アンドロイドが真夜中に降ってきたら

白河マナ

文字の大きさ
52 / 81

第37話

しおりを挟む
 
 夏を演出していた蝉の鳴き声もなくなり、夜になると耳を澄ませば微かに秋の虫の声が聞こえてくる、そんな時節──

 カナは寝室である音声を聴いてた。

《……ですから、》

 ICレコーダーに記録されている音声はたった5分ほどで、聞き終わるとリピートして、何度も語りかけてくる声に耳を傾ける。

《私、私は……》

 自分とは違う、機械的な声。けれどもその割には無機質さや冷たいという印象はなかった。

《きっと……綺麗です》

 挨拶から始まり、ひまわりの世話のお願い、伊月進いつきすすむについてのこと、リハビリに対する励まし、そして──

《……お願いしたく……ないです。でも……》

 真っ白い天井を見つめながら、手術前のカナからの伝言を何度も聞く。
 宇佐美うさみエレナは、カナが目覚めたとき、複雑な事情で長い間眠っていたのだと教えてくれたが、カナは信じていない。

 過去の自分。
 現在の自分。

 かつて双方を繋いでいた糸が切れ、離れ離れになってしまったことで、カナは自分という存在を掌握することができずにいた。

 これは、記憶喪失とは、違う。

 覚醒と同時に感じた、まるで誰かの生を途中から引き継いだような──空っぽの体に用意されていた心を放り込まれたような、違和感。そしてたまに頭痛とともにやってくる、強烈なデジャヴ。

 以前のカナとはどんな人だったのか。
 何をするにも常にそのことが頭から離れない。

 唯一の手がかりは、エレナから受け取ったICレコーダーの音声だけだった。
 だが、その中の自分自身は、今の自分とはまるで違う、かけ離れた人物のように思え、カナはそのことに益々戸惑うのだった。


 ──エレナがひまわりの種は食べれるって言うから食べてみました。あまりおいしくありませんでした──


「んー。こんな感じかな」

 ボールペンを置いて、書き終えたばかりの手紙を読み直す。カナは音声の口調に似せ、伊月進いつきすすむへの手紙を書いていた。

 どうしてかわからない。

 ただ。
 伊月進いつきすすむに自分が《カナ》でないことを知られたくなかった。

 カナの落ち着いた口調、丁寧な言葉遣い、相手を気遣う心──過去の自分と現在
の自分は、別人のようだったからだ。

 今の『カナ』を出したら、伊月進いつきすすむを失望させてしまうのではないか。
 そしてそれは、かつての自分が大切だと言った人、その人を悲しませてしまうことになるのではないだろうか。さらには、過去の自分を知る最も大きな手がかりを失ってしまうのではないか、という恐れもあった。

 そうしたいくつかの思いが絡み合い、毎日の手紙に『カナらしさ』というフィルターをかけるしかなかった。

 本当はひまわりを見て泣きもしなかったし感動もしなかった。達成感はあった。だがそれだけだ。

 嘘で嘘を重ね書きする毎日。
 日を負うほどに以前のカナとの距離はさらに離れていく。それにつれて、手紙を書
く際にICレコーダーの音声を反復する時間が長くなっていった。


**********


「ということでテストをしたいの。いいかしら」

 宇佐美うさみエレナは、ホワイトボードに書いた内容を消して《10:30》と新たに書く。

「どうせ拒否できないんでしょ?」

 机の上に頬杖を付いてカナは聞き返す。

「まあね。あなただって、いまさら小学生なんて嫌でしょう? 年齢に見合った学校に行くには、相応の学力が伴ってないといけないのよ」

 ホワイトボードマーカーを器用にくるくると回転させてから、キャップを取り付けるエレナ。

「やるわ。学校には行きたいし。ここは退屈だもの。死にそうなほど」

 カナは鉛筆をエレナのように回そうとするが、上手くいかず手からこぼれ落ちる。2度試したところで、鉛筆が床に落ちて芯が折れてしまったのでやめた。

「制限時間は1科目につき45分。10分の休憩と昼食を挟んで、できれば今日中に5教科やりたいわ。体調が悪かったらすぐに言うこと。いいわね? 記憶をなくしたあなたが習得した覚えのない知識を測るためのテストだから頑張れもなにも言えないけど、真面目に解答して頂戴」

「はいはい」

「『はい』は、一回でいいわ。カ、」

 エレナの言葉を遮るように、

「カナちゃんはそんな言葉遣いをしなかったわよ、でしょ? もー聞き飽きたわ。何
度言えば分かるの? 私は私だもの。前の私と比較するのはやめて」

「……そうね、ごめんなさい。だけどね、一般的な女の子はそんな返事はしないの。学校で恥をかくのはあなたなのよ」

「まるでお母さんみたい」

「お・姉・さ・ん」

「わかりましたわ、エレナ

「……まあいいわ。じゃ、時間になったら戻ってくるから。また後でね」

「待って、エレナ」

「なーに?」

「答案用紙と解答用紙が5組あるけど、どの科目から始めればいいの?」

「好きに選んでいいわ」

「了解」

 部屋を出たエレナは長い廊下を歩きながら「……私に似たんじゃないわよね」と、誰にでもなく呟いた。




「……不思議な気分」

 解答用紙を埋め終え、カナは鉛筆を回す練習をしていた。制限時間の10時30分まで、まだ10以上ある。部屋には誰もいない。

 よろよろと立ち上がって窓から外を見ると、一匹の黒猫がカナの方を見ていた。窓を開け、カナは猫を招き寄せるように手を伸ばす。

 部屋の隅に置いてある車椅子には乗らずに、一歩一歩足場を確かめるように平坦な床を歩く。

「おいで」

 一階の窓から身を乗り出す。

 黒猫はその場から動かなかった。そして、急に何かに気づいたかのように、庭の植え込みの奥に消えてしまった。

 諦めて、席に戻ろうと踵を返すとエナが立っていた。

「窓から逃げ出したくなるほど嫌なら、先に言ってよね」

「猫がいたの」

「ふーん。いい訳はそれだけ?」

「嘘じゃないわ」

 にゃー

 庭のどこかから、鳴き声が助け舟を出してくれる。

「……」

「ほら。嘘じゃないでしょ」

「……偶然よ」

「素直じゃないんだから、エレナは」

「それよりテストは終わったの?」

「もちろん。時間が余り過ぎたから2教科やっちゃったけど。ダメだった?」

「別に構わないけど、デタラメな回答じゃないことを祈るわ」

「それは保障できないかな。だって、エレナが言ったように私が学んだ知識じゃないし、自然と答えが出てきちゃったから」


**********


「合格」

 採点を終えたエレナは、煮え切らない表情でそう告げる。

「やった!」

「いまいち釈然としないけど、あなたの学力は、日本全国どの高校に行っても通用するレベルに達してるわ」

「それって凄いことの?」

「まあね。安心したわ」

「……」

「……どうしたの?」

「楓高校にも……行けるかな?」

「ええ。県内の学校ならどこでも行けるわ。好きなところを選んでいいから」

「ううん、楓に行きたい。エレナもいるし」

「私はオマケでしょ。伊月いつきに会いたいんでしょ?」

 カナは顔を真っ赤にして否定する。エレナはそんなカナを抱きしめ、頑張ったわねと耳元で囁き、それからさらに強く抱きしめる。

「あと少しだから。リハビリ頑張りましょ」

「……うん。ありがとうエレナ」
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ユニークアイテムな女子(絶対的替えの効かない、唯一無二の彼女)「ゆにかの」

masuta
キャラ文芸
恋と友情、そして命を懸けた決断。青春は止まらない。 世界を股にかける財閥の御曹司・嘉位は、U-15日本代表として世界一を経験した天才投手。 しかし、ある理由で野球を捨て、超エリート進学校・和井田学園へ進学する。 入学式の日、偶然ぶつかった少女・香織。 彼女は、嘉位にとって“絶対的替えの効かない、唯一無二の存在”だった。 香織は、八重の親友。 そして八重は、時に未来を暗示する不思議な夢を見る少女。 その夢が、やがて物語を大きく動かしていく。 ゴールデンウィーク、八重の見た夢は、未曾有の大災害を告げていた。 偶然か、必然か……命を守るために立ち上がる。 「誰も欠けさせない」という信念を胸に走り続ける。 やがて災害を未然に防ぎ、再びグラウンドへと導く。 その中で、恋もまた静かに進んでいく。 「ずっと、君が好きだった」告白の言葉が、災害と勝負を越えた心を震わせる。 それぞれの想いが交錯し、群像劇は加速する。 一人ひとりが主人公。人生に脇役はいない。 現代ファンタジーとリアルが交錯する青春群像劇。 本作は小説家になろう、オリジナル作品のフルリメイク版です。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

イケボすぎる兄が、『義妹の中の人』をやったらバズった件について

のびすけ。
恋愛
春から一人暮らしを始めた大学一年生、天城コウは――ただの一般人だった。 だが、再会した義妹・ひよりのひと言で、そんな日常は吹き飛ぶ。 「お兄ちゃんにしか頼めないの、私の“中の人”になって!」 ひよりはフォロワー20万人超えの人気Vtuber《ひよこまる♪》。 だが突然の喉の不調で、配信ができなくなったらしい。 その代役に選ばれたのが、イケボだけが取り柄のコウ――つまり俺!? 仕方なく始めた“妹の中の人”としての活動だったが、 「え、ひよこまるの声、なんか色っぽくない!?」 「中の人、彼氏か?」 視聴者の反応は想定外。まさかのバズり現象が発生!? しかも、ひよりはそのまま「兄妹ユニット結成♡」を言い出して―― 同居、配信、秘密の関係……って、これほぼ恋人同棲じゃん!? 「お兄ちゃんの声、独り占めしたいのに……他の女と絡まないでよっ!」 代役から始まる、妹と秘密の“中の人”Vライフ×甘々ハーレムラブコメ、ここに開幕!

処理中です...