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問題編
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・以下の文章において、語り手の発言及び地の文には嘘は一切含まれないものとする
・示された数式に対する知識は不要である
秋の柔らかな日差しが、白い壁に木々の影を写し取っている。相変わらず大きな屋敷だ。私は、高校時代からの友人、帯刀逸人の見慣れた生家を見上げた。
彼のご両親はこの屋敷に相応しい、大層立派な方々だったが、息子にこの屋敷が渡るのは、何となく惜しい気がする。
帯刀は、優秀で気の良い男だが、旧家の当主などが務まるような器とは思えない。昔から、悪ふざけばかりして周囲を振り回すのが好きな、悪趣味な人間だ。しかし、彼の両親は、彼に期待しているのか、それとも家の発展などには大して興味が無いのか、早くも海外に渡って半隠居生活をしていて、今、ここには彼と、彼の弟だけが住んでいる。そして、来月からは、その弟の代わりに、帯刀の妻が住むことになる。今日は、帯刀の独身生活最後のパーティーだった。
私は言われていた通りに、チャイムも何も鳴らさずに、鍵のかかっていない門を開けた。よく手入れのされた庭では、スタンダードローズがこぼれんばかりの大輪の花をつけている。探偵などという情緒のかけらもない職業についている私でも、思わず嘆息が漏れるような美しさだった。バラを十分に鑑賞してから、やはり手入れの行き届いた玄関扉に手を伸ばしたところで、横から突然
「すみません」
という控えめな男の声がした。
声のする方を見ると、見たことのないおとなしそうな男が、紙とペンが置かれたテーブルの前に座っている。
「すみません、お手数ですが、こちらにお名前を書いていただけますか」
私は一瞬何のことかと思ったが、すぐに、帯刀のいつもの悪ふざけだとわかった。今日、帯刀は私たちに普段の格好で来いとしつこく念を押していた。御大層に受付を作って、その言に乗ってカジュアルな格好で来た私たちを驚かそうという腹らしい。
しかし、受付というのは付け焼き刃のアイデアらしく、芳名帳はただの小さなメモ帳だ。
メモ帳に目を落とすと、私のよく知る二つの名前のほかに、見覚えのない名前があった。私は言われたとおりにページの最後に自分の名前を書き、屋敷の中に入った。受付の彼はそのページを無造作に破り取る。情緒も何もあったものではない。こんな虚しいことのために外で座らされる彼に、心の底から同情した。
「早かったな、美樹」
私が広間に入ると、そう言って帯刀が手を挙げた。
「駅から徒歩だって言うから、もっと遅いと思ってたよ」
「こう見えても職業柄、歩くのは慣れてるんでね」
私がそう言うと、何がおかしいのか、帯刀は違いないねと言って笑った。
「相変わらず澄ました顔だねえ。気障な恰好しやがって」
広間の柱にもたれて黙り込んでいた六十谷が、挨拶もなしにそう言った。六十谷は私と帯刀の大学時代からの友人だ。六十谷はカジュアルシャツにジーンズという格好で、それを散々帯刀にからかわれたらしく、ずいぶん機嫌が悪そうだった。私もフォーマルスーツというわけではないが、一応ブレザーにスラックスという、カジュアルすぎない服装を選んだ。
そんな六十谷の様子を見て、帯刀はにやにやと笑っている。帯刀は仕立ての良い礼服姿だ。
六十谷と同じく、私たちの大学時代の友人、内部は、そんな二人の様子を横目で見ながら、やあ、と言って私に手を挙げた。彼はスーツを着ている。
「ところで、もう一人は? 」
私が帯刀に尋ねると、帯刀は不思議そうな顔をした。
「もう一人って誰だ? 」
「受付票に、六十谷と内部以外にもう一人名前があっただろ。クマガヤとかいう……」
私がそう言うと、帯刀はようやく合点がいったようだった。
「ああ、熊谷君のことか。あれは例の受付の彼の名前だよ。彼は幸雄の大学の友人でね、バイト代を渡して受付と準備の手伝いをしてもらってるんだ」
幸雄は帯刀の弟の名だ。私はそれを聞いて、ふと広間に彼の姿が見当たらないのに気が付いた。
「そう言えば、幸雄君は今日はいないのか? 」
「なんでも明日締め切りの課題が終わらないらしくて、部屋にこもってる。今呼んでくるよ。美樹さんが来たら呼びに来て、って言われてるんだ」
帯刀はどことなく関西訛りが残る幸雄の口調を真似た。帯刀が家の奥に続く方の扉に手をかけるのとほぼ同時に、玄関の扉が開く音が聞こえた。
「やあ、いらっしゃい。道はわかった? 」
ためらいがちに広間に入ってきた、見慣れない痩身の男に、帯刀は軽く手を挙げた。男はそんな帯刀を困惑したような目で見ながら、軽く会釈をした。
「ああ、思っていたより分かりやすかったよ。裏の駐車場に駐めさせてもらった。いや、驚いたよ、こんな立派なお屋敷だなんて……。本当に僕なんかが来ても大丈夫だったのか? 」
カジュアルジャケットにスラックスといういでたちの彼は、いかにも高級そうな調度品を落ち着きなく見まわした。
「もちろん大丈夫に決まってるだろ。今日は気楽なパーティーなんだし」
帯刀は満面の笑みで答えたが、それでも彼は、まだ不安そうに、それなら良かった、と小さく言った。
帯刀が、すぐに戻るよ、と言い残して広間を後にすると、その時初めて私たちの存在に気付いたかのように、気の毒な彼がこちらに挨拶をした。
「あ、えっと僕は帯刀君の同僚で、鹿海と申します」
彼はそう言って私に名刺を差し出してきた。私も彼に倣って名刺を取り出そうとして、名刺入れを忘れてきたことに気付いた。
「すみません、僕の方は名刺を持ってきていなくて。帯刀の高校時代からの友人で、栂井美樹です」
私の様子をにやにやと眺めながら、六十谷が名刺を取り出し、鹿海に向き直ったその時、二階から帯刀の叫び声が聞こえてきた。広間にいた全員が動きを止める。私は広間を飛び出して、階段を駆け上がった。
「幸雄、大丈夫か」
幸雄の部屋では、帯刀が憔悴した様子で幸雄の肩を揺さぶっていた。幸雄は頭から血を流して机に突っ伏している。彼が誰かに殴られたのは明らかだった。私は帯刀の腕を掴んで彼の手を幸雄の肩から外した。
「ちょっと落ち着け。傷が開いたらどうするんだ」
幸雄の顔に耳を近づけると、かすかに呼吸音が聞こえた。部屋の入口にはようやくほかの参加者たちが集まってきていた。
「まだ息がある。急いで救急車を呼んでくれ。警察もだ。この部屋には誰も入るな」
私は参加者たちに向かってそう叫んだ。
救急車が幸雄を運んで行った後、私は幸雄の部屋に残って彼を襲った犯人の手掛かりを探した。
幸雄の机の横には、血の付いた国語辞典が落ちていた。それは何年も前からこの部屋の本棚にあったものだ。これが凶器で間違いないだろう。
私は次に机の上に目を向けた。そこには数学の問題が書かれたプリントと、それを途中まで解いたものらしいレポート用紙(写真1)が並べられてあった。レポート用紙は血で汚れてはいたが、もうほとんど問題を解き終わっていたのが良く分かった。おそらく、これが帯刀の言っていた終わらない課題、なのだろう。他に何かないだろうかと思い顔を上げた瞬間、閑静な住宅街には似つかわしくない、けたたましいパトカーのサイレンが聞こえてきた。
写真1:レポート用紙
やってきた二人の刑事はまず彼らを事件現場に案内するよう私に命じ、次に私たち参加者に広間に集まるよう指示した。
私たちは一人ずつ別室に呼ばれ色々と質問を受けた。私はその内容を全員から聞き出してみたが、犯人はおろか、怪しい人物さえ絞り込むことはできなかった。そもそも、私と、熊谷以外の参加者は、幸雄のことをほとんど知らない。しかも、駐車場に面した裏口には鍵がかかっていなかった上に、私と鹿海の二人以外は、皆一度は広間から出ているため、アリバイが確かな人物が一人もいないという状況だった。この状況では、外部犯という可能性を捨てきることもできない。
幸い、幸雄の怪我は命に別条のあるようなものではない。警察は彼の意識が戻れば、全ては解決すると考えているようだが、私は彼らほど楽観的にはなれなかった。私はもう一度現場を見たいと思ったが、先程の刑事たちの反応を見る限り、このままではそれは難しそうだ。あまり使いたくない手だが、知り合いの警察関係者に頼るしかないようである。仕方なくその知人に電話をかけようとしたその時、若い方の刑事が私に声を掛けてきた。
「すみませんが、ちょっとこちらに来ていただけますか」
彼はどこか意地の悪そうな笑みを浮かべて、私を隣の部屋に連れて行った。そこに入ると、私はもう一方の刑事の正面に座るように指示された。まるで取り調べのような格好だ。
「栂井さん、あなた、ここに来て、広間に入る前に、被害者の部屋を訪れましたね? 」
席に着くや否や言われたその言葉に、私は面食らった。
「いいえ、そんなことはしていません」
私がそう答えると、刑事は机を勢いよく叩いた。
「嘘をつくんじゃない。こっちには証拠があるんだ」
「証拠? どんな証拠ですか? 」
やっていないことに証拠も何もあるはずがないが、一応聞いてみることにした。
「お前が到着する前に、お前と被害者が口論してるのを聞いたっていう証言があるんだよ」
「口論? 」
全く身に覚えがない。そもそも、私は今日の参加者の誰とも口論などしたことがない。
「お前が間違ってたとか、そんなことを言われてたそうじゃないか。十も年下の子供にそんなこと言われて、ついかっとなって殴ったんだろ? 」
「全く身に覚えがありませんね」
私がそう言うと、彼は再び、嘘をつくな、と叫んだ。
「証言者は、ちゃんとお前の名前が呼ばれたのを聞いたって言ってるんだ。お前がそこにいたことは間違いないんだよ」
「まあまあ、もういいじゃありませんか。どうせ、あと一、二時間もすれば、全部はっきりするんですから。ねえ、栂井さん」
若い方の刑事がにやにやと私の顔を覗き込んだ。
「ま、そうだな。わかりきったことなのに、馬鹿な奴だ。もういい、さっさと出て行け」
私は言われたとおりに席を立って部屋を出た。
とんだことになったものだ。これでは、知り合いの名前を出したところでどうにもならないだろう。せめて、あの証言が誤りだということを証明しなければ、犯人を見つけるどころか、下手をすると冤罪で逮捕されかねない。それにはまず、証言者が誰なのか突き止めないといけない。
地道に聞き出すしかないだろうと考え、広間のドアに手をかけたところで、唐突に私はその正体に思い当たった。
問題:ここで、読者諸氏には、この証言者が誰であるのかを、論理的な理由とともに指摘してもらいたい。なお、事件の犯人について考える必要はない。
・示された数式に対する知識は不要である
秋の柔らかな日差しが、白い壁に木々の影を写し取っている。相変わらず大きな屋敷だ。私は、高校時代からの友人、帯刀逸人の見慣れた生家を見上げた。
彼のご両親はこの屋敷に相応しい、大層立派な方々だったが、息子にこの屋敷が渡るのは、何となく惜しい気がする。
帯刀は、優秀で気の良い男だが、旧家の当主などが務まるような器とは思えない。昔から、悪ふざけばかりして周囲を振り回すのが好きな、悪趣味な人間だ。しかし、彼の両親は、彼に期待しているのか、それとも家の発展などには大して興味が無いのか、早くも海外に渡って半隠居生活をしていて、今、ここには彼と、彼の弟だけが住んでいる。そして、来月からは、その弟の代わりに、帯刀の妻が住むことになる。今日は、帯刀の独身生活最後のパーティーだった。
私は言われていた通りに、チャイムも何も鳴らさずに、鍵のかかっていない門を開けた。よく手入れのされた庭では、スタンダードローズがこぼれんばかりの大輪の花をつけている。探偵などという情緒のかけらもない職業についている私でも、思わず嘆息が漏れるような美しさだった。バラを十分に鑑賞してから、やはり手入れの行き届いた玄関扉に手を伸ばしたところで、横から突然
「すみません」
という控えめな男の声がした。
声のする方を見ると、見たことのないおとなしそうな男が、紙とペンが置かれたテーブルの前に座っている。
「すみません、お手数ですが、こちらにお名前を書いていただけますか」
私は一瞬何のことかと思ったが、すぐに、帯刀のいつもの悪ふざけだとわかった。今日、帯刀は私たちに普段の格好で来いとしつこく念を押していた。御大層に受付を作って、その言に乗ってカジュアルな格好で来た私たちを驚かそうという腹らしい。
しかし、受付というのは付け焼き刃のアイデアらしく、芳名帳はただの小さなメモ帳だ。
メモ帳に目を落とすと、私のよく知る二つの名前のほかに、見覚えのない名前があった。私は言われたとおりにページの最後に自分の名前を書き、屋敷の中に入った。受付の彼はそのページを無造作に破り取る。情緒も何もあったものではない。こんな虚しいことのために外で座らされる彼に、心の底から同情した。
「早かったな、美樹」
私が広間に入ると、そう言って帯刀が手を挙げた。
「駅から徒歩だって言うから、もっと遅いと思ってたよ」
「こう見えても職業柄、歩くのは慣れてるんでね」
私がそう言うと、何がおかしいのか、帯刀は違いないねと言って笑った。
「相変わらず澄ました顔だねえ。気障な恰好しやがって」
広間の柱にもたれて黙り込んでいた六十谷が、挨拶もなしにそう言った。六十谷は私と帯刀の大学時代からの友人だ。六十谷はカジュアルシャツにジーンズという格好で、それを散々帯刀にからかわれたらしく、ずいぶん機嫌が悪そうだった。私もフォーマルスーツというわけではないが、一応ブレザーにスラックスという、カジュアルすぎない服装を選んだ。
そんな六十谷の様子を見て、帯刀はにやにやと笑っている。帯刀は仕立ての良い礼服姿だ。
六十谷と同じく、私たちの大学時代の友人、内部は、そんな二人の様子を横目で見ながら、やあ、と言って私に手を挙げた。彼はスーツを着ている。
「ところで、もう一人は? 」
私が帯刀に尋ねると、帯刀は不思議そうな顔をした。
「もう一人って誰だ? 」
「受付票に、六十谷と内部以外にもう一人名前があっただろ。クマガヤとかいう……」
私がそう言うと、帯刀はようやく合点がいったようだった。
「ああ、熊谷君のことか。あれは例の受付の彼の名前だよ。彼は幸雄の大学の友人でね、バイト代を渡して受付と準備の手伝いをしてもらってるんだ」
幸雄は帯刀の弟の名だ。私はそれを聞いて、ふと広間に彼の姿が見当たらないのに気が付いた。
「そう言えば、幸雄君は今日はいないのか? 」
「なんでも明日締め切りの課題が終わらないらしくて、部屋にこもってる。今呼んでくるよ。美樹さんが来たら呼びに来て、って言われてるんだ」
帯刀はどことなく関西訛りが残る幸雄の口調を真似た。帯刀が家の奥に続く方の扉に手をかけるのとほぼ同時に、玄関の扉が開く音が聞こえた。
「やあ、いらっしゃい。道はわかった? 」
ためらいがちに広間に入ってきた、見慣れない痩身の男に、帯刀は軽く手を挙げた。男はそんな帯刀を困惑したような目で見ながら、軽く会釈をした。
「ああ、思っていたより分かりやすかったよ。裏の駐車場に駐めさせてもらった。いや、驚いたよ、こんな立派なお屋敷だなんて……。本当に僕なんかが来ても大丈夫だったのか? 」
カジュアルジャケットにスラックスといういでたちの彼は、いかにも高級そうな調度品を落ち着きなく見まわした。
「もちろん大丈夫に決まってるだろ。今日は気楽なパーティーなんだし」
帯刀は満面の笑みで答えたが、それでも彼は、まだ不安そうに、それなら良かった、と小さく言った。
帯刀が、すぐに戻るよ、と言い残して広間を後にすると、その時初めて私たちの存在に気付いたかのように、気の毒な彼がこちらに挨拶をした。
「あ、えっと僕は帯刀君の同僚で、鹿海と申します」
彼はそう言って私に名刺を差し出してきた。私も彼に倣って名刺を取り出そうとして、名刺入れを忘れてきたことに気付いた。
「すみません、僕の方は名刺を持ってきていなくて。帯刀の高校時代からの友人で、栂井美樹です」
私の様子をにやにやと眺めながら、六十谷が名刺を取り出し、鹿海に向き直ったその時、二階から帯刀の叫び声が聞こえてきた。広間にいた全員が動きを止める。私は広間を飛び出して、階段を駆け上がった。
「幸雄、大丈夫か」
幸雄の部屋では、帯刀が憔悴した様子で幸雄の肩を揺さぶっていた。幸雄は頭から血を流して机に突っ伏している。彼が誰かに殴られたのは明らかだった。私は帯刀の腕を掴んで彼の手を幸雄の肩から外した。
「ちょっと落ち着け。傷が開いたらどうするんだ」
幸雄の顔に耳を近づけると、かすかに呼吸音が聞こえた。部屋の入口にはようやくほかの参加者たちが集まってきていた。
「まだ息がある。急いで救急車を呼んでくれ。警察もだ。この部屋には誰も入るな」
私は参加者たちに向かってそう叫んだ。
救急車が幸雄を運んで行った後、私は幸雄の部屋に残って彼を襲った犯人の手掛かりを探した。
幸雄の机の横には、血の付いた国語辞典が落ちていた。それは何年も前からこの部屋の本棚にあったものだ。これが凶器で間違いないだろう。
私は次に机の上に目を向けた。そこには数学の問題が書かれたプリントと、それを途中まで解いたものらしいレポート用紙(写真1)が並べられてあった。レポート用紙は血で汚れてはいたが、もうほとんど問題を解き終わっていたのが良く分かった。おそらく、これが帯刀の言っていた終わらない課題、なのだろう。他に何かないだろうかと思い顔を上げた瞬間、閑静な住宅街には似つかわしくない、けたたましいパトカーのサイレンが聞こえてきた。
写真1:レポート用紙
やってきた二人の刑事はまず彼らを事件現場に案内するよう私に命じ、次に私たち参加者に広間に集まるよう指示した。
私たちは一人ずつ別室に呼ばれ色々と質問を受けた。私はその内容を全員から聞き出してみたが、犯人はおろか、怪しい人物さえ絞り込むことはできなかった。そもそも、私と、熊谷以外の参加者は、幸雄のことをほとんど知らない。しかも、駐車場に面した裏口には鍵がかかっていなかった上に、私と鹿海の二人以外は、皆一度は広間から出ているため、アリバイが確かな人物が一人もいないという状況だった。この状況では、外部犯という可能性を捨てきることもできない。
幸い、幸雄の怪我は命に別条のあるようなものではない。警察は彼の意識が戻れば、全ては解決すると考えているようだが、私は彼らほど楽観的にはなれなかった。私はもう一度現場を見たいと思ったが、先程の刑事たちの反応を見る限り、このままではそれは難しそうだ。あまり使いたくない手だが、知り合いの警察関係者に頼るしかないようである。仕方なくその知人に電話をかけようとしたその時、若い方の刑事が私に声を掛けてきた。
「すみませんが、ちょっとこちらに来ていただけますか」
彼はどこか意地の悪そうな笑みを浮かべて、私を隣の部屋に連れて行った。そこに入ると、私はもう一方の刑事の正面に座るように指示された。まるで取り調べのような格好だ。
「栂井さん、あなた、ここに来て、広間に入る前に、被害者の部屋を訪れましたね? 」
席に着くや否や言われたその言葉に、私は面食らった。
「いいえ、そんなことはしていません」
私がそう答えると、刑事は机を勢いよく叩いた。
「嘘をつくんじゃない。こっちには証拠があるんだ」
「証拠? どんな証拠ですか? 」
やっていないことに証拠も何もあるはずがないが、一応聞いてみることにした。
「お前が到着する前に、お前と被害者が口論してるのを聞いたっていう証言があるんだよ」
「口論? 」
全く身に覚えがない。そもそも、私は今日の参加者の誰とも口論などしたことがない。
「お前が間違ってたとか、そんなことを言われてたそうじゃないか。十も年下の子供にそんなこと言われて、ついかっとなって殴ったんだろ? 」
「全く身に覚えがありませんね」
私がそう言うと、彼は再び、嘘をつくな、と叫んだ。
「証言者は、ちゃんとお前の名前が呼ばれたのを聞いたって言ってるんだ。お前がそこにいたことは間違いないんだよ」
「まあまあ、もういいじゃありませんか。どうせ、あと一、二時間もすれば、全部はっきりするんですから。ねえ、栂井さん」
若い方の刑事がにやにやと私の顔を覗き込んだ。
「ま、そうだな。わかりきったことなのに、馬鹿な奴だ。もういい、さっさと出て行け」
私は言われたとおりに席を立って部屋を出た。
とんだことになったものだ。これでは、知り合いの名前を出したところでどうにもならないだろう。せめて、あの証言が誤りだということを証明しなければ、犯人を見つけるどころか、下手をすると冤罪で逮捕されかねない。それにはまず、証言者が誰なのか突き止めないといけない。
地道に聞き出すしかないだろうと考え、広間のドアに手をかけたところで、唐突に私はその正体に思い当たった。
問題:ここで、読者諸氏には、この証言者が誰であるのかを、論理的な理由とともに指摘してもらいたい。なお、事件の犯人について考える必要はない。
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