爪弾き者の第一王女は敵国の年下王子の妻となる

河合青

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3.ただ一つの祝福を

4

 王都に入ってから、市民達の視線が痛いほどに馬車に集中していることは中に乗っている二人にもよくわかっていた。
 第四階層を通っている間はまだ奇異の視線の方が強かった。しかし、この第三階層に入ってからは明らかに質が変わっている。
 建物の隙間から、部屋の影から、じっと暗い瞳が馬車を、中に佇むリーゼロッテを見つめている。
「ちょっと嫌な空気ですね」
 リーゼロッテは黙って頷いた。街中を通った時から覚悟はしていたのだろう。不穏な空気に怯える様子はない。
 不規則に揺れる馬車の中、二人は俯いてただ時を待った。
 暗い瞳は、些細な切っ掛けで火が付くだろう。その時を、二人は覚悟していた。
 馬の蹄が石畳を打つ音。
 車輪の回る音。
 馬の嘶き。
 飛び起きるように、ジョルジュが顔を上げた。
 馬が嘶き、石畳が悲鳴を上げる。
「国に帰れ! 人殺し!」
 馬車の窓に、小石がぶつけられた。窓だけではない。車体にも、車輪にも投げつけられる石。
 外を覗こうと身を乗り出したリーゼロッテの肩を、ジュルジュは座ったまま押さえ付ける。
「お待ちください。顔を出さない方がいい」
 リーゼロッテは頷いて座り直した。膝の上で握りしめられる拳は、小刻みに震えていた。
 ジョルジュが外を覗き見れば、大通りに沿って人が溢れ返っていた。その全てが瞳を怒りに燃やし、手当たり次第に石を投げつけている。
 今はまだ小石程度で済んでいるが、いつ悪化するかは誰にもわからない。
「おい、馬車を止めるなよ」
 ジョルジュは前方の小窓を開け、騎士達へとそう声を掛けた。彼らも石をぶつけられるようなことは避けたいらしく、何度も頷き鞭をしならせる。
「逃げるのか!」
「出てこい、卑怯者! 俺の息子を返せ!」
「わたしのお父さんも戦争であんたたちに殺された!」
 人々の声が膨らんでいく。石の雨は止まない。騎士達にも石がぶつかり始めた。
「止めてください!」
「いけません、リーゼロッテ様! 堪えてください!」
 リーゼロッテは騎士達に通じる小窓に手を伸ばした。しかし、それをジョルジュが咎める。
 身を乗り出したリーゼロッテはすぐにでも小窓を開けられる状態で、腰掛けたままのジョルジュを見下ろす。
 憤りと不甲斐なさで揺れるリーゼロッテの瞳に睨まれながらも、ジュルジュは首を縦には振らなかった。
「レオナルド様はアカネース国民の前に、逃げることなく立ち向かいました。ここで逃げてしまったら、私は顔向けが出来ません」
「今、ここで貴方を外に出して、怪我をさせるわけにはいきません。レイノアール国民がリーゼロッテ様に怪我を負わせたとなれば、問題になりかねません」
「それは……」
「どれだけ罵られようと、嘲られようと、挽回する時間は必ずあります。それは長い時間を掛けて行うべきことで、今、この一瞬でどうにかできることではないのです」
 きつく目を閉じ、リーゼロッテは小窓に拳を叩きつけた。ジョルジュの言葉に納得してしまったからこそ、これ以上なにも言えなくなってしまう。
 見上げたリーゼロッテの表情に滲む悔しさは、ジュルジュにも理解はできた。しかし、許すことはできない。
 怒号。石の雨。馬の悲鳴。
 止まらない怒りに包まれて、リーゼロッテは肩を震わせた。涙ではない。不甲斐なさに、身体中が憤っている。
「ジョルジュ、やはり……!」
 リーゼロッテは窓に手をついたまま、顔を上げた。
 どれだけ行きたいと言い出しても、ジュルジュはそれを止めるつもりでいる。しかし、いつまでたってもリーゼロッテは次の言葉を口にしなかった。
 何事かと様子を窺えば、リーゼロッテは小窓から空を見上げている。
 いつの間にか、外の怒号も消えていた。何が起きたのかとジョルジュも小窓から外に目を向ける。
「……雪?」
 リーゼロッテは呟いた。雲一つない青空で雪が降るわけないとジョルジュは思ったが、確かに空からは白い雪がはらはらと舞い落ちていた。
「雪ではないでしょう……」
 ジュルジュはリーゼロッテを窓から離れさせると、僅かに窓を開けて手を伸ばす。そして、舞い散る白を指先で摘まむ。
 人の温もりでも溶けないそれは確かに雪ではなく、仄かに甘い香りを放つ白の花弁だった。
「これ……薔薇ですね」
 ジュルジュの掴んだ花弁に鼻先を寄せると、リーゼロッテは馴染みのある匂いに自然と頬を緩めた。
 外では無数の白薔薇の花弁が風に舞い、第三階層に初雪を降らせた。突然の事に市民達は空を見上げ、一時ではあったがリーゼロッテへの怒りを頭の片隅に追いやった。
「あ、あれ、レオナルド様!?」
 外にいる人垣の中、誰かが城壁を指差した。声に合わせて人々が顔を上げたときには既にその姿は見られなかったが、白薔薇の花が咲いているのはレゾアンの中でも最上階層のみ。
 今日がアカネース国の姫との婚姻の日であることは誰もが知っている。
 婚姻の日にレオナルドが自分自身の手で、擬似的であるが雪を降らせた。
 その意味は、少し考えれば市民達にも伝わった。レオナルドはこの馬車を祝福している。騎士達が多く暮らすこの階層で、レオナルドの意に反した行動を進んで取るような愚か者はいない。
「……レオナルド様がこれを?」
 ジュルジュは結婚式の紙吹雪のように吹き荒れる白薔薇の花弁の中、堪えきれずに笑い出してしまった。
 ジュルジュの横顔とそびえる城壁を見比べ、リーゼロッテは自身の胸に手を当ててため息を溢した。
「私は今回も助けられたのですね」
 とても珍しい白薔薇の初雪は二度と降ることはなかったと言われているが、人々の記憶の中には鮮烈に残る初雪となった。
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