完璧からはほど遠い

橘しづき

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 仕事を切り上げた私は、まず成瀬さんの家に行く前に街を走り回った。

 新しい物件探し、それと防犯グッズの購入だ。大和は本当に頭がおかしくなってしまったようなので、自分の身は自分で守るしかないと思い、沙織の勧めもありホームセンターで手に入れた。ただ、引っ越したとしても職場が一緒だというのは大変まずい。かといってさすがに転職までするのはどうなのだ、と頭を悩ませている。

 残念ながら大和の言う通り、二回家に来たというレベルでは、警察は動けないだろうと思う。付きまとい、と呼ぶにはややエピソードが薄い。もう少し泳がせて、何度も私のアパートに来てくれる方が相談しやすいのかもしれない。今すぐは動けそうになかった。

 物件は成瀬さんのマンション近く、という条件を除けば、いいところはいくつかあった。大和のことを考えると、今住んでるアパートからなるべく離れた方がいいとは思うので、こちらの方がよかったとも思う。まだ決定したわけではないが、候補はいくつか上がった。もう少しだけよく考えてから決めよう。

 結局色々走り回っていたので、成瀬さんのマンションに到着したのは夜の九時になっていた。なんせ自分のアパートもすぐ近くなので、大和と鉢合わせたら、という恐怖に追われながらもなんとかたどり着いた。まだ成瀬さんは帰っていないだろう、家の中で待たせてもらうことにしよう。

 エレベーター前にたどり着き呼び出す。鞄の中に入っている鍵を、一度取り出して触れた。ひんやりとした金属の冷たさが、心地よく思えた。

 これ使うの、今日が最後だろうな。

 しっかりしまいながらため息をつく。エレベーターが到着したので乗り込んだ。

 自分でもかなり勇気を振り絞ったな、と思う。成瀬さんにちゃんと告白して終わろう、だなんて。しかも、正直今それどころじゃない。でも言わなくちゃならない、自分へのけじめなのだから。このままじゃ言えないままフェードアウトしそうだ、それだけは絶対に嫌。

 私が好意を抱いていたと知れば、どんな顔をするだろう。なんていうだろう。成瀬さんが言わなきゃいけないこと、って、やっぱり新しく彼女が出来たとかそういうことだろうか。

 目的の階に到着して降りる。のそのそと遅い足で部屋に向かった。そして今更緊張が増してくる。一体どういう風に切り出そうか、今から脳内シミュレーションを始めよう。しまったなあ、あまりこういう経験は豊富ではないのだ。

 盛大なため息をつきながら、見慣れたドアの前にたどり着いた。私は鞄の中を漁り鍵を探す。あれ、さっきしっかりしまったはずなんだけど、どこに行ったっけ。

 ガサゴソと鞄の中をひっくり返しているとき、突然背中から声がした。

「おかえり」

 びくっと体が跳ねる。驚きで振り返ると、成瀬さんがこちらに向かって歩いてくるところだった。

 ……え! 思ったより早いんですけど。まだシミュレーションしてないんですけど!

 慌てふためきながら混乱していると、手から鞄を落としそうになる。成瀬さんがタイミングよくそれをキャッチしてくれた。

「おっと、また落とすとこだったよ」

「す、すみません!」

「はい」

「ありがとうございます、早かったですね成瀬さん」

「うん、急ぐねって言ったでしょ」

 そう笑いかけてくれる成瀬さんは、いつも通りに見えた。ここ最近避けられていたとは思えないほど、普通に話してくれてる。でもそのいつも通りが、私にとっては辛くて悲しかった。

 笑顔を返せない。

 そんな私を見て、成瀬さんは困ったように視線を落とした。

「えーと、ご飯ありがとう」

「……いいえ」

「なかなか家にいなくてごめん。色々……考えてて」

 バツが悪そうに言う。そして話題を変えるように、彼はポケットを漁った。

「とりあえず入ろうか、寒いし。中でゆっくり話は聞くよ」

 取り出したそれを鍵穴に差し込んだ。私は返事すら返せないまま、ただ俯いて立っている。慣れ親しんだこのマンション、思い出がありすぎて辛い。

 多分、入るのは今日が最後になる。でも、言うんだ。ちゃんときっぱり終わらせなきゃいけないんだ。私は心の中で強く決意する。

 カチャリと鍵が開く音がした。そのまま彼が扉を開けた瞬間、この場にいるはずのない高い声が響きわたった。

「えー? 佐伯さんー??」

 二人ともびくっと体を固まらせた。

 幻聴だとは思えなかった、だって目の前の成瀬さんですら驚いてる。私と彼はほぼ同時にゆっくり振り返った。そんなわけない、いるはずない。でもやっぱり、そこにはあの爪先まで女子力全開のあの子が立っていたのだ。不思議そうにこちらを見ている。

「え、高橋さん?」

 私のひっくり返った声がした。

 高橋さんは首を傾げながらこちらに歩いてくる。ヒールの音がカツカツと廊下に響いた。私と成瀬さんを交互に見て、怪訝な顔になる。

「あれー? 何で二人が一緒にいるんですかあ? ここって、成瀬さんのおうちですよね?」

 ……見られた。

 どう言い逃れも出来ない、私と成瀬さんが部屋に入ろうとしてるところ。よりにもよって高橋さんに見られた。これまで社内の人にばれないよう必死になってきたというのに。
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