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第39話
しおりを挟む棺の中で私が眠っていた。
横たわり眠る私、それを見る私。二人の私。ありえない状況だ。しかしそれが今、状況として現実に眼前にある。
突きつけられたこの現実を受け止めるのは難しい。
しかし、一見は、どんな映像よりも伝聞よりも圧倒的な説得性をもって私の視覚から全身を波立たせる。
瞼を閉じた自分を見るというのは、変な感じだった。透明な、カプセルのような棺の中で、もうひとりの私の時間は切断され凍結している。
「信じてくれたかしら」
エレナの声は狭い部屋の壁や天井に反響して執拗に大きく聞こえた。
私と瓜二つの顔を近くで見るために車椅子の方向を変えると、タイヤのゴムと床が擦れる不愉快な音がする。
天井の照明がカプセルの表面に眩しく反射する。
外のどこか遠くで鳥がひと鳴きしたのが聞こえた。
「この子がカナ」
もう一人の私。
現在の私を構成する、雛形としての意識要素の提供元──それがカナなのだとエレナは教えてくれた。
「死んでるの……よね」
その問いに反応してエレナがカプセルを開ける。
棺の中から冷たい空気が溢れ出す。
冷気はじわりじわりと広がり、部屋の隅々まで達すると満足したように動きを止めてその身を床面に沈殿させる。
カナの頬に手を当てると、金属に触れた時のひやっとした感覚が指先から肩口あたりまで上ってくる。
冷たい。とても。
「そうよ」
「どうしてここに寝かせたままなの?」
「どうしたらいいか、私も決めかねているの。だから、あなたに決めてもらおうと思って、そのままにしておいたの」
「……私に?」
「ええ。あなたの体なのだから」
「……」
まるで楽しい夢を見ているかのように、口元に笑みを浮かべ眠っている私。どんな思いでこの人は自分を失う道を選んだのだろう。
お願いしたくないです。
本当は、こんなこと、お願いしたくないです。
カナの機械的な、しかしとても感情のこもった声を思い出す。
「……エレナはどうしたい?」
「この体は英知の集合体──できれば、調べてみたい。けどね、それは研究者としての気持ち。ふさわしい場所に弔ってあげたいわ。私とあなたは家族なんだもの」
「……ありがとう、エレナ」
家族、という言葉が胸に響く。
「ねえエレナ。質問があるの」
「何?」
「カナのメッセージを聴いて思ったんだけど、私とこの子って見た目はそっくりだけど、中身は全然似てないわ。どうして?」
「やっぱりわかる?」
「実際に会ったわけじゃないから正確にはわからないけど、口調とか声の雰囲気とか性格はまるで別人じゃない」
「人格形成のプロセスなんてのは目のないサイコロを振り続けるようなもの。生活環境、教育、親しい人の影響、些細なことやちょっとしたきっかけで変化するわ。一卵性双生児の好みや性格が必ずしも一致しないようにね」
エレナはゆっくりと言葉を選びながら、説明する。
「本当にカナは私の中にいるの?」
「……」
「エレナ?」
「……どうかしら」
「だって、カナの心を私に移したんでしょう?」
「『心』ってのはあなたが理解しやすくなる為に選んだ言葉よ。正確には、脳の主要な部分を移植しただけ」
「じゃあどうして知識が残ってるのに意思は残らなかったの?」
「さあね。もともとどうなるかなんて誰にもわからない手術だったから。死という最悪の事態を回避したことだけで幸運なことなのよ。手術前に幾通りものシミュレートをしたけど、今回の状況はそのどれにも当てはまらないわ」
「なら、私は誰?」
「宇佐美カナ。私の可愛い妹」
「……真面目に答えて」
「答えてるんだけどね。私はね、最近こんなことを疑いはじめているの。そうあっては欲しくないけど……この子の意思は……この体に残されたままなのかもしれない、って」
目を伏せ、呟く。
「だからね、やめることにしたわ。この子とあなたを比べるのを。嫌な思いをさせてしまってごめんなさい」
「……いいよ、謝らないで。それより私はこの子のために何をしたらいいの?」
「このままでいいんじゃないかしら」
「でも、」
「あなたに渡したカナのメッセージがどんな内容のものだったか知らないけど、カナが望んでいたのは、どこにでもあるようなありきたりの生活よ。学校に行ったり友達と遊んだり……今のあなたの目標と同じ」
「……」
「特別なことなんて必要ないの。彼女は、あなたがこうして元気に生活できていることを嬉しく思っていると思うし」
「本当に、そう思う?」
「ええ」
「……そっか」
「だから、リハビリを頑張って、早く歩けるようになって学校に行けるようにならないとね。伊月は来年3年生なんだから、急がないと卒業しちゃうわよ」
「え!?」
「あれ言ってなかったっけ?」
「ぜんっぜん聞いてないわよ!」
「じゃあ夏休みが今週で終わることも言ってなかった? 私、来週から学校に復帰するから。あなたも早く学校に来れるように頑張りなさい」
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