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感情は劇薬か
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「服用の時間です」
街の至るところに設置されたスピーカーがそう告げた。すると、行き交う人々は足を止め、皆が皆、揃いの作業着の胸ポケットから吸入器を取り出し、口に当てた。投薬を終わった者は吸入器を胸ポケットへしまうと、ピクリとも表情を動かすことなく、ただ前方を見つめ続けている。
「服用の時間は終わりです」
再びスピーカーのアナウンスがあると、人々は再び歩み始め、寒気がするほど均整のとれた無機質な足音により、街から静寂が消え失せた。
「申し上げます。私は薬を家に忘れました。薬をください」
一人の死んだ表情をした男が、街角に立っている国家警察に尋ねた。
「服用の時間は終わりました。刑法36条1項に基づきあなたに発砲します」
「分かりました。ありがとうございます」
そう言うと、国家警察は無表情で男の額を拳銃で撃ち抜いた。死体はまるで公園清掃員が落ち葉をちりとりに掃き入れるかの如く、実に作業的にゴミコンテナへ放り込まれた。そんな様子を人々は一切意に介すことなく表情を失った顔で歩き続けている。
西暦2022年、日本国は感情を持つことを固く禁ずる“感情取締法”を制定した。それにあたり、厚生労働省は一切の感情を捨て去る強い鎮静剤、クイエシスを全世帯に向け配布し続けている。国民は指定の時刻、薬の効果が切れる前にこのクイエシスを服用することが義務付けられた。
薬を服用しない者は故意過失問わず、感情取締法違反者としてほぼ100%の確率で極刑に処される。また第1級の危険人物と見なされ、見かけ次第正当防衛として殺害しても罪に問われないことになっている。
時の内閣総理大臣、安川浩三はこのような法を定めた理由として「感情は万物の諸悪の根源であり、感情から解き放たれたその時、人々は本物の平和を手にする」という発言を残した。事実、この法律が制定されてから13年間、犯罪の検挙数は約70万件。しかもその全てが感情犯罪者であるというのだから、もしかすると彼の見解は正しかったのかもしれない。だが2022年以降、日本は灰色の沼に沈んだかのように、重たく淀んだ空気に包まれた。しかし感情を失った人々はそのような事態に気づくはずもなく、ロボットのように働き続け、そして壊れてはゴミ箱に捨てられていった。
そんな中、現政府を打倒し以前の日本を取り戻すために発足した『日本男児の会』がいよいよ行動に移した。2032年12月26日、国会議事堂に5000人を超える「感情を持った者たち」が押しかけた。彼らは7年の歳月をあたかも感情を打ち消したふりをし、徐々に仲間を増やし続けた。そしてとうとうこの日が来たのだ。
機動隊と革命家たちの攻防は3日3晩続いた。だが所詮感情を持たぬ傀儡どもは、彼らの溢れる熱意には勝てなかった。ついに革命家らはバリケードを突破し、臨時会を開く議場に乱入した。議員たちは突然の出来事に驚き慌てふためいた。彼らはクエイシスを服用していなかった。国民を騙し続けていたのだ。中には高級腕時計や財布を差し出して許しを乞う愚か者もいた。
2032年1月1日、ここに革命政権が誕生した。前内閣総理大臣、安川浩三は国を追われ中国に亡命。国営のクエイシス製造工場は閉鎖され、日本人民党とそのシンパはすぐさま解体された。金子を筆頭とする日本社会人民党は新たな日本国を立ち上げることを宣言し、淀んだ社会に一抹の希望が差し込んだ。
ときは過ぎ2032年7月12日。あの大いなる革命から約半年経った今、そこには皆が皆思い思いの服を着て、せわしなく歩く者もいれば、のろのろと歩く者もいる街があった。音楽はいたるところに溢れ、色とりどりの看板や広告は並び、本屋には沢山の物語が眠っている。そして行き交う人々の表情は皆一様に死んでいた。相変わらず今日も80人を超える人々が、この世に絶望しながら自ら命を絶っている。この調子だと自殺者は3万人は超えるだろう。見事、偉大なる革命家諸君はあの頃の輝かしき日本を取り戻したのだ!
街の至るところに設置されたスピーカーがそう告げた。すると、行き交う人々は足を止め、皆が皆、揃いの作業着の胸ポケットから吸入器を取り出し、口に当てた。投薬を終わった者は吸入器を胸ポケットへしまうと、ピクリとも表情を動かすことなく、ただ前方を見つめ続けている。
「服用の時間は終わりです」
再びスピーカーのアナウンスがあると、人々は再び歩み始め、寒気がするほど均整のとれた無機質な足音により、街から静寂が消え失せた。
「申し上げます。私は薬を家に忘れました。薬をください」
一人の死んだ表情をした男が、街角に立っている国家警察に尋ねた。
「服用の時間は終わりました。刑法36条1項に基づきあなたに発砲します」
「分かりました。ありがとうございます」
そう言うと、国家警察は無表情で男の額を拳銃で撃ち抜いた。死体はまるで公園清掃員が落ち葉をちりとりに掃き入れるかの如く、実に作業的にゴミコンテナへ放り込まれた。そんな様子を人々は一切意に介すことなく表情を失った顔で歩き続けている。
西暦2022年、日本国は感情を持つことを固く禁ずる“感情取締法”を制定した。それにあたり、厚生労働省は一切の感情を捨て去る強い鎮静剤、クイエシスを全世帯に向け配布し続けている。国民は指定の時刻、薬の効果が切れる前にこのクイエシスを服用することが義務付けられた。
薬を服用しない者は故意過失問わず、感情取締法違反者としてほぼ100%の確率で極刑に処される。また第1級の危険人物と見なされ、見かけ次第正当防衛として殺害しても罪に問われないことになっている。
時の内閣総理大臣、安川浩三はこのような法を定めた理由として「感情は万物の諸悪の根源であり、感情から解き放たれたその時、人々は本物の平和を手にする」という発言を残した。事実、この法律が制定されてから13年間、犯罪の検挙数は約70万件。しかもその全てが感情犯罪者であるというのだから、もしかすると彼の見解は正しかったのかもしれない。だが2022年以降、日本は灰色の沼に沈んだかのように、重たく淀んだ空気に包まれた。しかし感情を失った人々はそのような事態に気づくはずもなく、ロボットのように働き続け、そして壊れてはゴミ箱に捨てられていった。
そんな中、現政府を打倒し以前の日本を取り戻すために発足した『日本男児の会』がいよいよ行動に移した。2032年12月26日、国会議事堂に5000人を超える「感情を持った者たち」が押しかけた。彼らは7年の歳月をあたかも感情を打ち消したふりをし、徐々に仲間を増やし続けた。そしてとうとうこの日が来たのだ。
機動隊と革命家たちの攻防は3日3晩続いた。だが所詮感情を持たぬ傀儡どもは、彼らの溢れる熱意には勝てなかった。ついに革命家らはバリケードを突破し、臨時会を開く議場に乱入した。議員たちは突然の出来事に驚き慌てふためいた。彼らはクエイシスを服用していなかった。国民を騙し続けていたのだ。中には高級腕時計や財布を差し出して許しを乞う愚か者もいた。
2032年1月1日、ここに革命政権が誕生した。前内閣総理大臣、安川浩三は国を追われ中国に亡命。国営のクエイシス製造工場は閉鎖され、日本人民党とそのシンパはすぐさま解体された。金子を筆頭とする日本社会人民党は新たな日本国を立ち上げることを宣言し、淀んだ社会に一抹の希望が差し込んだ。
ときは過ぎ2032年7月12日。あの大いなる革命から約半年経った今、そこには皆が皆思い思いの服を着て、せわしなく歩く者もいれば、のろのろと歩く者もいる街があった。音楽はいたるところに溢れ、色とりどりの看板や広告は並び、本屋には沢山の物語が眠っている。そして行き交う人々の表情は皆一様に死んでいた。相変わらず今日も80人を超える人々が、この世に絶望しながら自ら命を絶っている。この調子だと自殺者は3万人は超えるだろう。見事、偉大なる革命家諸君はあの頃の輝かしき日本を取り戻したのだ!
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