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オフィスに潜む狂気
視線
しおりを挟む伊藤さんは小さく笑った。
「たまたま友達の友達と気があったりとかして輪が広がっただけだよ」
「伊藤さんの人柄あってのことですよ……ほぼゼロな私は見習いたいです」
自分で言うのも恥ずかしいが友達と呼べる人は今までほとんどいなかった。私はため息を漏らす。
「連絡先だって、伊藤さんと九条さんと麗香さんしかいないんですよ」
「あれっ。いつのまに朝比奈さんと?」
「なんか一緒に銭湯に行った時、あれよあれよと言うまに」
「あはは! なんだ、仲良くなってるんじゃない」
以前ある依頼で知り合うことになった腕の確かな霊能者の女性と、連絡先だけは交換している。時々『昨日のドラマ録画してたりしない?』とか連絡が来たりしている。かなり自由な人で、私が返事をしても返ってこないことがほとんどである。
「仲がいいのか……?」
「別に友達は多い、少ないは関係ないんじゃないかな? その人それぞれだよ。広く浅くの人もいれば狭く深くもいるし。数を比較する必要はないよ。友達いなくていいって人もいるから。今自分が必要な存在はその人によって違うよ」
柔らかな口調でそう言われたのでつい隣を見た。その言い方と同じくらい優しく笑う人がいたので、どこか心が温かくなる。
……本当に、なんでこんなにいい人なんだろう。
ただ明るいとか優しいとかじゃなくて、人の痛みを分かるというか。私の過去を知った上でいろんな言葉をくれる。包容力が桁外れだ。
それと同時に、これだけ出来すぎると本人は苦しくないのだろうか、と心配になってしまった。職場や友人、前の仕事仲間からさえも頼りにされるなんて、彼はあまりに頼りにされすぎている。
だって、きっと持つものが多すぎても持ちきれないはずなのに。それでも彼はいつでも人の心配ばかりしてくれている。
「どうしたの?」
首を傾げて笑う人に、私は正直に言った。
「伊藤さんをまた拝もうと思ったんですけどね」
「あはは」
「あんまりにいい人すぎるから、心配になってしまったところです。いろんな人に頼りにされるだろうし、期待されるだろうから。伊藤さん自身が辛くなる時はないのかなって。あの、無理しないでくださいね。私なんかに出来ることがあれば何でもしますから、言ってください」
私がそう言うと、彼は驚いたように表情を変えた。少しだけ目を丸くして、私をみている。しまった、変なことを言ってしまっただろうか。そもそも私だってめちゃくちゃ頼りにしてるくせに。
私は頭を下げた。
「あ、すみません余計なお世話でした! 私こそいつも伊藤さんを頼りにしてるっていうのに……」
「いや、ちょっとびっくりした。そんなこと言われたことなかったなって」
「す、すみません」
「光ちゃんって、面白いよね」
慌てている私に伊藤さんはそういった。彼は少しだけ目を細めて私に笑っていた。やや面食らって答える。
「それ九条さんにも言われるんですけど、どう考えても九条さんの方が面白いと思います」
「はは、確かにね。九条さんとはまた違った面白さ。褒めてるんだよ、いい子だねってこと」
「それだって、どう考えても伊藤さんの方がいい人です」
「そう? 光ちゃんはいつも僕を聖人扱いして拝んでるけど。そんなにいい人でもないよ。
普通に僕も頭の中は男だから」
そう言った伊藤さんの声はいつもとどこか声色が違うような気がして、なぜか一瞬どきりとした。
横を見ると、いたずらっぽく笑っている伊藤さんがいてつい目線を逸らす。
そりゃ、いくら童顔で優しくても伊藤さんが男性ってことを忘れたことはないけど……実は私より年上だし……いやでもちょっと忘れてたかも。
なんとなく気まずくなってようやくパソコンの写真たちに視線を戻した。そうそう、昨日見た男の人をこの中にいるか探すんだった。ええっと……
何枚か並んでいる写真たちに集中し出した時だった。
突然、目の前の画面がバチンと音を立てて真っ暗になったのだ。私は驚いて顔をあげる。
「どうしたの?」
「あれ、なんか電源が落ちちゃったみたい? で……」
「あれ? ちょっと待ってね」
伊藤さんが何やら作業をしだす。不調なのかなパソコン。私は静かにそのまま待っている。けれど少し経って、伊藤さんが少し険しい顔になって首を傾げた。
必死に操作している様子を見守りながら声をかけてみる。
「伊藤さん……?」
「ちょっと待ってね。
ないんだ。さっきまでのファイルが」
「え」
伊藤さんは何度かキーボードを叩く。私は焦って聞いた。
「わ、私なんか触っちゃったんでしょうか……!」
「いや、光ちゃんが何も触ってないのは見てたから知ってるよ。おかしいな、他のものは無事みたいなのに、さっきのあれだけだ。どうしたんだろう」
「伊藤さんが必死に調べ上げたものなのに……」
二人で画面を見つめながら不思議がる。一体なぜ? 突然電源が落ちて、あのファイルだけが消えるだなんて。そんなおかしなこと……
そう思っていた時だった。突然背筋に説明し難い寒気が走った。例えるなら冷風が私の背中にだけ当てられたような。
ばっと顔をあげる。
「? 光ちゃん?」
私は無言で事務所内を見渡す。見た目はいつも通りの光景だ。それでも、
どこかから視線を感じる。
私は立ち上がった。そうっと足を踏み出す。精神を集中し、再びぐるりを辺りを見渡しながら一回転した。何かがみてる。誰かがみてる。
私たちを息を潜めてじっと見つめている。
その時目に入ったのは、白いカーテンだった。それはいつも私が使っている仮眠室への入り口で、向こうには簡易的なキッチンやベッド、食料の入った戸棚などが置いてある。
その白いカーテンは閉められていたが、ほんの数センチだけわずかに隙間があった。私は足音を立てないようにそこへ近づいていく。バクバクと鳴り響く心臓を押さえながら注視した。
目があった。
隙間から一つの目がこちらを覗いている。
ばちりと視線が合った途端、私はそれから目が離せなくなっていた。
操られるようにそれに近づく。なんだか自分の体ではないように感じた。九条さんを、九条さんを起こさなくては。そう思うのにまるで言うことを聞いてくれない。
そしてゆっくりそのカーテンに手をかけた。
「光ちゃん!」
背後で声が聞こえる。ハッとしたがその瞬間、私は白いカーテンを思い切り開いていた。
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