4 / 56
1.望まれぬ婚姻
4
アカネース王都にそびえ立つ灰褐色の城内で、足早に移動しながら周囲を見渡す男が一人。
「どこにおられるんだ、全く……」
短く整えられた赤毛と、翡翠を嵌め込んだ切れ長な瞳が特徴的なその男。焦りが浮かんだ顔は険しく、鋭利な刃物を思わせる眼差しが合わさって話しかけにくい空気を醸し出していた。
なるべく足音は立てないよう、しかし決して足は止めることなく目当ての人物を探し歩く。
「あら、そんなに急いでどうかしたのかしら?」
探していた人物ではないが、無視できない声が横から掛かり足を止めた。
彼に声を掛けたのは、アカネース王国第二王女のミレイニア。
微笑を浮かべて首を傾げた彼女に合わせ、腰まで伸びた黄金色の髪が音もなく揺れる。毛先まで手入れの行き届いた金髪は絹糸のように滑らかで美しく、白い肌は水を弾く張りがある。
宝石のように青い瞳を向けられれば、誰もが息をのみ、彼女との叶わぬ恋を夢見ると言われている魔性の娘。
若々しさと華やかさを兼ね備えた第二王女は、この国で一番の美女という評判に違わぬ美しさであった。
「ミレイニア様、申し訳ございませんが私は用事がありますので」
「もしかして、またお姉様の姿が見当たらないのかしら?」
「……えぇ」
微笑む姿は少女の可憐さを放っているが、男は興味などない様子で視線を外した。しかし、ミレイニアはそれを許さず男の腕を掴む。
「待ちなさいって。急いで伝えなくたっていいじゃない。婚約の話だって、貴方がしなくてもすぐに伝わるわ」
「……そういう問題ではないのです」
「もしかして、お姉様を連れて逃げようとでも考えているの? ……マリンハルト、残念だったわねぇ。あの人はそんなこと望みはしないわ」
ミレイニアの腕を振り払いたい気持ちを抑え込み、マリンハルトは唇を噛んだ。
つい先程まで行われていたアカネース王国とレイノアール王国の和平条約の完全なる締結に向けた会議が無事に決着した。
そう、この国の第一王女の婚姻が決定したのだ。
マリンハルトにとっては幼い頃から仕えてきた唯一の主であり、親愛と敬愛を捧げるかけがえのない王女だった。
自分の命よりも大切な王女が国のために強引な結婚を強いられる。
そんなこと、彼に許せるはずがなかった。
「ねぇ、マリンハルト」
美しい顔を冷たく歪ませ、ミレイニアは冷たく微笑みマリンハルトの手を離した。
「あなたもよく知っているでしょう? お姉様の精神は気味が悪い程に模範的な王女なのよ。あの人が国のための結婚を望まないわけがないの」
目の前の男が露骨に顔を歪めたことで、愉快そうにミレイニアは口角を吊り上げた。
「この国では誰もお姉様を妻にしたいなんて思わないわ。いくら第一王女とはいえ、後ろ盾がないんだもの。そう思うと、他国に嫁ぐのは案外幸せかもしれないわよ?」
マリンハルトは黙ってミレイニアを睨み付けた。言い返せないのは、従者の失態は主の失態となることをよくわかっているからであった。
露骨に態度に表せばミレイニアを喜ばせるだけだと知っているが、マリンハルトにはもう抑えることができない。
ミレイニアは決してマリンハルトに特別な感情を抱いているわけではない。ただ姉の忠実な犬の苦しむ顔が見たいだけだ。
姉は気味が悪い程に模範的な王女である。ミレイニアは自らそう口にした。
言葉の通り、この国の第一王女はいつでも笑みを絶やさない。怒りという感情を表に出さない。
その高潔であろうとする振るまいが、ミレイニアには気にくわなかった。
さらに言葉を続けようと口を開きかけたミレイニアは、天球儀の様に丸く澄んだ青の瞳に映った人物を捕らえ眉根を寄せた。
ミレイニアが口にした嫌味が聞こえていただろうはずのその人は、何事のないかのようにミレイニアへと微笑んだ。
「こんなところでお会いするなんて奇遇ですね。こちらには私の部屋しかありませんよ?」
肩甲骨まで伸びた真っ直ぐな琥珀色の髪と健康的な肌を持つ、きらびやかなドレスよりも農村で牛の世話をしている姿の方が似合いそうなその娘。
誰もが美しいと称賛の声をあげるミレイニアと比べ、人並みよりは整った顔立ちではあるがミレイニア程の華やかさはない第一王女。
しかし、どれだけミレイニアが見下そうとしても、彼女の立場はミレイニアが一生掛けても覆すことが叶わない。
「……えぇ。いち早くご結婚のお祝いを伝えたくて参上しましたのよ」
言葉とは裏腹な苦い表情。それも当たり前だろう。ミレイニアにとって、姉は疎ましい者以外の何者でもないのだから。
ミレイニアは友好的とは対極にあるだろう冷たい声を隠すことなく、その名を呼んだ。
「レイノアール王家とのご結婚、おめでとうございます。心から祝福致しますわ……リーゼロッテお姉様」
決して祝福の気持ちなど籠められていない。
爪弾き者にはお似合いの末路だと笑いに来たミレイニアの言葉に、リーゼロッテは顔色一つ変えずに頷いた。
「ありがとうございます。両国の平和の架け橋となれることを光栄に思います」
リーゼロッテには、ミレイニアの突き立てる言葉の剣は刺さらない。
その態度は昔から変わることなく、ミレイニアの心の表面を薄く逆撫でしていく。幼い頃より磨り減らされたミレイニアの心では、最早何故リーゼロッテに冷たく当たるのかさえわからなくなってしまっていた。
「どこにおられるんだ、全く……」
短く整えられた赤毛と、翡翠を嵌め込んだ切れ長な瞳が特徴的なその男。焦りが浮かんだ顔は険しく、鋭利な刃物を思わせる眼差しが合わさって話しかけにくい空気を醸し出していた。
なるべく足音は立てないよう、しかし決して足は止めることなく目当ての人物を探し歩く。
「あら、そんなに急いでどうかしたのかしら?」
探していた人物ではないが、無視できない声が横から掛かり足を止めた。
彼に声を掛けたのは、アカネース王国第二王女のミレイニア。
微笑を浮かべて首を傾げた彼女に合わせ、腰まで伸びた黄金色の髪が音もなく揺れる。毛先まで手入れの行き届いた金髪は絹糸のように滑らかで美しく、白い肌は水を弾く張りがある。
宝石のように青い瞳を向けられれば、誰もが息をのみ、彼女との叶わぬ恋を夢見ると言われている魔性の娘。
若々しさと華やかさを兼ね備えた第二王女は、この国で一番の美女という評判に違わぬ美しさであった。
「ミレイニア様、申し訳ございませんが私は用事がありますので」
「もしかして、またお姉様の姿が見当たらないのかしら?」
「……えぇ」
微笑む姿は少女の可憐さを放っているが、男は興味などない様子で視線を外した。しかし、ミレイニアはそれを許さず男の腕を掴む。
「待ちなさいって。急いで伝えなくたっていいじゃない。婚約の話だって、貴方がしなくてもすぐに伝わるわ」
「……そういう問題ではないのです」
「もしかして、お姉様を連れて逃げようとでも考えているの? ……マリンハルト、残念だったわねぇ。あの人はそんなこと望みはしないわ」
ミレイニアの腕を振り払いたい気持ちを抑え込み、マリンハルトは唇を噛んだ。
つい先程まで行われていたアカネース王国とレイノアール王国の和平条約の完全なる締結に向けた会議が無事に決着した。
そう、この国の第一王女の婚姻が決定したのだ。
マリンハルトにとっては幼い頃から仕えてきた唯一の主であり、親愛と敬愛を捧げるかけがえのない王女だった。
自分の命よりも大切な王女が国のために強引な結婚を強いられる。
そんなこと、彼に許せるはずがなかった。
「ねぇ、マリンハルト」
美しい顔を冷たく歪ませ、ミレイニアは冷たく微笑みマリンハルトの手を離した。
「あなたもよく知っているでしょう? お姉様の精神は気味が悪い程に模範的な王女なのよ。あの人が国のための結婚を望まないわけがないの」
目の前の男が露骨に顔を歪めたことで、愉快そうにミレイニアは口角を吊り上げた。
「この国では誰もお姉様を妻にしたいなんて思わないわ。いくら第一王女とはいえ、後ろ盾がないんだもの。そう思うと、他国に嫁ぐのは案外幸せかもしれないわよ?」
マリンハルトは黙ってミレイニアを睨み付けた。言い返せないのは、従者の失態は主の失態となることをよくわかっているからであった。
露骨に態度に表せばミレイニアを喜ばせるだけだと知っているが、マリンハルトにはもう抑えることができない。
ミレイニアは決してマリンハルトに特別な感情を抱いているわけではない。ただ姉の忠実な犬の苦しむ顔が見たいだけだ。
姉は気味が悪い程に模範的な王女である。ミレイニアは自らそう口にした。
言葉の通り、この国の第一王女はいつでも笑みを絶やさない。怒りという感情を表に出さない。
その高潔であろうとする振るまいが、ミレイニアには気にくわなかった。
さらに言葉を続けようと口を開きかけたミレイニアは、天球儀の様に丸く澄んだ青の瞳に映った人物を捕らえ眉根を寄せた。
ミレイニアが口にした嫌味が聞こえていただろうはずのその人は、何事のないかのようにミレイニアへと微笑んだ。
「こんなところでお会いするなんて奇遇ですね。こちらには私の部屋しかありませんよ?」
肩甲骨まで伸びた真っ直ぐな琥珀色の髪と健康的な肌を持つ、きらびやかなドレスよりも農村で牛の世話をしている姿の方が似合いそうなその娘。
誰もが美しいと称賛の声をあげるミレイニアと比べ、人並みよりは整った顔立ちではあるがミレイニア程の華やかさはない第一王女。
しかし、どれだけミレイニアが見下そうとしても、彼女の立場はミレイニアが一生掛けても覆すことが叶わない。
「……えぇ。いち早くご結婚のお祝いを伝えたくて参上しましたのよ」
言葉とは裏腹な苦い表情。それも当たり前だろう。ミレイニアにとって、姉は疎ましい者以外の何者でもないのだから。
ミレイニアは友好的とは対極にあるだろう冷たい声を隠すことなく、その名を呼んだ。
「レイノアール王家とのご結婚、おめでとうございます。心から祝福致しますわ……リーゼロッテお姉様」
決して祝福の気持ちなど籠められていない。
爪弾き者にはお似合いの末路だと笑いに来たミレイニアの言葉に、リーゼロッテは顔色一つ変えずに頷いた。
「ありがとうございます。両国の平和の架け橋となれることを光栄に思います」
リーゼロッテには、ミレイニアの突き立てる言葉の剣は刺さらない。
その態度は昔から変わることなく、ミレイニアの心の表面を薄く逆撫でしていく。幼い頃より磨り減らされたミレイニアの心では、最早何故リーゼロッテに冷たく当たるのかさえわからなくなってしまっていた。
あなたにおすすめの小説
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。
言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。
喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。
12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。
====
●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。
前作では、二人との出会い~同居を描いています。
順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。
※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。
「お前を愛する事はない」を信じたので
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。
白い結婚のまま、旦那様は薔薇のような美人に夢中になりました
柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢リディアは、美貌で有名な侯爵レオンハルトに嫁いだ。
けれど結婚して二年、夫婦は一度も結ばれないまま――白い結婚だった。
それでも旦那様は優しかった。
冷たいわけではない。気づかいの言葉も、穏やかな笑顔もくれる。
だからリディアは、愛されてはいなくても、いつか少しは夫婦になれるのではないかと信じていた。
そんなある日、彼女は知ってしまう。
旦那様が薔薇の君と呼ばれる絶世の美女に心を奪われていることを。
彼が触れなかったのは私にだけだったのだと。
都合のいい奥方として、役に立っていたと悟る
静かに離縁を決意したリディアは、実家へ戻ったあと、女子学院で働き始める。
すると侯爵夫人時代には当たり前だった実務のすべてが、外では驚くほど必要とされていた。
感謝され、認められ、自分の足で立ち始めた彼女は、少しずつ見違えるほど美しくなっていく
報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を
さくたろう
恋愛
その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。
少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。
20話です。小説家になろう様でも公開中です。