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二章
21旅の再開
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翌日、トキの案内で邑長の屋敷へ向かうとトキは邑長やその家族から過剰なほど感謝され、やれ英雄だ、やれ救世主だと持てはやされた。シカは一体どれほどの返礼品をこの邑に贈ったのだろう。番候補戦の一切はシカに任せてしまったので、米か酒かそれとも金銀財宝か、何があの気難しそうに見える邑長の皺を無くしてしまったのかは分からない。
邑長のところで蛟の話を聞いた後は、蛟から避難しそのまま獬に住み着いたという家族の元へ向かった。
「カク・スって医者を探してる? ……ああ、はいはい、居たよ。スの家の奴な。スのところは確か『日』の……『鶏』だ。鶏って邑に縁者が居るって聞いた事があるよ。でもまぁあの雪崩の日に蛟に帰ってきてたんだとして、そのまま行方不明になったんなら十中八九死んでるよ。諦めた方がいいと思うぜ」
何とも冷たい態度に面食らってしまったが、カク先生が地元と疎遠になってしまっているという話は何度か耳にした事があったので驚きはさほどない。それでも蛟について訊ねるのは他に何も手掛かりがなかったからなのだが、ここに来て漸く新たな情報を得る事が出来た。
「鶏か。また随分と遠い……っつかほぼ国の反対側じゃねぇか」
トキと共に話しながら帰路に就く。
「どうする? さっきの人、カクって人の事あんまりちゃんと覚えてる感じじゃなかったし、狼の邑に行って聞いてみてもいいかもな」
「うむ。もう少し情報を集めたいところではあるが、しかし」
「ん?」
「まるでこの先そなたもついてくるかのような口ぶりだな?」
「は? あんたが言ったんだろ、『先生』を見つけるまで協力しろって」
トキは極めて心外そうに答える。
「そう、だな。そうだった」
確かにそんなような事を言った覚えがある。だがあれは勢いに任せて言った冗談のようなものだったと記憶している。本気で言ったのではない。トキの家族仲を見た後で、あの家からトキという兄を、息子を、自分の勝手で奪って行こうなどとは考えられなくなっていた。
それに、彼の想い人の事もある。
「そなたに来てもらえれば百人力だ。しかし、家の事はどうするのだ? お主は貴重な働き手であろう」
「そうだけど、冬は俺一人いないくらい何とかなる」
「冬の間中に人探しが終わるとも限らぬぞ。国中を回っているうちに冬が過ぎ春が来て、路銀が尽きて骨と皮になっておるやも知れぬ」
「だったら尚更一人で行かせらんねぇだろ」
「俺は良い。どこぞで死のうと、国にとってさしたる影響はない」
トキは大きく目を見開いて、笑う時はなだらかに下がる眉毛をきつく寄せて怒りを露わにする。
「あんたさぁ……時々そうなるよな。卑屈になんの、何で?」
「卑屈になどなっておらぬ。事実を申しておる」
「それが卑屈だつってんの! 何で自分を下げちまうんだよ。お前がお前を一番大事にしてやんなきゃいけねぇのにさぁ!」
「そ……」
そんな事言われたって分からない。自分の何が間違っているのかが分からない。
オメガに生まれ、双子に生まれ、それだけでも十分に一族にとって癌だというのに、父はヒヨクを不要のものにしてしまった。本当はヒヨクの方が兄だったのに、ヒヨクはヒオの一つ違いの弟になったのだ。
アルファが統治する国でオメガの弟になった。それはつまりヒヨクには王族としての価値がなくなった事を表している。
それでもヒヨクはこの土地にまだ生きていて、自分の怪我のせいで弱い体に鞭打ち玉座に座らなくてはならなくなったヒオにせめて一つでも役に立てる事があればと、そう思うヒヨクの何が間違っているというのだ。
喉まで出かかったいくつもの反論はしかし、一つも形にならずに消えていく。トキの自分を見つめる視線が痛い。全身でヒヨクを責めていて、ヒヨクの中に浮かんだどれもが間違っているという気にさせられる。
だったら教えてほしい。
「俺は、何を間違っている? 頼む……教えてくれ、トキ」
トキは泣きそうな顔になると、力いっぱいヒヨクの体を抱き寄せた。ただでさえ体の大きい北部の男の、それもアルファの体格で加減なく抱き締められて骨が軋むような感覚になる。
「ヒヨクの事を大事だって思ってる奴がいる。あんたがヒオや父親や母親の事を話す時の目は、愛情が籠ってた。それってあんたも大事にされてるって事じゃねぇの?」
そうだろうか。分からない。そんな風に考えてみた事がこれまでに無かった。
「分かんねぇってんなら、お、俺が、居る。俺が、お前大事にするから」
自分の両手を温めるために息を吹きかけていたトキの姿を思い出す。まるであの時のようにヒヨクの体の中にもトキが温かい息を吹き込んでくれたみたいに、奥の方が熱くなっていく。
それはやがて溢れ出しそうになって、突き動かされるように腕をトキの背中に回した。
ぐっとトキの肩が持ち上がってトキが緊張したのが分かった。
「ヒ、ヒヨク、俺――」
「あなたたち、家の前でこっぱずかしい事してないで、中に入ってらっしゃい」
その声が聞こえた瞬間トキは野生の獣に負けず劣らずの速度でヒヨクの体を引き剥がした。強く掴まれた肩が痛い。見上げると、トキの顔は真っ赤だった。
「母さんのそのせっかち俺嫌い!!」
トキは脱兎のごとく逃げ出した。
「ごめんなさいね、トキって時々考え無しに行動しちゃうから」
きっとその性分は母親譲りのような気がするとは言わずに黙っておいた。
「会話はね、ほとんど聞こえてないから心配しないで」
眉を下げて笑うその笑顔はトキとそっくりだ。
トキがどこかに走り去ってしまうと追いかけようとしたヒヨクを母のケイが引き留めた。「放っとけばそのうち戻ってくるから」と言われ、トキの事は気になったが従う事にした。
厨の方に連れて行かれ「立ったままごめんね」と言われてあたたかい茶を渡される。トキの言っていた白樺の茶だろうか、湯気に混じる香りは嗅いだ事のないものだ。
「トキと仲良くしてくれるのすごく嬉しいわ、おばさん。でもね、あの子世間の事にちょっと疎いから。人にはその人の『分相応』ってものがあるって、まだあんまり分かってないかも知れない」
分相応。それは為政者として果たすべき責務と通ずるものがある。セイシンでは生まれながらに与えられた環境、身分、性別やバースでそれぞれ担うべきものが異なる。王族に生まれた者には王族の務めがある。
「そういうのを無理矢理越えようとすると、どこかにそのしわ寄せがくるわ。それで傷つくのはあなたかも知れないし、トキかも知れない。もっと別の誰かかも知れないわね。いつか、勢いや感情で決めてしまった事を後悔する事になる」
お茶で落ち着いた後はちょっと手伝ってと言われ、水の張った桶の中で芋を洗う。水のあまりの冷たさに驚いて思わず手を引っ込めると、ケイはおどけた調子で「大変なのよぉ、家事って」と言う。
「はぁ、やぁね。何か説教臭い事しちゃった。別にあなたたちの事責めてる訳じゃないのよ? もし二人がきちんと考えて、それでも今の道が良いっていうならおばさんは応援するから」
包丁を持った手でぐっと拳を握られヒヨクは引き攣った笑みを浮かべた。何となく、ヒヨクとトキがしていた会話は一から十まで聞かれていたような気がしてならない。
トキはすぐに戻ってきた。厨で芋を洗っているヒヨクを見つけるとぎょっとして「母さん!」と叫ぶ。おおよそ彼の言いたい事を察して首を横に振れば、トキは肩を上げ下げして口を出さずにいてくれた。
その日の夕飯は芋尽くしだった。昨日の残り物もいくらかあって、今日も食卓は豪華だ。きっとヒヨクが来ているから少し無理をしてたくさん振る舞ってくれているのだろうと思うと長居は出来ない事に気付く。明日にでも発つべきだと決める。
夜、その事をトキに話した。やはりトキもついて行くと言って真面目な顔をする。
「俺がついてくのどうしても嫌か?」
そういう訊き方は卑怯だ。ヒヨクは決してトキについてきてほしくない訳ではない。寧ろ逆だ。しかし、昼間ケイに言われた事を思い出してこう提案する。
「お父上とお母上、それとトーサ殿やトーウ殿と話して決めてくれないか?」
「親父たちと? あの人たちは俺が決めた事は止めないと思うけど」
「それでもだ。俺は俺のしている事を勝手に決めて、ほとんど黙って都を出て来た。無論、手紙は残してきたぞ? 探されても困るからな」
「家出って言われてたの、半分は当たってたんだな」
「とにかく。お主には後悔してほしくないという事だ。お主自身の考えをしかと見付けて明日、もう一度俺にどうするのか聞かせてくれ」
「分かった」
廊下の方で足音がした。きっと妹たちの足音だ。寝室が二つしかないのでヒヨクはトキと妹たちの部屋に泊まらせてもらっていた。
自然と会話が途切れ、トキに「おやすみ」と言うと同じように「おやすみ」と返ってきた。
すぐに妹たちが入ってきて程なくして灯りが消される。真っ暗な中に起きているのか眠っているのか分からないトキの息遣いが聞こえてきて、つい話し掛けそうになった。本当はついてきて欲しいと言いそうになってぎゅっと目を閉じる。
これが最後になるかも知れないと思うと、なかなか寝付けなかった。
双子のトーサとトーウがくっつき合って半泣きでトキを見ている。慕われているのだなぁと思うと申し訳ないような気持ちが湧いてくる。それでもほっとしてしまう気持ちを止められない。トキはヒヨクの旅についていく事を改めて決めた。
トキはその事を家族に伝えた。母は分かったと頷き、一人あまり事情が分かっていない様子の父は「え? もしかしてこれが親離れかぁ?」と突然の息子の成長におろおろしている。
双子はトキに抱き着いてとうとう本格的に泣き始めてしまった。
「おいおいお前らいつも兄ちゃんの事邪険にするくせ、こんな時ばっか泣くなよなぁ」
「こんな時だから泣くのだ。なぁトーサ殿、トーウ殿。そなたらの兄をしばらく借り受ける事を許してくれまいか?」
双子の傍に腰を曲げて目線を合わせて言うと、二人はトキの体から手を離して涙を拭う。頭上から「しばらくかよ」という非難が聞こえたが今は無視する。
「ヒヨクさん、可愛いもん」
「ね。可愛いもん」
ん? と双子の言う意味を上手く汲み取れず首を傾げると、双子は顔を見合わせてから「ねー」と涙声で示し合う。
「私たちお兄ちゃんの事ならよく知ってる」
「ね。ヒヨクさんは、お兄ちゃんのど真ん中なの」
結局どういう事か分からず困ってトキを見上げると、トキは「う」と唸ってから母を睨む。息子に睨まれた母は一切気圧される事なく笑顔で返した。双子は母に何か吹き込まれたようだ。
「お兄ちゃんバイバイ」
「バイバイお兄ちゃん」
「お前ら、実は思ったより悲しんでねーだろ!」
別れを惜しむ三兄妹から離れ、トキの父母のところに行くとヒヨクは居住まいを正した。
「トキの事は俺の用事が済んだらきちんとお返し致す。大事な働き手だ、必ず無傷で届けるとお二方に約束する」
かなり気負った挨拶をすると、父は少し呆気に取られ、母は苦笑する。
「やっぱ余計な事言っちゃった。私が昨日言ったのはね、あなたの一存ではなくて、トキと二人でたくさん考えてねって事だったの」
「そ、そうか」
「でも、考えすぎても駄目ね。うちの人くらいいい加減な方が実は人生が上手くいったりするもんだし。ね、お父さん」
「ん? まぁそうだなぁ。難しい事はよく分からんくらいが適度に面倒な事が回ってこずに済むぞ」
「肝に銘じておこう」
二人に挨拶を済ませてトキの方を振り返ると、背後から鈍い殴打音が聞こえ「余計な事教えないで」と聞こえた気がしたが、再び両親の方を見ても二人とも笑顔だった。
邑長のところで蛟の話を聞いた後は、蛟から避難しそのまま獬に住み着いたという家族の元へ向かった。
「カク・スって医者を探してる? ……ああ、はいはい、居たよ。スの家の奴な。スのところは確か『日』の……『鶏』だ。鶏って邑に縁者が居るって聞いた事があるよ。でもまぁあの雪崩の日に蛟に帰ってきてたんだとして、そのまま行方不明になったんなら十中八九死んでるよ。諦めた方がいいと思うぜ」
何とも冷たい態度に面食らってしまったが、カク先生が地元と疎遠になってしまっているという話は何度か耳にした事があったので驚きはさほどない。それでも蛟について訊ねるのは他に何も手掛かりがなかったからなのだが、ここに来て漸く新たな情報を得る事が出来た。
「鶏か。また随分と遠い……っつかほぼ国の反対側じゃねぇか」
トキと共に話しながら帰路に就く。
「どうする? さっきの人、カクって人の事あんまりちゃんと覚えてる感じじゃなかったし、狼の邑に行って聞いてみてもいいかもな」
「うむ。もう少し情報を集めたいところではあるが、しかし」
「ん?」
「まるでこの先そなたもついてくるかのような口ぶりだな?」
「は? あんたが言ったんだろ、『先生』を見つけるまで協力しろって」
トキは極めて心外そうに答える。
「そう、だな。そうだった」
確かにそんなような事を言った覚えがある。だがあれは勢いに任せて言った冗談のようなものだったと記憶している。本気で言ったのではない。トキの家族仲を見た後で、あの家からトキという兄を、息子を、自分の勝手で奪って行こうなどとは考えられなくなっていた。
それに、彼の想い人の事もある。
「そなたに来てもらえれば百人力だ。しかし、家の事はどうするのだ? お主は貴重な働き手であろう」
「そうだけど、冬は俺一人いないくらい何とかなる」
「冬の間中に人探しが終わるとも限らぬぞ。国中を回っているうちに冬が過ぎ春が来て、路銀が尽きて骨と皮になっておるやも知れぬ」
「だったら尚更一人で行かせらんねぇだろ」
「俺は良い。どこぞで死のうと、国にとってさしたる影響はない」
トキは大きく目を見開いて、笑う時はなだらかに下がる眉毛をきつく寄せて怒りを露わにする。
「あんたさぁ……時々そうなるよな。卑屈になんの、何で?」
「卑屈になどなっておらぬ。事実を申しておる」
「それが卑屈だつってんの! 何で自分を下げちまうんだよ。お前がお前を一番大事にしてやんなきゃいけねぇのにさぁ!」
「そ……」
そんな事言われたって分からない。自分の何が間違っているのかが分からない。
オメガに生まれ、双子に生まれ、それだけでも十分に一族にとって癌だというのに、父はヒヨクを不要のものにしてしまった。本当はヒヨクの方が兄だったのに、ヒヨクはヒオの一つ違いの弟になったのだ。
アルファが統治する国でオメガの弟になった。それはつまりヒヨクには王族としての価値がなくなった事を表している。
それでもヒヨクはこの土地にまだ生きていて、自分の怪我のせいで弱い体に鞭打ち玉座に座らなくてはならなくなったヒオにせめて一つでも役に立てる事があればと、そう思うヒヨクの何が間違っているというのだ。
喉まで出かかったいくつもの反論はしかし、一つも形にならずに消えていく。トキの自分を見つめる視線が痛い。全身でヒヨクを責めていて、ヒヨクの中に浮かんだどれもが間違っているという気にさせられる。
だったら教えてほしい。
「俺は、何を間違っている? 頼む……教えてくれ、トキ」
トキは泣きそうな顔になると、力いっぱいヒヨクの体を抱き寄せた。ただでさえ体の大きい北部の男の、それもアルファの体格で加減なく抱き締められて骨が軋むような感覚になる。
「ヒヨクの事を大事だって思ってる奴がいる。あんたがヒオや父親や母親の事を話す時の目は、愛情が籠ってた。それってあんたも大事にされてるって事じゃねぇの?」
そうだろうか。分からない。そんな風に考えてみた事がこれまでに無かった。
「分かんねぇってんなら、お、俺が、居る。俺が、お前大事にするから」
自分の両手を温めるために息を吹きかけていたトキの姿を思い出す。まるであの時のようにヒヨクの体の中にもトキが温かい息を吹き込んでくれたみたいに、奥の方が熱くなっていく。
それはやがて溢れ出しそうになって、突き動かされるように腕をトキの背中に回した。
ぐっとトキの肩が持ち上がってトキが緊張したのが分かった。
「ヒ、ヒヨク、俺――」
「あなたたち、家の前でこっぱずかしい事してないで、中に入ってらっしゃい」
その声が聞こえた瞬間トキは野生の獣に負けず劣らずの速度でヒヨクの体を引き剥がした。強く掴まれた肩が痛い。見上げると、トキの顔は真っ赤だった。
「母さんのそのせっかち俺嫌い!!」
トキは脱兎のごとく逃げ出した。
「ごめんなさいね、トキって時々考え無しに行動しちゃうから」
きっとその性分は母親譲りのような気がするとは言わずに黙っておいた。
「会話はね、ほとんど聞こえてないから心配しないで」
眉を下げて笑うその笑顔はトキとそっくりだ。
トキがどこかに走り去ってしまうと追いかけようとしたヒヨクを母のケイが引き留めた。「放っとけばそのうち戻ってくるから」と言われ、トキの事は気になったが従う事にした。
厨の方に連れて行かれ「立ったままごめんね」と言われてあたたかい茶を渡される。トキの言っていた白樺の茶だろうか、湯気に混じる香りは嗅いだ事のないものだ。
「トキと仲良くしてくれるのすごく嬉しいわ、おばさん。でもね、あの子世間の事にちょっと疎いから。人にはその人の『分相応』ってものがあるって、まだあんまり分かってないかも知れない」
分相応。それは為政者として果たすべき責務と通ずるものがある。セイシンでは生まれながらに与えられた環境、身分、性別やバースでそれぞれ担うべきものが異なる。王族に生まれた者には王族の務めがある。
「そういうのを無理矢理越えようとすると、どこかにそのしわ寄せがくるわ。それで傷つくのはあなたかも知れないし、トキかも知れない。もっと別の誰かかも知れないわね。いつか、勢いや感情で決めてしまった事を後悔する事になる」
お茶で落ち着いた後はちょっと手伝ってと言われ、水の張った桶の中で芋を洗う。水のあまりの冷たさに驚いて思わず手を引っ込めると、ケイはおどけた調子で「大変なのよぉ、家事って」と言う。
「はぁ、やぁね。何か説教臭い事しちゃった。別にあなたたちの事責めてる訳じゃないのよ? もし二人がきちんと考えて、それでも今の道が良いっていうならおばさんは応援するから」
包丁を持った手でぐっと拳を握られヒヨクは引き攣った笑みを浮かべた。何となく、ヒヨクとトキがしていた会話は一から十まで聞かれていたような気がしてならない。
トキはすぐに戻ってきた。厨で芋を洗っているヒヨクを見つけるとぎょっとして「母さん!」と叫ぶ。おおよそ彼の言いたい事を察して首を横に振れば、トキは肩を上げ下げして口を出さずにいてくれた。
その日の夕飯は芋尽くしだった。昨日の残り物もいくらかあって、今日も食卓は豪華だ。きっとヒヨクが来ているから少し無理をしてたくさん振る舞ってくれているのだろうと思うと長居は出来ない事に気付く。明日にでも発つべきだと決める。
夜、その事をトキに話した。やはりトキもついて行くと言って真面目な顔をする。
「俺がついてくのどうしても嫌か?」
そういう訊き方は卑怯だ。ヒヨクは決してトキについてきてほしくない訳ではない。寧ろ逆だ。しかし、昼間ケイに言われた事を思い出してこう提案する。
「お父上とお母上、それとトーサ殿やトーウ殿と話して決めてくれないか?」
「親父たちと? あの人たちは俺が決めた事は止めないと思うけど」
「それでもだ。俺は俺のしている事を勝手に決めて、ほとんど黙って都を出て来た。無論、手紙は残してきたぞ? 探されても困るからな」
「家出って言われてたの、半分は当たってたんだな」
「とにかく。お主には後悔してほしくないという事だ。お主自身の考えをしかと見付けて明日、もう一度俺にどうするのか聞かせてくれ」
「分かった」
廊下の方で足音がした。きっと妹たちの足音だ。寝室が二つしかないのでヒヨクはトキと妹たちの部屋に泊まらせてもらっていた。
自然と会話が途切れ、トキに「おやすみ」と言うと同じように「おやすみ」と返ってきた。
すぐに妹たちが入ってきて程なくして灯りが消される。真っ暗な中に起きているのか眠っているのか分からないトキの息遣いが聞こえてきて、つい話し掛けそうになった。本当はついてきて欲しいと言いそうになってぎゅっと目を閉じる。
これが最後になるかも知れないと思うと、なかなか寝付けなかった。
双子のトーサとトーウがくっつき合って半泣きでトキを見ている。慕われているのだなぁと思うと申し訳ないような気持ちが湧いてくる。それでもほっとしてしまう気持ちを止められない。トキはヒヨクの旅についていく事を改めて決めた。
トキはその事を家族に伝えた。母は分かったと頷き、一人あまり事情が分かっていない様子の父は「え? もしかしてこれが親離れかぁ?」と突然の息子の成長におろおろしている。
双子はトキに抱き着いてとうとう本格的に泣き始めてしまった。
「おいおいお前らいつも兄ちゃんの事邪険にするくせ、こんな時ばっか泣くなよなぁ」
「こんな時だから泣くのだ。なぁトーサ殿、トーウ殿。そなたらの兄をしばらく借り受ける事を許してくれまいか?」
双子の傍に腰を曲げて目線を合わせて言うと、二人はトキの体から手を離して涙を拭う。頭上から「しばらくかよ」という非難が聞こえたが今は無視する。
「ヒヨクさん、可愛いもん」
「ね。可愛いもん」
ん? と双子の言う意味を上手く汲み取れず首を傾げると、双子は顔を見合わせてから「ねー」と涙声で示し合う。
「私たちお兄ちゃんの事ならよく知ってる」
「ね。ヒヨクさんは、お兄ちゃんのど真ん中なの」
結局どういう事か分からず困ってトキを見上げると、トキは「う」と唸ってから母を睨む。息子に睨まれた母は一切気圧される事なく笑顔で返した。双子は母に何か吹き込まれたようだ。
「お兄ちゃんバイバイ」
「バイバイお兄ちゃん」
「お前ら、実は思ったより悲しんでねーだろ!」
別れを惜しむ三兄妹から離れ、トキの父母のところに行くとヒヨクは居住まいを正した。
「トキの事は俺の用事が済んだらきちんとお返し致す。大事な働き手だ、必ず無傷で届けるとお二方に約束する」
かなり気負った挨拶をすると、父は少し呆気に取られ、母は苦笑する。
「やっぱ余計な事言っちゃった。私が昨日言ったのはね、あなたの一存ではなくて、トキと二人でたくさん考えてねって事だったの」
「そ、そうか」
「でも、考えすぎても駄目ね。うちの人くらいいい加減な方が実は人生が上手くいったりするもんだし。ね、お父さん」
「ん? まぁそうだなぁ。難しい事はよく分からんくらいが適度に面倒な事が回ってこずに済むぞ」
「肝に銘じておこう」
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