34 / 56
2.雪の降る国
2
「よかった。イヴァンは元気そうだった?」
「そうですね。特に問題なく、侍従に紛れて城に潜り込んでいたみたいですよ。ご自身で確認されるのが一番かと」
イヴァンは元々情報収集に長けた一族の生まれである。多くの間者を抱え統率するだけではなく、本人たちも隠密行動を得意とした生まれながらに影の世界を住み処とする者だ。
現在は唯一の生き残りとなってしまったイヴァンであったがその隠密行動の腕は健在で、領主の不正を暴くために相手の屋敷に入り込んではレオナルドに情報を伝えるというのはよくあることであった。
確かにレオナルドはアカネース国の第一王女について出来る限り人となりを調べてほしいと命じたが、まさか王城にまで入り込むとは思ってもいなかった。驚きに言葉を失ったレオナルドへ、ジュルジュは雪雲をも吹き飛ばせそうな快活な笑い声を上げる。
「今さら驚くことですか。イヴァンに任せればわからないことなどありませんよ」
「僕もそれには同意するけど……アカネース国の警備が緩いのかイヴァンが凄いのかどちらかわからないから何とも答えにくいよ」
「イヴァンの能力は当然高いとして、丁度王女の婚姻の準備で人手が欲しかったみたいですよ」
やや納得のいかない様子のレオナルドであったが、今は遠い隣国の警備を気にしたところで仕方がない。
それよりも、レオナルドが今考えなければならないのは未来の妻についてである。
「俺としてはいいんじゃないかって思いますよ。ちょっとクセは強そうですが」
レオナルドはジョルジュから差し出された手紙を受け取り、イヴァンからの報告に目を通す。
几帳面に並ぶ文字から伝わるのは、この一週間でイヴァンが目にした城内の様子と第一王女の姿。
「……なんというか、淡々と準備に追われていたようだね」
「慌ただしく過ごすよりはいいんじゃないですか? まぁ、周囲からは色々されたそうですけどね。ドレスも台無しになったとか」
レオナルドの手元を覗き込み、ジョルジュが下の方を指差した。
「本当だ。どうするのかな」
「まあ、なんとかできるんでしょうね。そうでなければイヴァンの方から用意する必要があると言ってきますし、その程度で狼狽えられたら今までよく生き残れたなあって感心してしまいます」
「確か姫は母親が妾で、その上平民だったよね。後ろ楯がない第一王女は確かに生き残るだけでも厳しそうだ」
「だから、クセが強そうなんですよ。二十歳まで城の中で生き残れるということは、相当な無能か曲者かです」
断言するジョルジュに、レオナルドも頷いた。レイノアール国ですら、正当な後ろ楯を持っていながら淘汰される王子王女は存在する。
生き残れたのは彼の言う通り、無能か曲者のどちらかでしかない。どちらであっても、迎える側としては厄介以外の何でもない。
しかし、レオナルドはアカネース国で聞いた娘の言葉を思い出す。
「……ねぇ、ジョルジュ。愛と恋の違いって何?」
「また唐突に……。どうしたんですか」
第一王女は貴方を愛すると、アカネースの娘は叫んだ。顔は朧気で、声もはっきりとは覚えていないけれど、投げられた言葉だけは手放してはいない。
不思議そうに首をかしげたジョルジュを見上げ、レオナルドは目を伏せた。
先程の質問の意図が、自分自身でもよくわからなかった。ただ、愛するという言葉を使った娘の思いが今でも理解できないのだ。
特に、男女間の愛や恋はレオナルドには難しい。
父と母が愛し合っているようには思えない。これまで自分に言い寄ってきた貴族の娘たちはその瞳に映る権力への媚が見えてしまったから、恋に落ちる前に現実に帰ってくる。
兄や妹、ジョルジュやイヴァンを大切に思う気持ちは愛だと言われれば、レオナルドも少しは納得ができた。しかし、それは親愛や友愛に近いもので、夫婦の愛とは異なってくるだろう。
考えれば考えるほどに絡まり出す思考を、振り払ったのはジョルジュの大きな掌だった。
「難しく考えなくてもいいですよ」
への字に結ばれたレオナルドの唇をほどくように、ジョルジュの両の掌がレオナルドの頬を包み込んだ。
真っ直ぐにレオナルドを見つめるムーングレイが仮面の奥で煌めいて、緩やかに細められる。
「恋は衝動的なもの、そして不安定なものです。ですが、愛は堅い決意です。俺やイヴァンがレオン様に抱く想いは、間違いなく愛です。貴方のために仕えるという決意ですから」
「決意……?」
「えぇ。愛するということは、自分の心で決めて良いのです」
ジョルジュはレオナルドの頬から手を離すと、嬉しそうに声を弾ませた。
「レオン様はきっと、アカネースの姫を愛そうとしているのですね」
肯定することも、否定することも出来ずに、レオナルドは呆然とジョルジュを見上げていた。
自分が、アカネースの姫を愛そうとしている。そんなことは、意識したこともなかったからだ。
そして、ジョルジュの言葉の通りなら、アカネースの姫はこの婚姻に堅い決意を持って挑む人間ということになる。所詮は従者の娘の言い分でしかなかったが、姫を間近に見た人間の言葉なら信憑性は低くはないだろう。
レオナルドは、自分の胸に手を置いてまだ花の咲いている白の庭園に目を向けた。雪のない庭には、僅かだが白い薔薇が咲いていた。
「そうですね。特に問題なく、侍従に紛れて城に潜り込んでいたみたいですよ。ご自身で確認されるのが一番かと」
イヴァンは元々情報収集に長けた一族の生まれである。多くの間者を抱え統率するだけではなく、本人たちも隠密行動を得意とした生まれながらに影の世界を住み処とする者だ。
現在は唯一の生き残りとなってしまったイヴァンであったがその隠密行動の腕は健在で、領主の不正を暴くために相手の屋敷に入り込んではレオナルドに情報を伝えるというのはよくあることであった。
確かにレオナルドはアカネース国の第一王女について出来る限り人となりを調べてほしいと命じたが、まさか王城にまで入り込むとは思ってもいなかった。驚きに言葉を失ったレオナルドへ、ジュルジュは雪雲をも吹き飛ばせそうな快活な笑い声を上げる。
「今さら驚くことですか。イヴァンに任せればわからないことなどありませんよ」
「僕もそれには同意するけど……アカネース国の警備が緩いのかイヴァンが凄いのかどちらかわからないから何とも答えにくいよ」
「イヴァンの能力は当然高いとして、丁度王女の婚姻の準備で人手が欲しかったみたいですよ」
やや納得のいかない様子のレオナルドであったが、今は遠い隣国の警備を気にしたところで仕方がない。
それよりも、レオナルドが今考えなければならないのは未来の妻についてである。
「俺としてはいいんじゃないかって思いますよ。ちょっとクセは強そうですが」
レオナルドはジョルジュから差し出された手紙を受け取り、イヴァンからの報告に目を通す。
几帳面に並ぶ文字から伝わるのは、この一週間でイヴァンが目にした城内の様子と第一王女の姿。
「……なんというか、淡々と準備に追われていたようだね」
「慌ただしく過ごすよりはいいんじゃないですか? まぁ、周囲からは色々されたそうですけどね。ドレスも台無しになったとか」
レオナルドの手元を覗き込み、ジョルジュが下の方を指差した。
「本当だ。どうするのかな」
「まあ、なんとかできるんでしょうね。そうでなければイヴァンの方から用意する必要があると言ってきますし、その程度で狼狽えられたら今までよく生き残れたなあって感心してしまいます」
「確か姫は母親が妾で、その上平民だったよね。後ろ楯がない第一王女は確かに生き残るだけでも厳しそうだ」
「だから、クセが強そうなんですよ。二十歳まで城の中で生き残れるということは、相当な無能か曲者かです」
断言するジョルジュに、レオナルドも頷いた。レイノアール国ですら、正当な後ろ楯を持っていながら淘汰される王子王女は存在する。
生き残れたのは彼の言う通り、無能か曲者のどちらかでしかない。どちらであっても、迎える側としては厄介以外の何でもない。
しかし、レオナルドはアカネース国で聞いた娘の言葉を思い出す。
「……ねぇ、ジョルジュ。愛と恋の違いって何?」
「また唐突に……。どうしたんですか」
第一王女は貴方を愛すると、アカネースの娘は叫んだ。顔は朧気で、声もはっきりとは覚えていないけれど、投げられた言葉だけは手放してはいない。
不思議そうに首をかしげたジョルジュを見上げ、レオナルドは目を伏せた。
先程の質問の意図が、自分自身でもよくわからなかった。ただ、愛するという言葉を使った娘の思いが今でも理解できないのだ。
特に、男女間の愛や恋はレオナルドには難しい。
父と母が愛し合っているようには思えない。これまで自分に言い寄ってきた貴族の娘たちはその瞳に映る権力への媚が見えてしまったから、恋に落ちる前に現実に帰ってくる。
兄や妹、ジョルジュやイヴァンを大切に思う気持ちは愛だと言われれば、レオナルドも少しは納得ができた。しかし、それは親愛や友愛に近いもので、夫婦の愛とは異なってくるだろう。
考えれば考えるほどに絡まり出す思考を、振り払ったのはジョルジュの大きな掌だった。
「難しく考えなくてもいいですよ」
への字に結ばれたレオナルドの唇をほどくように、ジョルジュの両の掌がレオナルドの頬を包み込んだ。
真っ直ぐにレオナルドを見つめるムーングレイが仮面の奥で煌めいて、緩やかに細められる。
「恋は衝動的なもの、そして不安定なものです。ですが、愛は堅い決意です。俺やイヴァンがレオン様に抱く想いは、間違いなく愛です。貴方のために仕えるという決意ですから」
「決意……?」
「えぇ。愛するということは、自分の心で決めて良いのです」
ジョルジュはレオナルドの頬から手を離すと、嬉しそうに声を弾ませた。
「レオン様はきっと、アカネースの姫を愛そうとしているのですね」
肯定することも、否定することも出来ずに、レオナルドは呆然とジョルジュを見上げていた。
自分が、アカネースの姫を愛そうとしている。そんなことは、意識したこともなかったからだ。
そして、ジョルジュの言葉の通りなら、アカネースの姫はこの婚姻に堅い決意を持って挑む人間ということになる。所詮は従者の娘の言い分でしかなかったが、姫を間近に見た人間の言葉なら信憑性は低くはないだろう。
レオナルドは、自分の胸に手を置いてまだ花の咲いている白の庭園に目を向けた。雪のない庭には、僅かだが白い薔薇が咲いていた。
あなたにおすすめの小説
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。
言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。
喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。
12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。
====
●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。
前作では、二人との出会い~同居を描いています。
順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。
※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。
「お前を愛する事はない」を信じたので
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。
白い結婚のまま、旦那様は薔薇のような美人に夢中になりました
柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢リディアは、美貌で有名な侯爵レオンハルトに嫁いだ。
けれど結婚して二年、夫婦は一度も結ばれないまま――白い結婚だった。
それでも旦那様は優しかった。
冷たいわけではない。気づかいの言葉も、穏やかな笑顔もくれる。
だからリディアは、愛されてはいなくても、いつか少しは夫婦になれるのではないかと信じていた。
そんなある日、彼女は知ってしまう。
旦那様が薔薇の君と呼ばれる絶世の美女に心を奪われていることを。
彼が触れなかったのは私にだけだったのだと。
都合のいい奥方として、役に立っていたと悟る
静かに離縁を決意したリディアは、実家へ戻ったあと、女子学院で働き始める。
すると侯爵夫人時代には当たり前だった実務のすべてが、外では驚くほど必要とされていた。
感謝され、認められ、自分の足で立ち始めた彼女は、少しずつ見違えるほど美しくなっていく
報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を
さくたろう
恋愛
その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。
少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。
20話です。小説家になろう様でも公開中です。