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Section12:真相

86:選定の時 - 1

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 腐った世界の住人たちは、いつまでも変わることのないツクリモノの世界に楽園を築きました。

 腐った世界の住人たちは、いつまでも変わることのないツクリモノの体にココロを移しました。



 彼らは、永遠にその世界で生きられると信じて毎日働き続けました。

 背中にくるくると回るゼンマイがあることも知らずに、働き続けました。



 ゼンマイを巻くのは王様だけのお仕事。



 ひと度巻けば、一日の命。

 ふた度巻けば、二日の命。



 ゼンマイを回さないと、民は動けなくなり、民は働くことを忘れてしまいます。



 終いには生きることも忘れ、誰がいたのかも、忘れるのです。





 ──けれど、それが何だって言うのでしょう。





 何もしなくたって、楽園が滅ぶわけではないのです。

 何もしなくても、楽園は楽園のままなのです。



 だから、これは王様だけのお楽しみ。

 王様が飽きなければ、明日はまたやって来るでしょう。




 この世界では、王様のご機嫌次第でゼンマイは巻かれているのです。



 ──────。



 民を動かすゼンマイは二つある。
 その実権が誰のものだとか、恐らくは誰も気にしてはいないのだろう。


 ──あの連中を除いては。


 民が気にしているのは獣たちのゼンマイの方だろうが、この世界で生きている限り、ゼンマイは誰にでもある。
 巻かれるべきはこの世界にいる全員なのだ。

 だが、ヤツらは気にするべきだ。
 二つ目のゼンマイが巻かれるとどうなるか、ということを。

「来たようです、冥主」

 ンジャーキが告げる。
 私は立ち上がり、高らかに宣言した。

「時は満ちた! 民の選定を始める!」


 ◆


 西暦二二〇四年二月二日
 仮想世界〈プルステラ〉日本サーバー セントラル・ペンシル前

 三度目の訪問は、最初の時と同じく扉の前からだ。
 恐らく、ここまでセントラル・ペンシルに通ったのは、世界中でわたしたちだけじゃないかと思う。

 エリカは順調にバベルの中を歩き回っているそうで、彼女の成功はゾーイの肩にかかっている。

「キリルから通信よ」ジュリエットが片耳に手を当てて告げた。「ハッキングを始めたって。もう少しで突入出来るそうよ」
「そろそろあの中に入らなくていいのかな? 中に入るだけならわたし達はお客さんでしょ」
「いいえ、それは止めた方がいいわ。監視カメラもあると思うし、事後でも我々をマークすることになる。やるなら万全にいきましょう」
「うーん……それもそうだね。了解」

 バベルほどのセキュリティの中でハッキングが通用する時間はたかが知れている。
 わたし達は合図と同時にセントラル・ペンシル内に突入し、中央の「芯」に乗り込まなくてはならない。

 そして、エリカが脱出するまでの数秒。……そう、わずか数秒の間に最上階へ辿り着かなきゃならないんだ。
 少しでも遅れたら、この作戦は全部パアになる。

「なんですって!?」

 ……と考えていた矢先、キリルくんと通信していたジュリエットが不穏な声を上げた。

「どうしたの、ジュリエット!?」
「冥主が動いたようね。バベルのデータに何か大きな動きがあったんだって」
「エリカは大丈夫かな!?」
「問題ないわ。あっちにはプロフェッショナルがいるんだし。アニマはいつでも回収できるはず」
「それよりも、俺たちがどうするかだな」

 お兄ちゃんがやっと口を開いた。
 どうもあの秘密ごとを追求してから気まずいのか、口数がかなり減ったように思える。

「作戦はそのまま決行よ。……カウントダウンが開始されたわ。位置について」

 草むらで体勢を整え、わたし達はロケットスタートに備える。

「3……2……1……今よ!」

 筋力を全開にして、抉るぐらいに堅い土を蹴る。
 二百メートルは離れているはずだったが、僅か二秒で入り口を通過した。
 途中、誰かを吹き飛ばしたような気がしたけど、そんなのは些細な問題だ。

 正面のエレベーターのパネルを押す。
 チン、と音がして、ごく普通に扉は開いた。

「よし! 最上階へ!」

 驚く一般客を尻目に、わたし達を載せたエレベーターは透明の筒の中を真上に上る。

「怖いほど順調だな」

 お兄ちゃんが低い声で呟くと、ジュリエットは鼻で小さく笑った。

「順調で結構。私達の行動がバレているのなら、説明が省けるでしょう?」
「おっしゃる通りで」

 そんな冗談を言う間に最上階に着く。

 だだっぴろい円形の部屋だ。ほんの少しだけ見覚えがある。あの時に見た、皇竜達の集まる部屋だ。

「随分堂々とした侵入者だな」

 誰かの声が部屋中に響いた。聴いたことのあるようなないような声の持ち主だ。

「待っていたよ、ミカゲ ヒマリ。キミを待っていた」
「……あなたが冥主?」
「その通りだ。……それに、まったく知らない仲でもあるまい」
「…………え?」

 最後の声は真後ろで聞こえた。
 振り返ると、白い装束にキツネの仮面を付けた男がそこにいた。

「まるで死に装束だな」

 お兄ちゃんが吐き捨てるように言うと、冥主は指を差してひとつ頷いた。

「良い例えだ。間違ってはいない。……それで? バベルに侵入してまで私に会いに来たのか、ヒマリ?」
「そうだよ」
「何のために?」
「真実を知るために」

 冥主は不敵な笑みを浮かべる。

「ほう? 笑わせてくれるじゃないか。嘘八百のVR世界に、真実の追求だと?」
「それだけじゃない! あなたはわたしの……いや、ユヅキの命を狙っていた。狙いは一体何なの!?」

 冥主は答える代わりに、別の疑問を提示した。

「キミは、何故このアニマリーヴ・プロジェクトが施行されるに至ったか、分かるかな?」
「答えをはぐらかさないでよ!」
「いいや。キミにとっても大切なことだよ。とてもね」

 胸の奥がザワザワとする感覚。
 冥主は何が言いたいんだろう。……わたしは、その先を聴いてもいいのだろうか。

「世界三大移住計画。その一つが火星への移住。二つ目は海底都市計画。そして三つ目がVR世界であるプルステラへの移住計画だった。……おかしいよねぇ。VRで移住っていうのが最も現実味のない話だっていうのに」
「…………」
「現実味……現実性さえ証明できれば、この計画は必ず実行される。だからこそ、この計画を切り離すことはなかった」
「でも、その正体はただのデータ転送、だろ?」

 口を挟んだお兄ちゃんの指摘に、冥主は仮面の奥で小さく笑ったようだった。

「そう。キミたちが調べた通りだ。だからね、今、現世では面白いことが起きてるんだ」

 いったい何の──そう言おうとする前に、冥主は軽く指を鳴らした。
 目の前にDIPのような大きなディスプレイが浮かび上がり、どこかの映像が流れる。

 どこかの施設のようだった。
 薄暗い空間。その中に見覚えのあるカプセルが中央にある機械を取り巻くようにドーナツ状に並んでいる。

「これは……アーク……!?」

 ジュリエットの驚いた声に呼応するように、アークの中が途端に白く、明るく照らされる。

「ちょ……! な、何をする気ですの!?」

 厭な予感がしたのか。
 ジュリエットは青ざめた表情で冥主に問いかける。

「後始末だよ。『地上』のね」

 冥主の言葉を理解するよりも早く、映像ではカプセルの一つ一つの蓋が独りでに開いていった。
 すると──なんてことだ。カプセルの中にいた人たちが、ゆっくりと起き上がっていくではないか!

「プルステラから切り離したっていうのか!」
「違うよ、タイキ。キミが言ったんじゃないか。元々アニマと肉体は別々のものなんだって」

 それなら、今こうして起き上がっている人たちは、何が起きたのか理解しないまま起きだしたってことだろうか。

 いや、それにしては……何か様子がおかしい。
 あの映像の中で起き上がる人達の動きが……そう、まるで訓練された兵士のように統率されている。

「……そして、彼らはもう、現世の民でもない。何故なら、彼らはもう、とっくに死んだことになっているんだからね」

 冥主の言葉が、その映像の事実を物語っている。
 つまり、彼らは──

「ルールは撤廃された。ここからは、私がルールだ」

 ──死してなお、現世を彷徨うゾンビのような存在に成り果ててしまったのだ。
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