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Section3:揺れる魂(アニマ)

27:魂(アニマ) - 2

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 メールで語るエリカの悩みは、沈んでいたわたしの気分を忘れさせるのに充分な内容だった。
 ある知人から譲り受けた、訳ありで亡くなった人の身分証パス。元々プルステラに乗り気じゃなかった彼女は、その知人から説得させられ、プルステラに移住することを決意したと言う。
 ところが、アニマリーヴの直前、係員に預けたペットのゾーイが脱走し、エリカのいるアークに侵入。きっと寂しかったのだろう、と彼女はゾーイを抱え、その状態でアニマリーヴを実行した。その結果、彼女はエリカとゾーイの二つの意識を内包する、プルステラ初の「獣人」として生まれ変わったのだった。
 近隣の住民は、そんな化物染みたエリカをハッカーの手先と勘違いして襲ってきた。人と争いたくないエリカは止むなく家を放棄し、それで各地を放浪する旅を始めたのだと言う。

 エリカは獣人になってしまったことを後悔してはいない。ただ、人に襲われ、身を守る内にその鋭い爪や牙で相手を傷つけてしまうのではないか、というのが一番の悩みだった。
 そこで彼女は、わたしにあの臙脂色のマントを受注生産で作るよう頼んだ。元々仮装のような姿なのだから、仮装パーティーに出席するって誤魔化せば人里に赴くことだって出来るだろう――そう考えたのだ。
 実際、旅の途中にこの言い訳でいくつもの集落に訪れ、食糧や着られる衣類、日用品なんかを購入することに成功している。勿論、長居をするとバレるので直ぐ旅立ってしまうのだが、そうして転々と出来るのも、所持金が尽きるまでのこと。やはり、どこかの集落に受け入れられ、落ち着きたいと思うのだ。

 そこで、エリカはわたしのいる日本サーバーを訪ねたいと相談してきた。これまでに事実を打ち明けられずに迷っていたのは、事情を知ったわたしが怖がって拒絶したりしないか、という心配だった。
 友達のいないエリカが唯一の友達であるわたしに裏切られるというのは、一番避けたいことだった。だから、敢えて黙っていることでその関係を保とうとしていたのである。

 ――でも、そんなの決まってる。受け入れるに決まっているじゃない。

 二つの魂が一つになった悩みは、わたしだって同じだ。ユヅキのことがママに知られた以上、このような例外を悩みとして持っている人が他にもいるから、と説明すれば納得するに違いない。

 早速、わたしは寝る直前だったママをメールで呼び出し、こういうメールが来たんだけど、とエリカのメールを転送してみた。
 間もなくして部屋に入ってきたママは少し驚いた表情をしていたが、わたしという一例があったお陰なのか、直ぐに理解を示してくれた。

 ママはベッドに座り、わたしの肩を左手で抱き寄せながら、もう一度二人でそのメールを振り返った。

「エリカさん……このままだとあなたと同じ症状に陥るかもしれないわね」
「やっぱり……」
「ちょっと大変そうだけど、こっちに来てもらいなさい。集落のみんなには私から説明しておくわ」
「うん。ありがとう、ママ」

 ママはにっこりと微笑み、わたしのおでこに軽くキスをしてくれた。
 ……良かった。わたしはもう手遅れかもしれないけど、エリカだけは救えるかもしれない。

 わたしは簡単な内容でメールを返した。――大丈夫。あなたを受け入れます、と。

「……はぁ。それにしても、完璧のはずのプルステラは欠陥だらけね」

 ママは嘆息し、両手で顔を覆った。

「だって、たった三カ月よ? それだけで、大勢の人が死に、何度か集落も壊滅状態に追い込まれたわ。怪物だけじゃない、あなたやエリカさんの身体についてもそう。……プルステラはバベルのコンピューターが全て管理しているから、現世に有人の管理者はいない。或いは少しでも残っているかもしれないけど、この事態に気付いているなら、今頃何らかの報せがあってもいいはずじゃない」

 ――現世に有人の管理者はいない。聞けばぞっとする話だ。警官は、非常事態には必ず脱出用のゲートが開く、と言っていたが、今の今までそういう兆しはなかった。ハッカーが完全にバベルを掌握してしまったというのなら、わたしたちはここで黙って指をくわえて見ているしかないのだろうか。

「……なんて、嘆いても仕方ないわね」

 ママはそう言って笑い、ベッドから立ち上がった。

「もう、そんなに心配しなくていいわよ、ヒマリ。あと七カ月でしょ。それまで何とかして生き延びればゲートが開くんだから」
「……でも、また怪物が襲ってくるかもしれないよ?」
「ヒトはね、進化するのよ、ヒマリ。プルステリアなら尚更。あなただって実感したでしょ? 学年トップどころか、大人顔負けの身体能力。アレは……予想だけど、ユヅキ君とヒマリの二人分のパラメータがかけ合わさった結果だと思う。身体能力はその人の頑張り次第でいくらでも上がるから、いつか怪物をも凌ぐ力を手に入れるかもしれない。……それが新しい人類、プルステリアよ」

 限界のない、新しい人類。だからこそ、いくらでも強くなれる――か。
 だとしても、この世界そのものを掌握したハッカーには太刀打ち出来るんだろうか。この内なる仮装世界から外の現世へと。

「さ、もう寝ましょう。あまり思い詰めると、また発作が現れるから、安静にしてなさい」
「……はーい」
「ふふ。いいお返事ね」

 仰向けになったわたしに、ママが下ろしたての薄い布団をかけてくれる。
 干したばかりのふかふかの感触に、疲れきった身体は直ぐに眠気を訴えた。

「プルステラは空気が澄んでいるから、十月でも寒いわよ。……じゃあ、おやすみなさい、ヒマリ」
「おやすみ、ママ」

 ママは壁を操作して、部屋の明かりを全て消し、お気に入りの天体観測モードに切り換えてくれた。天井の色が透け、視界の先には突き抜ける夜空と星々が広がる。
 作り物だけど限りなく自然ホンモノに近い、ほんの何ルクスかの小さな瞬きは、わたしを一時だけ宇宙に連れ出してくれる――そんな錯覚をも覚える。

 瞼の裏に星空を焼き付けたまま、いつしか、わたしの意識は深い眠りの底へと落ちていった。


 ◆


 瞼を開くと、眩い金色の朝日が部屋全体を輝かせていた。天体観測モードはそのままに、たっぷりの陽光を浴びて伸びをする。
 仰向けに寝ころがったままDIPを開けると、早速エリカからの返事が来ていた。それを声に出して読んでみる。

「……こんな私を受け入れてくれて、ありがとう、マリー。どんなに感謝しても足りないぐらいです。必ずそちらに伺いますので、待っていて下さい。――エリカ・ゾーイ・ハミルトン」

 ――マリー。まるで外国人みたいなあだ名を付けられてしまった。それも悪くはないが。
 よっと勢いをつけて身体を起こしてみると、昨日の脱力感が嘘のように無くなっていた。そのまま鏡台に座り、長い髪をブラシで梳かし始める。
 何気なく鼻唄を歌い、すっかり慣れた手つきで髪を梳かす自分。初めの一カ月ぐらいはずっと格闘してたっけ。こんなに長い髪をどうやって梳かすんだ……なんて。

 着替えを終えて一階に降りると、お兄ちゃんが朝食のトーストにレタスとベーコンを乗っけて二つ折りのサンドにし、かぶりついていた。

「おはよう、ヒマリ」
「おはよう、お兄ちゃん。……ママは?」

 見回してもママの姿がない。まだ朝早いというのに、どこかへ出かけたのだろうか。

「お前、昨日説明したんだろ? エリカさんが来るからって。そのことで事情を説明しに行ったらしいぜ」
「あ、そうなんだ。……てことは、お兄ちゃんも聞いた?」
「まーな」と、タイキは首を竦めた。「ちょっと驚いたけど、お前の件があるから、あり得ないことでもないなって」

 まるでママと同じことを言う。そんな前向きで優しいところは親譲りなんだろうか。

「まぁ、大丈夫だろ。日本はおもてなしとアニメの国だしな。すんなり受け入れるんじゃないか?」

 わたしは苦笑した。

「そんな簡単なことだったらいいけど……」

 伝承の多いイギリスだってあの様子なのだ。ハッカーの襲撃さえ無ければそういうものだと受け入れただろうけど、今はワケが違う。

「そうだな。簡単じゃない。でも、母さんが医者として説明したら、誰だって信じるよ」
「そういうものなの?」
「それだけみんなが救われてるんだよ、母さんに」

 ――帰ってきたママから報告を受けると、まさにお兄ちゃんの言う通りになっていた。
 娘の紹介で、わざわざイギリスから治療を受けにくる人がいる。その人は自らのペットと一緒にアニマリーヴしたことで怪物のような姿になったのだが、どうか怖がらないで受け入れて欲しい――そんなふうに説明したらしい。
 治療なんて無理な話だ。それでも、遊びに来たとか滞在しに来たというよりか説得力はあるだろう。本人が聞いたら多少ショックを受けるかもしれないけど、拒絶されるよりマシと考えるに違いない。

 ママはあったかい紅茶を淹れながら、こう付け足した。

「でもね、ヒマリ。知ってる? 実はコミュの方では、エリカさんみたいな症状の人、何人かいたらしいわよ」
「そうなの?」
「そりゃあ、ペットを溺愛している人なら一人や二人、やりかねないわよ。持っていくケージに小細工をして抜け出せるようにしておいて、アニマリーヴの前日までにケージのこじ開け方を訓練させるの。で、係員が運んでいる間がチャンスらしくて、抜け出した動物は真っ先に愛するご主人様の下へ……というわけ。そういうペットの親愛度を確かめるテストも兼ねてだけど、最期ぐらい一緒にいられたら、とか考えていたんでしょうね」
「でも、ママ」と、わたしは言葉を遮った。「ペットとプルステラで一緒になりたいから預けたのに、わざわざ仕掛けまでして脱走させちゃったら、一緒にプルステラに行けなくなるかもって思わなかったのかな。それじゃあまるで、アニマリーヴを最初から信じてなかったってことになるよ?」
「ええ。でもそれは、アニマリーヴを信じるかという以前に、ペットを動物と思っての最大限の心遣いだと思うわ。だって、アニマリーヴを信じていなかったらただの無理心中じゃない? 魂の移住だなんて、動物には理解出来るわけがないし、あなたのように万が一ということもあり得るわ。それでも、ご主人様と一緒がいいのなら傍まで来てくれるだろうし、残りたいならどこかへ去っていく――そういう、動物の意志を尊重する選択肢を用意させたのかもしれないわね」
「そっか……」

 きっと、エリカも同じことを考えて、散々悩んだに違いない。
 ゾーイの脱走は偶然起きてしまったらしいけど、結果的に良かったと話していた。

「でもさ」とお兄ちゃんが言葉を挟んだ。「まさか自分がファンタジー世界みたいな獣人になるとは、誰も思わなかったんだろ? それでエリカさんみたいに迫害を受けた時、自分自身の存在が嫌になっちまったらどうなるんだよ?」

 その問いかけに対しては、ママは何も答えなかった。静かに紅茶を注ぐ音だけが部屋に響く。
 きっと、恐ろしい答えになるだろう。一歩間違えれば誰にでも起こりうるような――。

 ママはしばらく考えた後、一言だけこう述べた。

「……エリカさんが『強い方』で、本当に良かったわね。でなきゃ、ヒマリと友達になろうだなんて、絶対に思わなかったはずだもの」
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