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問題編

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 二美ふたみはまず乳母を始末した。
 
 (これで私達を見分けられる人はいなくなった。私と四美の計画を実行に移せる)
 
 一美ひとみ、二美、三美みつみ四美よつみ五美いつみ六美むつみ七美ななみ。彼女達七つ子は、まさにというべき、見分けのつかない外見をしていた。彼女達を確実に見分けることができるのは、彼女達自身と、父親、そして、七つ子を産み落とした際に息絶えた母親に代わって彼女達を育て上げた乳母の森川だけで、長くこの屋敷に勤めている使用人ですら見分けることはできなかった。たとえ、見分ける方法を教わったところで、それを実行することはできないだろう。
 
 使用人と娘との連絡で不都合が生じないように、娘達は、それぞれ異なる果物をデザインしたネックレスを着けていた。一美は林檎、二美は苺、三美は桃、四美は蜜柑、五美は檸檬、六美は葡萄、七美は梨のネックレスで、自らの名前を明らかにしていた。
 
 半月前に父親は肺ガンで死亡し、乳母も今、二美の手にかかって殺された。これで、娘達をネックレスなしで見分けられる者は、一人もいなくなった――娘達自身以外は。
 
 (私はこのときをずっと待っていた。この計画が完遂すれば、この屋敷は私のものだ。実行は明日の三時。お茶会の時間に)
 
 
 
 一美は、自らの命が狙われていると感じていた。
 
 (お父様が亡くなって、屋敷の当主の座には私が就くことになっている。だが、二美はそれを良しとはしないだろう。二美は前から、何かにつけて私を目の敵にしてきた。あいつは次女であることにずっとコンプレックスを抱いていたのよ。誰も何番目に産まれたかなんて気にしていないのに、あいつは自意識過剰な被害妄想を抱いてる。人殺しだってしかねない。私を殺して、権威を奪い取るつもりに決まってるわ。森川さんを殺したのも、きっと二美よ。どんな狙いがあるのかしらないけど、きっとよからぬことを考えているに違いない。
 
 でも、殺されるとわかっていて、素直に殺されてはあげないわ。絶対にあいつの思い通りにはいかせない)
 
 しかし翌朝、一美にとって思いもよらない出来事が起こった。寝室の扉が並ぶ廊下で、一人の娘が死体となって発見された。その死体は、襟元に桃のネックレスを光らせていた。
 
 
 
 その死体は、頸動脈を切り開かれて、力なく廊下に横たわっていた。傷口は赤黒く固まっており、ありったけの血を吐き出した後と見えるが、床に流れ落ちた血はまだ乾いておらず、桃のネックレスがその中に沈んでいた。
 
 死体の周りを、四人の娘が取り囲んでいた。娘達はそれぞれ、苺、蜜柑、葡萄、梨のネックレスを着けている。
 
「ひどいわ……。こんなことになるなんて……」蜜柑のネックレスの娘が言うと、
 
「いったい誰がこんなことを……」苺のネックレスの娘が応じる。
 
「昨日は森川さんが殺されて、今日は三美だなんて……。なんの目的があってこんなことをするのよ!」梨のネックレスの娘が悲痛な声をあげると、
 
「ええ、森川さんにも三美にも、殺される理由なんて無いはずよ」葡萄のネックレスの娘が同調する。しかし、それを聞いて蜜柑のネックレスの娘が、
 
「何言ってるのよあなたたち。これは五美じゃない。桃のネックレスを着けてるけど、これはどう見たって五美よ。あなたたち解らないの?」
 
「そうよ、これは五美よ。あなたたち、ネックレスだけを見て、三美だって言ってるんじゃなくて?」苺のネックレスの娘も加勢する。
 
「ネックレスなんか無くたって解るわよ。これは三美じゃない。間違えようがないわ」
 
「そうよ。あなたたちこそ、目がおかしくなったんじゃなくて?」葡萄のネックレスの娘と梨のネックレスの娘が反発する。
 
「違うわよ。五美よ」蜜柑のネックレスの娘。
 
「五美よ」苺のネックレスの娘。
 
「いいえ、三美よ」梨のネックレスの娘。
 
「三美よ」葡萄のネックレスの娘。
 
  娘達は二対二でにらみ合っていた。同じ姿をした四人の娘が、同じ姿をした死体を挟んでいるさまは、彼女達がいかに浮世離れしているかを端的に表していた。
 
「それにしても、この死体が三美だとしたら、五美はいったいどこに行ってるんでしょうね」苺のネックレスの娘が言う。
 
「それは、死体が五美だとしても同じじゃない」葡萄のネックレスの娘が喧嘩腰で返す。
 
「そうよ。だから、どっちがこの死体かじゃなくて、この死体じゃない方はどこにいるんだって言ってるのよ」
 
「ひょっとしたら、どこかで殺されてるのかも」蜜柑のネックレスの娘がぼそりと呟く。
 
「そんな! じゃあ、この死体が三美だろうと五美だろうと、二人とも殺されてるってことなの⁉」梨のネックレスの娘が金切り声を出す。
 
「そうかもしれないって可能性よ」
 
「だとしたら、誰がそんなことをやったのよ」葡萄のネックレスの娘が当然の疑問を口にする。
 
「きっと一美よ。こんな酷いことをできるのはあいつしかいないわ。だいたいおかしいじゃない。今日に限って一人で街に買い物に出るなんて」苺のネックレスの娘が強い口調になる。
 
「なんで決めつけるのよ。まるで一美に全部押しつけようとしてるみたい。もしかして、あなたがやったんじゃないの?」葡萄のネックレスの娘が訝しげに言う。
 
「何言ってるのよ! 私がそんなことするわけないじゃない!」
 
「人のことを犯人だと決めつけておいて、自分のことは無条件で信じてもらおうってわけ? いよいよ怪しいわね」
 
「ふざけないで! あなたそうやって私を陥れようとしてるんじゃないの? そうよ、あなたが犯人よ。だからそんな平気な顔をしていられるんだわ!」
 
「あなたは少し動揺しすぎね。そんなに取り乱してたら、誰もあなたの言うことなんか信用しないわよ」
 
「なんですって! そんなこと言って許されないわ! 謝りなさい!」
 
「話にならないわね。もう終わりにしましょう」
 
「待ちなさい! 謝りなさい!」
 
 葡萄のネックレスの娘が付き合いきれないというふうに立ち去ると、蜜柑、梨のネックレスの娘もそれぞれ散っていった。苺のネックレスの娘はひとり死体の前に跪き、血溜まりを悔し涙で薄めていた。
 
 
 
 森川の死体が発見されたときにも警察に通報したのだが、娘の一人が死体となって発見されたことを改めて通報した。しかし、到着は早くても明日の朝になるらしい。この屋敷がいかに世間から隔てられているかが実感された。
 
 廊下の死体は使用人たちの手で棺に納められ、納棺所に運ばれた。警察が来るまで現場は保存するべきでないかという考えもあったが、お嬢様の死体をこのままにはしておけないという、使用人たちの強い希望だった。
 
 そして、時間は午後三時。この屋敷では毎日、三時になると食堂で娘達だけのお茶会が開かれることになっていた。七人全員が揃うのが通常だが、今日は欠席者が三人おり、屋敷の人間が相次いで殺されたこともあって、重苦しい異様な空気が食堂に満ちていた。
 
 二美は席に着くと、注意深くほかの三人の娘を見回した。
 
 (まさかあんな死体が出てくるなんて。いったい誰が、何のために? もしかして、私の計画に気づいた人がいるのかしら。いいえ、そんなはずはないわ。でも、もし四美が裏切ったとすれば? いや、それもありえない。これは私と四美で練り上げた完璧な計画なんだから……)
 
 蜜柑のネックレスの娘が紅茶を淹れていた。透明なポットの中には、茶葉と一緒に適当な大きさにカットされた桃が入っている。ピーチティーだ。蜜柑のネックレスの娘が、突然このアイデアを思い立ったらしい。立ち込める湯気に甘酸っぱい香りが混ざっている。
 
 (誰が何を考えていようと関係ないわ。私は私の計画を遂行するだけよ。四美もそう思ってるはず。少しだけ予定外のことが起こったけど、大きな影響はないわ。さあ、四美、私達で決めた通りに動いて……)
 
 葡萄のネックレスの娘と目があった。二美は思わず顔を伏せる。
 
 (なによ。変な目で見ないでほしいわ。……まあいいわ。わたしがこいつらの目を気にするのも今日で終わり。明日からは、私がこの屋敷の主人になるんだから。この取るに足らない連中と同列に扱われるのは不愉快だったけど、それも今日で終わり。今だけは対等だと思わせておいてあげるわ)
 
 梨のネックレスの娘は空っぽのカップを覗き込んで、そこに紅茶が満たされるのを今か今かと待っている。二美は心の中で鼻を鳴らした。
 
 蜜柑のネックレスの娘は四つのカップを自分のほうへ引き寄せると、色濃いピーチティーを均等に注いだ。カップのふちまで一センチほどの余裕をもたせて紅茶が注がれたのを見て、梨のネックレスの娘は満足げな微笑みを浮かべた。蜜柑のネックレスの娘は三人にカップを配ると、自分のカップを持って席に着いた。
 
 二美はカップの持ち手をつまんで持ち上げ、鼻に近づけた。炒った茶葉の香ばしさの中に、桃の爽やかな香りがアクセントとなって鼻をくすぐる。悪くない。少し口をつける。おいしい。半分ほど喉に流し込んだ。
 
 (大丈夫よ。私の計画には何の狂いもない。あらゆる場合を想定して、万全な準備をしてきたのよ)二美は頭の中で計画を復習する。(そう、大筋のプランは固まってるけど、少々予定外のことが起こっても対応できるようにもしてるのよ。例えば………………あれ、なんだっけ。思い出せない。……いや、覚えている。覚えているけど、うまく記憶を引き出せない………………断片は出てくるけど、それらがうまく繋がってくれない。あれだけ準備したのに…………柔軟で完璧な計画だったのに。落ち着いて……思い出して…………考えがまとまらない。頭の中が散らかっている。紙に書き出して整理したい。でもここで書くわけには…………どうしたんだろう。頭が重い。頭が働かない。私の頭はどうしてしまったんだろう。頭の中に水銀が注がれたような。頭から水銀の海に沈んでいくような…………………いけない。私は何を考えているんだ。そうだ。計画だ。完璧な計画なんだ。思い出さなければ……)二美は頭の中で計画を復習する。(そうよ。何が起こっても問題ないわ。誰かが思わぬ行動をとったとしても。例えばあの女。あの忌々しい目つき。想像しただけで虫唾が走るわ。あんなのが私と血を分けた、私と同じ日に産まれた姉妹だなんて、まったく信じられないわ。確かに外見は似てるかもしれないけど、表情にはおのずと人となりが出るものよ。あの女の顔には、ひねくれきった性根がありありと見て取れるわ。品性の卑しさが顔面にこびりついてるのよ。それなのにどいつもこいつも、あの女も私も七つ子だって一緒に扱って、本当に許せない、許せない、許せない……………………って、そうじゃない。計画だ。私は計画を遂行しなくてはならない。私が今為すべきことは……)二美は頭の中で計画を復習する。(そう、四美よ。私と四美で立てた計画。四美だけは信頼できるわ。でも悪いけど、その四美にしたって、私が成り上がるための踏み台に過ぎないの。四美には利用されてもらうわ。大丈夫。私が女王様になったら、四美には悪いようにしないわ。私への貢献に見合うだけの配当は与えるつもり。だから心配しないで、私達の計画を実行するのよ。自分が何をするべきか解るでしょう? だから私は、私のするべきことをするのよ。私のするべきことは……………………だめだ、頭が働いてくれない。どうしてだろう。あれだけ入念に練りこんだのに。あれだけ何度も反芻したのに……)二美は頭の中で計画を復習する。(……頭が重い。重い……沈んでいくような……眠りに落ちていくような…………眠い。私は眠たくなっているのだろうか。紅茶を飲むと眠たくなるんだっけ。そんな気もするし、反対だったような気もする。どっちだろう。解らない。わからない…………眠い。紅茶を飲んでも眠くはならなかったはずだ。それともこの紅茶は特別なのだろうか。甘酸っぱいピーチティー。この紅茶は何か……特別な……)
 
 彼女の想像は半分当たっていた。この紅茶には、蜜柑のネックレスの娘によって睡眠薬が盛られていた。カップの半分を一気に飲み下した彼女は、即効性の睡眠薬によって、今にも眠りに落ちようとしていた。だが彼女は気づかない。頭の働きが鈍った彼女には、そんな単純な可能性にすら気づけない。
 
 (私は眠りに落ちようとしているのか。駄目だ。眠ってはいけない。私にはやらなければいけないことがある。この屋敷を私のものにするために。同じ日に産まれただけの忌々しい小物たちを名実ともに見下すために。だが、やるべきこととは何だろう? 解らない。思い出せない。だが、たしかにあるのだ。私にはやるべきことが。私が今すべきことは——)
 
 意識が途切れた。
 
 
 
「…………てください。起き…………さい。
 
 お嬢様、大変なんです、起きてください!」
 
 耳元でそう叫ばれて、娘は目を覚ました。
 
 (なによまったく、うるさいわね……。なんでこんな時間に起こされなきゃいけないのよ。こんな時間に……あれ? 今は何時だろう。私は何をしていたんだろう。そうだ。お茶会。私達は三時のお茶会をしていたのよ。それなのに、なんで眠っていたんだろう)
 
 娘を起こしたのは伊藤という女性の使用人だ。この屋敷に勤めて五十年になる古株の使用人で、かつてはその美貌から主人にたいそう可愛がられたものだが、いまでは顔中に隙間なくぎっしりとしわが寄り、ぽつぽつとが散らばって、見る影もない醜い老婆になっている。
 
 伊藤はほかの娘達も起こしていった。耳元で叫び、肩を揺さぶっているさまは、ただ事ではないことを物語っている。二人の娘が、迷惑そうにしながら目を覚ました。それぞれ苺、梨のネックレスを着けている。だが一人だけ、何度呼び掛けても、いくら肩を揺さぶっても、テーブルに突っ伏したまま目を覚まさない娘がいた。
 
 伊藤は、仕方がないという風に肩をすくめると、起きている娘たちに言った。
 
「お嬢様、大変なんです。応接間で、お嬢様が一人殺されているんです!」
 
「なんですって!」
 
 娘は叫ぶと、弾かれたように椅子から立ち上がり、応接間に向かって駆け出した。苺、梨のネックレスの娘もそれについていく。伊藤は「お嬢様、待ってください!」と叫びながら、よろよろした足取りで娘達を追いかけた。
 
 先頭の娘は扉を体全体で押し開け、応接間に飛び込んだ。つづいて二人の娘が雪崩れ込む。少し遅れて、伊藤が息も絶え絶えに入ってきた。そして四人は、その死体を目の当たりにした。
 
 それは紛れもなく七つ子の一人であった。廊下の死体と同じように、頸部に鋭い傷が走っている。しかし今度は、傷口から今も真新しい血がどくどくと流れ出し続けていた。目は虚ろだがその色ははっきりしており、殺されてからそれほど時間が経っていないことを示していた。
 
「そんな……六美まで殺されるなんて!」
 
 娘が叫んだ。
 
 
 
 娘達は口がきけなくなったように立ち尽くしてしまった。伊藤はどうすることもできず、せめて遺体を棺に納めようと、若い男性の使用人と共に納棺所へ向かった。
 
 (昨日は森川さんが殺されて、今日の朝、そして今回と、お嬢様が続けて……。誰がこんなことをしているのだろう。私は屋敷に仕える身なのに、どうして何もできないんだろう。老い先短い私には、この屋敷に命を捧げること以外ないのに……)
 
 納棺所は地下一階にある。階段を一段一段下るごとに空気がひんやりとしてくる。重い石扉を力いっぱい開けると、棚にぎっしりと棺が詰め込まれた光景が視界に飛び込んできて、押しつぶされるような心地がした。
 
 伊藤は空の棺が納められた棚から一つ引き出そうとした。男性の使用人が「私がやりましょうか」と手を差し伸べたが、「大丈夫よ。上まで運ぶのを手伝って頂戴」と言って、彼を扉の前で待たせておいた。
 
 しかし、彼女が引き出した棺には、体全体にずしり(、、、)と来る重みがあった。
 
 彼女は思わず棺を床に落とした。男性の使用人は、言わんこっちゃない、というふうに近づこうとしたが、彼女はそれを手で制した。嫌な予感がする。彼女は棺の蓋を開けた。
 
 棺は空ではなかった。みずみずしさが残る菊の花に包まれて、見慣れた娘が納められていた。頸部はやはり刃物で切り開かれており、そこから噴き出している血の強烈な錆臭さが、菊の香りを掻き消していた。棺に溜まった血は徐々に水位を上げ、白い花を赤く染め上げてしまおうとしていた。
 
 憐れな老婆は腰を抜かし、石の床にしたたかに身体を打ちつけた。ぱっくり裂けた頸と、流れ出す真っ赤な血が、舌を出して嗤っているように見えた。
 
 
 
 
 見分けのつかない七つ子のうち、三人が死んだ。
 
 残る四人は?
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