたのはジュリエットだった。実際、彼女はこの施設に潜入した経験があるのだ。

「……はぁ。灯台もと暗しってことね。最下層から抜けられるって知ってたら、そうしていたのに」
「ねえ、ちょっと待って。最下層に施設があるってことは、そこに誰かいるってことになるの?」

 わたしが疑問を口にすると、キリルくんは「多分ね」と真剣な面持ちで答えた。

「ジュリエットの話では多数の警備用アンドロイドがいたそうだけど、最下層には人が住める領域がある。そこは多分、人の目で監視して柔軟に動けるようにしたいんだろうね」
「だとしたら、私が入って来たことに誰かが気付いてもいいはずですわ」
「でも、上手く逃れたんだろう?」
「ええ。途中までは。少なくとも、あの巨大な、パワードスーツみたいなアンドロイドにだけは見つからなかったと思う」

 そう言って、ジュリエットは何かを確かめるように自分の足首を摩った。

「最後は一心不乱だったし、あの長い梯子を昇っている時に誰かに見つかってもおかしくはない。……いえ、カメラがあれば、絶対に見つかっているはずなのよ。それだけ無防備だった」
「だとしたら、無害だと思われたか、警備をさぼっていたか、のどっちかだな」

 お兄ちゃんが背後で腕を組んだまま言った。ジュリエットは煮え切らない表情で振り返り、また書類データに目を戻す。

「そう言えば、火星テラフォーミング計画……この話が出てくるとは思いませんでしたわ」
「三大移住計画……その話が出たのは、もう十年以上も前だったかな」

 確か、僕がまだ小学生で、低学年ぐらいの頃だったはずだ。アニマリーヴ計画と共に、三大移住計画と称した大規模な移住計画が発表されたのだ。その内容とは、アニマリーヴ計画、火星テラフォーミング計画、そして、海底都市建設計画だった。
 実際に施行されたアニマリーヴ計画はともかくとして、残り二つに関しては小規模だが実行には移されたと聞く。その後、どういうわけかマニアな情報源でしか話を聞けないぐらいになり、特に火星については中継する気がないのか、そっとしておいて欲しいからか、まるで音沙汰がなかった。
 海底都市計画は、あまり表沙汰になっていないのが不思議なぐらいだけど、アニマリーヴ計画と同時に行われているらしい。東南アジアだかの海底にタワーのように建造された海底都市は、一種の箱庭のようなものだ。毎日海ばかりの景色じゃ飽きるので、映画やショッピング、カジノ、ゲームセンターなどなどといった娯楽施設が用意されているんだとか。……まぁ、それでも直ぐに飽きるに決まっているだろうけど。

「成功か失敗かはさておき、火星についてはもう必要がないからNASAが海底施設を売り、VR・AGES社がこれを買ったってことさ。何にせよ、あまり関係なさそうな情報ばかりだな……」

 キリルくんの言う通りだ。他も目を通したけど、これといっていい情報はない。
 頑張ってくれた現世のジュリエットには本当に申し訳ないけど。

「あと、オマケで送られてきたデータを確認しようか」

 こちらの方が有用なデータが多い。
 特に、ブレイデンが解析したデータから、わたしの身に何が起きたのか、という検証が細かく記されている。



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 1、ミカゲ ヒマリのカプセルに入ってアニマリーヴを行った。
 2、転送時のトラブルが原因でアニマデータの入れ換えが起こった。(※後述)
 3、何者かが故意に転送中のデータを移しかえた。
 4、役所での手続きの段階で入れ違いが起こった。

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「えっと、わたし……というかヒマリの転送時って、無人のカプセルが用意されていた、ってことでいいんだよね?」
「そうなるね」キリルくんが答えた。「うっかり間違えてカプセルに入っても、ちゃんと修正されるようになっている、とある。僕もそう思うし、ブレイデンの仮説にあるように1のケースは考えにくい。2については……何故か後述って言っておきながら具体的な検証結果が書かれてないけど、意図的に何かしたって可能性を示唆している。恐らく、トラブルの原因を突き止めてから書く予定だったのかもしれないけど、そこまではブレイデンでも解決出来ていないみたいだ」

 何かの間違いかもって思うこともあったけど、やっぱり何かのトラブルは起きていたんだ。
 ユヅキがヒマリと入れ替わった理由。その本当の理由は、未だに解明されていないことになる。

「3と4もブレイデンの言う通りだ。可能性があるとしたら3の方だけど……やっぱりこの可能性も難しい」
「どうして?」
「転送が行われるのはアニマリーヴ用の回線が有線で繋がっている間だけのはずだ。無線なんかじゃ膨大な転送データを安定して送れなくなる。つまり、一番可能性があるのは2ってことになるかな」
「結局分からないんだね……」

 せめてその辺りの経緯が分かれば、と思う。
 ここにいないはずの本物のヒマリのアニマがどうなったのか、とか、カイや父さんについても。

「他の記述はこちらで調べた内容がほとんどだけど……あとは僕らに関する情報だ」
「どれどれ、ユヅキわたしについては何て書いてあるんだろう」
「順番に読めばいいのに」

 苦笑するキリルくんを尻目に、いろいろすっ飛ばして先に自分の書類を探す。……だって、気になるじゃない。



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 オオガミ ユヅキ 十八歳 男性
 日本出身。オオガミ カイの実兄。

 私立の名門校に通うほどの勉強家ではあったが、高校は途中から登校せず、アルバイトに集中していた。理由はプルステラ移住のための資金繰り。
 中学までは、カイと同様にVAHヴァーポルアルミス・ヒストリアを遊んでいた形跡がある。だが、ちょうど受験の時期と被っていたこともあり、キリルとの面識は全く無かったらしく、カイの交流についても知らなかったと思われる。

 十二歳で母であるオオガミ マナを失った直後、二週間ほど家出をしていた期間があり、行方不明となる。その後、交通事故の連絡により所在が判明。
 搬送された病院の関係者の証言によると、ユヅキは事故の影響で頭部を挫傷し、一部分で記憶喪失になっている。母親の死については鮮明に覚えているが、その前後の記憶はところどころ抜け落ちていたらしい。

 二二〇三年、七月七日。ログインに成功したらしいが、実際にログインした履歴はなく、アークから抜け出したという形跡もない。
 関係あるかは不明として、同じアーク内には遠隔転送によるアニマリーヴを行った、ミカゲ ヒマリ用の無人カプセルが配置されていた。

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 ……アレ? どういうことだろう、コレ。
 見覚えのない内容が記載されている。こんな記憶は、ない。ここにあるように、事故の影響で失われた記憶ってヤツなのか。

「家出……? 行方不明……? 交通事故……?」

 確かに、そのような事故が起きていてもおかしくはない。あの頃のユヅキは小学生でありながら自暴自棄で、カイがあまり口を利いてくれなくなったのも……。

「ヒマリ、どうしたんだ?」

 頭の片隅に残る、違和感。
 どこかで……確か、どこかで「何か」大事なモノを見た記憶がある。

「キリルくん、ちょっと代わって」
「い、いいけど」

 文章をスクロールして前のページに巻き戻す。
 確認したいのはカイと父さんのデータだ。


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 オオガミ カイ 十六歳 男性
 オオガミ家の二人兄弟の内の次男。日本出身。四人家族。

 高校生だが、そのほとんどをアルバイトに費やしている。目的はプルステラ移住のための資金稼ぎだ。
 父、オオガミ ミナトはサラリーマンで、VR・AGES社系列の貿易会社で勤務。
 母、オオガミ マナは、カイが十歳の時に死亡。原因は大気汚染病だった。

 彼もまた、VAHヴァーポルアルミス・ヒストリアの一プレイヤーだった。ブレイデンの話によると社交的な性格で、プログラマーでもないのに、他のプログラマー達と親交を深めていたらしい。
 中でも特に親友関係にあったのが、キリル トルストイだ。出会った当時、傷心だったキリルを慰めたのが、他でもない、カイだったと言う。

 カイがログインしていたのは主に朝から昼にかけてで、キリルもその時間帯に合わせる形でログインしていたらしいのだが、学校を休んでまでアルバイトをしていたはずなので、これには矛盾が生じている。
 どこかの企業から銀行に金が入ってきた形跡はなく、替わりに、カイが自ら何度かに分けてATMを通じて入金をしていたことは記録に残っている。
 考えられるのは、夜中に秘密裏に何らかの仕事をしていたか、裏で資金を手渡しで調達していたかのいずれかだ。残念ながら、これに関する記録は見つけられていない。

 二二〇三年、七月七日、日本サーバーからログインをする予定だったが、途中でアークから退出したことが監視映像による記録で確認されている。
 その後、少なくともカイの自宅は不在であり、空港の警備が甘くなっているせいで確認は取れていないが、日本国内にいないという可能性の方が高い。


 オオガミ ミナト 五十歳 男性

 先に述べたようにVR・AGES社の関連企業である貿易会社に、営業担当として勤務していた。
 ユヅキやカイと同様に七月七日にプルステラへ移住予定ではあったが、彼もまた、カイ同様にプルステラへログインした形跡がない。監視カメラにもアークから抜け出した形跡がないと言う。

 無論、カイやユヅキと同じアークでのアニマリーヴだった。
 恐らく、七月七日に起きたサーバートラブルが原因で転送時に「データロスト」し、そのまま帰って来れなくなったのではないだろうか。

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 データロストの可能性がある父さんはともかく、カイはアニマリーヴをせずに外へ出てしまった。
 だとしたら、もう少し現世にいるキリルくんと連絡が取れたはずだ。何故連絡を取り合おうとしなかったのか。親友なのに。

「カイがもしアニマリーヴせずに現世に留まっていたんだとしたら、キリルくんに連絡した可能性はある?」
「充分にあり得るね。僕らはそれだけの仲だった。それより、入金に関する辺りがどうもキナ臭いな。キミは何も聞いていなかったのかい?」
「全然。カイがアルバイトをしていたのだけは確かだよ。その辺りの記憶は最近だから覚えているけど、いつ、どこで、何をしていたかまではわたしにも把握できなかったんだ」
「それは、どうして?」
「だって、わたしにもバイトがあったから。弟とはいつもすれ違いばかりで、とにかくお金を稼がなきゃってなってた」
「なるほどね」

 それからキリルくんは、何度かユヅキ、カイ、父さんの間を行ったり来たりして見比べ、何か違和感に気付いたようだ。険しい表情で他の情報を追い、やがて、また止めた。
 それは、お兄ちゃん──タイキの情報だった。



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 ミカゲ タイキ 十八歳 男性
 日本出身。ミカゲ ヒマリの実兄。高校生。

 ヒマリが入院した十六歳の頃から、非合法なものも含め多種多様なアルバイトをしていた。理由は、ヒマリの治療費稼ぎと思われる。
 その中には、プルステラ行きの偽造パスの横流しや武器密輸にも関わったらしいが、いずれも短期間で足跡が付きにくいものであったため、決定的な証拠は見つからずにいる。
 と言うより、その前にプルステラへ飛んでしまったので、法的には死亡したということになっている。一年後に戻った場合、容疑者に逆戻りするだろう。
 度々、ダイチの出向先に顔を出していたところを目撃されているが、理由は不明。フラットエンジン社の社員とは何人か顔見知りがいたらしい。

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「コレを見る限り、随分な経歴だね、お兄さんは」

 挑発とも見て取れるキリルくんの口調に、お兄ちゃんは顔色一つ変えずに彼を見下ろした。

「まあ、当然だ。妹のためだからな」
「その割に、心拍数が上がっているようだけど……?」
「…………っ!」

 キリルくんは、何に気付いたっていうのか。カイの話から、いきなりお兄ちゃんに振るだなんて……。
 一方のお兄ちゃんは……多分、自分では気付いていないんだろう。唇が震えていた。

「別に、違法行為をしただろうってことについて言及するわけじゃない。オオガミ ミナトとミカゲ タイキ。この二人はいずれも、VR・AGES社の傘下に関わっている」
「会ったことがある、とでも言いたいのか? 第一、VR・AGES社にはいろんな子会社がある。一つぐらい共通点があったっておかしくはないだろう」
「当然さ。……だけど、僕はずっと一人経営の会社で代表をやっていたんだよ、お兄さん。何も資金稼ぎだけじゃなかったんだ」

 キリルくんはついに席から立ち上がり、振り返ってお兄ちゃんを真っ向から見上げた。

「知ってるかい? オオガミ ミナトが勤務していたVR・AGES社の関連企業である貿易会社って、それ、フラットエンジンのことなんだよ」
「…………っ!?」
「そうだよね、ヒマリ」

 わたしは、頷く。
 ……そこで頷くしか、なかった。
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