爪弾き者の第一王女は敵国の年下王子の妻となる

河合青

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1.望まれぬ婚姻

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 レオナルドの言葉には納得させられる部分もある。男もわかっているのだ。どれ程レイノアールを憎んだところで、何一つ戻ってくるものはない。
 しかし、感情は理屈ではない。
 今、胸を占める怒りはどうすればいいのか。これを表に出すことの、何がいけないというのか。
「お前に俺の気持ちがわかるのか! 子供のくせに、偉そうな口ききやがって!」
 納得する気持ちと、堪えきれない怒り。二つが混ざり、男はとうとう拳を振り上げた。
 周囲を取り囲む人々から、短い悲鳴が上がる。
 その拳で男の気が済むのなら、殴られても構わない。レオナルドはそう思い、固く目を瞑った。
「止めなさい! これ以上は衛兵を呼びます」
 しかし、男の拳はアリアの声で振り下ろされることなくぴたりと止まった。
 レオナルドが振り返った先では、先ほどまでの柔和な笑みを殺したアリアが男に鋭い視線を向けていた。
 男はアリアに、アカネース国の人間に静止の声を掛けられたことで、やり場のない怒りの矛先を彼女に変えた。
「なんでお前が俺を止める! こいつはレイノアールの人間だぞ! 俺たちを殺した、レイノアールの……!」
「私が貴方を止めるのは、この露店市の理念を理解していないからです。いま、この場所にアカネースもレイノアールもありません」
 臆することなくレオナルドと男の間に立つと、彼女はゆっくりと首を振る。
 レオナルドですら、大の男の怒りの前に立つだけで体が震えたのだ。女性ならなおのこと、恐ろしく感じるだろう。
「この露店市はこの国の第一王女が全ての人々が平等に物の売買を行えるようにと開いたものです。元々王都の店は貴族を相手にするばかりで、市民たちなんて初めから相手にしていなかった。だから、誰でも出店できて、買い物が出来るような場所が必要だと開いた場所です」
「だからなんだって言うんだ」
「ここでは、誰もが平等に客で店主です。貴族も平民も、男も女も……アカネースもレイノアールも、平等に」
「レイノアールも平等だと……?」
 今だ振り下ろされない男の拳。アカネースとレイノアールを等しいと口にしたアリアに向ける瞳は、先ほどレオナルドに向けられていたものよりも険しくつり上がっている。
 同じ国に住んでいるのだから、レイノアールに対する憎悪も同じだと思っていた。だからこそ、男はレオナルド以上に彼女の言葉が気に入らなかった。
「本気でそんなこと言っているのか! 本気でレイノアールの人間と俺たちが平等だと思っているのか!」
「そう思わなければ、私は貴方の前に立ったりはしない!」
 男の怒声に負けない彼女の気迫溢れる声に、辺りはしんと静まり返った。
 よく通る声に、大の男がたじろいだ。そこに躊躇いは微塵も感じられない。
「これからこの国は平和へと向かっていきます。そこにはアカネースもレイノアールもありません」
「そんな綺麗事を……! 大体、それが王女様の理念だとしても、王族なんて安全なお城に籠って、戦争の痛みなんか知らない場所で平和だなんだと口にするだけだろ!」
 男の言葉にアリアは息を呑み、唇を噛んだ。
 彼の言い分もまた間違いではなく、城にいて実際に戦場を目にしたことのない人間がなにを言っても所詮は綺麗事だ。
 しかし、世の中にはその綺麗事に希望を見る者もいるのだ。
「……お兄さん、その辺にしておきなよ」
 男に声を掛けたのは、隣で色鮮やかな花屋を開いていた中年の女性だった。
「あんたの言うことは正しいさ。あたしの旦那も戦場に行って、帰ってこなかった」
 女性は一瞬視線をレオナルドへと向け、再び男を見上げる。
「レイノアールの人間を憎む気持ちもある。だけど、さっき彼女も言っただろう? ここでは人々は平等だって。あたしらは、平民でもオズマン様のお店に負けずに商売ができる機会をくれた王女様に感謝しているし、共感もしている。だから、ここにいる誰もがあの子を見てもなにも言わなかったんだ」
 女性の言葉で、人々の視線がレオナルドに集まった。
 レイノアールの特徴である色素の薄い髪と瞳を持つ少年が、目立たなかったはずがない。それでも騒ぎにならなかったのは、隣にアカネースの娘がいたことも理由ではあるが、それ以上にこの露店市という場が他者を非難することを望まないからだった。
 自分に向けられる視線の中に、敵意の籠った視線が混ざっていることにレオナルドは気付く。しかし、それらの持ち主は胸の中の恨みを、表に出すことは決してなかった。
「昔っからこの国じゃ……特に大きな街じゃあオズマン様の店の力が強すぎて、まともに商売なんてできなかったんだ。その上、オズマン様の店はあたしらみたいな庶民が易々と買い物できるような店じゃない。もっとあたしらみたいな平民でも自由に商売が出来る場が欲しかったんだ。それを、あの姫様はやってくれたんだ。それをここにいるみんなが感謝しているんだよ」
「アンナさんの言う通りだ! 確かにレイノアールに恨みはあるが、これから和平が結ばれて、平和な暮らしが出来るならここで一人の子供を責めたとしても意味なんてない」
「それに、レイノアールに嫁ぐのはリーゼロッテ様だって話だ。あの人は俺たちみたいな平民のことも考えてくださる方なんだから、俺たちだってあの人のために少しでも歩み寄る気持ちを持ってやりたい」
 人々の言葉に、男は言葉を詰まらせた。
 自分と同じようにレイノアールの人間を憎む気持ちを持ちながらも、それを堪えて希望を胸に生きようとする人々が眩しく、同時に酷く妬ましかった。 男は憎しみに囚われ前も見えずに生きているというのに、ここの人間は希望を胸に抱き始めている。
 なぜ、同じ苦しみを胸に共感してくれる者がいないのだろうか。男の胸を占める孤独は、レイノアールへの憎しみに等しいまでに大きくなっていく。
「そんな……そんな綺麗事、聞きたくねぇんだよ!」
 男は、目の前に立つアリアへと頭上で固く握りしめていた拳を振り下ろした。
 一度掲げた拳だ。男も簡単に下げることなどできない。怒りは、言葉一つで消えたりはしない。
「危ない!」
「アリアさん!」
 彼女を心配する声が上がる中、男は強く唇を噛み締めた。
 掌に爪が食い込み、燃えるようにじんと痛んだ。自分を見上げる娘の瞳の中に映る自身の姿は、不安定な足場に立つ道化師のように滑稽で憐れな者に見える。
 男は、泣き出しそうな顔をしていた。
 拳を振り上げながらも、心の中では避けられることを強く望んでいた。一度振り上げた想いは、最早自力で殺すことなどできなくなっていた。
 しかし、アリアの足は動かない。地面に縫い付けられたかのように、両足が大地を踏みしめている。
 周囲からは恐怖に足がすくんでいるように見えただろう。
「くそっ……!」
 男の唇の端から、辛うじて声が漏れた。
 周りからはわからなくとも、目の前に立つ男には見える。
 自分を見上げる空色の瞳が、欠片も怯んでいないことを。怯えなどなく、男の拳を受ける覚悟でそこに踏み留まっていたことを。
 あろうことか、彼女は微笑みを浮かべていた。悲しげな微笑は、紛れもなく男へと捧げられたもの。
 退いてくれ。殴らせろ。男の心は悲鳴を上げた。自分自身でも何が望みかわからなくなっていた。
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