視えるのに祓えない~九条尚久の心霊調査ファイル~

橘しづき

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聞こえない声

狂った人

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 ただ呆然と彼の顔を見続ける。菊池さんは深い深いため息をついた。そして一度天井を見上げる。

「どうしてかなあ。君こそ運命だって見た瞬間思ったんだけどなあ」

 子供が純粋に何かを疑問に思うようなトーンでそう言う。

 頭の中が整理しきれないままだが、両手と両足が縛られている時点でもう状況把握なんてしている場合じゃないと思った。これは身の危険だ、もしかして彼の告白を断ったから? そんな逆恨みを?

 私は彼に気づかれないようにもぞもぞと手首を動かす。背後で縛っているそれは細いロープのようだった。隙間なくギッチリ固定されている。

「おかしいなあ、おかしいよなあ。なんでかなあ」

「菊池さん、落ち着いてください……ゆっくり、話を聞かせてくれませんか?」

 なんとか刺激しないように質問してみる。上を見上げていた彼がそっと視線を下ろした。目があっただけで飛び上がってしまいそうな恐ろしさが襲ってくる。

 まともじゃない。正気じゃない。

「こ、ここはどこなんですか?」

「んー? 助けになんて来ないよ。住んでるのとはまた別のお部屋。僕の実家って結構お金持ちでね、マンションとかアパートとか持ってるの。そのうちの一つ」

「ど、どうしてここに?」

「どうしてって。あんな馬鹿にされてそのままってわけにはいかないでしょ」

「馬鹿に? 告白をお断りしたことですか?」

 菊池さんの顔色が少し変わる。強い眼光で私を睨んだ。手首のロープは少し腕の角度を変えたところで僅かにだが余裕ができたのがわかる。

 なんとかその隙間から手を抜けないか試行錯誤するものの、菊池さんにバレるのも大変なので大した動きもできない。もどかしさにイライラする。

「それ以外ある? もしかして自覚ない系? あんなに好きだよって言ったのに、まるで受け入れない黒島さんは人間じゃないね。人を馬鹿にするにも程がある」

「そんな……」

 好意を断ったからこんなことを? そんなぶっ飛んだ思考になぜなれるのだろうか。そんなのこの世には溢れている、愛した人が愛してくれる保証なんてどこにも存在しないのだ。

 完全に逆恨み。それで人を攫って縛っているだなんて。

 もしかして、あの九条さんが慌てたように事務所を出ろと言ったのは菊池さんのこんな面に気づいたからなの?

 固いロープに摩擦され皮膚が痛む。それでも諦めず、とにかくなんとか腕だけでも自由にならないかと模索する。手首が燃えるように熱い。

「あの、こんなことしてどうするつもりなんですか? 私だって報われない恋してて疲れる気持ちわかります」

「気持ちが分かるならそれこそ受け入れればいいじゃない」

「そ、それは、中途半端な気持ちじゃ失礼かと」

「それでもいいって言ったよね僕」

「おち着いてください、私と菊池さんが最後一緒にいたことは九条さん知ってます、だからきっとすぐにバレ」

「あ」

「……?」

 私の言葉の途中で、菊池さんは口をぽかんと開けた。そしてずいっとこちらに顔を寄せる。つい仰け反って彼から離れようと無意識に動く。菊池さんは目を大きく見開いて言う。

「今他の男の名前出した?」

「…………」

「ほんとだめな人だね。もう無理だね。救いようがないね。許さない、許さないよ」

「ま、待って!」

 彼の表情が一気に怒りに満ちる。やばい、と思った。突然彼は私の髪を鷲掴みにして持ち上げた。痛みに顔を歪めて悲鳴を漏らす。

「ここで誠心誠意謝ってくれればちょっと許してあげようかなと思ってたけど、他の男出すようじゃもうだめだよ」

 彼は乱暴に私を床に捨てた。体が強く倒れ込む。しかしその衝撃からか、背後にある自分の手が一本ロープから抜けたことに気がついた。結んであったのが解けたようだ。幸運なことに菊池さんは気づいていない。

 ゆらりと立ち上がったのを見上げながら、ガタガタ震える体に必死に言い聞かせた。震えるな、ちゃんと動け!

 無言でこちらに近づき私に手を伸ばしたその一瞬の隙をつき、腕を動かして背後にあった本棚を思い切り倒した。かなり重かったが何とかそれは動いてくれた。派手な音を立てながら棚は彼の両足に直撃し、痛そうな声が漏れる。私はさらに散らばった本たちの中から一番分厚そうなものを手に取って思い切り投げた。相手の頭にしっかり直撃する。本の背表紙には『解剖生理学』と書かれていた。

 すぐに立ち上がって逃げようとした時、自分の一番の失態に気がつく。足を縛られていることをすっかり忘れていたのだ、脳が正常に働いていないらしい。一気に絶望感が押し寄せる。

 見上げると菊池さんが恐ろしい形相でこちらを見ていた。私は足のロープをなんとか解こうと触るも、こちらはしっかり結ばれていてなかなか取れそうになかった。緊張で震え、指先に全く力が入らないのもある。

「来ないで!」


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