爪弾き者の第一王女は敵国の年下王子の妻となる

河合青

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1.望まれぬ婚姻

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「……ハネットは色々と大雑把というか、適当というか……こういう見るからな嫌がらせは大体あの子なんですよ。だから針は別人か、別人の入れ知恵でしょうね」
 沈黙することもまたアリアを責めることと同義となる。そう考えたのか、リーゼロッテは苦笑を浮かべて口を開いた。
 妹の名を呼ぶリーゼロッテの瞳は優しく、ぶつけられた悪意に対する嫌悪感を微塵も感じさせない。
 なぜ、笑っていられるのかと問うことはアリアには出来ない。自分も所詮は、ハネットの名を伏せてしまうしか出来ない人間なのだから。
「ハネット様の母君は二妃だ。だから正妃に頭が上がらず、ご機嫌取りに勤しまなければ自分自身の立場が危うい」
 アリアの心中を察したように、マリンハルトの唇が淡々と言葉を紡ぐ。腕を組み部屋中を睨み付ける瞳には怒りが燃え上がっていたが、表に出すことは決して無く声はどこまでも広がる草原のように静かに澄み渡る。
「正妃の機嫌を取るために、二妃が娘たちを唆してリーゼロッテ様に危害を加えることは珍しくはないんだ。ハネット様はまだ幼いし、根が悪人というわけでもないからこういう明らかに嫌がらせだとわかるやり方しかできない。……わかっているから、少し憐れにも思えてくるんだ」
 マリンハルトの瞳に宿る怒りは、ハネットではなくハネットにこの行為を強いた大人たちに向けられているのだろうとアリアは気付いた。リーゼロッテが腹を立てる様子を見せないのも、同じ理由だろう。
「マリンハルト、私が着く前にゴーゼル様の元へ向かい駄目になってしまった物の調達をお願いできますか?」
「承知いたしました。すぐに支度を済ませて出発いたします」
「ゴーゼル様にお会いしたら、この間ご依頼した件についても伺っておいてくださいね」
 ヴィオレッタを経由して依頼した鉱石購入の話を思いだし、マリンハルトは露骨に眉をしかめてみせた。話のわからぬアリアは小首を傾げて二人の様子を横目で探る。
「リーゼロッテ様、おそらくヴィオレッタ様はゴーゼル様にお話を通してはいないでしょう」
 そのようなことはマリンハルトが言葉にしなくとも、わかっているはずだ。ハネットの事情をわかった上で恨みの念を抱かないような人間が、まさかヴォオレッタを頭から信用しているとは考えられない。
 リーゼロッテは「えぇ」と短く頷いて、誰に向けるでもなく堪えきれない笑みをうっかり溢したように笑う。
「わかっています。だからこそ、聞いておいてください。『ゴーゼル様、ヴィオレッタ様にご依頼しております件の進捗はいかがでしょうか?』と」
 年頃の娘が浮かべるのに相応しい愛らしさと艶っぽさが程よく混ざった微笑みだというのに、マリンハルトは自分の背筋が凍りつくのを感じていた。
 今更リーゼロッテのことで知らないことはないマリンハルトであっても、彼女もまた王族という特殊な環境で育ってきた人間であることは忘れがちになる。
 淑やかな振る舞い。毒気のない微笑み。悪意を受け止める懐の深さ。
 それらは全て、悪意に晒され続けた人生の中で培ったものである。
 彼女は、悪意によって育てられた白い薔薇。
「ゴーゼル様を責める必要はありませんよ。マリンハルトはただ一言尋ねてくれればいいのです。それで全ては伝わるでしょう」
「……はい。他に何か私に出来ることはございますか?」
「そうですね……」
 美しく整えられたリーゼロッテの指先が、思案の形を取って自身の頬に触れる。
 考えるまでもなく答えは決まっているのだろう。ほんの少しの間を置いて、リーゼロッテの唇が緩く弧を描いた。
「私の我儘の答えを、決めておいてくださいね」
 抗うことのできない微笑みの前で、マリンハルトはゆっくりと頷いた。彼の中でも、自分の行く末のイメージは固まっている。それをリーゼロッテに伝えるつもりは毛頭ないのだが。
 言葉はなくとも決意は伝わっているのだろう。リーゼロッテはそれ以上は何も言わず、マリンハルトの肩を軽くと軽やかな足取りで部屋を出ていった。
 部屋にはマリンハルトとアリアが残される。アリアには今掛けるべき言葉が見つけられず、マリンハルトの横顔に視線を送っては逸らすことを繰り返していた。
 視線に気付いたマリンハルトがアリアへと顔を向ける。そして、盛大な溜め息を吐くと 今だ手にしたままのドレスの切れ端をアリアの手のひらから奪って適当に放り捨てた。
 重さのないはずの布切れが、甲高い音を立てて床にぶつかった。耳障りに響くその金属音が、リーゼロッテへの悪意の証明。
「はやく捨てろと言われていただろう」
「あ、ごめんなさい……」
「俺に謝ることじゃないさ」
 突き放すような物言いになってしまったことに気付き、マリンハルトは気まずそうに頭を掻いた。唇を噛んで俯くアリアは、足元に散らばる針の沈められた布を睨み付けている。
「私……やっぱりリーゼロッテ様の気持ちがわかりません。こんなことをされて、どうして平気でいられるんですか……」
「……俺だって実際のところはほとんどわからない」
「え?」
「リーゼロッテ様が何をしたがっているのかはわかる。ああやって平気な顔をしなければ身を守れないということも知っている。だが……どうして何一つ傷つかずに、変わらずにいられるのかはわからない」
 マリンハルトは首を振る。彼の短い赤毛が微かに揺れた。
 視界を遮ることのないマリンハルトの赤毛では、その目に浮かぶ後悔と憤りは隠しきれなかった。
 マリンハルトが浮かべる色は、本来ならばリーゼロッテの瞳を彩る感情だったはずだ。しかし彼女の感情が表に出ることはない。
 長年仕えてきたマリンハルトですらリーゼロッテの本心に触れることが出来たのは幼少の頃のみで、リーゼロッテの母が亡くなってからは全く彼女の心が掴めなくなってしまった。
「……余計なことを話してしまったな。アリア、部屋の掃除を頼む。困り果てて絶望しきった顔でゴミを捨てていれば、この犯人達は満足するだろうからそれを忘れずにな」
「はい……」
「後始末が終わったらリーゼロッテ様と共に準備をしておいた馬車の様子も確認しておいてくれ。こっちもなにかしらされているとは思うが、リーゼロッテ様がご対応されるだろう」
 小さく頷いたアリアの頭に、大きな手がそっと触れる。リーゼロッテに向けられた悪意で、アリアまで胸を痛める必要はない。マリンハルトの掌から伝わる優しさに、アリアは唇を噛んで俯いた。
「……苦労掛けるな。もう少しだけでいい、リーゼロッテ様の味方でいてくれ」
 視線だけを上げて見上げたマリンハルトの表情は、愛しい人に向けるような慈愛と敬愛に満ち溢れていた。
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