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1.望まれぬ婚姻
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レイノアールへの出立の日を明日に控えた朝、リーゼロッテはいつもと変わらぬ顔で着替えを済ませ朝食を取った。
彼女の結婚が決まった日から、マリンハルトはリーゼロッテの部屋付きから外された。仕事内容は基本的に変わっていなかったが、朝夕の世話はアリアの仕事に変わる。
「準備も一通り終わりましたし、今日はゆっくりと過ごせそうですね!」
窓を明け、眼前に広がる青空に目を細めながらアリアは明るく声を掛けた。いつも通りを自分に心掛けているせいで、普段よりもわざとらしく弾む声に気付いていない。
リーゼロッテは部屋に差し込む光とアリアの姿に微笑みを浮かべながら、ゆったりとした足取りで彼女の隣に並んだ。
眼下に広がる王都の街並みは、今日も変わらず活気に満ちている。
リーゼロッテの横顔からはその胸中は計り知れない。掛ける言葉を見つけられなかったアリアは、苦し紛れに市場を指差す。
「あ、今日も露店市は人で一杯ですね! 私もよく利用しているんですよ」
「そうですね。あそこは私の理想に近い場所になってくれてとても嬉しいです」
つい先日、リーゼロッテが開いた露店市にレイノアール王国の王子が現れた。
一人の店主が王子と問題を起こしそうになったが、寸前のところで大事にはならなかったと王城にも報告が入っている。
その後、レイノアール国側からも正式に問題はなかったと発表を受けたため、アカネース側としても当事者の男を特定し処罰する必要はなかった。
「それにしても、王子が普通に現れたのですから驚きますよね」
「あら、私だってたまには街に遊びに行きますよ?」
「リーゼロッテ様は一応お忍びってことになっているじゃないですか」
「向こうの王子もそうだったのではないですか?」
確かに、とアリアは頷き、視線を露店市に移した。
露店市だけではない。広場も、住宅街も、外れの農場も、遠くの森や泉も。
リーゼロッテには今日が見納めとなってしまう。
「折角ですから、今日はリーゼロッテ様ご自身の姿で街へ出ませんか?」
「え?」
「いつもお忍びで変装していますから、今日くらいはそのままのお姿で行ってみましょう?」
アリアの提案に、リーゼロッテは申し訳なさそうに目を伏せてしまう。時折窓の外に視線を向け、片手で口元を隠した。
行きたい気持ちはあるのだと判断したアリアは、今日だけはと強引にリーゼロッテの腕を引く。第一王女に対して不敬罪にあたる行為かもしれないが、構わずにリーゼロッテの瞳を覗き込んだ。
「護衛にマリンハルトさんも呼びましょう。今日、リーゼロッテ様が街に出たとしても責めていい人なんていません」
「ですが……」
「街の人たちもきっと、リーゼロッテ様にお会いしたいと思います。堂々と、貴方様のお名前を呼びたいと思っていますよ」
「アリア……」
リーゼロッテは目を閉じる。アリアに出来ることは、彼女の手にそっと自身の手を添えて答えを待つことだけであった。
「……いいえ、出来ません」
「リーゼロッテ様……」
「きっと、前日の今日が一番油断ならないはずです。私を貶めたい人間はたくさんいますから」
リーゼロッテは首を降ると、開け放たれたままの窓に背を向ける。
「アリア、マリンハルトを呼んでください。今から、出立に向けて用意してきた荷の最後の確認をします」
「は、はい」
「不備があるようなら今から対応しなければなりません。……その辺りはマリンハルトが心得ていますからあまり心配はしていませんが」
アリアはリーゼロッテへと一礼し、駆け足に王女の私室を後にした。
最後に一目住み慣れた街を目に焼き付ける。それすらも願えないリーゼロッテのために出来ることはないか。
考え事と人探しを両立させるのは中々に難しく、アリアは俯きがちに歩いていたせいで目の前に駆け出してきた人物に気付かずぶつかってしまった。
「きゃ!」
軽い衝撃ではあったものの、大きくふらついてしまうアリア。しかし、ぶつかってきた張本人はアリアの胸ほどの身長しかなかったため、派手な尻餅を付いて転んでしまった。
ぶつかってきたのは相手だが、転ばせてしまったのはアリアである。謝らねばと顔を上げた彼女は、尻餅を付く少女の顔を目にした途端にさっと顔を青くした。
「ハ、ハネット様!? 申し訳ございません! お怪我は……?」
そこにいたのは、リーゼロッテの腹違いの妹であり第四王女であるハネットだった。正妃エリザの影に隠れがちな二妃の娘で、以前リーゼロッテの婚姻を発表する際に堂々と欠席してみせたじゃじゃ馬姫である。
彼女は勝ち気な瞳を爛々と輝かせてアリアを睨み付けるが、何かに気付いた様子で目を丸くすると、差し出されたアリアの手を払いそのまま彼女を突き飛ばす。
「怪我などないわ! 私は貴方なんかと会ってもいないし、今日ここに来てもいない! いいわね!」
アリアを指差し、ハネットはそう言い切った。強い口調で言い切られてしまえば、アリアも事情を問うこともできずただ頷く。
自分を指す小さな指先に滲む赤い血も、詮索することはできなかった。
「私のこと、あの人に告げ口したらただじゃおかないから!」
鬼気迫るハネットの気迫に圧されて何度も頷くアリアへと不信感の募った視線を向け、ハネットは難しい表情のままアリアへと背を向けた。戸惑いと迷いと、僅かばかりの達成感を混ぜ合わせたような濁った瞳は、再度アリアをその目に写すことなく廊下の角を曲がっていった。
逃げるように去っていくハネットを追うことはしない。
代わりに、アリアはハネットが走ってきた方向へと足早には向かう。
嫌な予感がしていた。
「どうしてハネット様がリーゼロッテ様の居城区へ……」
普段からリーゼロッテの居城区へ出入りしているのはアリアやマリンハルトのようなリーゼロッテ専属の侍従のみとなっている。出入りが禁止されているわけではないのだが、正妃や他の姫から敬遠されるリーゼロッテに関わって彼女たちの目に付くのを恐れて侍従たちは近寄らない。
ごく稀にミレイニアが姿を現すことがあっても、他の妹たちが寄り付くことはほとんどない。
まずは悪意を疑え。それはマリンハルトから教えられた心構えであった。
早歩きは小走りになり、気が付けばアリアは足音が響くのも構わずに走り出していた。
向かうのは、リーゼロッテの嫁入り道具を保管している空き部屋だ。そこにはマリンハルトの指示の通りに鍵を掛けている。鍵はアリアが肌身離さず持っていた。
妙な細工をすることは出来ないはずだ。そう思うが、悪い方を想定して動けと言うマリンハルトの言葉が胸に残っている。
アリアは空き部屋の前に立つと、懐から取り出した鍵を鍵穴に差し込んだ。
「開いている……どうして……!」
嫌な予感がしたら、基本的に外れない。これもマリンハルトの言葉だった。
アリアは喉奥まで込み上がってきた悲鳴のような声を飲み込んで、力のままに扉を開けた。
「……ひどい……!」
部屋の中の光景を目にし、アリアは無意識のうちに呟いていた。握りしめた拳は怒りに震える。
荷物として纏められていた衣類は全て床に散らばり、雪国に嫁ぐリーゼロッテに必須となる防寒具に至っては、本来は透明感のある雪に近い灰色をしていたはずが無造作に染料をぶつけられたようで元の色がわからない程に様々な色が混ざりあってしまっている。
装飾品はあまり多くを持っていかないため量は少ないが、床に落ちた品々はどれも宝石部分に大小様々な傷が付けられ輝きを濁らせていた。
しかし、これらはまだ仕方がないと諦めることもできる。ここ数日で用意した品々はどれもリーゼロッテのために特注したものであるが、こうなってしまえば今から既製の品で対応することも不可能ではない。
何よりも問題なのは、婚姻の式でリーゼロッテが着ることとなっているドレスが切り刻まれてしまっていることであった。
鋏を使っているのではなく力任せに手で引きちぎったと思われるドレスの裾は胸の辺りまで大きく裂かれ、袖の部分は肩との縫い目がほどかれ首の皮一枚で繋がっているような状態だ。
彼女の結婚が決まった日から、マリンハルトはリーゼロッテの部屋付きから外された。仕事内容は基本的に変わっていなかったが、朝夕の世話はアリアの仕事に変わる。
「準備も一通り終わりましたし、今日はゆっくりと過ごせそうですね!」
窓を明け、眼前に広がる青空に目を細めながらアリアは明るく声を掛けた。いつも通りを自分に心掛けているせいで、普段よりもわざとらしく弾む声に気付いていない。
リーゼロッテは部屋に差し込む光とアリアの姿に微笑みを浮かべながら、ゆったりとした足取りで彼女の隣に並んだ。
眼下に広がる王都の街並みは、今日も変わらず活気に満ちている。
リーゼロッテの横顔からはその胸中は計り知れない。掛ける言葉を見つけられなかったアリアは、苦し紛れに市場を指差す。
「あ、今日も露店市は人で一杯ですね! 私もよく利用しているんですよ」
「そうですね。あそこは私の理想に近い場所になってくれてとても嬉しいです」
つい先日、リーゼロッテが開いた露店市にレイノアール王国の王子が現れた。
一人の店主が王子と問題を起こしそうになったが、寸前のところで大事にはならなかったと王城にも報告が入っている。
その後、レイノアール国側からも正式に問題はなかったと発表を受けたため、アカネース側としても当事者の男を特定し処罰する必要はなかった。
「それにしても、王子が普通に現れたのですから驚きますよね」
「あら、私だってたまには街に遊びに行きますよ?」
「リーゼロッテ様は一応お忍びってことになっているじゃないですか」
「向こうの王子もそうだったのではないですか?」
確かに、とアリアは頷き、視線を露店市に移した。
露店市だけではない。広場も、住宅街も、外れの農場も、遠くの森や泉も。
リーゼロッテには今日が見納めとなってしまう。
「折角ですから、今日はリーゼロッテ様ご自身の姿で街へ出ませんか?」
「え?」
「いつもお忍びで変装していますから、今日くらいはそのままのお姿で行ってみましょう?」
アリアの提案に、リーゼロッテは申し訳なさそうに目を伏せてしまう。時折窓の外に視線を向け、片手で口元を隠した。
行きたい気持ちはあるのだと判断したアリアは、今日だけはと強引にリーゼロッテの腕を引く。第一王女に対して不敬罪にあたる行為かもしれないが、構わずにリーゼロッテの瞳を覗き込んだ。
「護衛にマリンハルトさんも呼びましょう。今日、リーゼロッテ様が街に出たとしても責めていい人なんていません」
「ですが……」
「街の人たちもきっと、リーゼロッテ様にお会いしたいと思います。堂々と、貴方様のお名前を呼びたいと思っていますよ」
「アリア……」
リーゼロッテは目を閉じる。アリアに出来ることは、彼女の手にそっと自身の手を添えて答えを待つことだけであった。
「……いいえ、出来ません」
「リーゼロッテ様……」
「きっと、前日の今日が一番油断ならないはずです。私を貶めたい人間はたくさんいますから」
リーゼロッテは首を降ると、開け放たれたままの窓に背を向ける。
「アリア、マリンハルトを呼んでください。今から、出立に向けて用意してきた荷の最後の確認をします」
「は、はい」
「不備があるようなら今から対応しなければなりません。……その辺りはマリンハルトが心得ていますからあまり心配はしていませんが」
アリアはリーゼロッテへと一礼し、駆け足に王女の私室を後にした。
最後に一目住み慣れた街を目に焼き付ける。それすらも願えないリーゼロッテのために出来ることはないか。
考え事と人探しを両立させるのは中々に難しく、アリアは俯きがちに歩いていたせいで目の前に駆け出してきた人物に気付かずぶつかってしまった。
「きゃ!」
軽い衝撃ではあったものの、大きくふらついてしまうアリア。しかし、ぶつかってきた張本人はアリアの胸ほどの身長しかなかったため、派手な尻餅を付いて転んでしまった。
ぶつかってきたのは相手だが、転ばせてしまったのはアリアである。謝らねばと顔を上げた彼女は、尻餅を付く少女の顔を目にした途端にさっと顔を青くした。
「ハ、ハネット様!? 申し訳ございません! お怪我は……?」
そこにいたのは、リーゼロッテの腹違いの妹であり第四王女であるハネットだった。正妃エリザの影に隠れがちな二妃の娘で、以前リーゼロッテの婚姻を発表する際に堂々と欠席してみせたじゃじゃ馬姫である。
彼女は勝ち気な瞳を爛々と輝かせてアリアを睨み付けるが、何かに気付いた様子で目を丸くすると、差し出されたアリアの手を払いそのまま彼女を突き飛ばす。
「怪我などないわ! 私は貴方なんかと会ってもいないし、今日ここに来てもいない! いいわね!」
アリアを指差し、ハネットはそう言い切った。強い口調で言い切られてしまえば、アリアも事情を問うこともできずただ頷く。
自分を指す小さな指先に滲む赤い血も、詮索することはできなかった。
「私のこと、あの人に告げ口したらただじゃおかないから!」
鬼気迫るハネットの気迫に圧されて何度も頷くアリアへと不信感の募った視線を向け、ハネットは難しい表情のままアリアへと背を向けた。戸惑いと迷いと、僅かばかりの達成感を混ぜ合わせたような濁った瞳は、再度アリアをその目に写すことなく廊下の角を曲がっていった。
逃げるように去っていくハネットを追うことはしない。
代わりに、アリアはハネットが走ってきた方向へと足早には向かう。
嫌な予感がしていた。
「どうしてハネット様がリーゼロッテ様の居城区へ……」
普段からリーゼロッテの居城区へ出入りしているのはアリアやマリンハルトのようなリーゼロッテ専属の侍従のみとなっている。出入りが禁止されているわけではないのだが、正妃や他の姫から敬遠されるリーゼロッテに関わって彼女たちの目に付くのを恐れて侍従たちは近寄らない。
ごく稀にミレイニアが姿を現すことがあっても、他の妹たちが寄り付くことはほとんどない。
まずは悪意を疑え。それはマリンハルトから教えられた心構えであった。
早歩きは小走りになり、気が付けばアリアは足音が響くのも構わずに走り出していた。
向かうのは、リーゼロッテの嫁入り道具を保管している空き部屋だ。そこにはマリンハルトの指示の通りに鍵を掛けている。鍵はアリアが肌身離さず持っていた。
妙な細工をすることは出来ないはずだ。そう思うが、悪い方を想定して動けと言うマリンハルトの言葉が胸に残っている。
アリアは空き部屋の前に立つと、懐から取り出した鍵を鍵穴に差し込んだ。
「開いている……どうして……!」
嫌な予感がしたら、基本的に外れない。これもマリンハルトの言葉だった。
アリアは喉奥まで込み上がってきた悲鳴のような声を飲み込んで、力のままに扉を開けた。
「……ひどい……!」
部屋の中の光景を目にし、アリアは無意識のうちに呟いていた。握りしめた拳は怒りに震える。
荷物として纏められていた衣類は全て床に散らばり、雪国に嫁ぐリーゼロッテに必須となる防寒具に至っては、本来は透明感のある雪に近い灰色をしていたはずが無造作に染料をぶつけられたようで元の色がわからない程に様々な色が混ざりあってしまっている。
装飾品はあまり多くを持っていかないため量は少ないが、床に落ちた品々はどれも宝石部分に大小様々な傷が付けられ輝きを濁らせていた。
しかし、これらはまだ仕方がないと諦めることもできる。ここ数日で用意した品々はどれもリーゼロッテのために特注したものであるが、こうなってしまえば今から既製の品で対応することも不可能ではない。
何よりも問題なのは、婚姻の式でリーゼロッテが着ることとなっているドレスが切り刻まれてしまっていることであった。
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