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本当の気持ち
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彼はコーヒーを一口飲む。
「三人で飲んだ時、あの性格は注意しておいたんだけどなあ……あの子、昔から自分が一番じゃないと気に入らない節があってね。周りからちやほやされたいっていうか。当時は向こうは子供だったから僕もそんなに気にしてなかったけど、それが変わってないって一日で分かった。子供がそのまま成長したみたいで驚いたよ」
「昔から?」
「そう。食事の時は兄もいたし注意するいい機会だと感じたんだけど、言い方が甘かったのかな。全然反省してないよね、あれ。ごめん、僕がいないところで色々言われてたんでしょう。気づけなくて申し訳ない」
「蒼井さんが謝ることじゃないです!」
「でも……迷惑かけたのに、こうして来てくれたの本当に嬉しかった」
噛みしめるように言う蒼井さん。その声が心にじんわり染みた感じがした。ああ、私来てよかったんだ。迷惑じゃなかったんだ……。
彼は私にゆっくり向き直り、こちらを窺うように顔を覗き込む。その様子に、私は緊張から体を強張らせ、膝の上に置いた手は汗をかく。
「もしかして、あの子とのことで色々気にしてくれてた?」
「……は、はい」
「それで直接来てくれたの?」
「そ、そうです」
「これは、期待するよ?」
がちがちになって動けなくなっている私の手に、彼の指がそっと触れる。
私の反応を見ながら、指先同士を少しだけ密着させる。ほんの少し触れているだけなのに、蒼井さんの手が熱いことが分かった。逃げない私の様子を見て、彼の指は徐々に私の手を包むように動く。そして指を絡ませ手を握られると、目をぎゅっと閉じて俯いた。
「こっち見て」
「ちょ……私手汗かいてませんか……」
「お互い様だよ。見て」
「見れません……」
「まあ、意識されてるって証拠だから嬉しくもある。こんなに早く上手く行くとは思ってなかったから。だって、安西さん僕の気持ちはあの告白まで気付いていなかったでしょう? それどころか、僕と坂田さんをくっつけようとしてたでしょう」
「え!?」
まさか気付かれていたとは思わず、驚きで顔を上げると至近距離で目が合ってしまった。蒼井さんが声を上げて笑う。
「そりゃ気付くよ。みんなで飲めば坂田さんを送るようにさせるし、三人で出かけようとした時はどうせ途中でいなくなる予定だったんでしょ? だって予約してあった店がペアシートだったから。あれ、最初から二人で予約しないとあの席になんないでしょ」
「た、確かに……!」
「アピールしまくったつもりなんだけど全然ピンと来てないみたいだったしさあ。まあ、みんなの前で言うつもりはなかったんだけど、つい口から出ちゃってね。これでようやく意識し始めてくれるかなーって。だから、返事もすぐに聞かなかった。上手く行くなんて思ってなかったから」
嬉しそうにそう言った彼は、手を握る力を強める。私は今度は顔を見て答える。
「もしかして、浅田さんの件で周りから責められてる私の立場を何とかしようとして、嘘ついてくれたのかも、と思ったり」
「あちゃーそっち行ってたか」
「でもきちんと直接聞こうと思ってたら、幼馴染と再会っていうド定番な運命の再会を目の当たりにして、なんか自信なくしちゃって……」
「あー傍から見ればそうなるのか。僕からすれば手がかかりすぎる友人の妹でしかないよ」
「……でも私、蒼井さんに告白してもらう前から好きだったんです。坂田さんとくっつけようとしてたのは本当なんですけど、でも自分がハマっちゃったんです」
震える声でそう言うと、彼は俯いて盛大なため息を漏らした。じっと見てみると、耳が真っ赤になっている。
本当に私を好きでいてくれたなんて、何だか夢みたいで信じられない。蒼井さんみたいな人は、私のようなキャラを選ぶはずがないって思ってた。
「あの、私の歓迎会の時に吉瀬さんが、蒼井さんに気になる人がいるって言ってたんですけど……」
「安西さんに決まってるでしょ」
「そ、そんな初めの頃からですか? 蒼井さんはこういうやらしい顔が好きなんですか?」
私は真剣に尋ねたのだが、彼は吹き出して大声で笑った。未だ手だけは握ったままだ。
「やらしい顔って!」
「友達にそう言われました」
「可愛いんでしょ。まあ、そりゃ顔も可愛い子だなとは思ってたけど、決め手はそこじゃないからね。初日からやる気満々で真面目で気が利いて、でもそれをやっかまれてるのに平然としてる姿が珍しいし凄いなって思ったんだよ」
「私はやっぱりボブに感謝……」
「ボブ?」
「なんでもないです」
じゃあ、蒼井さんは初めから私に好意を持ってくれていたということ? 信じられない。そんなこと未だかつてなかった。いつだって私は第一印象がよくなくて、寄ってくるといえば浅田さんみたいなタイプだとか遊び目的の人だけ。それで女性にだって敬遠される傾向にある。
坂田さんみたいな子が好かれるのも当然だと思っていた。
戸惑っている私を見て、蒼井さんは優しく声を掛けてくる。
「いつだったか安西さんは、当て馬女になりやすいとか言ってたけど、それは見る目がない男と出会うことがたまたま多かったんじゃないかな。見てれば中身がどんな子か、なんてすぐに分かるよ。あとは、タイミングが悪かっただけ」
「そうなんでしょうか」
「僕にはただ素敵な人にしか見えなかった。全然意識してもらえなくてくじけそうになったけどね。でも今日こうして来てくれたし、昨日も見舞いに立候補してくれて凄く嬉しかったよ」
「でも、昨日断られたから、迷惑だろうと思って」
私がそう言うと、彼は困ったように眉尻を下げる。
「そりゃ……安西さんが来てくれるって言われてはしゃぎそうになったけど……いくら体調が悪くったって、好きな子が家に来ちゃったら平然としていられるわけがないから」
『好きな子』。そう言われてぶわっと愛しい感情が沸き上がった。
同時に蒼井さんがゆっくり私の体を引き寄せる。ふわりと不思議な香りがして幸福感に満ちた。熱い体温が肌に伝わってくる。
「あ、蒼井さん、やっぱり熱ありませんか……?」
「ないよ。緊張してるだけ。だっさ」
「ださくないです! 蒼井さんがダサいなんて!」
「そう? 安西さんは多分僕を買いかぶってるからね。大丈夫かなー結構計算高いし腹黒いよ、僕」
「けいさ……? はらぐろ……?」
「うーん信じてなさそう。まあいっか」
少し笑いながら蒼井さんが私を離す。と、私に囁いた。
「風邪うつしても怒らない?」
もう私の心臓は限界だ。限界の時にそんな聞き方をするなんて、ずる過ぎる。
思考も停止しているので頷くしか出来なかった。ガッチガチになって中学生かよ、というツッコミだけなぜか頭に響いた。
そんな私に触れるほどのキスが下りてきたのはすぐのこと。目を強くつむってされるがままでいる私は、自分のものではないシャンプーの香りをすぐそばに感じて、ふわふわ夢見心地でいる。
離れたと思うと、すぐにもう一度キスを落とされた。何度もそれが繰り返される。優しかったり、少し強かったり、角度の違うキスに翻弄される。
信じられない。私、今ちゃんと恋愛が出来ている。
今までほとんどろくな男と出会ってこなかったし、数少ない恋愛経験だってそんなにいい思い出と呼べるほどじゃない。自分が素敵な人と恋愛するのなんて想像できなかった。
いつでも私の味方でいてくれて、中身を見て好きだって言ってくれる蒼井さんとこんなことになれるなんて、嘘みたいだ。
同時に、自分が勘違いして暴走しなければ、もうちょっと早く、そしてスムーズにこうなれていたのかもしれないと思うと、自分が憎い。
数えきれないほどのキスを重ねながら、ふと彼が私の体を押し倒してくるのに気が付いた。夢見心地から現実に戻った私ははっとしてソファに手をついて踏ん張り、隙を見て声を上げた。
「あ、あの! 明日も仕事なので、そろそろ私はかえ」
「ここで止めるの? いじわるだなあ」
私を見下ろしながら、蒼井さんが口角を上げてそう言った。な、なんだろう、いじわるって言うけど、なんかいじわるな顔をしてるのはそっちに見える! 普段の蒼井さんとちょっと雰囲気が違う!
「あ、蒼井さんも病み上がりですし……運動はちょっと」
「運動! はは、その言い方逆にやらしいね」
「そんなつもりは! あの! 私今パニック状態でして、もうそろそろ緊張で心臓停止しそうっていうか吐きそうっていうか血管が血流に耐えられなさそうっていうか」
もはや何を口走っているのか自分での理解していない。状況全てがキャパオーバーなのだ。これ以上は召されてしまう自信がある。心の準備は何にも出来てないし、体の準備も整っていないし、絶対に無理だ。キスで精一杯。
蒼井さんは笑いながら体制をもとに戻す。
「ごめんごめん、嘘だよ。からかいすぎた、僕が悪い。確かに病み上がりだし、安西さんももう帰らないとね、送っていくよ」
「いえ! 病み上がりなので蒼井さんはゆっくりしててください! 私は一人で大丈夫です」
「せめて駅まで送らせて。じゃないと僕の立場がない」
拗ねたように言われたので、ぐっと受け入れた。蒼井さんは嬉しそうに笑って立ち上がる。
……なんか、蒼井さんって私の扱い手慣れすぎてない? 上手く転がされてるような気が……
カバンを持って玄関に出ると、蒼井さんが先に廊下をきょろきょろと見回した。鈴村さんがまだ待っていないか確かめているらしい。
「さすがに帰ったみたい。よかった、いると色々うるさいからね」
「そ、そうですか」
「じゃあ行こう」
そう言って自然と私の手を取った。手なんてさっきも握ったはずなのに、それでも私の緊張はまた高まってしまう。
夜道を好きな人と手を繋いで歩く。凄く嬉しくて、すごく恥ずかしい。
エレベーターを降りて外に出ると、辺りはすっかり暗くなり満月が見えていた。普段は夜空を見上げて感動することなんてないくせに、どうしてこういう時だけやたら感動してしまうんだろう。
今まで見た月の中で、一番綺麗だ。
私の歩幅に合わせて歩く蒼井さんが、夜に消えそうな声で言う。
「お見舞い、本当にありがとう」
「いえ、早く治ってよかったです」
「今、何を考えてる?」
「え!? いや、なんか緊張するなあって」
「僕は今から安西さんと何しようーって考えてる。またケーキ食べたいなーとか、旅行に行きたいなーとか。一人で盛り上がってるみたい」
「そ、そんなことないです! そりゃ私だって行きたいって思ってますよ!」
「証言は取った。今度行こうね」
そう言ってこちらを見た蒼井さんの顔が、本当に楽しそうでどこか子供みたいで。
ああ、本当に私と付き合ってくれるんだ、って。本当の本当にちゃんとした恋人なんだ、って。
なぜかは分からないけど、涙が出た。
「三人で飲んだ時、あの性格は注意しておいたんだけどなあ……あの子、昔から自分が一番じゃないと気に入らない節があってね。周りからちやほやされたいっていうか。当時は向こうは子供だったから僕もそんなに気にしてなかったけど、それが変わってないって一日で分かった。子供がそのまま成長したみたいで驚いたよ」
「昔から?」
「そう。食事の時は兄もいたし注意するいい機会だと感じたんだけど、言い方が甘かったのかな。全然反省してないよね、あれ。ごめん、僕がいないところで色々言われてたんでしょう。気づけなくて申し訳ない」
「蒼井さんが謝ることじゃないです!」
「でも……迷惑かけたのに、こうして来てくれたの本当に嬉しかった」
噛みしめるように言う蒼井さん。その声が心にじんわり染みた感じがした。ああ、私来てよかったんだ。迷惑じゃなかったんだ……。
彼は私にゆっくり向き直り、こちらを窺うように顔を覗き込む。その様子に、私は緊張から体を強張らせ、膝の上に置いた手は汗をかく。
「もしかして、あの子とのことで色々気にしてくれてた?」
「……は、はい」
「それで直接来てくれたの?」
「そ、そうです」
「これは、期待するよ?」
がちがちになって動けなくなっている私の手に、彼の指がそっと触れる。
私の反応を見ながら、指先同士を少しだけ密着させる。ほんの少し触れているだけなのに、蒼井さんの手が熱いことが分かった。逃げない私の様子を見て、彼の指は徐々に私の手を包むように動く。そして指を絡ませ手を握られると、目をぎゅっと閉じて俯いた。
「こっち見て」
「ちょ……私手汗かいてませんか……」
「お互い様だよ。見て」
「見れません……」
「まあ、意識されてるって証拠だから嬉しくもある。こんなに早く上手く行くとは思ってなかったから。だって、安西さん僕の気持ちはあの告白まで気付いていなかったでしょう? それどころか、僕と坂田さんをくっつけようとしてたでしょう」
「え!?」
まさか気付かれていたとは思わず、驚きで顔を上げると至近距離で目が合ってしまった。蒼井さんが声を上げて笑う。
「そりゃ気付くよ。みんなで飲めば坂田さんを送るようにさせるし、三人で出かけようとした時はどうせ途中でいなくなる予定だったんでしょ? だって予約してあった店がペアシートだったから。あれ、最初から二人で予約しないとあの席になんないでしょ」
「た、確かに……!」
「アピールしまくったつもりなんだけど全然ピンと来てないみたいだったしさあ。まあ、みんなの前で言うつもりはなかったんだけど、つい口から出ちゃってね。これでようやく意識し始めてくれるかなーって。だから、返事もすぐに聞かなかった。上手く行くなんて思ってなかったから」
嬉しそうにそう言った彼は、手を握る力を強める。私は今度は顔を見て答える。
「もしかして、浅田さんの件で周りから責められてる私の立場を何とかしようとして、嘘ついてくれたのかも、と思ったり」
「あちゃーそっち行ってたか」
「でもきちんと直接聞こうと思ってたら、幼馴染と再会っていうド定番な運命の再会を目の当たりにして、なんか自信なくしちゃって……」
「あー傍から見ればそうなるのか。僕からすれば手がかかりすぎる友人の妹でしかないよ」
「……でも私、蒼井さんに告白してもらう前から好きだったんです。坂田さんとくっつけようとしてたのは本当なんですけど、でも自分がハマっちゃったんです」
震える声でそう言うと、彼は俯いて盛大なため息を漏らした。じっと見てみると、耳が真っ赤になっている。
本当に私を好きでいてくれたなんて、何だか夢みたいで信じられない。蒼井さんみたいな人は、私のようなキャラを選ぶはずがないって思ってた。
「あの、私の歓迎会の時に吉瀬さんが、蒼井さんに気になる人がいるって言ってたんですけど……」
「安西さんに決まってるでしょ」
「そ、そんな初めの頃からですか? 蒼井さんはこういうやらしい顔が好きなんですか?」
私は真剣に尋ねたのだが、彼は吹き出して大声で笑った。未だ手だけは握ったままだ。
「やらしい顔って!」
「友達にそう言われました」
「可愛いんでしょ。まあ、そりゃ顔も可愛い子だなとは思ってたけど、決め手はそこじゃないからね。初日からやる気満々で真面目で気が利いて、でもそれをやっかまれてるのに平然としてる姿が珍しいし凄いなって思ったんだよ」
「私はやっぱりボブに感謝……」
「ボブ?」
「なんでもないです」
じゃあ、蒼井さんは初めから私に好意を持ってくれていたということ? 信じられない。そんなこと未だかつてなかった。いつだって私は第一印象がよくなくて、寄ってくるといえば浅田さんみたいなタイプだとか遊び目的の人だけ。それで女性にだって敬遠される傾向にある。
坂田さんみたいな子が好かれるのも当然だと思っていた。
戸惑っている私を見て、蒼井さんは優しく声を掛けてくる。
「いつだったか安西さんは、当て馬女になりやすいとか言ってたけど、それは見る目がない男と出会うことがたまたま多かったんじゃないかな。見てれば中身がどんな子か、なんてすぐに分かるよ。あとは、タイミングが悪かっただけ」
「そうなんでしょうか」
「僕にはただ素敵な人にしか見えなかった。全然意識してもらえなくてくじけそうになったけどね。でも今日こうして来てくれたし、昨日も見舞いに立候補してくれて凄く嬉しかったよ」
「でも、昨日断られたから、迷惑だろうと思って」
私がそう言うと、彼は困ったように眉尻を下げる。
「そりゃ……安西さんが来てくれるって言われてはしゃぎそうになったけど……いくら体調が悪くったって、好きな子が家に来ちゃったら平然としていられるわけがないから」
『好きな子』。そう言われてぶわっと愛しい感情が沸き上がった。
同時に蒼井さんがゆっくり私の体を引き寄せる。ふわりと不思議な香りがして幸福感に満ちた。熱い体温が肌に伝わってくる。
「あ、蒼井さん、やっぱり熱ありませんか……?」
「ないよ。緊張してるだけ。だっさ」
「ださくないです! 蒼井さんがダサいなんて!」
「そう? 安西さんは多分僕を買いかぶってるからね。大丈夫かなー結構計算高いし腹黒いよ、僕」
「けいさ……? はらぐろ……?」
「うーん信じてなさそう。まあいっか」
少し笑いながら蒼井さんが私を離す。と、私に囁いた。
「風邪うつしても怒らない?」
もう私の心臓は限界だ。限界の時にそんな聞き方をするなんて、ずる過ぎる。
思考も停止しているので頷くしか出来なかった。ガッチガチになって中学生かよ、というツッコミだけなぜか頭に響いた。
そんな私に触れるほどのキスが下りてきたのはすぐのこと。目を強くつむってされるがままでいる私は、自分のものではないシャンプーの香りをすぐそばに感じて、ふわふわ夢見心地でいる。
離れたと思うと、すぐにもう一度キスを落とされた。何度もそれが繰り返される。優しかったり、少し強かったり、角度の違うキスに翻弄される。
信じられない。私、今ちゃんと恋愛が出来ている。
今までほとんどろくな男と出会ってこなかったし、数少ない恋愛経験だってそんなにいい思い出と呼べるほどじゃない。自分が素敵な人と恋愛するのなんて想像できなかった。
いつでも私の味方でいてくれて、中身を見て好きだって言ってくれる蒼井さんとこんなことになれるなんて、嘘みたいだ。
同時に、自分が勘違いして暴走しなければ、もうちょっと早く、そしてスムーズにこうなれていたのかもしれないと思うと、自分が憎い。
数えきれないほどのキスを重ねながら、ふと彼が私の体を押し倒してくるのに気が付いた。夢見心地から現実に戻った私ははっとしてソファに手をついて踏ん張り、隙を見て声を上げた。
「あ、あの! 明日も仕事なので、そろそろ私はかえ」
「ここで止めるの? いじわるだなあ」
私を見下ろしながら、蒼井さんが口角を上げてそう言った。な、なんだろう、いじわるって言うけど、なんかいじわるな顔をしてるのはそっちに見える! 普段の蒼井さんとちょっと雰囲気が違う!
「あ、蒼井さんも病み上がりですし……運動はちょっと」
「運動! はは、その言い方逆にやらしいね」
「そんなつもりは! あの! 私今パニック状態でして、もうそろそろ緊張で心臓停止しそうっていうか吐きそうっていうか血管が血流に耐えられなさそうっていうか」
もはや何を口走っているのか自分での理解していない。状況全てがキャパオーバーなのだ。これ以上は召されてしまう自信がある。心の準備は何にも出来てないし、体の準備も整っていないし、絶対に無理だ。キスで精一杯。
蒼井さんは笑いながら体制をもとに戻す。
「ごめんごめん、嘘だよ。からかいすぎた、僕が悪い。確かに病み上がりだし、安西さんももう帰らないとね、送っていくよ」
「いえ! 病み上がりなので蒼井さんはゆっくりしててください! 私は一人で大丈夫です」
「せめて駅まで送らせて。じゃないと僕の立場がない」
拗ねたように言われたので、ぐっと受け入れた。蒼井さんは嬉しそうに笑って立ち上がる。
……なんか、蒼井さんって私の扱い手慣れすぎてない? 上手く転がされてるような気が……
カバンを持って玄関に出ると、蒼井さんが先に廊下をきょろきょろと見回した。鈴村さんがまだ待っていないか確かめているらしい。
「さすがに帰ったみたい。よかった、いると色々うるさいからね」
「そ、そうですか」
「じゃあ行こう」
そう言って自然と私の手を取った。手なんてさっきも握ったはずなのに、それでも私の緊張はまた高まってしまう。
夜道を好きな人と手を繋いで歩く。凄く嬉しくて、すごく恥ずかしい。
エレベーターを降りて外に出ると、辺りはすっかり暗くなり満月が見えていた。普段は夜空を見上げて感動することなんてないくせに、どうしてこういう時だけやたら感動してしまうんだろう。
今まで見た月の中で、一番綺麗だ。
私の歩幅に合わせて歩く蒼井さんが、夜に消えそうな声で言う。
「お見舞い、本当にありがとう」
「いえ、早く治ってよかったです」
「今、何を考えてる?」
「え!? いや、なんか緊張するなあって」
「僕は今から安西さんと何しようーって考えてる。またケーキ食べたいなーとか、旅行に行きたいなーとか。一人で盛り上がってるみたい」
「そ、そんなことないです! そりゃ私だって行きたいって思ってますよ!」
「証言は取った。今度行こうね」
そう言ってこちらを見た蒼井さんの顔が、本当に楽しそうでどこか子供みたいで。
ああ、本当に私と付き合ってくれるんだ、って。本当の本当にちゃんとした恋人なんだ、って。
なぜかは分からないけど、涙が出た。
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