魚は空を泳いでいた

ぬこぎつね

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トアの魔法と妖精さん

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【コハク視点】

ゆるり。足元に落ちた黒い影は、悠々とヒレを泳がせて去っていく。視界を埋め尽くした木々の向こう側に、ひらけた青空が見えてきた。
もうすぐ、森を抜ける。ぼくらの後ろについて歩くトアたちの足音と鳥のさえずりが遠くの方から聞こえてくる、静かな森。肩によじ登ってきたライムが「なあ」と声をかけてきた。
「この森、もう直ぐ終わるよな。この先は草原だったっけ?」
たぶんそうだった気がする。何年か前にライムと行った草原の街の風景が、少しだけ思い出された。
「たしかそうだったかな。あんまり行かないから、よく知らないけど」
「んー、だよなぁ。お前と行ったのだって随分前だしな」
行ってみなきゃわからんな、とライムは息をつく。それから肩に乗っかったまま、彼は遠くを見ようと前足をついて頭を伸ばしたが、やがて諦めたのかぼくの肩から飛び降りた。いつもより少しだけ垂れた尻尾が揺れている。
「ま、行ってみて確かめるってのも旅の醍醐味じゃないかな」
ぼくだって興味があるからトアたちと一緒に旅をすることにしたんだ、きっとこの目で確かめることが旅の真髄に違いない。ぼくは振り返り、同意を求めてみた。
「ね、トアもそう思っ……トア?」
「あれ……?」
いない。さっきまで後ろを歩いていたはずのトアとロロが音もなく姿を消していた。前を歩いていたライムも足を止めて振り返る。
「どうした?……あれ、あいつらは?」
「わ、わかんない……」
なんで、突然。誰かに襲われた?いや、足音や鳴き声なんて一つもしなかった。ぼくが気づかなかったとしても、ライムが気がつくはずだ。
まさか、オオグチ?嫌な汗が頬を伝う。すぐさま空を見上げるが、やつの尾びれは見えない。違うな。泳ぐのが遅いあいつはそんなにすぐに遠くまで行けないはずなのだ。じゃあ、一体どこに。ああ、もしかして……。
「あ!コハク、ライム、いたいた!」
どんどん悪い方向に進んでいた思考は、その声でかき消される。横道から現れたロロに、ぼくは安堵の息をついた。よかった、何ともなくて。安心したのもつかの間、ぼくの肩に飛び乗ってきたライムが「あれ?」と声を上げた。
「トアはどうした?」
「それで呼びにきたんだよ。こっちきて!」
ぼくらの返事も待たずに、ロロは駆け出してしまった。よくわからないけど、追いかけなくては。ぼくはロロの背を見失わないように、後を追った。
「ここ、ここだよ」
彼女が立ち止まったのは、細い横道。そこにいたのは。
「よう、せい……?」
灰色の髪の少女が、木に寄りかかっていた。羽は生えておらず、一つ結びにされた髪の隙間から覗く尖った耳だけが彼女の種族を感じさせている。
買い物帰りだったのか、近くの紙袋から林檎が飛び出している。腕や足には血が滲んでいて、誰かに襲われたらしいことがうかがえた。
意識はあるようで、隣に座ったトアがリュックに入っていた救急箱で手当てをしている。ぼくらに気がつくと、包帯を巻く手を止めて顔を上げた。
「コハク、ライム。ご、ごめん。はぐれちゃって……この子が倒れてたから」
ぼくらに怒られるとでも思っているのだろうか、淀んだ瞳が不安げにぐらりと揺れている。
「謝らないでよ。こんな子がいたら助けたくもなるさ」
トアは頬を緩ませて、安心したみたいだ。処置も終わったらしく、トアは救急箱の蓋を開けて片付けを始めた。ぼくはかがんで、妖精の少女の顔を覗き込む。
「えっと、君、大丈夫……?」
ぼんやりと落としていた顔を上げられて、目が合う。揺らぐ赤色の瞳。はっと気がついたように彼女は口を開く。
「あ……ありがとうございます。こんなに、手当てなんかしてもらっちゃって……。なにかお礼でも……」
感謝すると言うよりかは、申し訳ないといったように眉を下げた少女。紙袋から何か取り出そうとした妖精をトアは「いいよ」と止めた。
「お礼、なんてさ。僕が見てられなかった、それだけだから」
「そう、ですか」
しゅん、と残念そうに視線を落とした少女にぼくの耳元でぼそりと「希少種か」とライムが呟く。
灰色の髪と赤い瞳を持ち、羽を持たない飛べずの妖精。滅多に出会えないと噂に聞いたことはあったけど、実際に目にしたのは初めてだ。それだけ珍しいんだろう。珍しいゆえに、その体は高く売れる。どこかの国じゃ病気に効くとかで薬の材料にされることもあると聞いた。 もしかしたら、彼女も金儲けのために襲われたのかもしれない。少女は紙袋から落ちた林檎を拾ってから、ぺこりと頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました。私なんかのために……」
「じゃ、これで。さよう……わっ」
よろよろと立ち上がろうとしたが、バランスがうまく取れないのか転びそうになってしまう少女。倒れこむ前にぼくが手を伸ばし、何とか受け止める。
「大変そうだし、お家まで送ってあげるよ」
「そ、そんな、悪いですよ」
「いーから、いーから」
ぼくの申し出を断ろうとした少女。ぼくは彼女を持ち上げて、背中に乗せた。いわゆるおんぶというやつだ。思わず離してしまったらしい紙袋をトアが拾い上げたのを確認してから、歩き出す。
「……ありがとう」
ぽそり、と耳元で少女が言った。ウミウシが1匹、地面に潜っていった。

×××

道中、少女と話しながらぼくらは歩いた。少女はそこで『ユノ』と名乗り、同居人のために買い物に出ていたところだったんだと説明された。誰に襲われたかは教えてくれなかったけど、思っていたよりかは重症ではないようで少し安心した。
「あ、あそこ、です」
ふと、背中のユノが指をさした。その先には古びた煉瓦造りの家があり、その家のすぐ横を川が流れている。家の横に着いた水車がくるくると回っていた。森の外れ、人気のないこの辺りで暮らすことが、希少種の彼女には合っているのだろう。
「あ、もう大丈夫です。下ろしてください」
ちょっとまだ心配だけど、本人がそういうならしょうがない。またふらついて転ばれて怪我を増やされても困るから、ゆっくりと慎重に下ろす。
トアの肩を借りてはいるものの、歩けてはいるようだ。それを眺めるロロの横顔はなぜか不満げ。数歩歩いて、玄関らしき扉の前で立ち止まると、ユノがくるりと振り向いた。
「ここまで、ありがとうございました。お礼、ほんとにいいんですか?」
ぺこり、と頭を下げてから眉を下げて最後の確認をするように受け取った紙袋に手を添えた。ぼくが気持ちだけでいいと伝えようとした、その時。
「……ユノ……?誰かいるの……?」
ユノの後ろの扉が開かれ、青い髪の少年がそうっと顔を覗かせた。青と緑の左右で色の違う瞳に、髪の色よりも濃いうねったツノと、脚元に不安げに揺れる青い鱗の生えた尻尾。あれは、ドラゴン、だろうか。
「だ、だれ……?」
ぼくらをじいっとつま先から頭のてっぺんまで見つめ、それからユノとちらちらと見比べる。数秒ののち「あ」と少年は声を上げた。そしてぼくらを指差す。
「……お前ら、なんだな。ユノをこんなにしたの……!」
隠れるようにしていた扉から出てきて、キッと僕らを睨みつける。まだ子供とはいえ、ドラゴン特有の鋭い眼光はぼくらの動きを止めるには十分だった。
今にもこちらに飛びかかってきそうな少年。おそらくユノの怪我の具合を見て、ぼくらがやったとでも思ったのだろう。明らかな勘違いだし、早く訂正しなくちゃ。
「えっと、違うよ。ぼくらは……」
「言い訳はいらない。よくもユノを……許さない」
「ちょ、落ち着いて!ぼくらは……!」
ぼくの声も届かず、少年は大きく息を吸い込み、火を吐いた。ぼおっ、と音こそしたものの、熱さはこちらまで迫って来ない。多分威嚇のつもり、だったんだろう。でも、それは。
「っ、あ」
燃え移ってしまったのだ。トアの包帯に。火を吐いた本人も、目を見開いている。幸い炎の威力はそうでもなかったようで、トアの包帯が焼け焦げてしまう程度で済んだみたいだ。火傷とかしてないといいな。確認しようと口を開きかけたその時、僕の横を白い髪がかけて行った。
「トアっ!大丈夫!?」
ロロに駆け寄られたトアは「大丈夫だよ。これくらい」と苦笑いを浮かべ、ドラゴンの少年の方に目を向けた。少年は事の重大さに気がついたのか、驚きで見開かれた瞳からポロポロと涙をこぼす。
「……っうあ、ご、ごめっ、ごめん、なさい……ひゅ、うう……」
「だ、大丈夫。僕、なんともないから。君は、気にしなくて、いいよ」
ほら。とトアは少年に笑ってみせる。普段はロロの陰に隠れているような人見知りの彼女だが、今日はやけに行動的だ。
「っでも、でも……っは、ぼ、く、が……ひゅ、は、っあ」
それでも少年は謝りたいのか、涙をぬぐいながら喋り続けるも、段々と呼吸が浅くなっていく。
あれ、これちょっとまずくない?いやでも、あれにぼくが割って入るわけにもいかないしな。ユノもまずいと思ったのか、少年のもとに駆け寄るが、たどり着くよりも先にトアが少年の頭にぽん、と手を置いた。
「大丈夫、だよ。僕こういうことには、慣れてるから。それに、君はユノを守ろうとした、だから、君は何も悪くないよ」
ゆっくりと、子守唄でも聞かせるような声色で。頭を撫でられた少年は少し落ち着いたのか、ぐいっと溢れ掛けた涙をぬぐい、にへらりと頰を緩ませた。
「あり、がとう」
「お礼、言われるほどじゃないよ」
トアはなんでもないように柔らかな笑みを浮かべた。その光景にユノもほっと胸を撫で下ろし、トアにぺこりと頭を下げる。
「リュンがご迷惑をおかけしました。トアさんのこともありますし、ぜひうちで休んでいってください」
トアは迷ったようにぼくらの方にちらりと目をやる。ぼくが頷いてやると、にこりと微笑みをぼくに向けてからユノたちに口を開いた。
「……じゃあ、お言葉に甘えて……」
「はいっ!じゃあ、どうぞ」
ユノにリュン、ロロと続いて家に入っていく。少し後ろにいたぼくらが気になったのか、トアがくるりと振り向いてちょいちょいと手招きをした。本来ならそこで歩き出すはずだったのだが、ぼくらにはそれができなかった。
見えて、しまったのだ。包帯が焼けてしまったせいで露わになった、トアの左腕が。手首から肘にかけて赤い線がたくさん走った腕。不注意でつくようなものじゃない、明らかな自傷の傷跡。無数の切り傷が痛々しいそれは、ぼくらに衝撃を与えるには十分で。
「……どうかした?」
不思議そうに首をかしげる彼女に、ぼくとライムは誤魔化すように言葉を発することしか、できなかった。
「いや、なんでもないよ。ただその、ぼくらは今回ほぼ何もしてないし、悪いなあって」
「だからさ、俺たち、森で食料とか調達してくるよ。だから、ユノにはそう伝えておいてくれ」
普段はこんなに浮かばない言葉も、やけにすらすらと口に出せた。トアはちょっと怪訝そうな顔はしたものの、こくりと頷く。
「わかった。伝えとくから、気をつけてね」
特に何を訊ねることもなく、トアはそれだけ言って家に入っていった。ぼくらはその家に背を向けて、歩き出す。魚は、見えなかった。

×××

「……なあ」
唐突に耳元で聞こえた声に、ぼくの体はぴくりと跳ねた。きのみをもいでいた手を止めて、それに応じる。
「……なに?」
ライムは一度息を吸い込んでから、口を開いた。
「……お前、あれ、どう思った?」
「あれ、って……」
「トアのこと、だよ」
ひゅ、と喉が音を鳴らす。それと同時にあの光景が、やけに鮮明に思い出された。目を背けたくなるような傷だらけの腕、それをなんともないように見せたトアの顔。
「……どうして。気付けなかったのかな、って」
怪我でもしているんだろうと思ってはいたけれど、まさかあんな風だとは思わなかったのだ。いつかのご主人と同じだなんて。悲しいわけでも、悔しいわけでもない。なんだかよくわからない気持ちが胸中を渦巻いていた。
「まあでもあいつ、俺たちの前であれ取ったことなかったろ。一応隠す気はあったんじゃねえかな」
俯いたぼくに、珍しく饒舌なライムが言う。
「気づけなかったのも無理ないさ。ともかく、本人から言い出されるまでは気にしないようにしようぜ」
それだけ言うと、彼はぼくの肩からぴょんと飛び降りて尻尾を振った。
「さ、行くぞ。トアに食料調達って言ったんだから、何かしら取って帰らないとな」
ライムの表情は見えない。ひどく落ち着いた声色は、どこか冷酷だった。でも、今はそんなことはどうだっていい。
「うん、そうだね」
とにかく今は、この気持ちを忘れてしまおう。この旅を続けるためにも。足元に降りた大きな影は、いつのまにか泳ぎ去っていった。


【トア視点】

「本当に、すいませんでした。ほら、リュンも」
目の前に差し出されたオレンジジュースと一緒に、ユノはもう何度目かの謝罪とともに頭を下げた。リュンも少し遅れて目を伏せる。
「ご、ごめんなさい」
「もういいって、何も、気にしてないからさ。ねっ?」
こんな会話ももう何度目かになるのに、ユノはまだ足りないらしい。
確かに包帯が燃えちゃったのはちょっと驚いたけど、火傷とかはしてないし、ぼくは平気だ。ロロが僕の頭にぽんと手を置いた。
「トアもこんなに言ってるんだし、頭上げなよ」
「……そうですね。私、お菓子取ってきますね」
やっと頭を上げたかと思えば、それだけ言って部屋を出て行ってしまった。取り残されたリュンが気まずそうに視線を泳がせて、太い尻尾を揺らした。
「……ぁ、あの、その……それ……」
流石に無言に耐えきれなくなったのか、リュンが恐る恐る口を開いた。彼が言うそれ、とはたぶん僕の腕のことだろう。さっきから気になっていたのか、ちらちらと目を向けては逸らしてを繰り返していたのだ。僕は左手を軽く上げて、よく見せてやる。
「これの、こと?」
「……うん。えっと、あのね、僕も……ほら」
リュンは徐に黒いローブの袖を捲り上げてみせる。そこには、僕と似たような赤線が何本も走っていた。
実はさっきから少し見えてはいたのだけど、指摘するのもよくないかと黙っていたのだ。そっか、じゃあ、この子も。
「同じってこと、だね」
「うん。あれ、隠してたわけじゃなかったんだね」
「まあ、見た方が気分のいい、ものじゃないから」
「それもそうだね」
僕の包帯を燃やしてしまったことをまだ気にしていたのか、リュンはほっと胸をなでおろした。よかった。
「……っあ、な、なに?」
不意に傷跡を撫でられ、声を上げてしまう。もふもふのくすぐったい感触、これはロロの。
急にどうしたの、と尋ねる暇もなくロロはぐいっと僕の手首を引いて、僕を後ろからハグするような体勢になった。ふんわりとしたいい匂いに包まれる。
「どうしたの、急に」
「……別に。なんか、トアを抱きしめたくなった。そんだけ」
僕をぎゅっと抱きしめながら少し不機嫌そうに、ロロはぶっきらぼうに僕の耳元で呟いた。
とてもそれだけとは思えないんだけど、僕はロロの気に触るようなことをした覚えもない。抱きしめられるのが嫌なわけじゃないし、これ以上機嫌を損ねられても困るから、僕はそのままロロの腕の中で大人しくしていることにする。
リュンはちょっと驚いたりしていないかと、彼の方を見やると、もう戻ってきていたらしいユノが彼に声をかけていた。
「いいお菓子探すのに時間かかっちゃったよ。今度倉庫の整理しなくちゃなー」
「ん、そうだね」
リュンはお菓子の乗せられたお盆からひょいと一つ手に取ると、口に放り込む。ユノは「一応お客に出してるんだけどな」と苦笑いしたが、リュンには甘いのか特に咎めることもしなかった。
「さ、どうぞ」
「あ、どうも。ほら、ロロも」
僕は二つ手に取って、不機嫌そうなロロに手渡した。ロロはお菓子も食べたことは無いはずだし、これで少しはいつも通りになってくれるかも。
二枚の生地の間にクリームの挟まれたそれを受け取ったロロは、渋々僕から離れた。それから僕の食べる様を見つめ、少ししてから口に運ぶ。もぐもぐと咀嚼していくうちに段々と表情が和らいでいく。
「うん。おいしいね、これ」
ごくん、と飲み込んでからふわりと笑みを浮かべた。よかった、いつものロロだ。さっきまでのは何だったんだろう。僕、何かしたかなぁ。
少し考えてみたけど、何も思い浮かばなかった。でも、多分僕が何かしたんだろうから、あとで謝っておこう。長らく味わっていなかった甘みが口の中を満たしていくのを感じながらそんなことを考えていると、ユノが「そうだ」と話し出した。
「トアさんの包帯、巻き直しましょうか?うちには沢山ありますから」
「うん。コハクたち、びっくりするかもしれないから、そうさせてもらうよ」
「じゃ、取ってきますね」
ユノが立ち上がるその時、袖口からちらりと見えた白色は見なかったことにしよう。沢山あるってのは、たぶんそういうことなんだろうから。
特にすることもなく出されたオレンジジュースを啜っていると、ロロがまた後ろから抱きついてきた。なんか今日、やけに多いような……。ねえ。と耳元で声がする。
「コハクとライム、どうしたの?トアの後ろにいたよね」
そういえば、伝えることをすっかり忘れていた。
「食べ物とか、いろいろとってくるんだって」
「来ればよかったのに」
「ね。なんで、だろうなぁ」
ロロはねー、と同意しながら僕の頭を撫でる。リュンはお盆から追加のお菓子を手に取りながら「そういえば」と切り出した。
「どうして、こんなところまで来たの?ここら辺、人間なんて見かけないけど」
「旅、してるんだ。あの山の、頂上まで、行くんだよ」
「山?山って、あの?ずっと遠くの?」
「そう、それ」
リュンは信じられないとでも言うように目を見開いてから、ぱちぱちと数回瞬きをした。
「……びっくりしたぁ。トアってすごいんだね、あんな山に登れるんだ」
「……登れるかどうか。まだ、わからないんだけどね」
まだ試してすらないことをすごいと褒められたってしょうがない。それに、本当に登れるか怪しいところなのだ。流石におぶってもらうわけにもいかないしなぁ。なんて考えているのに、リュンはキラキラとした瞳を僕に向ける。
「でもトアはすごいよ。僕を許してくれたし、なんかね、ユノみたい」
「誰みたい、だって?」
僕が否定しようと口を開きかけた時、廊下に続く扉が開かれ、救急箱を抱えたユノが現れた。リュンがにっと笑って僕との会話を話し始める。
「今ね、ユノとトアが似てるなーって話をしてたんだ」
「私と、トアさんが?」
「そうそう。ちょっと似てると思わない?」
「どこらへんさ」
「んとねー……」
2人の会話をぼうっと眺めていたら、不意にくいっと袖を引かれる。
振り返ると、包帯を片手に口をへの字に曲げたロロが僕をじっと見つめていた。心なしか眉間にシワが寄っているような気もするし、これは明らかに。
「なんか……怒ってる?えと、僕、何かしちゃった、かな。ご、ごめん」
「べつに。怒ってないよ」
「いや、でも……」
「怒ってないから」
結局、ロロの気迫に負けて僕は返す言葉がなくなってしまった。ああ、きっととんでもないことをやらかしてしまったんだ。
こんな顔してるロロ見たことないし、僕は一体なにを。ちょっとだけ、息がしづらい、ような。悪い方に回り出した思考は、止まることを知らないようで。
どんどん、落ちていく。もう僕が生きているからいけないのかもしれない。ああうん、きっとそうだ。僕がきっとロロの気に触るようなことを無意識にしていて、それに気づけないほどゴミだからいけないんだ。だったら早くしないとな。
「……ア、トア……?だ、大丈夫?ねえ……!」
「……へ?」
気がつくと、僕の両肩に手を置いたロロが、やけに心配そうな顔で僕を見つめていた。
ぬるり。ふと、生暖かい液体が右手を伝う。
視線を落とすと、塞がっていたはずの左手首の傷口から赤い液体が漏れ出していた。
「あれ……なん、で……?」
「トア、それ、自分でやったんだよ。覚えてない、かな」
「……うん、おぼえて、ない」
ロロに手についてしまった血液を拭いてもらいながら、開いてしまった傷口を見てみる。流れ出る血の奥に、うっすらピンク色の何かがあった。これは、無理やりこじ開けた、って感じかな。若干の痛みはあるけれど、気になるほどではない。無意識、だったんだろう。
こういうことはたまにあるんだ。暗い方向に思考が回り出すと、たまに。処置の終わったらしいロロが、僕の顔を覗き込む。
「トア、痛い?」
「……いや、あんまり」
「……そっか。はい、おしまい。あの2人は気づいてなかったみたいだよ」
なんで、そんな顔をするの。僕は痛くない、と言っただけなのに。眉を下げたまま、口の端を歪ませた不自然な笑み。きっと隠そうとしているんだろうけど、これくらい僕にでもわかった。
「……そっか」
でも、気づかないふりをしてあげた。ここで何を訊ねたって、どうにもなりやしないんだろうから。ぎゅう、とロロに正面から抱きしめられる。さっきよりも少しだけ強くなった力は、それでも優しかった。

×××

「それじゃ、僕たちは、もう行くよ。お菓子とか、ありがとう」
「あ、ありがとう」
しばらくしてコハクたちが帰ってきたようだから、僕は2人にお礼を言って立ち上がる。ロロも少し遅れて立ち上がり、2人にお礼を言った。
そうすると「お見送りしますね」と2人も立ち上がる。そんなの、いいのになぁ。けどせっかくの好意を断るのも悪いからと僕はそれにこくんと頷いた。
「……じゃあ、これでお別れですね」
「うん。また……はない、のかな」
玄関の前、お別れの言葉を交わす。僕らにきっと、もう一度なんてない。もしあったとしたら、それは旅の失敗を意味するのだから。それでも、この2人なら笑っておかえりと言ってくれそうな、そんな気がした。
一歩前に進み出たリュンが少しだけ潤んだ瞳をこちらに向ける。
「あの山の向こう、トアならきっと行けるよ。うまくいくといいね、旅」
「私も、トアさんたちの旅の成功を願っています。どうか、お元気で」
「ありがとう、じゃあ、ね」
ひらひらと手を振る2人に僕も手を振り返し、コハクたちについて行こうとした、その時。
「……危ないっ!」
不意に、肩のあたりに強い衝撃を受け、ロロに突き飛ばされた。僕はそのまま、地面に倒れこむ。驚いて顔を上げると、そこには。
「オオ、グチ……?」
ゆらゆらと触覚を揺らす紫色の巨体、大きな口、小さすぎる足が何本も。この森一の大魚、オオグチだ。でも、それは僕に背を向けていて。そして、その畝る尾の向こう側にいるのは。
「ユノ、リュン……!」
家の壁を背に肩を寄せ合う2人のすぐ目の前まで、やつは迫っていた。少し口を開ければ、今すぐ丸呑みできてしまいそうなほどに。
涙目ながらもリュンが懸命に火を吹いたが、それもオオグチにはあまり効いていないようだった。
後ろの方から、コハクが走って来る足音がする。でも、オオグチはもう2人の眼前まで迫っていて。あれじゃ、間に合わない。こんな時に限ってロロは動かないし、僕がなんとかしなくちゃ……!でも、どうしたら……!
「……あ」
そんな間抜けな声とともに、無意識に突き出していた両手から黒い何かが溢れ出した。ドロドロとした、妙な流動性を持ったそれは丸い塊の様になって、目にも留まらぬ速さでオオグチを。
「……たべ、た……?」
飲み込んだ。そして、そのままずるずると地面に引き込まれる様に姿を消した。唐突に訪れた静寂。その全てが数秒のうちに行われたせいか、誰もが目を見開いて固まっている。
「なに、いま、の……っ、あ」
ようやく回り出した口が言葉を発したかと思うと、僕の視界がぐにゃりと歪む。思わずその場に座り込んでしまうと、気がついたらしいロロが血相を変えて駆け寄ってきた。
「トア!大丈夫?」
「ん、だいじょうぶ。少しふらついた、だけだから」
ロロはほっと胸をなでおろし、僕の頭を撫でた。ふわつく手の感触は不思議な安心感がある。それにしても、さっきのは……。僕は自分の手のひらを見つめていると、コハクと一緒にライムが歩いてきた。
「魔法、だな。さっきのは」
「ま、ほう……?」
訳もわからずに僕が聞き返すと、ライムは「そうそう」と続ける。
「俺がいつも魚を焼く時に火を出してるだろ?あれと一緒だ。魔法だよ、魔法」
「……なんで、僕、が……」
「さあ。向いてたんじゃないか?魔法を使うのに」
「そう、なんだ」
驚いた。でも、どこかで喜んでいる自分がいたのも事実だ。この魔法があれば、僕も何か役に立てるかもしれないから。
この旅において荷物持ちの役割しか与えられていなかった僕も、少しはみんなの助けになれるかもしれない。
そんな期待と目眩に浸りながら、僕は自分の両手を見つめていた。

×××

「ばいばーいっ」
僕らは2人に手を振って、歩き出した。目の前を魚が泳いでいく。
あのオオグチを倒した後、またこれでもかというほど頭を下げられてから、少し食料を貰ったせいか、僕の背負うリュックはいつになく重い。でも、そんな重ささえも、どこか誇らしく思えた。
「なんか、やけに嬉しそうだね」
隣を歩くロロが笑いかけてくる。
「なんでもないよ」
そんな言葉を返しながらも、ついつい自分の両手を見つめてしまう。何も見えないけど、そこには確かに力が宿っているような、そんな気がした。
小魚の群れが、雲の合間をぬって青空に溶けていった。
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