36 / 39
第四章 罪を遡る 八
しおりを挟む八
一同は皆怯えた顔になって、入り口の戸を凝視した。唯一岩清水のみが、違った反応を示した。彼女は腕時計を見て呟いた。
「五分早い……」
控えめにドアが開き、背広にワイシャツ、ネクタイ姿の二人の男が入って来た。年配の方は小太りで、洋ナシの形をした人懐っこそうな顔をしていた。一方比較的若い方は痩身で、不愛想な感じである。この二人の男にも、鷹居は見覚えがあった。
「お話し中失礼します。東品川署の斉藤と申します」
「同じく井上です」
「刑事さん……」
彼らを見て戸山が呟く。
「あなた方を呼んだ覚えはありませんが」
戸山が不快そうな顔をして言うと、小太りの斉藤がにっこりと笑みを見せながら応えた。
「いえ、今日は私どもの方が皆さんに用があって来ました」
「……今立て込んでいるのですが、お急ぎですか?」
戸山がなおも不快をあらわにするが、斉藤は全く気にするそぶりも無く返す。
「急ぎです。実は、先ほど埼玉県と長野県の県境にある山の中で、品川医科大学再生医学講座准教授の宮垣俊介氏の遺体が発見されました」
「何だって……?」
「その件で、戸山亮介さんと鷹居容平さんにいろいろとお尋ねしたいことがあります」
戸山講師室は、既に詰めていた六人の男女に加え、新たに二人の刑事が入って来たので、だいぶ狭くなっていた。斉藤の発言に、戸山と鷹居が返事もできずにいると、岩清水がさらりと述べた。
「戸山先生、鷹居さん。私の父の遺体がどうして警察に発見されてしまったのかと、びっくりしているようですね。でもそう驚くことはありませんよ。お二人が埋めた私の父の遺体の埋葬場所ですが、実は私が東品川署にご連絡したのです。
私がなぜそれを知っているのかとお訊ねになりたいのは分かります。でもそれは簡単なことですよ」
岩清水は造ったような笑顔で続ける。
「私は鷹居さんのご自宅まで行って、アパート前の駐車場に停まっていた鷹居さんの軽乗用車の下面に、鷹居さんには知られないようにしてGPS発信器を付けておいたのです。
案の定、鷹居さんはその後一人で埼玉県と長野県の県境にある山中へ出かけられたことがありましたね。それでだいたいの位置が分かりました」
鷹居は眉根を寄せ、しまったという顔をした。源右衛門を埋めた場所には絶対に行かないこと、と戸山に堅く約束させられていたのに、鷹居はそれを破っていた。
戸山が咎めるような顔をして鷹居をにらんだが、もはや観念したのか何も言わなかった。岩清水はひとこと付け加えた。
「刑事さん。戸山先生と鷹居さんのお二人を任意で事情聴取されるのは結構ですが、それはこちらの話を済ませてからでもよろしいですね」
刑事達は
「もちろんです」
と言って、同時にうなずいた。
「私たちも、ここで皆さんのお話を聞かせてもらっていいでしょうか」
二人は入り口横に仁王立ちのままだ。
「いいですね、皆さん」
刑事達の申し出に対し、岩清水が一堂に同意を求めたが、誰も無言であった。岩清水は勝手にそれを同意と捉えると、刑事達をちらりと見やってから、述懐を再開した。
「ではもう少し私の話を続けます。父の宮垣が本当に亡くなったのか。そしてその遺体は今どこにあるのか。さっきの新船先生のその疑問に対しては、今の刑事さん達のご発言で明快な答えが出たと思います。
そこでここからの私のお話は、今回の戸山先生のプロジェクトの内容から続けさせていただきます。刑事さん達が来る前に、河原井先生から頂いた『なぜ萌芽さんは、屍村の庵から源右衛門の死体が消えたことについて鷹居さんから情報を得ようとしたのか』というご質問に対しても、おいおいお応えしていくつもりです」
岩清水は、そう前置きのような言葉を挟んでから説明を紡いだ。
「戸山先生は、今回のプロジェクトで江戸時代の農民の蜂起と直訴の物語をよりリアルな形で描くという名目で、現場のロケセットを用意し、その随所に隠しカメラを設置して、俳優たちの演技をドキュメンタリー的に収録しました。
しかしそのプロジェクトの本当の目的は、私の父である宮垣俊介に復讐するためだったのです。戸山先生、あなたはあなたの一人息子であるまひるさんが自殺したのは、医局における父の行き過ぎた指導やパワハラが原因だったと信じているようですね」
岩清水の冷たい目線を受けながら、戸山は岩清水を逆に睨み返した。
「そうではなかったのかね。宮垣先生の行き過ぎた指導やパワハラは、何もまひるに対して限ったことではない。ここにいる河原井先生や新船先生だって経験していることではないのかな」
戸山は二人の医師の顔色を見やってから
「息子のまひるは私と違って頭の切れる人物でね。夢もあった。再生医学の分野でも、いろいろと新しい研究のアイデアや臨床へのその応用方法を考案していたのだ。生きていればきっと、重病に苦しむ多くの患者を救ったに違いない。
それを、宮垣准教授は自分のやり方にそぐわないというだけの理由で、自分に逆らうのかと叱責したり意見や提案を却下したりしていたようだ。
『宮垣先生は自分の考えを少しも理解してくれない』と、息子はいつも悩んでいた。私にもっと相談してくれればよかったのにと、いまさら悔やんでも仕方のないことだが……」
戸山は目頭を押さえ、しばし言葉を切ってから、うつむいてゆっくりとかぶりを振った。
「そんなある日、まひるは突然自分で自分の命を絶ったのだ」
言って戸山は、いまさらのようにがっくりと肩を落とした。
一同の間に、沈黙が漂った。
だがその空気の中に火花を散らすように、岩清水は平然と言い放った。
「まひるさんの自死は、本当にお気の毒だったと思います。しかしそれだけの理由で父を恨むのは逆恨みだと思います」
「逆恨みなどではない。宮垣准教授からアカハラやパワハラ、はたまたセクハラの被害を受けた医局員や看護師は数知れない。あの男の死を望んでいた者は、私以外にも一人や二人ではない」
戸山は怒気を強めたが、一方の岩清水は取り合わず一同の方を向き直った。
「ともかく、ここにいらっしゃる皆さんは、そんな戸山先生の個人的な復讐に取り込まれ、お一人お一人が皆そのコマとなって、先生の立てた台本通りに動かされていたのです」
岩清水の毅然とした態度に、戸山は押し黙った。しかしそれは屈服ではなく、反抗を意味する沈黙であった。
「父の宮垣扮する柏屋源右衛門は」
岩清水は続けた。
「シナリオの上では、公儀隠密という秘められた任務と屍村村民の代表という重大な立場の狭間にあって、自害を決行するということになっていました。源右衛門は邸の庭にある庵に籠り、そこで武士らしく切腹する演技を行うことになっていた。だからお芝居用の、刃の入っていない短刀を右手に持っていたのです。
しかし鷹居さん扮する惣兵衛が、鍵のかかった庵で源右衛門を発見した時、その胸には二本の短刀が深く刺さっていました。さらにもう一本、同じ短刀が庵の窓とは反対側の壁に真っすぐ突き立っていました。
そして惣兵衛が庵の戸を壊して中に入り、源右衛門を抱きあげたところで源右衛門扮する父は、『下手人は影無き幽霊』という、謎の言葉を残して死にます。もちろんこれは台本になかったことで、父は本当にそこで何か不思議なものを見たに違いない。
その部分はお芝居ではない。そこで確かに殺人が行われたのです。では父は何を見たのか。そして密室となった庵の中で誰が父を刺し殺したのか。犯人は、入り口ドアにも窓にも鍵のかかった庵からどうやって抜け出たのか。本当に下手人は影亡き幽霊だったのか。
こういった謎は、ある一つのことを示している、と私は思います」
皆しんと静まり返ったまま聞いている。岩清水の話に引き込まれているようだ。だが当の岩清水は、その口調に決しておごる様子もなく、淡々と述懐を紡いだ。痩身の井上刑事は、いつの間にか取り出した手帳に、黙ってメモを書き込んでいた。
「父が殺害されたこの事件において最も重要なポイントは、庵の中になぜ本物の短刀が、しかも三つもあったのか。本来ならば、お芝居用に刃を入れていない短刀がひとつあればそれで事足りたはずです。源右衛門はそれで腹を切るふりをして、惣兵衛の腕の中で死んで行く。それでお芝居は終わり、のはずだった」
言葉を挟む者はいなかった。岩清水の声色は、そこでやや高くなった。
「ここでお芝居をしめくくるシナリオが三つありました。
繰り返しになりますが、一つ目は皆さんが持っていた台本通りのしめくくりです。すなわちさっきご説明したように、源右衛門は自害し惣兵衛の腕の中で息絶えた。これはただのお芝居です。
では二つ目とは何か? それが戸山先生と鷹居さんとの間で秘密裏に交わされていた裏のシナリオですが、これには印刷された台本はありません。証拠を残さぬためです。
ところがしめくくりにはもう一つありました。
そう。三つ目のしめくくりとは、鷹居さん以外の犯人が、鷹居さんが庵を訪れる前に源右衛門を刺し殺していた、というものです。そして実際に行われたのは、この三つ目のしめくくりであったのです。もし犯人が二つ目のシナリオ、すなわち鷹居さんが源右衛門を刺殺するという内容をあらかじめ知っていたら、犯人が自らの手で源右衛門を殺害することはなかったと、私は思うのですが……」
「誰が殺ったというのだ。鷹居さん。宮垣先生扮する源右衛門を刺したのは、本当にあなたではないのか?」
戸山がいきなり岩清水の話の中に割って入った。その目は冷ややかに鷹居を捉えている。鷹居はかぶりを振り、
「自分ではない」と無言で戸山に訴えた。
「戸山先生。慌てずとも、犯人はこの室内にいます。もう少し、私に話を続けさせてください」
戸山は岩清水をにらみつけたが、その場にてそれ以上自分が主張することはないというように、黙って目を伏せると両腕を組んだ。
「源右衛門の邸の庭にある庵は、先ほども私がご指摘したように完全な密室でした。壁にも天井にも抜け穴などはありません。窓の隙間もわずかで、そこから糸を操って扉の閂錠を閉じることも不可能です。
室内には、瀕死の状態で横たわる白装束姿の源右衛門の他、三本の真剣短刀、一本の刃がない短刀、行燈、そして窓の下に高さ一尺ほどの白木の台があっただけで、その他には何もない。この状態で庵を密室にするトリックとは一体どんなものだったのでしょう。
戸山先生と鷹居さんが考えていたこのお芝居の最後は、再三言うように自害した芝居をしている源右衛門を、惣兵衛が本当の短刀で刺して殺害するというものでした。
つまり惣兵衛に扮した鷹居さんは、お芝居ではなく本気で殺人を行う予定だったのです。が、結果として胸に短刀を刺されて死に際となっていた源右衛門を発見し、その最期を見届けてから洞窟に逃げ帰りました。
しかしこの時鷹居さん扮する惣兵衛は、源右衛門の胸の短刀をより深く突き刺してとどめを刺すこともできたはずです」
岩清水は眼光鋭く鷹居を注視する。
「な……何を言うのです。私は決してそのようなことは」
鷹居が口ごもっていると、岩清水は今度は戸山に目を向けた。
「一方戸山先生は、ずっと洞窟で待っていたふりをして、実は鷹居さんが通る道とは別の枝道をトラックで通って庵まで乗りつけていました。
なぜそんなことをしたかというと、戸山先生はそこで鷹居さんが庵から出て洞窟に戻って行くのを見届けてから、源右衛門の死体をトラックに積み、また同じ道を引き返して鷹居さんより早く洞窟に戻るためです」
そこで言葉を切った岩清水は、自分の話が皆を惹き付けている様子を確認した。そうして一つ微笑むと、素早く説明を継いだ。
「皆さんのお顔が、じらさずに早く言えと言っているようなので、この辺で私が辿り着いた真相へと話を進めましょう」
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
なお、スピンオフもございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる