幻想異邦紀行

赤井夏

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2. タングアセブについて

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 タングアセブの西には赤砂漠と呼ばれる大砂漠が広がっております。

 何故そう名付けられたのかといいますと、それには様々な理由がありますが、まず一つは砂の性質にございます。

 赤砂漠の砂は、他の砂漠のそれよりもはるかに多くの鉄分が含まれておりまして、空気にさらされ酸化することによって赤みを帯びてくるのでございます。

 このような砂が夕陽に照らされますと、それはもう血のように赤く染まるのであります。高く盛り上がった砂丘が作り出す赤と黒の陰影は、筆舌に尽くし難い美しさでした。

 なんと言いましょうか、砂丘の日向と日陰で全く異なる世界のような、夕陽に当たったら焼け死んでしまうのではなかろうか。それとも、真っ黒になった影に足を踏み入れた途端、闇の世界へと引きずり込まれてしまうのではないか。そのような気さえしてしまうほどでございました。

 王にも是非一度、あの抽象画のような異世界を見ていただきとうございます。

 さて、赤砂漠と呼ばれる所以には、もう一つわけがありまして、それは砂漠に棲まうゼゼブという遊牧民に由来いたします。

 ゼゼブは赤砂漠の東部、すなわち誇り高き農耕民フクル人の統治するタングアセブ王国にほどなく近い土地を、転々としながら暮らす民族にございます。彼らの特徴はなんといってもその真紅のターバンとローブにありましょう。理由は定かではありませんが、一説には砂漠の色と同化し、敵の目をあざむくためとも言われておりますが、真の理由は定かではございません。

 彼らの生活手段は、砂羊やヤツコブラクダの放牧をはじめとして、キャラバンの護衛や、ときには盗賊業にも手を染める氏族もいるとか。

 そして特筆すべきは、ゼゼブの民のみが持つ特殊な魔法のような力にございます。それは製鉄術と呼ばれる技術でありまして、何も秀でた鍛冶技術を持っているというわけではなく、文字通り鉄鉱を作り出す不思議な能力を持っているのです。

 彼らは手始めに、地面に規則的な間隔で石を置きます。そして、それらをつなぐように枝で線を描くと、西洋で見られる魔法円に似たものが出来上がります。その円に小さな砂山を作ると、上から手をかざし何やら呪文のようなものを唱えたら、突然、魔法円から稲妻のようなものが走る! その勢いたるや、私のような並の異邦人では、突然の出来事に思わず目を瞑ってしまうほどです。

 悲鳴のようなおそろしい音が止むと、一体何が起こったのだろうと、私はおそるおそる目を開けてみました。すると、どういうわけか魔法円の中央には黒々とした鉄鉱石が鎮座しているではありませんか。きっと私が目を瞑っている間に、すかさず懐に忍ばせておいた石を置いたのではないか。いやしかし、あの稲妻はどうやって起こしたのだろう。私はゼゼブの男に問い詰めました。

 すると、男は「それならば今度は目を閉じず、じっくり見ればよかろう」と再び円の中心に砂を盛り、手をかざしました。男に言われなくとも、私は今度こそからくりを解いてやろうと、じっと砂山を睨みつけました。

 男がまた呪文のようなわけの分からぬ言葉をぶつぶつと呟くと、さきほどと同じようにギヤギヤとけたたましい音とともに、青き閃光がほとばしりました。私はあまりの迫力に、またもや顔を背けたくなりましたが、そこをぐっと堪え、稲妻の奥の砂山を見据えました。

 結論から申しますと、ゼゼブはいかさまなどはしておりませんでした。そこで起こったのは摩訶不思議な魔法そのものでありました。眩しき電光の中で、砂山はまるで燃える紙片のように黒く変色したと思えば、今度は豪雨に打たれる地面が如くボワボワとした細かな泡が生じ、砂山が崩れてゆきました。いえ、崩れたのではありません。新たな形に象られていったのでございます。このようにして私は、ゼゼブ人が鉄鉱を生み出す術を、しかとこの目で見届けたわけであります。

 ゼゼブの民はこの業を錬鉄術と名乗っておりました。何も、無から鉄鉱を生み出せるわけではなく、それになりうる代物が必要となるわけであります。それが男が砂山を盛っていた理由にございます。すなわちゼゼブ人は無限の鉱脈をその手中に納めているも同然でありましょう。

 万が一、かの民族が赤砂漠の北に住む、類稀なる鍛冶技術を持つ狩猟民クッシルと共闘し、互いの穴を埋め合ったそのとき、タングアセブ王国の威厳は、瞬く間に地に墜ちることでしょう。
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