爪弾き者の第一王女は敵国の年下王子の妻となる

河合青

文字の大きさ
19 / 56
1.望まれぬ婚姻

19

 アリアは床に散らばるドレスの残骸を手に取り、拾い集める。手の中に押し込む布の切れ端に重さなどないはずなのに、アリアの胸は重く苦しさを増していく。
 少しはリーゼロッテの受けてきた仕打ちを知っているつもりでいたアリアでも、こうして目の当たりにすると胸が痛む。この一週間が何事もなく過ぎたのは、こうして出発前に事を起こした方がリーゼロッテを困らせるとわかっていたからだろう。
 防寒具は既製のものでも構わない。しかし、両家が揃い国を挙げての祝いの式となる婚姻の式典で、みすぼらしいドレスを披露するわけにはいかない。
 一生に一度の機会なのだ。世界にひとつだけの、リーゼロッテのためだけの一着を用意しなければならない。それができなければ、リーゼロッテに待っているのはレイノアールでも今と変わらない爪弾き者としての未来なのだ。
「やはりやられましたね」
 背後から声が掛かり、アリアは大きく肩を震わせて振り返った。
 そこにいたのは腕を組み深い溜め息を吐くマリンハルトと、困った様子で眉尻を下げるリーゼロッテの姿があった。
「マリンハルトさん! リーゼロッテ様も……。その、申し訳ありません!」
 立ち上がり頭を下げるアリアの肩に手を置くと、リーゼロッテは足元にしゃがみ散らばるドレスの生地を指先でつまみ上げた。
「すみません、リーゼロッテ様……。私が鍵を掛け忘れてしまったのかもしれません……」
「いや、アリアに非はない」
「え?」
 再び謝罪の言葉を口にするアリアの肩を、今度はマリンハルトが叩いた。彼の言葉の意図が掴めず、アリアはしゃがみこむリーゼロッテの背中に視線を向ける。
 リーゼロッテは真っ直ぐに延びた背筋のまま、刻まれたドレスを見上げている。その胸中は計り知れない。
「ここの鍵はちゃんと掛かっていたさ。ただ、悪意を持つ奴を誘き寄せたくて俺が鍵を落としておいた」
「え? それでは……」
「……全くの無害ではないが、ここにある物は最低限やられても平気なものばかりだ」
「ドレスもですか?」
 アリアの問いに答えるのは、マリンハルトではなくリーゼロッテであった。
 彼女は拾い上げた残骸を床に放ると、すっきりとした表情でアリアを振り返る。
「そうです。このドレスになにか仕掛ければ満足するでしょうから、これ以上荷物に手出しはしないでしょう?」
「ええと……いまだに状況がよく掴めていないのですが……」
「ここにある物は囮ってことだ。隙を見せておくことで悪意の矛先を誘導すれば、対応もしやすいだろう?」
 当たり前のような顔のマリンハルトに、アリアは言葉を失った。そして、当然と思っているのはリーゼロッテも同様らしく、彼女もまた動じることなく頷いている。
「ごめんなさい、アリア。貴方にはここを守ってもらっていましたが、結果としては騙しているような形となってしまって……」
「い、いえ、それは別に良いのです……。ただ……」
 アリアはちらりとマリンハルトに視線を向け、荒らされた室内をぐるりと見渡す。悲惨とも呼べるこの光景は、二人にとっては当たり前なのだ。その現実に再びアリアの胸は締め付けられる。
 宝石箱を引っくり返され、用意した衣類は汚され裂かれる。わざわざ出発の前日を選び行われる嫌がらせは、リーゼロッテが苦しみ恥をかくことを望んで行われている。
 それを、当然だと思っている二人は異常だ。異常だと思うが、アリアはそれを指摘することはできなかった。
 例え異常な感覚であっても、それをしなければ身を守ることはできない。
「そうだ、アリア。はやく拾った布切れは手放した方がいいですよ」
「え?」
「切り刻んだ人とは別に、針を仕込んだ人もいるようですから」
 困ったような顔で頬を緩め、リーゼロッテは取れ掛かっている袖を片手で持ち上げてみせた。窓の隙間から入り込む光で反射した細く尖った数本の針を
目にし、アリアの顔からは血の気が引いた。
 目を凝らさねば見えない針が、一本ではない。袖を通した手首を傷つけるように上向きに、深く刺さっていた。
「……これは」
 言葉を発しようにも、そのおぞましい光景に掛けられる言葉などアリアにはなかった。だが、それ以上に彼女が恐怖を感じるのは、顔色一つ変えずにドレスを見つめるリーゼロッテの横顔であった。
「リーゼロッテ様、ドレスの準備の方は問題ありません。ただ、流石に衣服は買い直しが必要になりますね」
「わかりました。道中でオズマン商会を訪問する予定となっていますから、必要なものを一通り調達してもらいましょう」
 マリンハルトは散乱する衣服を拾い集め、大きく肩を落とした。大きく型崩れをしてしまった物などは流石にもう使うことができない。
 彼の言葉に頷くと、リーゼロッテはマリンハルトが抱える衣服の中から、特に必要性の高い物を手に取った。防寒用の上着に、普段着として使うための簡素な衣類、そして公式の場に相応しいドレスなど最低限の個数を数える。
「ゴーゼル様を信用しても大丈夫なのですか?」
 不信感を露わに眉を潜めたマリンハルトへと、リーゼロッテは朗らかに笑みを浮かべて頷いた。
「あの方は爵位を持ってはいますが、商家の長ですからね。お金さえ積むことが出来れば誰でも平等ですよ」
 リーゼロッテは腕に抱えた衣服をマリンハルトに返すと、今度は引っくり返された宝石箱から巻き散らかされた装飾品たちを拾い上げた。彼女は着飾ることにあまり興味を示さないが、美しく磨きあげられた宝石たちに傷が付いている様には心を痛めるらしく微かに眉尻を下げている。
「しかし、ハネットもやることが大分雑ですね……」
 リーゼロッテの呟きは小さく、アリアもぼうっとしていたら聞き逃すところであった。
「え? リーゼロッテ様、知っていたのですか?」
 先程のハネットの後ろ姿を思いだし、アリアは目を丸くした。
 しかし、驚いた様子なのはリーゼロッテも同じことで、不思議そうに首を傾げる。
「知っていた……ということは、アリアもわかっていたということですか?」
「私はその……」
 去り際のハネットの刺々しい声を思いだし、アリアは言いにくそうに唇を噛み締める。今さらそんなことをしても無意味であることはわかっていたが、王女であるハネットの言葉を簡単に無視してリーゼロッテに彼女の存在を告げることがアリアにはできなかった。
 一瞬の逡巡さえあれば、リーゼロッテにとってアリアの心のうちを察することなど容易いのだろう。
 リーゼロッテはたおやかな微笑みを浮かべて、責めることなくアリアの名を呼ぶ。耳の奥に響くリーゼロッテの言葉は静かで欠片の揺らぎもなく、その心地よさは揺りかごで聞いた母親の子守唄にもよく似ていた。
 よく見れば、リーゼロッテが浮かべる微笑も慈愛に満ちた母性を内包している。アリアがそう思いたいだけなのかもしれないが、しかし確かにリーゼロッテはアリアの精神的な裏切りを責める様子を見せない。
 ハネットに会ったのでしょう?
 口止めをされたのでしょう? 
 でも、仕方がないことです。ハネットの名を出せないアリアの気持ちはわかります。アリア、貴方は悪くない。
 言葉にはしないが、アリアの前で微笑むリーゼロッテの瞳はそう語っていた。 
感想 0

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
 第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。  言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。  喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。    12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。 ==== ●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。  前作では、二人との出会い~同居を描いています。  順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。  ※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。

「お前を愛する事はない」を信じたので

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」 お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。

白い結婚のまま、旦那様は薔薇のような美人に夢中になりました

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢リディアは、美貌で有名な侯爵レオンハルトに嫁いだ。 けれど結婚して二年、夫婦は一度も結ばれないまま――白い結婚だった。 それでも旦那様は優しかった。 冷たいわけではない。気づかいの言葉も、穏やかな笑顔もくれる。 だからリディアは、愛されてはいなくても、いつか少しは夫婦になれるのではないかと信じていた。 そんなある日、彼女は知ってしまう。 旦那様が薔薇の君と呼ばれる絶世の美女に心を奪われていることを。 彼が触れなかったのは私にだけだったのだと。 都合のいい奥方として、役に立っていたと悟る 静かに離縁を決意したリディアは、実家へ戻ったあと、女子学院で働き始める。 すると侯爵夫人時代には当たり前だった実務のすべてが、外では驚くほど必要とされていた。 感謝され、認められ、自分の足で立ち始めた彼女は、少しずつ見違えるほど美しくなっていく