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九条尚久と憑かれやすい青年
主張
しおりを挟む「あ、そういえばポッキー買ってくるの忘れました。伊藤さん、あとでお金払うのであなたの分けてもらっていいですか」
早速グラスの水を飲みながら九条が言ったので、伊藤は一瞬意味が分からずぽかんとする。だって、僕の分のポッキー、ってなんだ?
「え、僕ポッキーなんてないんですけど……」
伊藤が答えると、九条が目を見開いて彼を見た。今日会って初めて、九条は表情を変えたかもしれない。
「家にポッキーないんですか?」
「ないですね。あ、チョコレートならありますよ」
「家にポッキーないんですか!?」
「だからないですよ!? もしかして、日本人は家に必ずポッキーのストックがあるものだと思ってたんですか!?」
伊藤の答えに、九条は絶望したようにがっくりと頭を垂れた。その様子に伊藤はただ引いている。
「知ってましたけど九条さんってあのお菓子好きですよね」
「あれがなくては私、働けないので……」
そんな重要なものをなぜ忘れてきたんだ、とツッコむのは置いておき、伊藤はため息をつきながら提案した。
「すぐ近くに薬局がありますから、買いに行きましょうか。ちょうど僕ティッシュが欲しかったので」
すると九条は頭を持ちあげ、すっかり気合の満ちた表情で答える。
「いいアイデアです。行きましょう」
今日出会った男二人がなぜか並んで薬局で買い物をし、揃って帰宅した。九条は案の定、いろんな味のあのお菓子を買い込み、伊藤は日用品を購入。変な図なのだが、伊藤は不思議と初めての気がしなかった。マイペースすぎる男と面倒見のいい男なので、案外相性がよかったのかもしれない。ただ、ポッキーまみれの籠を店員に差し出すときは少しだけ恥ずかしかった。
暑い中ビニール袋をぶら下げて戻った直後、九条は早速ポッキーを口に放り込み齧ると、パワー満タンとばかりに眼光を鋭くさせ、再度部屋を観察して回った。オンとオフを即座に切り替えられる人だなあ、と伊藤は感心する。
伊藤は買ってきたティッシュを納戸にしまっていると、うろうろ歩いていた九条が背後から質問を投げかけた。
「そういえば伊藤さん。あなた今交際相手は?」
突然のそんな疑問に、不思議に思いながら手を動かしつつ答える。
「え? 今はいませんけど……」
「そうですか……じゃあ、やっぱり……」
意味深な呟きに伊藤はぴたりと手を止めた。勢いよく振り返り、九条に詰め寄る。
「なんですか? やっぱりって?」
真剣な伊藤に対し、九条は無言で何かを差し出した。
長い指で摘ままれているのは、一本の長い黒髪だった。
当然ながら、伊藤も九条も短髪。目の前に現れた不気味な細い髪の毛に、伊藤はつい後ずさりした。絶望と恐怖に耐えられなかったのか、認めたくない気持ちになり、必死に笑ってみせた。
「あ……ああ~もしかしたらあれかもです、少し前にうちの家で、同期の飲み会したんです! そこに女の子がいたから、その子の髪の毛かも……」
そんな言い訳を並べながら、伊藤は心のどこかでそんなわけがないと知っていた。飲み会があったのはもう一週間以上前で、その間に彼は何度も掃除機をかけている。
九条はじっと髪の毛を見つめながら、薄い唇を動かす。
「そうですか……まあ、その可能性もなくはないですが」
「ですよね!?」
「これ、どこにあったと思いますか?」
伊藤はごくりと唾を飲み込み、小さく首を振る。九条はすっと目を細めた。
「洗面所に入るドアの取っ手です。そこにぶら下がっていたんですよ。まるで自分の存在を知らしめているかのように」
その言葉を聞いてぞっとし、全身の毛穴が開いた気がした。未だ九条の指からぶら下がっている髪の毛から、おぞましい物を感じる。
「で、でもそんなこと、今までなかったのにどうして……」
「私が入ってきたことで、そして撮影機材を置いたことで、向こうも動き出したのかもしれません。これ、アピールですよ。あなたは鈍感でまるで自分の存在に気付いてくれそうになかったけど、状況が変わった。向こうはきっと自分を見つけてほしがっているんです」
九条がつまむ髪の毛が、風もないのにゆらりと揺れた。まるで、『そうだよ』と返事をしているように伊藤には思えた。
同時に、一気に息苦しさが増した気がして、伊藤は自分の首を必死にさすったが、やはりその手には何も触れなかった。
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