爪弾き者の第一王女は敵国の年下王子の妻となる

河合青

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1.望まれぬ婚姻

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 アリアは一人悩んでいた。
 原因は、水仕事で荒れた彼女の手の中に収まる王印の半身のせいであった。
「ミレイニア様のところになんて行けないよ……」
 リーゼロッテの言い分は理解できた。しかし、性根が正直者のアリアにはリーゼロッテを売るような真似をしてまで王城に居続けたいとは思えなかった。
 アリアは一人、ため息を吐く。
 王城と城下町を隔てる大門の見える井戸に腰掛け、アリアは行き交う人の流れをぼんやりと眺めていた。それは本来、時間を浪費すると呼ばれる行為であったが、リーゼロッテが国王に呼び出されてしまった今、アリアには時間を浪費するくらいしかすることがない。
 逆に言えばそれはこの一週間の間、アリアには手が空く暇もなかったということでもある。
「ちょっと、あの子……」
「リーゼロッテ様の……」
 渡り廊下を歩く侍女達がアリアへと聞こえるように声を張り上げる。しかし、アリアがそちらを見ればすぐに目を逸らしそそくさと歩き出してしまった。
 リーゼロッテがミレイニアをチェスで負かせたことは、あっという間に城中に広まってしまった。当然、それは今までのリーゼロッテの評価を引っくり返すことなど出来ず、むしろミレイニアを慕う貴族の令嬢達を敵に回すこととなった。
 その結果、今までは明確にリーゼロッテへと敵意を見せることのなかった侍女達までもが、露骨な態度を示すようになった。爵位ある家の娘達と同様に一人の人間を邪険に扱うことで気に入られようとしているのだろう。その気持ちはアリアにもわからなくはなかった。
 二人組の背中が遠くに消えるのを見届け、アリアは大きく肩を落とした。
 今はまだ遠巻きに悪態を付く程度で留まっているが、この先事態がどう転ぶかはわからない。リーゼロッテが城を出たことで今までの悪意の矛先がすべてアリアに向かうかもしれない。そんなものはただの杞憂かもしれない。
 アリアはリーゼロッテほどには物事の先を見る力はなく、自分がどうすればいいのかなど検討も付かなかった。
「……どうしたいかならわかるのに」
「なにがわかるんだ?」
「きゃあ!? マ、マリンハルトさん!」
 独り言のつもりでいたため、突然後ろから掛けられた声にアリアはびくりと肩を震わせた。
 振り返った先にいたのがマリンハルトでひと安心であったが、独り言を聞かれた気恥ずかしさですぐに顔を俯けてしまう。
 不貞腐れたようなアリアの態度に苦笑を溢し、マリンハルトはアリアと背中合わせになるように井戸の反対に腰を下ろした。
「リーゼロッテ様はどうしたんだ?」
「国王陛下の元です」
「そうか、デュッセル様が……」
 意外さを隠しきれずにマリンハルトは頷いた。しかし、父親としての顔ではなく、国王としてリーゼロッテに声を掛けるのだとしたら想像の範疇である。
 井戸に腰を下ろしたというのに、マリンハルトは何も言わない。アリアはこっそりと背中を振り返るが、マリンハルトは正面を向いたまま灰色の王城を見上げていた。
「……まだ出発しなくてもいいのですか?」
「大門の方がまだ人の出入りがあるからな。あれが静かになった頃に出ることにする」
「そうですか。……道中、気を付けてくださいね」
 マリンハルトは頷くが、それ以上会話を続けようとする様子は見られない。
 しかし、立ち去る気配もないのでアリアは躊躇いながらも声を掛けることを止めなかった。話すことが嫌だというのならどこかへ移動すれば良いのだ。元々この場所にいたのはアリアなのだから、必要以上にアリアが気を遣う必要はない。
「少し話をしてもいいですか?」
「ああ」
 アリアは背中越しに燃えるような赤毛を盗み見た。マリンハルトの胸の中には、リーゼロッテへの想いが赤毛のように燃え上がっていることはよく知っている。
 知った上で、アリアはずっと自分の胸の中で引っ掛かっていた心を形にした。
「私、本当はリーゼロッテ様が思うような優しい人間ではないんです」
「ん?」
「リーゼロッテ様に親切にしていたのだって、少しは下心があったんです」
 この一週間は特にリーゼロッテの世話をすることが増えたが、元々アリアは他の侍女達よりはリーゼロッテに対して好意的であった。
 しかし、それは完全なる親切心だけから生まれたわけではない。
 ミレイニアのような王女達の侍女はほとんどが良家の娘で、地方出身のアリアが仕えられるような相手ではない。地方出身者はアリアだけではないが、そういった者達は特に出世の見込みもなく、ただ下働きとして一生を終えていく。
 それでも十分な給与は与えられ、実家への仕送りにも不自由はないためアリアも現状に大きな不満があるわけではなかった。
 だが、それでも現状よりも良い待遇が望めるのならそれを願うのはおかしな話ではないだろう。
「リーゼロッテ様なら私のような平民の出でもお近づきになれますし、誰もお世話をしたがらないから逆に皆からは有り難がられたりしていたんですよ」
 侍女間でもリーゼロッテの存在は煙たがられており、積極的にお世話をすることでミレイニア付きの侍女達から睨まれることを恐れられていた。そのため、侍女達の間でアリアは皆の避ける仕事を積極的に行うとして有り難がられていた。それも、今は状況が変わってしまったが。
 今まではミレイニア付きの侍女達もアリアのことなど気にも止めていなかったのだ。それはアリアが公の場に出ることも、ミレイニアの目に止まるようなこともなかったためである。リーゼロッテの世話をしようがアリアの身に被害が及ぶようなことはなかった。
「いくら城で爪弾き者にされているとはいえ、リーゼロッテ様は正当な第一王女です。……その恩恵を全く期待しないわけありません」
「まあ、それは当然だろうな。別にお前が特別計算高いというわけでもないだろう」
「……でも、それでも私にそういう下心があったのは事実です」
「俺としてはそれくらいの下心がある方が納得できるがな。大した面識もない奴が下心なくリーゼロッテ様の力になりたいだなんて言ってきても信用できない」
 マリンハルトは特に落胆する様子も見せず、淡々とした口調でそう告げた。初めからマリンハルトはアリアの下心には気付いていたのだろう。それを知って、アリアは微かに目を伏せる。
「……全部が全部仕事の下心だけじゃないんだけどな」
 そっと呟いた言葉はマリンハルトには届かない。
 アリアは大きくため息を吐くと、顔を上げて赤く染まった空を見上げた。
「リーゼロッテ様、私に王印を渡したんです」
「王印を……? いや、まあリーゼロッテ様ならやりかねないか」
 目を丸くして振り返ったマリンハルトと目が合い、アリアは慌てて顔を背けた。マリンハルトは不思議そうにアリアへと視線を向けるが、特に追求することもなく先程のアリアの言葉について問いかける。
「それで、どうする気だ?」
「……これを持ってミレイニア様の元に行くと行ったら、マリンハルトさんはどうしますか?」
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