視えるのに祓えない~九条尚久の心霊調査ファイル~

橘しづき

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1巻

1-2

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「世の中には怪奇な現象に悩む方々が多くいます。そんな人たちの依頼を受けて調査し、原因を追及、現象の改善に努める仕事です。つまりは『見えざるもの』が起こしている現象を止めることが目的です」

 淡々と説明する彼に、私は開いた口がふさがらなかった。怪奇現象を止めるということはつまり、あの者たちを成仏させるということか。調査とか言っているけど、俗に言う霊媒師のようなものだろう。私はすっと冷静になる。そして小さく息をつき、視線を落とした。九条さんは気づかないのか話を続ける。

「黒島さんのように視える方は希少なので。適材適所かと」
「無理です」

 小さい声で、しかしきっぱりと断言した。だけど、九条さんは気にした様子もなくまた袋からお菓子を取り出す。人と会話しているというのに、緊張感がない人だ。

「……私は確かにその、普通の方が見えないようなものが視えます。でも、視えるだけなんです。除霊とか、結界を張るとか、そんなプロのようなことは一切出来ません。ですからお役に立てないと思います……ありがとうございました。お話だけでも聞けてよかったです」

 もし私に祓うような力があったなら、これまでの人生、こんなに悩まなかったかもしれない。この力を活かして、金儲けでもたくらむような強い人間になれたかもしれない。しかし、あいにく私はただ視えるのみ。基本はこちらからは触れない、話せない。そんな私が働けるわけがない。
 私は一礼してきびすを返した。同じように視える人に出会えたのは嬉しかったけれど、私は彼のようには生きられない、違うタイプの人間なのだと思い知ったのだ。ここから立ち去った後どうしようか考えつつ足を踏み出すと、背後から声がした。

「私も祓えませんよ」
「……え? なんですって?」

 驚いて振り返り見たのは、少しイラッとさせられるほど、やる気のない姿勢で菓子を頬張る九条さんの顔だった。

「え、でも」
「除霊などする能力はありません。そういった特殊な能力を持つ人間は、ほんの一握りですよ」
「じゃあ、どうやって怪奇現象を止めるっていうんですか?」
「あなたは、見えざるものたちを鎮める方法は除霊しかないと思っているのですか」
「だって、それがオーソドックスな形じゃ……」
「まず第一に、除霊と浄霊の違いはご存知で?」

 私は小さく首を横に振る。九条さんは少しだけ呆れたように、けれども丁寧に説明し始める。

「いいですか。基本的に除霊は霊を払い除ける行為で、つまりは霊自体はまだ存在していることが多いです。なので除霊後、再び同じ霊に取り憑かれるパターンもあります。次に浄霊は、分かりやすく言えば、その霊が持つ強い思いや、しがらみなどを浄化。そして成仏、もしくは無害な霊にさせることを言います」
「……そ、そんな違いがあるのですか」
「どちらも難易度は高い行為です。ですが、この事務所が行なっていることを当てはめるなら後者……つまりは浄霊」

 九条さんは遊ぶように椅子をくるりと回転させる。

「怪奇な現象を起こすほどの霊たちは、大抵強い念を持って留まっています。その念の原因を探ることが第一です」
「でも私、霊と会話とかは出来ませんよ……本当に視えるだけで」
「黒島さん。屋上で視たのは、どんな人でしたか」

 突然聞かれて、昨晩見たあの女性の姿が目に浮かんだ。

「え、どんなって……普通の女の人でしたよね。ロングの黒髪で、ジーンズとTシャツを着てた……」

 私が言うと、九条さんが急にこちらを向いた。その鋭い視線に、つい言葉が止まる。

「黒島さん。私は視えません」
「え? でも、あの時指さして――」
「詳しく言えばはっきりとは視えない、です。黒い塊がぼんやりと視えるだけなんです。なんとなくシルエットで女性か男性かの違いが分かる程度。あとはオーラで危険かそうではないかを判別出来ますが」
「へぇ……そういう視え方もあるんですか」

 自分と違うものが彼には視えているのか。少し面白い、と感心してしまった。

「あと、声が聞こえます。場合によっては会話が可能なことも。なので、あなたのようにしっかり視える人の力が欲しかったのです。視えるあなた、聞こえる私。合わせれば確実に作業は円滑化する」
「え、でも伊藤さんは……」

 私は近くにいる伊藤さんを見る。こんなところで働いているのだから、彼だって能力を持っているのではと思ったのだ。しかし本人はニコニコしながら首を横に振った。

「あ、僕全然だから」
「え、そうなんですか?」

 じゃあ能力もないのに、なんでこんな変わった事務所で働いているのだろう。その質問をする前に、九条さんが言う。

「伊藤さんはエサです」
「エサ?」
「あとはこの事務所の経理や来客の相手、掃除や情報収集などが主な仕事です」

 エサについて追及したかったが、九条さんは私が話す隙を与えず続ける。

「少し働いてみませんか、黒島光さん。どうせもう全て終わりにしようと決意していたくらいなら、少し試してみてもいいのでは」

 九条さんの誘い文句に、私は目を泳がせた。正直言って、あの見えざるものたちとはなるべく関わりたくない。どんなことをするのか具体的にはイマイチ分からないし、この九条という男だって、つかみどころがなくて苦手だ。
 ここで、はいと言っても大丈夫なんだろうか……。確かに、もう死ぬつもりだったけど。死ぬ気になればなんでも出来るって、よく聞くけれど。
 心の中で悩んでいると、ふとある人の顔が浮かんだ。今は亡き、あの笑顔が目に浮かぶ。心に直接入り込んで、やってみなよとささやいてくれているような。
 私は強くこぶしを握る。そのささやきに、身を委ねてみたいと思った。

「……分かりました。少しだけ、働いてみることにします。とりあえずお試しということでどうでしょうか」

 私がそう返答しても、九条さんは表情を変えなかった。少しだけ頷いて頭を掻く。

「ではお願いします。ああ、伊藤さん。黒島さんは今住む場所がないので、この事務所で寝泊まりしてもらいます」
「えっ、ここでですか?」
「はい。ベッドがあるでしょう」

 伊藤さんは信じられない、とばかりに目を丸くして九条さんに詰め寄った。

「あんな仮眠用のベッドで!?」
「はい」
「そもそも九条さんだってよく事務所で寝てるじゃないですか」
「私は昨日のようにソファで」
「女の子! 黒島さん女の子なんですよ!」
「はあ、何か問題でも?」
「もう、問題だらけでしょうが!」
「では伊藤さん、あなたの家にでも泊めてあげて――」
「もっと問題だらけでしょうがぁ!!」

 焦って説明する伊藤さんとは対照的に、何が問題なんだと不思議がる九条さん。その掛け合いが、なんだか少しだけ面白かった。どうやら伊藤さんは常識人のようだ。それが分かっただけでも嬉しい、九条という男はあまりに不思議な人すぎるから。

「伊藤さん、私は大丈夫です、なんとかなります」
「え、ええっ……」
「もし必要と感じればすぐに部屋を探しますから」
「そうなの? 黒島さんがそう言うなら……」

 渋々引き下がる伊藤さんだが、すぐにあっと思い付いたように私に笑いかけた。

「じゃあ今からこの辺案内しますよ! コインランドリーとか銭湯とかあるから。それに泊まるなら買っておきたいものあるんじゃない? 買い物付き合いますよ」
「え、でも……」
「いいですよね、九条さん?」

 伊藤さんが尋ねると、彼はすぐに頷いて許可をした。まあ、確かに着替えすら持っていない私には必要な提案だ。少しならお金もある。

「よし、じゃあ黒島さん行きましょう」

 伊藤さんはそう言ってにこやかに笑った。私は置いてあった鞄を手に持ち、うながされるまま事務所を後にした。九条さんは興味なさそうに私たちを見送っていた。


 事務所から出てエレベーターに乗り込む。一階に下りている間に、伊藤さんが自己紹介をしてくれた。

「そうそう、僕は伊藤陽太ようたです。よろしく!」

 伊藤さんは笑ってそう言った。見れば見るほど、可愛らしくて人懐こい笑顔だ。右側だけに小さなえくぼが出来ている。

「あ、改めて……黒島光です。よろしくお願いします」
「よろしく! 九条さんも言ってたけど、僕は主に雑用だから。なんでも言ってね」
「はい、ありがとうございます」

 二人でエレベーターを降り、そのまま街中を歩き出した。彼は近くにある店などを教えてくれる。会話の途中で、彼が二十六歳だと判明して驚かされた。てっきり年下かと思っていたのに、まさかの一つ年上だったとは。

「す、すみません……学生さんかと思ってました……」

 私は素直に謝った。むしろ十代かもしれないとすら思っていたのだ。だが彼は気分を害した様子もなく笑い飛ばす。

「よく言われるからいいよ。童顔だし落ち着きないからさ。あ、ちなみに九条さんは二十七。本人は年齢忘れてるかもだけどね」
「ね、年齢忘れてるって……」

 隣を歩きながら、伊藤さんは困ったように肩をすくめた。

「あの人ほんと生活力ないっていうか、自分のことどうでもいいと思ってるっていうか。ああやって寝たら全然起きないし、言わないとお菓子ばかりで食事も忘れてるし、ちょっとヤバいんだよね」
「う、うわあ……」
「かなり変わってる人だけど、でも根はいい人なんだよ」

 そうフォローが入ったものの、いい人、というのは少し信じがたい。私の自殺を止めてくれたのは、果たしていい人だからなのか。そういえば、なぜ昨日の夜中にあんなところにいたのかとか、私をどこで知ったのかとか、聞き忘れてしまった。帰ったら聞いてみよう。
 私の気持ちは表情に表れていたのか、伊藤さんが笑う。

「あ、いい人っていう言葉に違和感覚えてるね?」
「す、すみません……会ったばかりで、変なところしか見てないから……」
「あはは、僕も最初そう思ってたよ。かなりマイペースな人だから無神経な言い方もするけど、あの人は悪い人じゃないよ」
「そう、なんですかね……」
「うん、そうそう。変な人だけど悪い人じゃない。イケメンの無駄遣いってくらい変な人だけど」
「ふふっ」

 つい笑ってしまった瞬間、ふと、声を上げて笑うのはどれくらいぶりだろうと思った。ここ最近、泣いてばかりだったけれど、表情筋は意外とすんなり動いてくれた。もう固まっているかと思っていたのに。

「それで……黒島さんがどうしてうちに来ることになったか、聞いてもいいのかな?」

 ポツリと言われて心臓が鳴る。そうだ、その説明は何一つ伊藤さんにしていなかった。それこそ、私が自殺をしようとしていたことも。もしかして九条さんは、私の気持ちを考えて話さないようにしてくれたのかな、と考えるも、違う可能性が高い。ただ伊藤さんに説明し忘れていただけかもしれない。
 果たしてどう答えようか。迷って言葉を濁す。

「あの、私……」
「あ、言いたくなければいいよ。うん、まだ会って間もないんだしね。言いたくなったら言えばいいよ」

 目を細めて笑う彼の笑顔に、ほっと息が漏れた。頬に出来る小さなえくぼが人柄を物語っている。いやし系、ってこういう人のことを言うのかなぁ。
 ……全て話すには、時間がかかる。
 それにまだ、私は生きていくと心に決めたわけではない。何もかもを話してしまったとして、その後またあの屋上に行く羽目になったら、きっと伊藤さんが苦しむに違いない。まだ私には、話す勇気はない。
 話題を変えて、質問をぶつけた。

「あの、お仕事ってどんな内容のものが来るんですか?」
「ああ、うちは怪しそうな事務所だけどさ、ちょくちょくいろんなの来るよ。家の中で変な音がするーとか、不幸が続いてーとか、よくあること。口コミとか紹介で来る人がほとんどかな」
「解決するんですか?」
「ああ見えて九条さんは優秀なんだよ。大体はちゃんと解決してる。ただ一つの案件に取り掛かると結構時間取られるから、一人では大変そうだったんだ。だから黒島さんが来てくれると助かるんじゃないかなぁ」
「た、助けられるんでしょうか……私、そんな形で彼らに関わることなかったし」
「なーんも見えない僕よりずっと役立つと思うよ! 視える人って大変だと思う」
「……あの、普通幽霊が視えるとか、信じないじゃないですか。九条さんとか私が言うこと、なんでそんなに信じてくれるんですか?」

 今まで私の言うことを信じた人は誰もいなかった。母を除いて、あとは皆笑っていた。注目を集めたい痛い子ちゃんとして扱われるだけで、私にとっては非常に生きにくい世界だった。他に視える人に出会ったこともない。だから、私の発言が本当だと証明してくれる人はいなかったのだ。
 嘘つきというレッテルを貼られ、今まで生きてきた。成長してからは視えると発言をしないように心がけてきたが、幼い頃の体験のせいか、人付き合いは苦手な方だった。
 伊藤さんは大きく息を吸い込み、空を見上げた。今日はあいにくの曇り空だ。

「僕さ、元々うちの依頼人なわけ」
「そうなんですか!?」
「当時色々不可解な現象に悩まされてて、知り合いに紹介されて九条さんに会ったんだけどね。最初はぶっちゃけ信じてなかったの、怪しい壺買わされるかなーって。でも真摯しんしに僕の話を聞いて、かっこよく見事に解決してくれた時はしびれちゃって……」
「そうだったんですか……」
「依頼料にもしびれたんだけどね。なかなかのお値段でして」

 切なそうに言った伊藤さんに、少し笑ってしまう。

「でもほんと、綺麗さっぱり解決出来たから安いもんだった。だから僕は身をもってその存在を感じたし、信じざるを得ないから。九条さんと黒島さんが言うこと信じてるよ」

 伊藤さんは私の方を見て、目を細めて笑った。その無垢な笑顔に言葉が詰まる。信じてる、だなんて、そんなストレートに言われたのはいつぶりだろう。つい目頭が熱くなり、慌てて顔をそむける。幸いにも彼には気づかれていないようだった。隣で大きく伸びをしている。
 九条という人は分からないことだらけだし、仕事内容には不安しかないけれど、あの時屋上から飛び降りるのを諦めた価値が、この一言にあると思った。もう少し早く伊藤さんみたいな人に出会えていたら、私もあんなに思い悩まなかったかもしれない。

「さて、あそこ曲がったら薬局あるよ。寄る?」
「あ、はい。お願いします」
「じゃあ行きましょう!」

 人と並んで歩くことすら、私にとっては久しぶりだった。誰かが隣にいて歩くスピードを合わせることに、なんだか幸福感を覚えた。


 伊藤さんと両手一杯の荷物を抱えて事務所に戻った時、ソファに腰掛ける九条さんと中年の男性が見えた。頭髪の薄い、中年太りのよく見かける雰囲気。九条さんはこちらを振り返り言う。

「おかえりなさい、依頼の話です」

 伊藤さんが慌てて私の手から荷物をもらい受け、「ほら!」とうながした。一瞬戸惑ったものの、とりあえず九条さんの隣に歩み寄り、男性に頭を下げた。

「黒島光といいます」
「これはまたお若い方が……可愛らしい女性ですが、大丈夫ですか?」

 どこかトゲのある言葉が発せられた。見れば、中年の男性は疑り深い目で私を品定めするように見ていた。着ていたスーツはシワ一つなく高級そうなものだが、その価値が台無しになりそうな表情だ。
 少し不愉快になるものの、確かに私はまだ研修生のようなものだし、事務所のスタッフは皆二十代の若者となれば、不安になるのも仕方ない気はする。伊藤さんに至ってはもっと若く見えるし。
 どう答えようか迷っていると、低い声がした。

「ご不満でしたら、無理にうちに依頼をされなくていいですよ」

 隣でそんな声が響いて驚く。九条さんはあの人形みたいな顔で依頼主をじっと見ていた。

「あ、いや、ここはよくしてくれると噂で聞きましたのでな……」

 強気な発言が出てくるのは予想外だったのか、男性はしどろもどろになる。それを無視して、九条さんは私に「座ってください」と声を掛けた。お言葉に甘えて隣に座らせてもらう。正面から依頼主の顔を見るが、今のところ厄介なものは見えていない。人によってはヤバいものを背負っていたりすることもあるのだ。
 男性はひたいに汗の玉を作り、それをポケットから出したハンカチで拭き取った。

「あー、改めまして、丹下輝也たんげてるやといいます。ここから車で二十分ほど行った病院の院長をしております」

 丹下さんは名刺を取り出して差し出した。九条さんが長い指でそれを受け取る。ちらりと横からのぞけば、なるほど、私も知っている大きな病院だった。

「存じ上げています。とても立派な病院ですよね」

 私が言うと、丹下さんは分かりやすく顔を緩めた。あんな大きな病院の院長だとは、少し意外……って失礼なことを思ってしまう。九条さんは何も言わず興味なさげに名刺を机に置いた。彼は名刺を渡したりはしないらしい。

「で、相談内容は?」
「は、はあ……。院内にある、内科の病棟なのですが、その、一ヶ月前より不可解な現象が起こるとナースたちから次々相談を受けておりまして……」

 歯切れの悪い言い方で丹下さんは言う。彼自身はあまりそれを信じていないと見た。丁度その時、伊藤さんが運んできたコーヒーカップをテーブルに置く。丹下さんはミルクと砂糖を全て放り込み、それをすぐにゴクリと飲んだ。九条さんが先をうながす。

「不可解、とは?」
「まあ、場所が場所ですからな。病院ってのは時折不思議なことが起こります。働くナースたちは慣れてますので、普段はちょっとやそっとのことじゃ驚かないんですがね。無人の部屋からナースコールが押されるとか、夜勤中に人影を見たとか、そういう王道なことも起こってるようで」

 そのエピソードが王道なのか。驚かない看護師たち、メンタル強すぎじゃないだろうか。

「あとそれから、病棟近くのエレベーターのボタンがかない、ナースステーションの電気が消える、プリンターやパソコンが壊れる……まではよかったのですが」

 全然よくないと思うのだが、私の感覚がおかしいのか? 心の中で突っ込みが止まらない。看護師は強いとよく聞くが、想像以上のたくましさである。

「……鍵が、開かなくなるんです」
「鍵、ですか?」

 九条さんは聞き返す。丹下さんは再びコーヒーを一口飲んでひたいの汗を拭く。

「何度修理しても鍵を作り直しても、鍵が開かなくなるのです」
「お部屋の鍵、ということですか?」

 私もつい口を挟んでしまう。すると、丹下さんは首を横に振った。

「いえいえ、病室に鍵はついていませんから。ナースステーションで管理する鍵は主に二つありまして、一つが救急カート。患者の急変時にはそれを持ち出して処置します。中には重要な薬剤なども入っていますから鍵が必要です。あと一つは麻薬。患者の疼痛とうつう緩和のために麻薬を用いるのですが、これは基本鍵をかけて保管しています」
「そ、それが開かなくなるってことですか!?」

 それは患者の命に関わる、非常に重大な出来事ではないだろうか。唖然としている私をよそに丹下さんは頭を掻く。

「ええ、不具合も何もないのにです……それで困ってましてね。買い替えてみたものの、翌日には開かないと騒ぎになるんですよ」
「開かなかったらどうするんですか?」
「まあ、時間が経てばまた開くことがほとんどなので。救急カートは隣の病棟から借りたりしてやり過ごしているそうです」

 へらへらと他人事のように話す男に呆れた。そんな大変な事態なのに一ヶ月も放置していたなんて、もし手遅れになったらどうするつもりだったのだろう。不信感を覚えた私の隣で、九条さんは淡々と質問をぶつけた。

「ということは、その病棟のみなんですね、現象は」
「は、はい」
「他に対策は」
「あー、お札を貼ってみたそうですが、効果はまるで。あの、こちらは派手なお祓いとかはしないとうかがいましたが……場所が場所だけに、いかにもお祓い的なことをされると患者様の不安をあおりますゆえ」
「ええ、そういった儀式はいたしません」
「よかったよかった。あと無論、怪奇現象が起こったなどと世間には漏らさぬよう、守秘義務は守ってもらえますかな」
「はい、それは」
「出来るだけ早く解決するようお願いします。無理なら無理と言ってくださいよ。こちらも他を当たらねばなりませんので。これは病院内の地図です。病棟はここに」

 ほっとしたように息をつく丹下さんだが、すぐに顔を歪めてこちらを見た。

「……しかしお祓いもしないで、こんな若い人たちばかりで何をするんですか? 口では解決したと言って、現象が収まってなかったら料金は支払いませんからな」

 節々にこちらを疑う言葉を投げかけてくる人だ。だが、一般的にはこれが正しいのかもしれない。しかし、どうしても私の心にはチクチクと棘が刺さっていく。仕方ないと分かっていても、心に傷を負ってしまう。
 だが、九条さんは表情一つ変えず頷いた。

「少し準備をしてからうかがいます。その間に、病棟の監視カメラの映像、不可解な体験をした看護師たちとも話せるよう手筈を整えておいてください」
「ええ、ええ」
「よろしくお願いします」

 丹下さんは再度ハンカチで頭全体の汗を拭き取ると、立ち上がって頭を下げた。そして最後にもう一度念を押すように、私たちに言った。

「一刻も早く頼みますよ」

 準備をしてから行くと言った割に、丹下さんが去った後九条さんがしたことといえば、パッキーをかじり水を飲んだぐらいだった。てっきり何か道具などを準備するのかと思い込んでいた私は、拍子抜けして隣に座る彼を見つめる。ポリポリとお菓子を食べる様子が、なんだか小動物に見えてきた。てか、どんだけそのお菓子好きなんだ。

「あの、九条さん」
「欲しいんですか、どうぞ」
「どうも……って違います。調査に行かないんですか?」
「今準備してますよ、伊藤さんが」


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