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海
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「青い水なんてあるもんか。水は茶色か、良くて濁った透明に決まってら」
アフケは焚き火にあたりながらぶっきらぼうに吐き捨てた。
「本当なんだってば。ウズガスロじいさんが言ってた。海っていう水たまりの水は青かったって」
それに対しマイェルは、同様に手のひらを火にかざしながら、興味を示さないアフケに身を乗り出して憤った。マイェルの大声は蛇腹の壁や天井に反響し、何層にも重なって地下壕の遠くまで走り渡っていった。
「なんだその海っていうとこの水は、化学薬品が混ざった危険な水とかそういうことか」
「いいやそれが違うんだ。何でも空っていう果てしなく高い天井があって、その天井までもが海の色に反射して青かったんだって」
マイェルもといウズガスロ翁の語った昔話に、アフケは鼻で笑った。
「そんなものはない」
「頭ごなしに言うなよ。だったらないっていう証拠があるのか」
「ならあったっていう証拠があるのかよ」
マイェルはその言葉に、威勢を失いながらも詰まり詰まり言い返した。
「それはな、あの、ウズガスロじいさんが言ってたんだ。わしが若い頃には海っていう水たまりがあったって」
「そんなもんが証拠になるなら、俺にだってないっていう証拠はあるぞ。海なんてものはない。何故なら俺は見たことがないからな。ほら今証明したぞ。海はない」
「ふざけるな。なんでお前はそうなんというか、ロマンというものがないんだ」
あまりに興味を示してくれないアフケに、マイェルは立ち上がって頭を掻きむしったが、当の本人はどこ吹く風か、気にせず鍋の蓋を開け、焚き火で温めていたスープをすくい取った。
「さぁあんな変わりもんのじいさんのたわ言なんてどうでもいいからさ、とっとと晩飯にしようぜ」
納得いかない表情をしながらも、マイェルはスープの入った皿を受け取り、再び焚き火の前に座り込んだ。
地下壕はごうごうと鳴り止むことのない音に包まれている。地中深く迷路のように入り組んだこの空間で生活を営む人々の立てる音は、二人のいる地下壕の外れの棟まで響いて聞こえてくる。人はこの地下壕を「まるで蟻の巣のようだ」と言うが、ほとんどの人々は巣どころか、蟻すらも見たことがない。それこそ、生きている昆虫を見たことがあるのは、人類がまだ地上で暮らしていた時代を生きていたウズガスロ翁ほどの老人程度だろう。
「俺はあると思うんだけどなぁ、海」
「まだ言うか」
アフケは呆れるように呟いた。
「だってさぁ、こんな大きな湖があるんだよ。もっともっとでかい、湖よりも大きくて不思議な水たまりがあってもおかしくないって」
マイェルは目の前にある地底湖を指差して言った。
この湖は二人が地下壕の外れを探検していたところたまたま見つけた、まだ人の手が付けられていない新天地であった。とはいえ、その「人」というのはマイェルらのような地底人の話であって、湖から突き出ているいくつもの大きな柱の流線型でざらついた質感は、無機質ながらも神秘的で、人類が地下に移り住むはるか太古に作られたであろう荘厳な雰囲気を醸し出しており、その光景は二人の遺伝子の中に刻まれているに違いない地上の記憶を引き出すように、地下の喧騒や埃っぽい生活にまみれた二人の心のどこからか、途端に懐かしみの念が湧いてくるのだった。
「まぁ俺もそれは何となく分かるけどさ。でも俺が気にくわないのは青い水ってところだ。何故青いんだ」
「うーん、そこまで詳しく聞いてないからなぁ。あっそう言えばこんな話もしてたよ」
マイェルはふと思い出したように目を丸くさせ、コーヒーを一口飲んでから続けた。
「それはウズガスロじいさんがまだ俺らよりも子供の頃の話なんだけど。じいさんの家の近所の大きな屋敷に、病気がちで一歩も外に出たことのない女の子がいたんだって。じいさんはその子のことが気になっていて、いつも人の目を盗んでは屋敷の庭に忍び込んで、女の子と出窓越しに話をしていたらしい。それで、ある日女の子が言ったんだ。いつかあなたが言っていた海へ行きたい。それこそ俺みたいにこの目で青い水が広がる光景を見てみたい。だから私を海へ連れてってと。でもじいさんは彼女の体を気遣って、その申し出を断った。その子の体はそりゃもうパスタみたいに細くて、死体のように青白かったんだって。だから子供ながら外に連れ出すのは危ないと思ったんだろうな。だからその代わりにと、僕が海の水をすくってきて見せてあげると言った。早速じいさんは家からバケツを持ち出して、青い青い海の水をひとすくいした。でも、すくった海の水は青くなくて、透明だったんだ。何度すくっても透明。海の深いところの水をすくっても透明。ただブリキのバケツの銀色が透けて見えるだけだった。だからじいさんは彼女に嘘をついてしまったと気まずくなって、その日を境に彼女と会うことは二度となかったんだってさ。それを今でも悔やんでるとか」
マイェルはひとしきり喋ったあと、再びコーヒーを一口飲んだ。
「ほらな、やっぱ青い水なんて嘘なんだ。どうせでっかい青い貯水槽か何かの話をしているんだろう。まぁこの湖よりも大きな湖があるってことは信じてやろう」
「うーんやっぱりないのかなぁ。あったほうが夢があると思うんだけどなぁ」
鼻であしらって得意げな顔をしたアフケに対し、マイェルは唸りながらがくりと俯いた。
「まぁそう落ち込むなって。俺らには別の夢があるだろう」
「ああそうだよな。この湖には絶対に伝説の魚って怪物がいるに違いない。で、俺らはそれを捕まえてやるんだ。あの博物館で見たポセイドンって人みたいにさ」
「そうだろ。そんな与太話よりよっぽど現実味があるってもんだ。いいか、この話は俺らだけの秘密だぞ」
「ああもちろん」
夢見る少年二人は、そう言って拳を合わせ互いの友情を確かめ合った。彼らの後ろには、地面に突き刺さった四又の鋤が二つあった。
アフケは焚き火にあたりながらぶっきらぼうに吐き捨てた。
「本当なんだってば。ウズガスロじいさんが言ってた。海っていう水たまりの水は青かったって」
それに対しマイェルは、同様に手のひらを火にかざしながら、興味を示さないアフケに身を乗り出して憤った。マイェルの大声は蛇腹の壁や天井に反響し、何層にも重なって地下壕の遠くまで走り渡っていった。
「なんだその海っていうとこの水は、化学薬品が混ざった危険な水とかそういうことか」
「いいやそれが違うんだ。何でも空っていう果てしなく高い天井があって、その天井までもが海の色に反射して青かったんだって」
マイェルもといウズガスロ翁の語った昔話に、アフケは鼻で笑った。
「そんなものはない」
「頭ごなしに言うなよ。だったらないっていう証拠があるのか」
「ならあったっていう証拠があるのかよ」
マイェルはその言葉に、威勢を失いながらも詰まり詰まり言い返した。
「それはな、あの、ウズガスロじいさんが言ってたんだ。わしが若い頃には海っていう水たまりがあったって」
「そんなもんが証拠になるなら、俺にだってないっていう証拠はあるぞ。海なんてものはない。何故なら俺は見たことがないからな。ほら今証明したぞ。海はない」
「ふざけるな。なんでお前はそうなんというか、ロマンというものがないんだ」
あまりに興味を示してくれないアフケに、マイェルは立ち上がって頭を掻きむしったが、当の本人はどこ吹く風か、気にせず鍋の蓋を開け、焚き火で温めていたスープをすくい取った。
「さぁあんな変わりもんのじいさんのたわ言なんてどうでもいいからさ、とっとと晩飯にしようぜ」
納得いかない表情をしながらも、マイェルはスープの入った皿を受け取り、再び焚き火の前に座り込んだ。
地下壕はごうごうと鳴り止むことのない音に包まれている。地中深く迷路のように入り組んだこの空間で生活を営む人々の立てる音は、二人のいる地下壕の外れの棟まで響いて聞こえてくる。人はこの地下壕を「まるで蟻の巣のようだ」と言うが、ほとんどの人々は巣どころか、蟻すらも見たことがない。それこそ、生きている昆虫を見たことがあるのは、人類がまだ地上で暮らしていた時代を生きていたウズガスロ翁ほどの老人程度だろう。
「俺はあると思うんだけどなぁ、海」
「まだ言うか」
アフケは呆れるように呟いた。
「だってさぁ、こんな大きな湖があるんだよ。もっともっとでかい、湖よりも大きくて不思議な水たまりがあってもおかしくないって」
マイェルは目の前にある地底湖を指差して言った。
この湖は二人が地下壕の外れを探検していたところたまたま見つけた、まだ人の手が付けられていない新天地であった。とはいえ、その「人」というのはマイェルらのような地底人の話であって、湖から突き出ているいくつもの大きな柱の流線型でざらついた質感は、無機質ながらも神秘的で、人類が地下に移り住むはるか太古に作られたであろう荘厳な雰囲気を醸し出しており、その光景は二人の遺伝子の中に刻まれているに違いない地上の記憶を引き出すように、地下の喧騒や埃っぽい生活にまみれた二人の心のどこからか、途端に懐かしみの念が湧いてくるのだった。
「まぁ俺もそれは何となく分かるけどさ。でも俺が気にくわないのは青い水ってところだ。何故青いんだ」
「うーん、そこまで詳しく聞いてないからなぁ。あっそう言えばこんな話もしてたよ」
マイェルはふと思い出したように目を丸くさせ、コーヒーを一口飲んでから続けた。
「それはウズガスロじいさんがまだ俺らよりも子供の頃の話なんだけど。じいさんの家の近所の大きな屋敷に、病気がちで一歩も外に出たことのない女の子がいたんだって。じいさんはその子のことが気になっていて、いつも人の目を盗んでは屋敷の庭に忍び込んで、女の子と出窓越しに話をしていたらしい。それで、ある日女の子が言ったんだ。いつかあなたが言っていた海へ行きたい。それこそ俺みたいにこの目で青い水が広がる光景を見てみたい。だから私を海へ連れてってと。でもじいさんは彼女の体を気遣って、その申し出を断った。その子の体はそりゃもうパスタみたいに細くて、死体のように青白かったんだって。だから子供ながら外に連れ出すのは危ないと思ったんだろうな。だからその代わりにと、僕が海の水をすくってきて見せてあげると言った。早速じいさんは家からバケツを持ち出して、青い青い海の水をひとすくいした。でも、すくった海の水は青くなくて、透明だったんだ。何度すくっても透明。海の深いところの水をすくっても透明。ただブリキのバケツの銀色が透けて見えるだけだった。だからじいさんは彼女に嘘をついてしまったと気まずくなって、その日を境に彼女と会うことは二度となかったんだってさ。それを今でも悔やんでるとか」
マイェルはひとしきり喋ったあと、再びコーヒーを一口飲んだ。
「ほらな、やっぱ青い水なんて嘘なんだ。どうせでっかい青い貯水槽か何かの話をしているんだろう。まぁこの湖よりも大きな湖があるってことは信じてやろう」
「うーんやっぱりないのかなぁ。あったほうが夢があると思うんだけどなぁ」
鼻であしらって得意げな顔をしたアフケに対し、マイェルは唸りながらがくりと俯いた。
「まぁそう落ち込むなって。俺らには別の夢があるだろう」
「ああそうだよな。この湖には絶対に伝説の魚って怪物がいるに違いない。で、俺らはそれを捕まえてやるんだ。あの博物館で見たポセイドンって人みたいにさ」
「そうだろ。そんな与太話よりよっぽど現実味があるってもんだ。いいか、この話は俺らだけの秘密だぞ」
「ああもちろん」
夢見る少年二人は、そう言って拳を合わせ互いの友情を確かめ合った。彼らの後ろには、地面に突き刺さった四又の鋤が二つあった。
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