爪弾き者の第一王女は敵国の年下王子の妻となる

河合青

文字の大きさ
42 / 56
2.雪の降る国

10

しおりを挟む
 オズマン家の邸宅であり、オズマン商会の本拠地でもある屋敷の中でも、最も上級の調度品で彩られた応接室にリーゼロッテは通された。
 壁に掛けられた絵画、飾られた生花、静かにこちらを見つめる彫刻、そのどれもが美しく人の心を掴む。
 現在リーゼロッテが腰を下ろしているソファも同様に、体を包み込むような弾力は母親の腕のように心地が良く、疲れきった体であれば寝入ってしまってもおかしくはない。
「長旅、お疲れ様でした。道中変わりはございませんでしたか?」
 傍らに立ち控えるマリンハルトが控えめに声を掛けた。ゴーゼルが応接室に訪れるにはまだ時間がありそうだと判断し、マリンハルトは言葉を続けた。
「ご伝言も伝えております。やはり、ヴィオレッタ様はゴーゼル様に手紙をお渡しにはなられなかったようです」
「そうでしょうね。問題はありません」
 リーゼロッテは緩く微笑むと、真っ直ぐに伸びた背筋のまま飾られた絵画に目を移した。
 真っ白に染め上がった山と、その山から上る朝日を描いたその作品は、冷たさと温かさが程よいバランスで解け合っていた。
 その視線を追ったマリンハルトは、リーゼロッテの視線の先にあるものが雪の絵画であることを知る。これからの生活を、絵の奥に描いているのだろうか。それを思うと、胸が痛んだ。
「失礼致します、リーゼロッテ様」
 規則正しいノックの音に続いて、ゴーゼルが応接室に姿を現した。
 汚れ一つないシャツに濃紺の上着を羽織った姿は、貴族ではなく商人の姿である。
 深く頭を下げるゴーゼルに応えるようにリーゼロッテは立ち上がり、礼を返した。マリンハルトも後に続く。
 顔を上げたゴーゼルは二人へと深い笑みを向けると、手のひらを向けてリーゼロッテの座っていたソファを示した。
「どうぞ、お座りになってください」
「ありがとうございます」
 リーゼロッテとゴーゼルはテーブルを挟み、向かい合ってソファに腰を下ろした。マリンハルトは変わらず傍に立ったままである。
「王都からの長旅、お疲れさまです。私の領地でお会いするのは初めてでしたね」
「えぇ。ゼニカの街より北に訪れたことはなかったので。まだレイノアール国に入っていないのにこちらは冷えますね」
「あちらはもっと寒いですからね。ですので、そちらの彼から依頼頂いた防寒具についてはレイノアール国内で流通しているものを取り寄せました。やはり、国内で生産されるものでは心もとないと思いまして」
「それは有り難いことですが、金額的に問題はないのですか?」
「提示頂いている予算の中には収まっておりますよ」
 挨拶もそこそこに始まった依頼品の確認はスムーズに進んでいく。
 机上に並べられた注文書に記載された商品一覧の上を、リーゼロッテの指先がなぞっていった。
 嫌がらせで駄目になってしまった防寒具を始めとする衣類、新調が必要となった装飾具、その他些細な日用品など、数にしてみれば大した量ではないが、その一つ一つをリーゼロッテは丁寧に確認をしていった。
「この耳飾り、真珠をあしらったものにしては価格が安いように思えるのですが……」
「最近、真珠貝の養殖技術を確立させた国がありまして、その関係で今までよりお安くご提供できるようになったのです」
「依頼よりもドレスが一着多いようですが、これは?」
「依頼品が提示金額の内に収まりましたので、勝手とは思いながら差額で一つご用意させていただきました。こちらは、現在レイノアール国のご令嬢の間で流行のデザインですので、一着持っていても損はないかと判断いたしました」
「それは、ありがとうございます。私はどうにも流行に敏感ではないものですから、心配り感謝いたします」
 細かな指摘が入っても、嫌な顔一つせずゴーゼルは丁寧に返答していく。
 一通りの確認を終え、リーゼロッテは契約書に了承の意をもって自身の名をサインした。
 これで、レイノアール国への嫁入り道具は一通り補填出来たことになる。しかし、リーゼロッテがオズマン商会に依頼したのはこれだけではなかったはずだ。
「やはり、ゴーゼル様にお願いして正解でした。希望の品を提示金額の中で収めていただくだけではなく、私が思い至らなかった必需品まで手配いただけたのですから。それに、これだけの物を数日の間に用意頂けるとは、さすが大陸に名だたるオズマン商会ですね」
「いやいや、そんな大層なものではございませんよ。商売というものはお客様を満足させなければ存続できませんからね。それに、リーゼロッテ様がご提示された金額は品物に対して無理がなく妥当なものでしたから、こちらも品物を集めやすかったですよ」
 それはよかった、と微笑んでリーゼロッテは背筋を正した。彼女にとっては、ここからが本題となる。
 ここまでは、マリンハルトに早馬を出させて依頼した内容だ。しかし、リーゼロッテにはもう一つゴーゼルへと依頼した品がある。
「ところで、ヴィオレッタから鉱石の購入の件について依頼をさせていただきましたがこちらはどうなっておりますか?」
 仮面のように貼り付けられた笑みの奥に潜む心を見せぬよう、リーゼロッテは言葉の刃を構えた。
 穏やかな笑みを崩さぬゴーゼルであったが、一瞬返答に詰まった。その隙を逃さず、リーゼロッテは言葉を重ねる。
「結構な量と金額をお願いすることになりましたから、ヴィオレッタに渡す方が早いと思ったのですが、やはりお時間が足りなかったでしょうか?」
 相手を気遣うような言葉を口にしているものの、リーゼロッテの表情には微塵も動揺が見られない。
 彼女はわかっているのだ。ヴィオレッタは一週間前にはこちらに戻っており、七日という時間があればゴーゼルは多少の無茶であってもリーゼロッテの要求に応じようと手を回せただろうことを。
 何故なら、今ゴーゼルの目の前にいるのはアカネース国の人間でありながら、レイノアール王家と深い繋がりを結ぶことになる数少ない人間なのだから。レイノアールにも商圏を広げていきたいゴーゼルにとっては、多少の損は承知の上で恩を売りたい相手なのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

処理中です...