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九条尚久と憑かれやすい青年
再会
しおりを挟む職場には簡単に事情を話し、面会に来ていた『九条』という女には、伊藤という人間は在籍していないと告げ帰ってもらった。今後も伊藤には面会を通さないよう手配してくれた。
そして翌週、彼は引っ越した。戸谷が朝出かけて行ったことを確認し、短時間で引っ越しを完了させたのだ。同時に、盗聴器などの類がないかも入念に調べたが、さすがにそこまでなかったので安堵した。
新しい家の隣人は、サラリーマンの一人暮らしで、伊藤にとってはそこがまた嬉しい。今は若い女の隣人は精神的に無理だ、と思ったのだ。
そして彼はその後、職場に退職の意を告げる。これには、職場の人間がひっくり返って驚いた。変な女に好かれていることは周知の事実だったものの、まさか仕事をやめることは想像していなかったのだ。
『こんなにいい成績なのになんで?』『何が不満だった?』『あれ以降変な女は来てないし、みんな協力するから大丈夫だよ』
必死に周りは止めたが、彼の意思は固かった。『不満はないんですけど、もっといろんなことにチャレンジしてみたいと思ったんで』そう涼しい顔で言って、周りを黙らせた。
引継ぎ等もあるので、まだしばらくは働くが、その間に戸谷がやってこないことだけを祈っていた。
一度だけ尋ねたことがあるビルの五階。エレベーターで上がった後、看板も表札もなにもないシンプルな扉の前で、伊藤は深呼吸をした。
あれから一か月が経つ。だが、未だ九条から連絡が来ることはなかった。直接話したいこともあった伊藤は、休みの日に事務所に訪れたのだ。
一応、ノックをする。だが返事はないだろう、と分かっていた。案の定相手から何も返っては来ない。
「調査中じゃないといいけどなあ」
そう呟き、ドアノブに触れてみると、扉が開いた。鍵はかかっていない……ということはもしや、外出中? と、普通とは逆のことを思う。
だが予想外なことに、留守ではなかった。中には、ソファに横になり寝息を立てる男がいたからだ。開いてることの方が少ない事務所なので、九条に会えたのはラッキーとも言える。
「九条さーん。入りますよ!」
伊藤は一応、声を掛けて中に入る。やはり九条はすやすや眠っており、呼びかけには全く答えなかった。ソファの横に歩み寄った伊藤は腕を組んで考える。
「うーん、この人なかなか起きないんだよなあ。調査の時はよく時間通りに起きてきてたな」
感心しつつ、彼はどうやったら効率よく起こせるのか、と考える。一旦普通に肩をゆすって声を掛けたが、案の定全く反応しない。初めて来た日のようだ。
困った伊藤だが、ふとそばに食べかけのポッキーの袋があることに気が付いた。それを見てピンとくる。
一本取り出した伊藤は、なんとそれを九条の口に突っ込んだのだ。
「九条さん! ポッキーですよ、ポッキー美味しいですよおおお!!」
はたから見たら、なんて馬鹿げた起こし方だろうと呆れられるだろう。ちなみに、寝ている人間の口に食べ物を入れるのは危険でもあるので、他の人間は真似しないように。
大きな声で叫んで少し経ってから、九条の瞼がピクリと動いた。そして、次に口がもぐもぐと咀嚼を始めたのだ。
「うう……ん」
「あ、起きましたか? 九条さん!」
九条はぼんやりした目で伊藤を見上げながら、ポッキーを少しずつ食べていく。そして全部口に入れたかと思うと、むくりと上半身を起こした。
伊藤を眺めつつ、九条は呆れたように言う。
「ふぁなた、すごいでふね」
「食べ終わってから言ってください」
「あなた、凄いですね。少し見ない間に、またそんなに引き連れて」
その言葉にハッとする。そういえば、お寺を紹介してもらうと言っていたが、結局それどころではなくなっていた。最近また体調不良が出てきたなと思っていたのだ。
いつぞやのように、九条は伊藤と目を合わさず誰かと会話を始める。やや眠そうに、でも確実に誰かと話している。
「あなた、そんなに強くしがみついてどうしたんですか……ああ、この人びっくりするくらい鈍感だから時間の無駄ですよ。他を当たってください。そちらの方は? 同じですね。あなたのその叫び声全く聞こえてませんから、諦めた方が早いですよ。あなたは? って、あなた前もいませんでした? だから、人違いです」
徐々に肩が軽くなっていく。ものの数分で、伊藤は全身がすっきりするのに気が付いた。九条はふうと息を吐き、近くにあったポッキーを手に取る。
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