うそつきΩのとりかえ話譚

沖弉 えぬ

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一章

5雪に見た影

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 食器の音、雑談する声、給仕の足音と、様々な音が奏でる喧騒の中を進む。ここは王宮の中にある食堂だ。
 候補戦の初日は候補者たちの紹介状の確認とあの偉そうな官僚の説明だけで終わりだった。候補者たちはやたら広い宮殿の中を連れられて、奥まったところにある立派な建物の中に押し込められた。そこが候補戦の間に候補者たちの過ごす事になる宿泊部屋になる。部屋は四人で一部屋を使うよう言われ、小さな部屋に寝台が無理矢理四つ設置されていた。候補者の人数に合わせて取り急ぎ寝台だけでも入れておけば十分だろう。そんな意図が透けて見える。
 食事は一日に二回で、今日は既に正午を過ぎていたので夕食の分だけが振る舞われる。王宮の中に詳しいはずもないので、極力トキと関わりたくなさそうにしている候補者たちの後に続いて食堂に来たところだ。
 銀の器に盛られた料理が壁に沿ってたくさん並べられており、そこから自分の好きなものを自分で皿によそって食べるらしい。冬の獬の食事のさもしさを思えば、王宮で振る舞われる料理はとても贅沢に見えたが、他の候補者たちの様子を見るにどうやら彼らの普段の食事よりも大分見劣りするらしかった。
 事ここに至って、候補者たちの身分が皆それなりに高いのかも知れないという可能性に思い至る。事は未来の王の番を決める戦いなのだから考えてみれば当然だ。
 トキにいちゃもんをつけてきた南部の少女を筆頭に、それぞれ名のある家の公子たちなのだろう。食堂の雰囲気はどことなくどんよりとしていて、これから王子の番の座をかけて争うにはあまりに覇気がない。皆、名家のオメガに生まれて嫌々ながら候補戦に参加せざるを得なかった雰囲気だ。だから実家の食事よりも貧相な食事に溜め息が出てくる。何とも張り合いがない。
 こんな様子では王子の番の座とやらも労せずトキの手に転がってくるかも知れない。トキは退屈そうに鼻を鳴らして適当に料理を盛り付けると、空いていた席に座って食べ始める。
「いい食べっぷりだね」
 隣良い? と訊かれたので頬にいっぱい食べ物を詰め込んでいたトキはうんうんと首だけで頷く。
「ねぇ君、田舎の人でしょ? しかも一般人」
「何だよ。喧嘩なら買うぜ?」
「あはっ、そういうところがいかにもそうじゃん」
 気さくというよりいっそ失礼に片足を突っ込んだ男はケラケラと笑う。皿の上に載っている料理が辛いものばかりなので、恐らく中央部の人間だ。髪もまぁ、赤いと言えば赤い。大抵、人は生まれ育った土地のものを好むので、トキの皿には北での主食の芋と、他にはヤギの乳を使った料理が多く載っている。
「俺も一般人。仕えてるご主人様がどうしても候補戦に参加したくないから代わりに行けって言われて来た憐れな一般人」
「ふーん」
「その反応、君は違うみたいだね?」
「俺は望んで参加してるからな」
「へぇ……?」
 くすんでいるせいで赤というより茶色に近い髪をかきあげて、「せっかく仲間を見つけたと思ったんだけど」と男は溜め息をつく。
「仲間? 俺とあんたが?」
「ここに居るオメガはみんな身分の高いお坊ちゃまかお嬢ちゃまばっかりだよ?」
「俺はそうは見えねぇってか?」
「言葉遣いと仕草。誰でも分かるよ。それに北の方の訛りがある。北は割と辺鄙だから、名門の家柄といってもたかが知れてるしね」
 男に悪びれた様子は一切ない。故郷を馬鹿にされて相手が怒り出すという発想が無いみたいだ。怒ってやろうかと思ったが何だか毒気を抜かれてしまった。
「君、何で候補戦に参加したの?」
 答えは決まっている。
「金のためだ」
 男は一瞬黙った後、盛大に吹き出した。
「分かりやすくていいね。まぁでも、きっと徒労に終わるけど」
「何でそう言い切れるんだよ。俺じゃあ王子の寵愛を受けるのに不足か?」
「そうじゃなくて。こういうものは出来レースって相場が決まってるんだ」
 男はさり気なく視線を周囲に巡らせる。男の視線が留まったのは二人の女だ。そのうちの一人はあの南部の生意気な少女だった。もう一人は知らない顔だ。小柄で垂れ下がった眉毛が気弱に見える金髪の女のオメガ。
「どっちかだって言われてる」
「何が?」
「察しが悪いなぁ。番だよ。水の邑『豹』のお姫様か、月の邑『烏』のお姫様か。でも烏の姫様は見ての通り気弱な方だしどこかで辞退なさるかも知れないねぇ」
 銅貨を一枚賭けても良いと言い出すので首を振って断る。男は肩を竦めてつまらないという顔をしつつも話を続ける。
「南部は海路の開拓が順調なんだ。近隣の島国との交易も盛んで金持ちが多い。渡来の珍品は蒐集家なら是非とも繋げておきたい縁さ!」
 男は木で出来た匙を噺家の扇子か何かのように振って得意げに語る。
「烏のお姫様の方もこれまたご実家が太いんだ! 烏のお姫様が着てる服をご覧よ!」
 男が一段声を高くしたところで「なぁ」と呼び掛け水をさす。
「盛り上がってるところ悪いけど、俺もう食い終わったから」
「え?」
「あんたの話面白かったよ。また聞かせてくれ。じゃあな」
「ちょ、ちょっとお! 続き聞いてかないの~?」
 語りに夢中になっていた男の皿は全く片付いていなかったので、トキの事を追いかけるのは諦めたらしい。冷めた料理を箸でつつき、渋々食事を始めた。
 この候補戦の裏にどんな事情が潜んでいようと、トキのなすべき事は変わらない。候補戦の事情にやたらと詳しいところは気になったが、男の語った事のほとんどはトキにとっては無用のものだ。番として選ばれる。そのために敵が姫だろうと何だろうと、勝利のために全力を尽くすだけだ。

 食堂を出たトキはしばらく王宮の中をさまよった。宿舎に戻っていたつもりだったがどこで道を間違えたのか、ものの五分のうちに迷子になった。
 似たような景色が続く王宮の中はまるで迷路だ。王宮の中とは言うが、同じ形をした殿舎があちこちに建てられた敷地内はまるで見通しが利かない上にいちいち案内板のようなものがあるでもない。
 三十分ほど似たようなところをぐるぐる回ったところで諦めて誰か人に訊ねる事にした。
 出来れば官僚には頼りたくないという気持ちが働いてしまったせいでここがどこだかまるで分からない。次に通りがかった人を絶対に呼び止めると決めて、水路に沿ってゆっくり進んでいると、水路のすぐ傍の塀を乗り越えて侵入してくる人影を見付けてトキは「あー!」と声を上げた。
「賊か!? 誰だお前!!」
 トキの声に驚いた侵入者は塀の上から足を滑らせて地面に落っこちた。尻を強か打ち付けた侵入者は腰に手をやり動けない様子でいる。何とも格好の付かない賊が居たもんだ。
「おいおい間抜けだな。そんなんで王宮に盗みに入ったのか?」
「盗みじゃ、なくて……」
 痛てて、と呻きながらどうにか立ち上がった侵入者の顔を見て、トキはめいっぱい胸に空気を吸い来んだ。
「あ、あんたは――」
「シーッ! 少し黙れ! 無駄に声のでかい奴だな」
 慌ててトキの口を手で塞ぎ、男は誰にも見られていない事を確認してから植込みの影にトキを押しやる。
 男の体が近い。何かの香りが鼻をくすぐるようにして一瞬だけ香ったが、手を退かされるとすぐに分からなくなった。
 そんな事よりだ。トキは男の手を両手で握り締めて熱烈に感謝を伝える。
「なぁ、ありがとな。俺あんたのおかげで候補戦に参加出来る事になったよ!」
「はぁ……?」
 男は怪訝に眉をひそめるが、間違いない。彼は昨日役所の前で出会った親切な赤髪の青年だ。
 青年はトキの格好を見てその立場を一目で察した。
「番の候補者がこのようなところで何をしておる?」
 官僚でも兵士でもない格好をしているトキが何者かは傍目に分かりやすい。
「それは俺の台詞でもあるんだけどなぁ。ていうか、あんた、何か人が変わったか?」
 トキが声を掛けたせいで塀から落ちてしまったとはいえ、ぶっきらぼうな態度は昨日とはまるで別人のようだ。
 青年はつり目を大きく見開き、さっと視線を逸らしたかと思うと、ぎこちなく笑みを作ってみせる。
「そ、そうか。あ、いや、良かったな、候補者になれて」
 どうにか笑顔になろうとしているが、残念だが頬が引き攣って筋肉がひくひくと震えてしまっている。青年はぱっとトキの両手から自分の手を引き抜いて、植込みから立ち上がると「頑張るのだぞ」と言って半ば逃げるように去ろうとする。
 どうもおかしい。やっぱり別人のようだ。
 自分の中で沸き起こる疑問の声に従って、トキは咄嗟に去ろうとした青年の腕を掴んで引き留めた。
「なぁあんた、兄弟が居たりしないか?」
 単なる思い付きの質問だった。歳が近くて似た顔と言えば兄や弟を想像するのはごく自然な発想のはずだが、青年はトキの腕を力いっぱい振り払って「居ない!」と強く否定した。それはまるで「居る」と叫んでいるかのようだった。
 青年は今度こそトキに背を向け去っていく。
「ナラ林……」
 風に舞う梅の花のような薄紅の髪を靡かせて消えて行った青年の姿が、銀世界に包まれたナラの木の林に消えたあの男と重なった。
 また、会えた。間違いない。あの紅梅の髪の男だ。思えば今日の男は赤い耳飾りをしていて、昨日のそっくりな男は耳飾りをしていなかった。明確な違いはそれだけだが、トキは確信する。
 トッ、トッ、と心臓の鳴る音が耳の奥でする。昨日会った青年には感じなかった高揚感のようなものが、トキの胸に湧き起こっている。
 何故だろう、たった今自分から逃げるようにして去っていたあの青年とは、再び相まみえる事になりそうだという予感があった。或いはそれは、また会いたいというトキの思いが錯覚させただけかも知れないが。
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