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1.望まれぬ婚姻
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普段は茶会のためにティーカップや菓子の並ぶことが常であるテーブルの上に、簡素なチェス盤が用意された。ミレイニアの私物らしく、長い間使われていなかったのか僅かな埃が盤上に積もっている。
互いに向かい合うように座っている二人の視線は、既に盤上の駒へと向けられていた。
「まさか、お受けになるだなんて……」
「聞けば、リーゼロッテ様は今まで一度もミレイニア様に勝たれたことはないというではありませんか」
控えめに、だがはっきりと耳に届く娘たちの声。
リーゼロッテの側に控えるアリアには、その声の出所を探ることも出来ず、祈るように胸の前で両手の指を絡めた。
「お姉様が勝利なされば、あの馬車はお譲り致します。……引き分けの場合もそれで良いでしょう。私が勝ったら、別のものを探してください」
「引き分けでも勝利をお譲りになるだなんて、お優しいですわ……」
「本当ですこと。ミレイニア様は見目麗しいだけではなく、お心まで美しい方ですもの」
周囲からは、ミレイニアに心酔しきった娘たちのうっとりとした囁きが漏れ溢れる。ミレイニアはその全てに微笑みを返すと、真っ直ぐにリーゼロッテへと向き直った。
緊張の糸で吊るされたかのように真っ直ぐに背筋を伸ばし、リーゼロッテは視線だけを盤上に落としている。
その瞳に映る真剣さを、ミレイニアは何十年ぶりに目にしただろうか。
昔はよく、リーゼロッテとチェスで遊んでいた。
ミレイニアがまだ幼く、リーゼロッテが血の繋がらない姉であり、リーゼロッテの母親が元は侍女であったことの意味など理解出来ていなかった頃の話だ。
母親であるエリザがリーゼロッテをよく思っていないことは、ミレイニアも薄々勘付いてはいた。しかし、それは母個人の問題であり、ミレイニアには関係のないことだと純粋に信じていたのだ。
『どうして、お姉様は私たちと同じところに住めないの? ハネットやミリーナも私とお母様は違うけれど、お部屋は近いわ。毎日見つからないように遊びに来るには、お姉様のお部屋は遠すぎるの』
そんなことを聞いた覚えがある。その時にリーゼロッテがどう答えたかは覚えていないが、ひどく理不尽な気持ちでリーゼロッテの部屋を出たことは覚えている。
今思い返せば、リーゼロッテはその時すでに自分自身の立ち位置の危うさに気付いていたのだろう。
そして、ミレイニアの食事に毒が盛られる事件が起きた。
あの日、口の中に広がる攻撃的なまでの苦さにマナーも忘れて吐き出してしまった。自分の背中を擦るエリザの手の冷たさを、今でも覚えている。普段であればフォークの先が皿にぶつかる僅かな音に鋭い視線を向けるエリザが、食事を吐き出したミレイニアを叱責すること無く心配したことでミレイニアに一つの疑念を抱かせた。
エリザは自分の皿に毒が盛られていることを知っていたのではないか、と。ミレイニアの毒殺未遂は、リーゼロッテやその従者の仕業ではなく、彼女たちを陥れるための策略だったのではないか、と。
しかし、真実を知る術はミレイニアにはなかった。その日から、リーゼロッテはミレイニアを遠ざけるようになった。エリザの周囲には、護衛と称して騎士が付き従うようになっていた。
ミレイニアはただ一言、リーゼロッテの口から真実を聞きたかっただけなのだ。細やかな願いは叶えられること無く何年もの時が過ぎ、不条理さにくすぶっていた胸の痛みは、いつしか歪み形を変えてしまっていた。
「……始めましょうか」
「ええ」
頷き、リーゼロッテは自身のクイーンとミレイニアのクイーンを手に取った。
「まぁ、リーゼロッテ様はトスのルールも曖昧なのかしら」
誰かが笑う。波紋のように広がる薄笑いの中、ミレイニアだけはクイーンの消えた盤から目が離せなかった。
リーゼロッテも無意識のうちにポーンではなくクイーンを掴んでいたのだろう。周囲の笑い声で気付いた様子で、リーゼロッテは手のひらのクイーンを見つめて目を丸くしていた。
先攻後攻を決めるには、片方がそれぞれの手に白黒のポーンを手に隠し、もう一人に選ばせる。それをミレイニアに教えてくれたのはリーゼロッテであった。
『お姉様も私もポーンではなくてクイーンよ』
そんな子供じみたミレイニアの戯れ言にも、リーゼロッテは嫌な顔一つせず笑みを浮かべた。
『ミレイニアの言う通りですね。では、二人でチェスをするときにはクイーンでトスをしましょう』
ぼんやりとしたままのリーゼロッテを見つめ、ミレイニアはテーブルの下で拳を握り締めた。昔の思い出を胸に秘めていたのは自分だけではない。ならば、この言葉も忘れてはいないだろう。
「……私たちは、キングではなくてクイーンでしょう? クイーンの取り合いにしてはいかがかしら?」
「まあ、面白いですわ! さすがミレイニア様!」
周囲の娘たちの形だけでしかない世辞など、ミレイニアの耳には届かない。
幼い頃の口調を真似て、悪戯な笑みをリーゼロッテへと向ける。ミレイニアの意図は伝わった様子で、リーゼロッテは一瞬視線を上向きにさ迷わせると、クイーンを握り締めた右手で口元に浮かぶ笑みを隠した。
「……駒の動きはそのままでですか? それは面白そうですね。やりましょう、ミレイニア」
昔と一字一句変わらぬ言葉を返し、リーゼロッテは苦笑を溢した。その微笑みは、妹の我が儘を呆れながらも叶えたいと思う姉の、長い間浮かべられることのなかった優しい笑顔であった。
チェスの展開は序盤から常にリーゼロッテの劣勢で、チェスを得意としていない取り巻きの娘たちもミレイニアがリーゼロッテの駒を取るたびに嬉々として歓声を上げていた。愚かとも言えるほどの果敢さで攻め込んだリーゼロッテの駒たちは見事に返り討ちに合い、数を減らしていった。
ミレイニアもまた、確かな手応えを感じている。
しかし、油断は出来なかった。ミレイニア毒殺未遂の一件が起きるまで、ミレイニアは一度たりともリーゼロッテに勝てたことはなかったのだ。
それから、ミレイニアは一度もリーゼロッテに負けることはなかった。何で勝負をしようと、リーゼロッテは人前でミレイニアの手から勝利を奪うことはなくなってしまった。
リーゼロッテの盤上ですでにビショップとナイトは退場しており、ルークが一体。今回は駒でしかないキングは健在であるが、ポーンはすでに二体しかいない。
ミレイニアの手元にはビショップ、ルーク、ナイトがそれぞれ一体ずつ戦場に残っている。キングはすでに取られていたが、取りに来たナイトはクイーンが取り返している。全体的に、ミレイニアから見て左手の駒は大きく動いていない。密集して女王を守っていた。
それに反して、リーゼロッテの駒は散り散りになり辛うじてミレイニアの駒の届かない場所にクイーンが陣取っていた。
互いのポーンはお互いに向き合っており、これ以上は動くことが出来ない。
次はリーゼロッテの一手だ。そろそろ、戦いも後半に差し掛かっている。なにかを仕掛けるにはいいタイミングだ。
「……ミレイニア、私は昔教えましたよね。クイーンがキングの代わりになったのなら、下手に守りを固めると機動力を殺すことになりますよ、と」
周囲には聞こえない程の小さな声でそう言って、リーゼロッテはミレイニアを見つめると唇にゆっくりと弧を描いた。
嫌な予感を覚えたときには、もう遅かった。ミレイニアが咄嗟に盤面へ目を向けるのと、リーゼロッテが掴んだルークが動き出す。
「チェック」
クイーンの前方を塞ぐルークの一手。クイーンで奪うことも、ナイトを間に挟むことも出来る。回避することは容易い、そうミレイニアは思っていた。
幸い、何手か前にリーゼロッテはクイーンをミレイニアのポーンに並ぶ位置にまで移動させている。敵陣まで乗り込んだ王女ならば、刈ることも容易いだろう。
しかし、ミレイニアの後ろで覗いていた娘の一人がはっと息を呑む。
「あ……」
遅れて、ミレイニアもその一手の意味に気付いた。
ミレイニアのクイーンはポーンとルークに囲まれ、斜めと左への移動は不可能となっている。移動が可能な右側のニマスを塞ぐのは、リーゼロッテのクイーンだ。
ミレイニアのクイーンの前方はルークに塞がれており、それを取ろうとすれば隣に控えるキングが待っている。ミレイニアのナイトをクイーンとリーゼロッテのルークの間に挟むことは可能だが、斜め前にはポーンがある。ナイトが取られてしまえばクイーンは動くことが出来なくなり、その他の駒がどのように動こうと数手以内にリーゼロッテのチェックメイトが掛かることは確実であった。
顔を上げ、最早勝ちのなくなった盤上からリーゼロッテへと視線を移す。
小首を傾げ、リーゼロッテは微笑んだ。この後をどうするかを問い掛ける笑顔は意地悪で、昔はよく意地になって歯向かったものだった。
今のミレイニアならば、追い詰められる前に自分の敗北に気付くことが出来る。悪足掻きをするよりも、潔く敗けを認める方が綺麗な去り際といえるだろう。
幸い、今ならばまだミレイニアの状況が八方塞がりであることに気付いている者は少ない。傷の浅いうちに退くべきだ。
頭ではそうわかっていたはずなのに、ミレイニアの手は盤上のナイトに伸びていた。
「まだよ、お姉様」
幼い日に置き去りにしていた姉の微笑みの前では、ミレイニアの時間もまたあの日に戻る。
「……仕方ない子ですね」
溜め息を吐いているのに緩く弧を描くリーゼロッテの口元には、隠しきれない嬉しさが滲み出ていた。
互いに向かい合うように座っている二人の視線は、既に盤上の駒へと向けられていた。
「まさか、お受けになるだなんて……」
「聞けば、リーゼロッテ様は今まで一度もミレイニア様に勝たれたことはないというではありませんか」
控えめに、だがはっきりと耳に届く娘たちの声。
リーゼロッテの側に控えるアリアには、その声の出所を探ることも出来ず、祈るように胸の前で両手の指を絡めた。
「お姉様が勝利なされば、あの馬車はお譲り致します。……引き分けの場合もそれで良いでしょう。私が勝ったら、別のものを探してください」
「引き分けでも勝利をお譲りになるだなんて、お優しいですわ……」
「本当ですこと。ミレイニア様は見目麗しいだけではなく、お心まで美しい方ですもの」
周囲からは、ミレイニアに心酔しきった娘たちのうっとりとした囁きが漏れ溢れる。ミレイニアはその全てに微笑みを返すと、真っ直ぐにリーゼロッテへと向き直った。
緊張の糸で吊るされたかのように真っ直ぐに背筋を伸ばし、リーゼロッテは視線だけを盤上に落としている。
その瞳に映る真剣さを、ミレイニアは何十年ぶりに目にしただろうか。
昔はよく、リーゼロッテとチェスで遊んでいた。
ミレイニアがまだ幼く、リーゼロッテが血の繋がらない姉であり、リーゼロッテの母親が元は侍女であったことの意味など理解出来ていなかった頃の話だ。
母親であるエリザがリーゼロッテをよく思っていないことは、ミレイニアも薄々勘付いてはいた。しかし、それは母個人の問題であり、ミレイニアには関係のないことだと純粋に信じていたのだ。
『どうして、お姉様は私たちと同じところに住めないの? ハネットやミリーナも私とお母様は違うけれど、お部屋は近いわ。毎日見つからないように遊びに来るには、お姉様のお部屋は遠すぎるの』
そんなことを聞いた覚えがある。その時にリーゼロッテがどう答えたかは覚えていないが、ひどく理不尽な気持ちでリーゼロッテの部屋を出たことは覚えている。
今思い返せば、リーゼロッテはその時すでに自分自身の立ち位置の危うさに気付いていたのだろう。
そして、ミレイニアの食事に毒が盛られる事件が起きた。
あの日、口の中に広がる攻撃的なまでの苦さにマナーも忘れて吐き出してしまった。自分の背中を擦るエリザの手の冷たさを、今でも覚えている。普段であればフォークの先が皿にぶつかる僅かな音に鋭い視線を向けるエリザが、食事を吐き出したミレイニアを叱責すること無く心配したことでミレイニアに一つの疑念を抱かせた。
エリザは自分の皿に毒が盛られていることを知っていたのではないか、と。ミレイニアの毒殺未遂は、リーゼロッテやその従者の仕業ではなく、彼女たちを陥れるための策略だったのではないか、と。
しかし、真実を知る術はミレイニアにはなかった。その日から、リーゼロッテはミレイニアを遠ざけるようになった。エリザの周囲には、護衛と称して騎士が付き従うようになっていた。
ミレイニアはただ一言、リーゼロッテの口から真実を聞きたかっただけなのだ。細やかな願いは叶えられること無く何年もの時が過ぎ、不条理さにくすぶっていた胸の痛みは、いつしか歪み形を変えてしまっていた。
「……始めましょうか」
「ええ」
頷き、リーゼロッテは自身のクイーンとミレイニアのクイーンを手に取った。
「まぁ、リーゼロッテ様はトスのルールも曖昧なのかしら」
誰かが笑う。波紋のように広がる薄笑いの中、ミレイニアだけはクイーンの消えた盤から目が離せなかった。
リーゼロッテも無意識のうちにポーンではなくクイーンを掴んでいたのだろう。周囲の笑い声で気付いた様子で、リーゼロッテは手のひらのクイーンを見つめて目を丸くしていた。
先攻後攻を決めるには、片方がそれぞれの手に白黒のポーンを手に隠し、もう一人に選ばせる。それをミレイニアに教えてくれたのはリーゼロッテであった。
『お姉様も私もポーンではなくてクイーンよ』
そんな子供じみたミレイニアの戯れ言にも、リーゼロッテは嫌な顔一つせず笑みを浮かべた。
『ミレイニアの言う通りですね。では、二人でチェスをするときにはクイーンでトスをしましょう』
ぼんやりとしたままのリーゼロッテを見つめ、ミレイニアはテーブルの下で拳を握り締めた。昔の思い出を胸に秘めていたのは自分だけではない。ならば、この言葉も忘れてはいないだろう。
「……私たちは、キングではなくてクイーンでしょう? クイーンの取り合いにしてはいかがかしら?」
「まあ、面白いですわ! さすがミレイニア様!」
周囲の娘たちの形だけでしかない世辞など、ミレイニアの耳には届かない。
幼い頃の口調を真似て、悪戯な笑みをリーゼロッテへと向ける。ミレイニアの意図は伝わった様子で、リーゼロッテは一瞬視線を上向きにさ迷わせると、クイーンを握り締めた右手で口元に浮かぶ笑みを隠した。
「……駒の動きはそのままでですか? それは面白そうですね。やりましょう、ミレイニア」
昔と一字一句変わらぬ言葉を返し、リーゼロッテは苦笑を溢した。その微笑みは、妹の我が儘を呆れながらも叶えたいと思う姉の、長い間浮かべられることのなかった優しい笑顔であった。
チェスの展開は序盤から常にリーゼロッテの劣勢で、チェスを得意としていない取り巻きの娘たちもミレイニアがリーゼロッテの駒を取るたびに嬉々として歓声を上げていた。愚かとも言えるほどの果敢さで攻め込んだリーゼロッテの駒たちは見事に返り討ちに合い、数を減らしていった。
ミレイニアもまた、確かな手応えを感じている。
しかし、油断は出来なかった。ミレイニア毒殺未遂の一件が起きるまで、ミレイニアは一度たりともリーゼロッテに勝てたことはなかったのだ。
それから、ミレイニアは一度もリーゼロッテに負けることはなかった。何で勝負をしようと、リーゼロッテは人前でミレイニアの手から勝利を奪うことはなくなってしまった。
リーゼロッテの盤上ですでにビショップとナイトは退場しており、ルークが一体。今回は駒でしかないキングは健在であるが、ポーンはすでに二体しかいない。
ミレイニアの手元にはビショップ、ルーク、ナイトがそれぞれ一体ずつ戦場に残っている。キングはすでに取られていたが、取りに来たナイトはクイーンが取り返している。全体的に、ミレイニアから見て左手の駒は大きく動いていない。密集して女王を守っていた。
それに反して、リーゼロッテの駒は散り散りになり辛うじてミレイニアの駒の届かない場所にクイーンが陣取っていた。
互いのポーンはお互いに向き合っており、これ以上は動くことが出来ない。
次はリーゼロッテの一手だ。そろそろ、戦いも後半に差し掛かっている。なにかを仕掛けるにはいいタイミングだ。
「……ミレイニア、私は昔教えましたよね。クイーンがキングの代わりになったのなら、下手に守りを固めると機動力を殺すことになりますよ、と」
周囲には聞こえない程の小さな声でそう言って、リーゼロッテはミレイニアを見つめると唇にゆっくりと弧を描いた。
嫌な予感を覚えたときには、もう遅かった。ミレイニアが咄嗟に盤面へ目を向けるのと、リーゼロッテが掴んだルークが動き出す。
「チェック」
クイーンの前方を塞ぐルークの一手。クイーンで奪うことも、ナイトを間に挟むことも出来る。回避することは容易い、そうミレイニアは思っていた。
幸い、何手か前にリーゼロッテはクイーンをミレイニアのポーンに並ぶ位置にまで移動させている。敵陣まで乗り込んだ王女ならば、刈ることも容易いだろう。
しかし、ミレイニアの後ろで覗いていた娘の一人がはっと息を呑む。
「あ……」
遅れて、ミレイニアもその一手の意味に気付いた。
ミレイニアのクイーンはポーンとルークに囲まれ、斜めと左への移動は不可能となっている。移動が可能な右側のニマスを塞ぐのは、リーゼロッテのクイーンだ。
ミレイニアのクイーンの前方はルークに塞がれており、それを取ろうとすれば隣に控えるキングが待っている。ミレイニアのナイトをクイーンとリーゼロッテのルークの間に挟むことは可能だが、斜め前にはポーンがある。ナイトが取られてしまえばクイーンは動くことが出来なくなり、その他の駒がどのように動こうと数手以内にリーゼロッテのチェックメイトが掛かることは確実であった。
顔を上げ、最早勝ちのなくなった盤上からリーゼロッテへと視線を移す。
小首を傾げ、リーゼロッテは微笑んだ。この後をどうするかを問い掛ける笑顔は意地悪で、昔はよく意地になって歯向かったものだった。
今のミレイニアならば、追い詰められる前に自分の敗北に気付くことが出来る。悪足掻きをするよりも、潔く敗けを認める方が綺麗な去り際といえるだろう。
幸い、今ならばまだミレイニアの状況が八方塞がりであることに気付いている者は少ない。傷の浅いうちに退くべきだ。
頭ではそうわかっていたはずなのに、ミレイニアの手は盤上のナイトに伸びていた。
「まだよ、お姉様」
幼い日に置き去りにしていた姉の微笑みの前では、ミレイニアの時間もまたあの日に戻る。
「……仕方ない子ですね」
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