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最終話 魔法の石
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枝葉を伝い、雫が落ちる。
落ちた水滴が地面に黒い染みをつくる。染みは、出来た速度の倍ほどの時間をかけて、ゆっくりと吸い込まれるように消えた。
連日続いていた雨が止み、6日ぶりに太陽が顔をのぞかせていた。
雨期に入ったのだ。普通はこれほどの悪天候が続くことはない。これからひと月ほどは、雨の多い日々を過ごすことになるだろう。
「んーーっ」
日差しが痛い。けれど心地よい痛さだった。
俺が伸びをしていると、シーラも真似して、目一杯に身体を伸ばす。
「うーーーっ」
「はは、だいぶ退屈だったんじゃないか?」
「退屈だった。アースと買い物に行ったとき以外は、外に出てないからね」
そう言ってシーラが口を尖らせる。でも、表情は穏やかだった。
「まあ、雨だけだったら街を歩くことも出来たんだけどな。あんなに風があったら無理だって」
「うん、そうだけど……。こんなに雨が続くとは思ってなかったの」
俺は昨日のシーラを思い出して、思わず吹き出した。
「な、なによぉ、アース」
「そう言えばお前、昨日の夜、真面目な顔して神様に祈ってたよなぁ」
その真剣な表情がおかしくて俺は大笑いした。
「あ、あれは、」
「『このままだと、洪水になってみんな流されちゃうよ!』とか言って」
「うっ、仕方がないじゃない、雨期のこと知らなかったんだから!」
再び俺が笑い出すと、シーラは拗ねた様子で横を向いた。
「ほんとに心配したんだから……」
「悪い悪い。でも、シーラの願いは案外届いたのかもしれないぞ」
「……どうして?」
「雨期に入ったら、雨が上がることはあっても、こんなに晴れる事なんてないからな」
「そうなの?」
「ああ。今までなかったよ」
……いや、一度だけあったか。だが、あえて口にはしない。
「ほら、信じていれば願いは叶うんだよ」
「そうみたいだな」
同意したものの、俺は、神など信じてはいなかった。
信じることの虚しさを知っているからだ。姉が生きてさえすれば、自分の命など惜しくはなかった。奇跡などないのだ、この世界には。
なにより、俺の目が覚めるきっかけを、一人の少女がくれたことを覚えているから。
神などではなく、人間が。
けれど、思い出せるのは彼女の朧気な面影だけ。
感じるのは、優しさだけ。
今では、それが現実であったのかさえ疑問だった。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇
街は、喧騒に包まれていた。
三日前に買い出しで来たときには人通りも少なく寂しかった通りも、今日は、街の人間のほとんどが外に出ているのではないかと思うほどに人で埋め尽くされていた。
通りに平行して、多くの露店が立ち並んでいた。
「ねえねえ、あれ見ていい?」
シーラが袖を引っ張る。彼女が指さす方向を見ると、人だかりができていた。
「なんの店だ?」
「わかんないけど、楽しそう」
時折できる隙間から覗いてみると、首飾りや腕飾りやらを売っている露店だということが分かった。よく見ると、集まっている大半が女性だった。
俺たちは人混みをかき分けて、一番前へと進む。幸い、冷やかしの客ばかりだったので、意外にすんなりと商品の見える位置まで行けた。
「うわぁ、きれいだねアース」
どうやら、手前に置かれた首飾りや腕飾りは見本らしい。
台の上には幾つもの箱が置かれていた。
箱は全部で20個あり、各箱の中にはガラス玉や鉱石、木で造られた飾りに使う部品が入っている。そして、部品ごとに値札が貼ってあった。
「すごいっ。自分で首飾りとかが作れちゃうんだね」
シーラの感嘆の声に、待ってましたとばかりに店主の男が言葉を重ねる。
「そうそう、そうなんですよお嬢さん。この世に二つとない自分だけの首飾りや腕飾りが作れるんです。ひとつ造られてはどうですか?」
シーラが俺の顔を見上げる。
俺は、いいよと笑って答えた。
「じゃあ、これと、これと……」
シーラは悩んだ末、腕飾りを作ることにした。
店主がシーラの言葉通りに部品を紐に通していく。手際よく、度々の変更にも笑いながら応対してくれた。バランスが悪くなりはじめると、たまに助言をしたが、あくまでもシーラの意志を尊重してくれた。
「なんとなく形になったな」
「うん、あとひとつ入るかなぁ……」
紐にはここまでという印がついている。それは、最後に紐を結ぶために残さなくてはならない部分だ。
最後を何にしようかとシーラが悩んでいると、足下から店主が箱を取り出した。
「実はですね。お薦めの石があるんですよ」
「おすすめ?」
店主が箱を開けると、中にはぎっしりと黒い石が入っていた。
「見た目はあまり良くないですが、この石には魔法が込められているんです」
「魔法?」
話に乗せられそうなシーラの肩に手を置く。
どうせこんな事だろうと思った。出来上がる寸前まで造らせておいて、最後に高い石を売りつけるつもりなのだろう。
「大丈夫ですよお兄さん、これはタダですから」
俺の考えを見透かしたように店主が言う。
「タダなのか?」
「ええ。この石のお金は頂きません」
とても穏やかで、優しい微笑みだった。
「でも魔法が込められているんじゃないのか?」
「はい。ですが……」
店主は言葉に迷っていた。
「話しにくいことならいいけど、どんな魔法が込められているのかは教えてくれよ」
「わかりました。でも、お嬢さんにだけですよ」
「……どうして?」
不思議そうにシーラが訊く。
「魔法の効力が切れてしまいますから」
そう言って、店主は楽しそうに笑っていた。
シーラの白くて細い腕には、出来たばかりの腕飾りがしてあった。
陽光を浴びて、幾つかの石が輝いていた。見ると、最後にもらった黒い石が最も重いようで、常に地面に一番近いところで揺れていた。
「やっぱ、訊いちゃダメなのか?」
「うんっ」
シーラは、無邪気に笑った。
店主から耳打ちされた内容はどんなものだったのだろうか。俺にはタダで貰った石に魔法が込められているとは思えなかった。
でも、シーラが信じているのなら信じたいと思う。彼女が神に祈るというのなら、俺も祈りを捧げるだろう。
俺は、ふと思い出した。姉さんが生きていた頃は、食事の前に必ず二人で祈りを捧げていたことを。でも、姉さんが死んでからは一度もしていない。
「……アース?」
俺は目を閉じて、記憶の片隅に眠っていた懐かしい祈りの言葉を思う。
二度とすることがないと思っていた明日への祈り。あの頃のように食事の前に手を組み祈ることはしないけれど、これからはこうして、今日の二人の幸せを感謝し、明日の幸せを願うことにしたい。
シーラと共にあることが、今の俺の幸せなのだから。
それだけが、俺の望みなのだから。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇
なだらかな丘の上に、俺たちの家が見えた。
「ねえ、アース?」
それは俺の育った家。
姉さんとの思い出がつまった家。
「なんだ?」
「あそこに木があるでしょう?」
シーラの視線の先にあるのは、懐かしい大木だった。
俺と姉さんが一緒に走った──
姉さんとの思い出の詰まった場所──
「あそこまで、競争しましょう?」
胸の底から熱いものがこみ上げてくる。
姉さんと最後に走った日のことが、走馬燈のように頭の中を駆けめぐった。
押し寄せる涙で目の前がぼやけてくる。
悲しみ……なのだろうか?
それとも、喜びなのだろうか?
「……どうしたの?」
俺は走り出していた。
「あーっ! ずるいよ、アースぅ!」
俺はもう、あの時の俺じゃない。
「速いよぉ~~~~っ!」
姉の死を受け止め、
シーラという天使に巡り会い、
互いに求め、求められ、生きている。
大木にたどり着いた俺は、樹の幹に手を置く。
温かかった。
かなり遅れて、シーラがこちらに向かって走ってくる。
『遅いよ、姉さん』
『負けたんだから、ちゃんと約束を守るんだよ……』
俺は微笑みながら、そう心の中で呟き、心の中で泣いた。
落ちた水滴が地面に黒い染みをつくる。染みは、出来た速度の倍ほどの時間をかけて、ゆっくりと吸い込まれるように消えた。
連日続いていた雨が止み、6日ぶりに太陽が顔をのぞかせていた。
雨期に入ったのだ。普通はこれほどの悪天候が続くことはない。これからひと月ほどは、雨の多い日々を過ごすことになるだろう。
「んーーっ」
日差しが痛い。けれど心地よい痛さだった。
俺が伸びをしていると、シーラも真似して、目一杯に身体を伸ばす。
「うーーーっ」
「はは、だいぶ退屈だったんじゃないか?」
「退屈だった。アースと買い物に行ったとき以外は、外に出てないからね」
そう言ってシーラが口を尖らせる。でも、表情は穏やかだった。
「まあ、雨だけだったら街を歩くことも出来たんだけどな。あんなに風があったら無理だって」
「うん、そうだけど……。こんなに雨が続くとは思ってなかったの」
俺は昨日のシーラを思い出して、思わず吹き出した。
「な、なによぉ、アース」
「そう言えばお前、昨日の夜、真面目な顔して神様に祈ってたよなぁ」
その真剣な表情がおかしくて俺は大笑いした。
「あ、あれは、」
「『このままだと、洪水になってみんな流されちゃうよ!』とか言って」
「うっ、仕方がないじゃない、雨期のこと知らなかったんだから!」
再び俺が笑い出すと、シーラは拗ねた様子で横を向いた。
「ほんとに心配したんだから……」
「悪い悪い。でも、シーラの願いは案外届いたのかもしれないぞ」
「……どうして?」
「雨期に入ったら、雨が上がることはあっても、こんなに晴れる事なんてないからな」
「そうなの?」
「ああ。今までなかったよ」
……いや、一度だけあったか。だが、あえて口にはしない。
「ほら、信じていれば願いは叶うんだよ」
「そうみたいだな」
同意したものの、俺は、神など信じてはいなかった。
信じることの虚しさを知っているからだ。姉が生きてさえすれば、自分の命など惜しくはなかった。奇跡などないのだ、この世界には。
なにより、俺の目が覚めるきっかけを、一人の少女がくれたことを覚えているから。
神などではなく、人間が。
けれど、思い出せるのは彼女の朧気な面影だけ。
感じるのは、優しさだけ。
今では、それが現実であったのかさえ疑問だった。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇
街は、喧騒に包まれていた。
三日前に買い出しで来たときには人通りも少なく寂しかった通りも、今日は、街の人間のほとんどが外に出ているのではないかと思うほどに人で埋め尽くされていた。
通りに平行して、多くの露店が立ち並んでいた。
「ねえねえ、あれ見ていい?」
シーラが袖を引っ張る。彼女が指さす方向を見ると、人だかりができていた。
「なんの店だ?」
「わかんないけど、楽しそう」
時折できる隙間から覗いてみると、首飾りや腕飾りやらを売っている露店だということが分かった。よく見ると、集まっている大半が女性だった。
俺たちは人混みをかき分けて、一番前へと進む。幸い、冷やかしの客ばかりだったので、意外にすんなりと商品の見える位置まで行けた。
「うわぁ、きれいだねアース」
どうやら、手前に置かれた首飾りや腕飾りは見本らしい。
台の上には幾つもの箱が置かれていた。
箱は全部で20個あり、各箱の中にはガラス玉や鉱石、木で造られた飾りに使う部品が入っている。そして、部品ごとに値札が貼ってあった。
「すごいっ。自分で首飾りとかが作れちゃうんだね」
シーラの感嘆の声に、待ってましたとばかりに店主の男が言葉を重ねる。
「そうそう、そうなんですよお嬢さん。この世に二つとない自分だけの首飾りや腕飾りが作れるんです。ひとつ造られてはどうですか?」
シーラが俺の顔を見上げる。
俺は、いいよと笑って答えた。
「じゃあ、これと、これと……」
シーラは悩んだ末、腕飾りを作ることにした。
店主がシーラの言葉通りに部品を紐に通していく。手際よく、度々の変更にも笑いながら応対してくれた。バランスが悪くなりはじめると、たまに助言をしたが、あくまでもシーラの意志を尊重してくれた。
「なんとなく形になったな」
「うん、あとひとつ入るかなぁ……」
紐にはここまでという印がついている。それは、最後に紐を結ぶために残さなくてはならない部分だ。
最後を何にしようかとシーラが悩んでいると、足下から店主が箱を取り出した。
「実はですね。お薦めの石があるんですよ」
「おすすめ?」
店主が箱を開けると、中にはぎっしりと黒い石が入っていた。
「見た目はあまり良くないですが、この石には魔法が込められているんです」
「魔法?」
話に乗せられそうなシーラの肩に手を置く。
どうせこんな事だろうと思った。出来上がる寸前まで造らせておいて、最後に高い石を売りつけるつもりなのだろう。
「大丈夫ですよお兄さん、これはタダですから」
俺の考えを見透かしたように店主が言う。
「タダなのか?」
「ええ。この石のお金は頂きません」
とても穏やかで、優しい微笑みだった。
「でも魔法が込められているんじゃないのか?」
「はい。ですが……」
店主は言葉に迷っていた。
「話しにくいことならいいけど、どんな魔法が込められているのかは教えてくれよ」
「わかりました。でも、お嬢さんにだけですよ」
「……どうして?」
不思議そうにシーラが訊く。
「魔法の効力が切れてしまいますから」
そう言って、店主は楽しそうに笑っていた。
シーラの白くて細い腕には、出来たばかりの腕飾りがしてあった。
陽光を浴びて、幾つかの石が輝いていた。見ると、最後にもらった黒い石が最も重いようで、常に地面に一番近いところで揺れていた。
「やっぱ、訊いちゃダメなのか?」
「うんっ」
シーラは、無邪気に笑った。
店主から耳打ちされた内容はどんなものだったのだろうか。俺にはタダで貰った石に魔法が込められているとは思えなかった。
でも、シーラが信じているのなら信じたいと思う。彼女が神に祈るというのなら、俺も祈りを捧げるだろう。
俺は、ふと思い出した。姉さんが生きていた頃は、食事の前に必ず二人で祈りを捧げていたことを。でも、姉さんが死んでからは一度もしていない。
「……アース?」
俺は目を閉じて、記憶の片隅に眠っていた懐かしい祈りの言葉を思う。
二度とすることがないと思っていた明日への祈り。あの頃のように食事の前に手を組み祈ることはしないけれど、これからはこうして、今日の二人の幸せを感謝し、明日の幸せを願うことにしたい。
シーラと共にあることが、今の俺の幸せなのだから。
それだけが、俺の望みなのだから。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇
なだらかな丘の上に、俺たちの家が見えた。
「ねえ、アース?」
それは俺の育った家。
姉さんとの思い出がつまった家。
「なんだ?」
「あそこに木があるでしょう?」
シーラの視線の先にあるのは、懐かしい大木だった。
俺と姉さんが一緒に走った──
姉さんとの思い出の詰まった場所──
「あそこまで、競争しましょう?」
胸の底から熱いものがこみ上げてくる。
姉さんと最後に走った日のことが、走馬燈のように頭の中を駆けめぐった。
押し寄せる涙で目の前がぼやけてくる。
悲しみ……なのだろうか?
それとも、喜びなのだろうか?
「……どうしたの?」
俺は走り出していた。
「あーっ! ずるいよ、アースぅ!」
俺はもう、あの時の俺じゃない。
「速いよぉ~~~~っ!」
姉の死を受け止め、
シーラという天使に巡り会い、
互いに求め、求められ、生きている。
大木にたどり着いた俺は、樹の幹に手を置く。
温かかった。
かなり遅れて、シーラがこちらに向かって走ってくる。
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