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Section10:VR・AGES社
74:夜明けの特等席 - 3
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私は咄嗟に適当なファイルを詰め込み、ダウンロードを開始する。
「……大佐! エリック……!!」
武器を取り上げられた二人は両手を頭の後ろで組まされ、二名のアンドロイドに銃を突き付けられている。
二人とも全身に殴られた痕があり、強引に捕らえられたに違いない。
背後には、プラチナブロンドの髪を持つ長身の男性が立っていた。……歳は若く見える。二十代前半ぐらいか。
「少女のエージェントとは恐れ入るな。さすが英国軍だ」
「名乗りなさい。あなたは誰!?」
男は不敵な笑みを浮かべた。
「そうだな。ひとまずは『冥主』、とでも呼んで頂こうか」
冥主──確か、プルステラとの通信で聞いた名だと大佐が言っていた。
冥主と名乗る男は突然拍手を鳴らした。
「いや、お見事。これまでもいろんな国のエージェントが来たんだが、ここまで辿りつける人間はいなかったよ」
「……まさか、知っててここまで……!?」
冥主は答える代わりに笑った。
「タワーの内部に設置されたのは、目に見えるカメラが全てじゃない。というより、死角なんてものはほぼ存在しないのさ。
まぁ、折角来て頂いたんだ。ここまで手に入れた情報は弊社のパンフレット替わりにタダであげるとしよう。ただし──」
冥主は真顔になり、二人のアンドロイドの間からハンドガンを構えた。
「……それ以上の詮索は許されない」
「………………」
額から冷や汗が伝うのを感じた。
軽くモニタに目を移すと、データのダウンロードはまだ五十パーセント程度だった。
「手を上げるんだ、お嬢さん」
私は拳を握ったまま、ゆっくりと両手を上げる。
「手は開きたまえ」
止むを得ず、ぱっと手を離す。
高い音を奏でて、ドロップオーブが床に転がった。
「よし、それでいい。抵抗しなければそのまま帰してあげよう。本来は職員への暴行罪や建造物侵入罪として訴えられるんだがね」
「……そこまで寛容なのはどういう了見だ?」
オーランドが尋ねると、冥主はまた不敵に笑った。
「諸君らは数少ないこの地上の生き残りだ。そして、現世の『守護者』でもある。役目を終えるまでは大人しく持ち場に付いていて欲しい」
「あなたは一体、何を目論んでいるの!?」
私はありったけの声で叫んだ。
「仮想世界への移住!? 魂の転送!? どこまでが本当なのよ!? アークに遺された体はどうなるって言うの!?」
「どこまでが本当、か。……そうだな。VR・AGES社として決めたことだけは嘘ではない、とだけ言っておこうか」
「嘘ではない、だと!? ふざけるな!!」
エリックは身を捩って激昂する。
「妹の言う通りだった。アイツはずっとアニマリーヴ・プロジェクトを疑ってた。根拠のない計画だ、と。なのに、みんな騙された! 安全な世界だと!? 聞けば怪物が集落を襲っているって言うじゃないか!!」
うっかり機密を洩らしたエリックだったが、冥主はそれもお見通しのようだ。
「ああ、その辺りは私の独断で決めた部分なんだ。アニマリーヴ・プロジェクトとは何ら関係のない余興だよ」
冥主はさらりと言ってのけた。
「でも、君の妹さんは喜んだんだろう? 大好きなペットと一緒になれて」
エリックは弾かれたように目を見開いた。
「お前……一体何を知って……!?」
「キミ達のことは全部お見通しだよ、エリック・ハミルトン君。客人の事を調べ尽くすのは接待の基本だからね」
エリックは諦めたように目を瞑った。
行動が筒抜けになっている──それはつまり、冥主の手中にあるということを意味する。
「しかし、心外だな。君たちは我々を悪者扱いしているが、何一つ悪いことはしていないのだよ」
「……ふん。怪物を生み出すということが悪いことではないと?」
大佐が低い声で罵った。
「もちろんだ。アレはプルステラに無くてはならない連中でね。皇竜然り、リザードマンも然りさ。
だが、今はまだ、その目的について報せるわけにはいかない。間もなく正念場だからね」
「……何を企んでやがる……?」
「じきに分かることだ。……さあ、お喋りはここまでだ。そのお土産を持ってとっとと帰りたまえ」
冥主は何の前触れもなく、ハンドガンの引き金を引いた。
あっと叫ぶ間もなく、目の前のPCがことごとく正確に破壊される。
「言い忘れていたが、このフロアは君たちを捕らえるための囮部屋だったんだ。データを盗みに来た時点で君たちの負けだったんだよ」
「…………くそっ!!」
私はおもむろにしゃがみ、メモリーオーブを拾い上げた。
この辺りのPCは全て破壊されている。……もう拾い上げる情報は他にない。
冥主がここに来るまでの間で、私が何を調べ上げていたのかも筒抜けのようだった。
私は悔しそうに床に跪いている大佐に手を差し延べた。
「大佐、エリック……完敗です。帰りましょう」
「…………仕方ないな」
そして、手に握られたメモリーオーブをエリックに渡す。
「ジュリエット、すまない。ありがとう」
「礼を言うなら、もう一人の私の面倒をお願いしますわ」
「何馬鹿なことを」
銃を突き付けられながら上がってくるエレベーターを待つ。
……この時間が途轍もなく長く感じられる。
「……ジュリエット君」
冥主が私の名を呼んだ。
心臓が破裂しそうなほどに高鳴り始める。
「随分と不自然な歩き方をするじゃないか」
「あら、ご存じだとばかり思ってましたわ。左足は義足でしてよ」
「義足なのは知っているよ。それにしては、先程までまともな動きをしていたように思えるんだがね」
「……アレだけの梯子を昇ったんですもの。長い移動に耐えられなかった……ただそれだけですわ」
「ふむ」
冥主の舐るような視線が私の目を捉えて放さない。
額の冷や汗が意思とは無関係に流れ落ちる。
チン、とエレベーターが到着音を鳴らす。
と同時に、冥主の眉がピクリ、とつり上がった。
「まさか、貴様っ……!?」
迷いは無かった。
冥主が銃を構えるより速く、私の突き出した掌が冥主を大きく突き飛ばした。
それを合図に大佐達がエレベーターに乗り込み、私はアンドロイド達の首元へ回し蹴りを喰らわせた。
アンドロイド達は怯んだが、倒れるまでには至らない。
「ジュリエット、急げ!!」
エレベーターのクローズボタンを連打しながら大佐が叫ぶ。
踵を反転させ、その場から幅跳びでエレベーターの中へ転がり込む。
数発の発砲音の後、ドアはピタリと閉まった。
「馬鹿なことを……!」
倒れ込んだ私を支えてくれたのは、情けない顔をするエリックだった。
「……私の右足に……」
それだけ言うのが精一杯だった。
脇腹に感じる熱は徐々に広がっていく。
大佐が代わりに私の靴を脱がしてくれた。
「……ジュリエット…………お前ってやつは……」
足の裏、穴を空けた靴下の中でしっかりと握りしめている、青い涙。大佐はそれを拾い上げた。
──メモリーオーブを手から落としたあの時。
落としたのは一つではなく、二つだった。
一つは床を転がり、もう一つは靴の脇腹を左足で叩いてオートサイズロック機能を解除し、口を緩めたブーツの隙間に入り込んだ。
落とす角度は一つに見えるように計算したが、あの中に落とせるかどうかはさすがに運次第だった。
その後は、足の指を丸め、爪に仕込んだカッターで靴下の裏側を切り裂き、隙間からメモリーオーブを拾い上げた。
手だろうと足だろうと、しっかりと肌に触れてさえいれば転送は行えるのだ。
さすがに歩き方を指摘された時はドキッとしたものだ。メモリーオーブを事前にエレベーターシャフト内で仕込んでいたら気付かれていたに違いない。
「…………冥主はこのデータを……アニマリーヴの真相を追ってくるかも……しれません」
「分かったよ、ジュリエット。命に賭けてもコイツは守る。だからもう、喋るんじゃない」
エリックが珍しく涙を零しながら、私の前髪を撫でた。
力が抜け、意識が薄れていく。
……ダメだ。せめて、大佐たちがこの場を凌ぐまでは……。
「エリック」
私は震える手で彼の頬に手を触れ、涙を拭った。
「……私は今、とても幸せです。こうしてあなたの腕の中に抱えられて……」
「やめろ、ジュリエット……!」
身体にかかるGが止まる。
チン、と軽い音を奏でてドアが開く。私を抱えたまま、エリックと大佐は走る。
「……あなたの心の中で、私はヒトとして居られましたか?」
「馬鹿なことを訊くな。当たり前、じゃないか……!」
「でしたらどうか……私を…………」
…………
……
「……ジュリエット!? おい、ジュリエット!?」
……微かに意識が飛んでいた。
目を開けると空が見える。微かに白んだ夜明けの空が……。
アレは本物の空……なのかしら……?
「────はぁ……っ! ……どうか、ここに置いて、逃げて下さい、エリック……!!」
「馬鹿なことを言うな! もうすぐ出口だ! 俺たちは三人で逃げるんだ!!」
私は渾身の力を籠めてエリックの胸元を突き飛ばした。
その反動で、私の体が地面に転がる。
「うっ……!!」
血だまりの中で、私は震える足を支え、立ち上がる。
ぼやける視界の中で、エリックが私に向かって手を伸ばしている。
「ジュリエット!!」
「来ないでぇっ!!!」
背後から鋼鉄の死神達が迫る。
放たれた黒い銃弾が幾つも背を貫き、内臓を突き抜けていくのが手にとるように分かる。
容赦なく逆流する赤い命の本流に耐えながら、私は言葉を紡ぐ。
「………………エ、エリック──────」
◆
──エリック。あなたのことが、ずっと好きでした。
微かに聞き取れた、ジュリエットの言葉。
「やめろおおおおおおおぉぉおお!!」
胸から、腹から、肩から……突き抜けた銃弾と共に赤い花が咲き乱れる。
メチャクチャにされたジュリエットは、それでも必死に笑顔を作りながら、私たちに訴える。
──走って、エリック!
大佐が私の腕を掴み、強引に引っ張った。
崩れるジュリエットの体を見届けながら、私は────
「……………………さようなら、ジュリエット……!」
──私は、遂に背を向け、大佐と共に走った。
刹那の爆音。彼女が持つ最後の武器が発動したのだ。
吹きつける熱風が私たちの背を強く強く後押しする。
最期は決して見届けなかった。
彼女は孤独を嫌ってはいたが、死に際を見られる事は決して赦さないだろう。
あくまでも人として、戯曲の彼女のように人知れず最期を迎えるのが望みなのだ。
気高い心を持ったお姫様。
彼女は我々の心の中で生き続けるために、敢えて孤独な死を選んだ。
我々は彼女が遺したモノを決して無駄にはしない。
「エリック、最後の大仕事だ」
「……存じています」
我々は外に停めていた車に乗り込み、直ぐにこの場を離れた。
どうやら、追手は来ないようだった。
私は助手席からバックミラーを覗き込んだ。
暗い後部座席に、ジュリエットのために内緒で用意した、女の子らしいクッションの群れがそこにあった。
作戦が上手く行けば、僅かなご褒美としておとぎ話の馬車になる予定だったのだ。
せめてもの女の子らしい演出に、彼女は喜んだだろうか。
「…………」
目を瞑れば、微かに映るお姫様の気高い笑顔。
そこにいたら、どんな顔を示しただろう?
そこにいたら、どんな声で私を呼んだだろう?
──礼を言うなら、もう一人の私の面倒をお願いしますわ。
……そうだ。ジュリエットの魂はまだ生きている。
今、私に出来ることは、彼女の魂を最後まで守り続けるということだ。
無論、彼女の傍には私の妹、エリカもいる。
彼女たちを救うためにも、私は託されたデータを確認する必要がある。
「これは、彼女が遺した唯一の涙です。……我々にはこれしかありません」
大佐は前を見据えたまま頷いた。
「その通りだ。後はプルステラとの連絡で、全てが明らかになる。……筒抜けかもしれんがね」
そう言ってから、大佐は大きな溜め息をついた。
「エリック、私は正しいと思ったことをやってきたつもりだ。だが……」
大佐は目を細めた。目の前でぼんやりとした朝日が昇り始めていた。
「…………本当に正しいことをしているのか、私にも分からなくなってきたのだ」
後部座席に照らされた光は、実に神々しい。
手の中に握られたメモリーオーブでさえも、現実味のない光を帯びて見えるぐらいだ。
「あなたが分からずとも、私が道を示します」
大佐はちらりと私を見た。驚いたような目だった。
「あの子は死んだんですよ、大佐。それがどういうことか、分からないわけではないでしょう?」
「……ああ。そうだな」
ジュリエットは死んだ。この事実だけは受け止めなくてはならない。
だが、この事件が我々を大きく突き動かしたのも事実だ。
「人の死の裏には大きな真実がある」
大佐はいつになく真面目な声で呟いた。
「真実を知るまで、我々は決して死んではならんのだ」
「分かっています」
──定期連絡までおよそ一カ月。
我々は身を潜めながらジュリエットの成果を守りつつ、生き続けなければならない。
「……大佐! エリック……!!」
武器を取り上げられた二人は両手を頭の後ろで組まされ、二名のアンドロイドに銃を突き付けられている。
二人とも全身に殴られた痕があり、強引に捕らえられたに違いない。
背後には、プラチナブロンドの髪を持つ長身の男性が立っていた。……歳は若く見える。二十代前半ぐらいか。
「少女のエージェントとは恐れ入るな。さすが英国軍だ」
「名乗りなさい。あなたは誰!?」
男は不敵な笑みを浮かべた。
「そうだな。ひとまずは『冥主』、とでも呼んで頂こうか」
冥主──確か、プルステラとの通信で聞いた名だと大佐が言っていた。
冥主と名乗る男は突然拍手を鳴らした。
「いや、お見事。これまでもいろんな国のエージェントが来たんだが、ここまで辿りつける人間はいなかったよ」
「……まさか、知っててここまで……!?」
冥主は答える代わりに笑った。
「タワーの内部に設置されたのは、目に見えるカメラが全てじゃない。というより、死角なんてものはほぼ存在しないのさ。
まぁ、折角来て頂いたんだ。ここまで手に入れた情報は弊社のパンフレット替わりにタダであげるとしよう。ただし──」
冥主は真顔になり、二人のアンドロイドの間からハンドガンを構えた。
「……それ以上の詮索は許されない」
「………………」
額から冷や汗が伝うのを感じた。
軽くモニタに目を移すと、データのダウンロードはまだ五十パーセント程度だった。
「手を上げるんだ、お嬢さん」
私は拳を握ったまま、ゆっくりと両手を上げる。
「手は開きたまえ」
止むを得ず、ぱっと手を離す。
高い音を奏でて、ドロップオーブが床に転がった。
「よし、それでいい。抵抗しなければそのまま帰してあげよう。本来は職員への暴行罪や建造物侵入罪として訴えられるんだがね」
「……そこまで寛容なのはどういう了見だ?」
オーランドが尋ねると、冥主はまた不敵に笑った。
「諸君らは数少ないこの地上の生き残りだ。そして、現世の『守護者』でもある。役目を終えるまでは大人しく持ち場に付いていて欲しい」
「あなたは一体、何を目論んでいるの!?」
私はありったけの声で叫んだ。
「仮想世界への移住!? 魂の転送!? どこまでが本当なのよ!? アークに遺された体はどうなるって言うの!?」
「どこまでが本当、か。……そうだな。VR・AGES社として決めたことだけは嘘ではない、とだけ言っておこうか」
「嘘ではない、だと!? ふざけるな!!」
エリックは身を捩って激昂する。
「妹の言う通りだった。アイツはずっとアニマリーヴ・プロジェクトを疑ってた。根拠のない計画だ、と。なのに、みんな騙された! 安全な世界だと!? 聞けば怪物が集落を襲っているって言うじゃないか!!」
うっかり機密を洩らしたエリックだったが、冥主はそれもお見通しのようだ。
「ああ、その辺りは私の独断で決めた部分なんだ。アニマリーヴ・プロジェクトとは何ら関係のない余興だよ」
冥主はさらりと言ってのけた。
「でも、君の妹さんは喜んだんだろう? 大好きなペットと一緒になれて」
エリックは弾かれたように目を見開いた。
「お前……一体何を知って……!?」
「キミ達のことは全部お見通しだよ、エリック・ハミルトン君。客人の事を調べ尽くすのは接待の基本だからね」
エリックは諦めたように目を瞑った。
行動が筒抜けになっている──それはつまり、冥主の手中にあるということを意味する。
「しかし、心外だな。君たちは我々を悪者扱いしているが、何一つ悪いことはしていないのだよ」
「……ふん。怪物を生み出すということが悪いことではないと?」
大佐が低い声で罵った。
「もちろんだ。アレはプルステラに無くてはならない連中でね。皇竜然り、リザードマンも然りさ。
だが、今はまだ、その目的について報せるわけにはいかない。間もなく正念場だからね」
「……何を企んでやがる……?」
「じきに分かることだ。……さあ、お喋りはここまでだ。そのお土産を持ってとっとと帰りたまえ」
冥主は何の前触れもなく、ハンドガンの引き金を引いた。
あっと叫ぶ間もなく、目の前のPCがことごとく正確に破壊される。
「言い忘れていたが、このフロアは君たちを捕らえるための囮部屋だったんだ。データを盗みに来た時点で君たちの負けだったんだよ」
「…………くそっ!!」
私はおもむろにしゃがみ、メモリーオーブを拾い上げた。
この辺りのPCは全て破壊されている。……もう拾い上げる情報は他にない。
冥主がここに来るまでの間で、私が何を調べ上げていたのかも筒抜けのようだった。
私は悔しそうに床に跪いている大佐に手を差し延べた。
「大佐、エリック……完敗です。帰りましょう」
「…………仕方ないな」
そして、手に握られたメモリーオーブをエリックに渡す。
「ジュリエット、すまない。ありがとう」
「礼を言うなら、もう一人の私の面倒をお願いしますわ」
「何馬鹿なことを」
銃を突き付けられながら上がってくるエレベーターを待つ。
……この時間が途轍もなく長く感じられる。
「……ジュリエット君」
冥主が私の名を呼んだ。
心臓が破裂しそうなほどに高鳴り始める。
「随分と不自然な歩き方をするじゃないか」
「あら、ご存じだとばかり思ってましたわ。左足は義足でしてよ」
「義足なのは知っているよ。それにしては、先程までまともな動きをしていたように思えるんだがね」
「……アレだけの梯子を昇ったんですもの。長い移動に耐えられなかった……ただそれだけですわ」
「ふむ」
冥主の舐るような視線が私の目を捉えて放さない。
額の冷や汗が意思とは無関係に流れ落ちる。
チン、とエレベーターが到着音を鳴らす。
と同時に、冥主の眉がピクリ、とつり上がった。
「まさか、貴様っ……!?」
迷いは無かった。
冥主が銃を構えるより速く、私の突き出した掌が冥主を大きく突き飛ばした。
それを合図に大佐達がエレベーターに乗り込み、私はアンドロイド達の首元へ回し蹴りを喰らわせた。
アンドロイド達は怯んだが、倒れるまでには至らない。
「ジュリエット、急げ!!」
エレベーターのクローズボタンを連打しながら大佐が叫ぶ。
踵を反転させ、その場から幅跳びでエレベーターの中へ転がり込む。
数発の発砲音の後、ドアはピタリと閉まった。
「馬鹿なことを……!」
倒れ込んだ私を支えてくれたのは、情けない顔をするエリックだった。
「……私の右足に……」
それだけ言うのが精一杯だった。
脇腹に感じる熱は徐々に広がっていく。
大佐が代わりに私の靴を脱がしてくれた。
「……ジュリエット…………お前ってやつは……」
足の裏、穴を空けた靴下の中でしっかりと握りしめている、青い涙。大佐はそれを拾い上げた。
──メモリーオーブを手から落としたあの時。
落としたのは一つではなく、二つだった。
一つは床を転がり、もう一つは靴の脇腹を左足で叩いてオートサイズロック機能を解除し、口を緩めたブーツの隙間に入り込んだ。
落とす角度は一つに見えるように計算したが、あの中に落とせるかどうかはさすがに運次第だった。
その後は、足の指を丸め、爪に仕込んだカッターで靴下の裏側を切り裂き、隙間からメモリーオーブを拾い上げた。
手だろうと足だろうと、しっかりと肌に触れてさえいれば転送は行えるのだ。
さすがに歩き方を指摘された時はドキッとしたものだ。メモリーオーブを事前にエレベーターシャフト内で仕込んでいたら気付かれていたに違いない。
「…………冥主はこのデータを……アニマリーヴの真相を追ってくるかも……しれません」
「分かったよ、ジュリエット。命に賭けてもコイツは守る。だからもう、喋るんじゃない」
エリックが珍しく涙を零しながら、私の前髪を撫でた。
力が抜け、意識が薄れていく。
……ダメだ。せめて、大佐たちがこの場を凌ぐまでは……。
「エリック」
私は震える手で彼の頬に手を触れ、涙を拭った。
「……私は今、とても幸せです。こうしてあなたの腕の中に抱えられて……」
「やめろ、ジュリエット……!」
身体にかかるGが止まる。
チン、と軽い音を奏でてドアが開く。私を抱えたまま、エリックと大佐は走る。
「……あなたの心の中で、私はヒトとして居られましたか?」
「馬鹿なことを訊くな。当たり前、じゃないか……!」
「でしたらどうか……私を…………」
…………
……
「……ジュリエット!? おい、ジュリエット!?」
……微かに意識が飛んでいた。
目を開けると空が見える。微かに白んだ夜明けの空が……。
アレは本物の空……なのかしら……?
「────はぁ……っ! ……どうか、ここに置いて、逃げて下さい、エリック……!!」
「馬鹿なことを言うな! もうすぐ出口だ! 俺たちは三人で逃げるんだ!!」
私は渾身の力を籠めてエリックの胸元を突き飛ばした。
その反動で、私の体が地面に転がる。
「うっ……!!」
血だまりの中で、私は震える足を支え、立ち上がる。
ぼやける視界の中で、エリックが私に向かって手を伸ばしている。
「ジュリエット!!」
「来ないでぇっ!!!」
背後から鋼鉄の死神達が迫る。
放たれた黒い銃弾が幾つも背を貫き、内臓を突き抜けていくのが手にとるように分かる。
容赦なく逆流する赤い命の本流に耐えながら、私は言葉を紡ぐ。
「………………エ、エリック──────」
◆
──エリック。あなたのことが、ずっと好きでした。
微かに聞き取れた、ジュリエットの言葉。
「やめろおおおおおおおぉぉおお!!」
胸から、腹から、肩から……突き抜けた銃弾と共に赤い花が咲き乱れる。
メチャクチャにされたジュリエットは、それでも必死に笑顔を作りながら、私たちに訴える。
──走って、エリック!
大佐が私の腕を掴み、強引に引っ張った。
崩れるジュリエットの体を見届けながら、私は────
「……………………さようなら、ジュリエット……!」
──私は、遂に背を向け、大佐と共に走った。
刹那の爆音。彼女が持つ最後の武器が発動したのだ。
吹きつける熱風が私たちの背を強く強く後押しする。
最期は決して見届けなかった。
彼女は孤独を嫌ってはいたが、死に際を見られる事は決して赦さないだろう。
あくまでも人として、戯曲の彼女のように人知れず最期を迎えるのが望みなのだ。
気高い心を持ったお姫様。
彼女は我々の心の中で生き続けるために、敢えて孤独な死を選んだ。
我々は彼女が遺したモノを決して無駄にはしない。
「エリック、最後の大仕事だ」
「……存じています」
我々は外に停めていた車に乗り込み、直ぐにこの場を離れた。
どうやら、追手は来ないようだった。
私は助手席からバックミラーを覗き込んだ。
暗い後部座席に、ジュリエットのために内緒で用意した、女の子らしいクッションの群れがそこにあった。
作戦が上手く行けば、僅かなご褒美としておとぎ話の馬車になる予定だったのだ。
せめてもの女の子らしい演出に、彼女は喜んだだろうか。
「…………」
目を瞑れば、微かに映るお姫様の気高い笑顔。
そこにいたら、どんな顔を示しただろう?
そこにいたら、どんな声で私を呼んだだろう?
──礼を言うなら、もう一人の私の面倒をお願いしますわ。
……そうだ。ジュリエットの魂はまだ生きている。
今、私に出来ることは、彼女の魂を最後まで守り続けるということだ。
無論、彼女の傍には私の妹、エリカもいる。
彼女たちを救うためにも、私は託されたデータを確認する必要がある。
「これは、彼女が遺した唯一の涙です。……我々にはこれしかありません」
大佐は前を見据えたまま頷いた。
「その通りだ。後はプルステラとの連絡で、全てが明らかになる。……筒抜けかもしれんがね」
そう言ってから、大佐は大きな溜め息をついた。
「エリック、私は正しいと思ったことをやってきたつもりだ。だが……」
大佐は目を細めた。目の前でぼんやりとした朝日が昇り始めていた。
「…………本当に正しいことをしているのか、私にも分からなくなってきたのだ」
後部座席に照らされた光は、実に神々しい。
手の中に握られたメモリーオーブでさえも、現実味のない光を帯びて見えるぐらいだ。
「あなたが分からずとも、私が道を示します」
大佐はちらりと私を見た。驚いたような目だった。
「あの子は死んだんですよ、大佐。それがどういうことか、分からないわけではないでしょう?」
「……ああ。そうだな」
ジュリエットは死んだ。この事実だけは受け止めなくてはならない。
だが、この事件が我々を大きく突き動かしたのも事実だ。
「人の死の裏には大きな真実がある」
大佐はいつになく真面目な声で呟いた。
「真実を知るまで、我々は決して死んではならんのだ」
「分かっています」
──定期連絡までおよそ一カ月。
我々は身を潜めながらジュリエットの成果を守りつつ、生き続けなければならない。
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