爪弾き者の第一王女は敵国の年下王子の妻となる

河合青

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1.望まれぬ婚姻

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 グレインに掴みかかろうと振り上げた腕は力なく落ち、マリンハルトは悔しそうに唇を噛んだ。
「……申し訳ありません、グレイン。先ほどの件がマリンハルトには大きなショックとなってしまい少々過敏になっているようです」
「気にしませんよ。それに、彼が貴方に捨てられるとなればそれは我々には想像できない辛さでしょう」
 捨てる。その言葉だけをわざとらしく響かせて、グレインは人の良い笑みを浮かべた。冷たい笑顔の隣に立つミレイニアは、ひどくつまらなそうな顔でグレインの腕にしなだれかかった。
 リーゼロッテは気に入らない。しかし、大嫌いな姉が自分以外の誰かの言葉で傷つくようならもっと面白くない。だから、グレインの態度もミレイニアにとっては姉と同じくらいに気に食わなかった。
「でも私は意外でしたわ。不貞を疑われぬように置いていくだなんて、まるで本当に事実があったみたいではありませんか」
 言葉はミレイニアが意識する必要もなく形となる。
 それもそのはずだ。リーゼロッテを貶めるための言葉は、呼吸をするのと同じくらい自然に昔から口にしていた。
「ミレイニア、そんな思っていても聞けないようなことをよく言えますね」
 グレインが笑い、ヴィオレッタは声を出さずに口角を吊り上げた。
 ミレイニアだけが面白くなさそうに眉を潜め、リーゼロッテを傷つけるための毒をひたすら口にする。
「私にはお姉様が憐れで仕方がありませんわ。長い間誰にも望まれず、独り寂しく生きてきて、やっと相手が現れたと思ったら、代わりに独りを慰めていた従者を失わなければならないなんて」
 ミレイニアはグレインから離れ、リーゼロッテの琥珀色した髪へと手を伸ばす。リーゼロッテは振り払うこともなく、伸ばされた白く細い指を受け入れた。
 髪を梳くミレイニアの指先は、小さく震えている。その理由は誰にもわからない。
 指の震えに気付いているのは、手を伸ばされた張本人だけだろう。
「……離しなさい、ミレイニア。いくら正妃様の娘とはいえ、このわたくしに対して言葉が過ぎるとは思いませんか?」
「……そうですね。いくら侍女の娘とはいえ、あなたは私のお姉様で、この国で一番の姫ですものね」
 御無礼を、そう言って引き下がったミレイニアの無色の声はほの暗い廊下に響いて消えた。
 初めて耳にするリーゼロッテの強い口調に、ヴィオレッタは戸惑いを隠しきれずに二人の姉の間に視線をさ迷わせた。普段なら、ミレイニアに味方をするのだが、彼女があっさりと引いてしまったせいでヴィオレッタはどうすることもできずに様子を窺う。
「ヴィオレッタ」
 唐突にリーゼロッテに名を呼ばれ、ヴィオレッタは驚きを露わに肩を震わす。それでも気丈に振る舞おうと、ヴィオレッタは一歩前へと踏み出した。
「何でしょうか、お姉様?」
「後でゴーゼル様に手紙を書くので届けていただけますか? 内容は鉄や銅などを売ってほしいという依頼です」
 そのようなものを何に使うというのか。ヴィオレッタにはリーゼロッテの考えることはさっぱり理解できなかったが、訊ねるのも彼女に興味があるようで癪なため止める。
「お願い致しますね。それでは、私も出発に向けて準備があるので失礼致します」
 深々と頭を下げ、リーゼロッテは結い上げた髪を軽やかになびかせて全員に背を向けた。その後を、重い足取りのマリンハルトが追う。
 二人が角を曲がったのを見届け、グレインが重々しいため息を吐いた。柔和な表情を浮かべてはいるが、内心でリーゼロッテの背中にどのような毒を吐いたかわからない。
「……ヴィオレッタ様、先ほどのリーゼロッテ様のご依頼はどうするおつもりですか?」
「それは届けるなと言いたいの?」
 ヴィオレッタが問い返せば、グレインは意味深な笑みを浮かべる。彼の瞳に影が差す瞬間が、ヴィオレッタは嫌いだった。
 その影はリーゼロッテに向けられたものであるのだが、同時に自分も馬鹿にしているようで腹が立つ。
 しかし、ヴィオレッタも素直にリーゼロッテの願いを聞いてやりたいとは思わなかった。
「あの人、嫁入り道具に石ころを持っていくつもりかしら。もっと服とか装飾品とか、必要なものはあるでしょうに」
 リーゼロッテの口ぶりから察するに、鉱石の購入もレイノアールへ嫁ぐ準備ということになるのだろう。宝石ならばヴィオレッタも理解が出来るが、あのようなくすんだ石の何が良いのか。
「……聞いた話だけれど、レイノアールで我が国の鉱石は倍以上の額で売れることもあるそうよ。それを知っているから、ヴィオレッタに頼んだんでしょうね」
 静かに響いたミレイニアの言葉に、ヴィオレッタは目を丸くして自分の無知さに頬を染めた。
「いいのよ。ヴィオレッタがゴーゼルに興味がないのは仕方ないわ。知らなくてもおかしくない」
 俯いた妹の砂色の髪を、ミレイニアは丁寧な手つきで撫でてやった。先ほどのリーゼロッテに伸ばした手とは正反対の優しい指先。
 ミレイニアのように美しくない自分の髪も、こうして撫でてもらっている間は好きになれる。ヴィオレッタはミレイニアの優しさに触れ、リーゼロッテの願いなど聞き入れる必要はないのだと自分に言い聞かせた。
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