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第二章

第59話 聖女の欲望

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 陛下より聖女の称号を授かる時、剣聖の授与式も同時に行われた。

 剣聖に選出されたその御方は、稀有な黒髪に男の色香を漂わせ、それでいて凛とした顔立ちのうっとりするような爽やかな美形だった。
 体型はスラっとした細身の長身だが、鍛え抜かれた身体という事が騎士服の上からでも窺い知れた。

 その御方のその名をヴィルドレット・エドワード様と聞いた時、私はニヤリと笑みを浮かべた。

 王国一の美丈夫と謳われるその名を私が知らぬわけがない。

 その麗しい容姿で令嬢のみならず王女までも虜にさせながらも、生涯独身を公言して持ち掛けられる縁談のその全てを拒み、どんな名家の令嬢だろうが、どんな美貌を持とうが、誰も手に入れる事が叶わなかった稀代の色男。

 しかし、誰も手に入れられないものだからこそ余計に手に入れたくなってしまうのが人間の性。

 聖女であるこの私ならば?
 この、神に愛されているとしか思えない美貌を前にしても『生涯未婚』を貫く事が出来るかしら?

 貴族令嬢や王女といった愚女ならいざ知らず、私に見惚れない男などいるはずがない。
 私に手に入れられないものなどあろうはずが無い。

 私は意気揚々とヴィルドレット様に近づいた。

『お初にお目に掛かります剣聖ヴィルドレット様』

『……これは聖女アリス殿。平民から聖女へ成り上がるとはまさに華麗なる下剋上と、感嘆の念を禁じ得ないよ。平民の者達の希望の星だな』

『ふふふ。お褒めの言葉がお上手ですのね。 時に、剣聖ヴィルドレット様。この聖女アリスを妻に娶って頂けませんか? こうして剣聖と聖女が巡り合ったのです。神の御導きに従って……』

『いや、断る』

『――っ!? この私を、聖女を振るおつもりですか!?』

『だからこそだ。俺は君とは恋仲になりたくない』

『私が……聖女だから?』

『そうでなくても俺は誰とも恋仲にはならない。俺は生涯独身を貫くつもりだ』

 屈辱だった。この私の思うようにならない男がいたなんて、と。
 
 どうにもならい。ならば、どうにかするまで。
 ヴィルドレット様からの拒絶はむしろ私の恋心を激しく燃え上がらせた。

 私は改めてエドワード家へ縁談を申し込んだが、結果は同じだった。それでも諦めきれなかった私は執拗にヴィルドレットへ言い寄ったが結局私へ興味を示す事はなかった。

『俺の心はずっと決まった所にある。そこから動く事は決して無い』

 その言葉の意味が私には分からなかった。ただ、ヴィルドレット様を手に入れる事は私でも叶わないという事だけは分かった。

 こうして私はヴィルドレット様の見目麗しい姿に後ろ髪を引かれながらも、それは手に入れられない存在だという事で自分の中で折り合いをつけ、そして諦めた。
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