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9・脈動
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人口三五〇万を擁する巨大近代都市・大阪の中枢部、梅田に聳える白堊の建造物――大阪駅の三番プラットフォームで、近代駅舎とは不釣り合いなC62型汽罐車が黒煙を噴いていた。
「大阪もですか……日本もすっかり昭和に戻りましたな」ホームのベンチでビール壜の口に嵌まったコルク栓をぬきながら、E新聞の記者がいった。
「ええ、JRも国鉄――国営企業に逆戻りしましたし、なにより――動態保存の蒸気機関車まで駆り出される始末ですからね……最近の車輛はどうも――費用対効果ばかり気にかけたせいで、めっぽう脆いんですよ。おかげで動態保存の蒸気機関車までが駆り出される始末です。動態保存とはいっても、そう長くはもたんのですがね……」と、記者の隣に座る白髪頭の駅長が言った。「ようやく夏になってインフルエンザの死者も減ったというのに、いやなことは続くものですね……」
「それに、こう黒煙ばっかり吐かれちゃあ――奇麗な壁が台無しですな……」記者はよく廻らない頭で見当違いなことを言いつつ、壜ビールをいっきに呷った。「そのうち、ビールなんかも消えるんでしょうな……そのあとはいったい――何を飲めってんです?」
「焙茶か、麦茶でも――おなじ麦なんですから……」記者のしかめ面をみながら、駅長が皮肉っぽく言う。――彼の声に重ねるように、出発を告げる汽笛が高らかに鳴った。
「そんな殺生な……おっと、それでは私はこれで。三等席を予約してありますので」記者がそう言うと、駅長が驚いたように言った。
「取材の方はよろしいのですか?まだほとんど話していませんが……」
「いえ、ここには出張からの帰りで寄っただけですから……ちかごろは新聞の発行もむずかしくなってきていまして――隔週の壁新聞がせいぜいですよ」記者は皮肉っぽい笑みを顔に貼りつけて、よれよれの背広についた埃をはらいながら言った。「おかげで私もこのとおりの素寒貧でしてね――会社だっていまにも破産しそうな勢いですよ」
記者は億劫そうに腰をあげ、赤帯のまかれた三等客車にむかって歩きだした。――すると、ふと彼の脚に、かすかな振動が伝わってきた。
どことなく違和感を感じて顔をあげるが、動いている列車は一編成もない。
(地震の――初期微動か? いや、緊急地震速報は鳴っていないしな……)
「どうしました?もう出発時刻になりますよ」彼が足をとめて考えていると、駅長が怪訝そうに声をかけた。
「いえ、どうも地震のような――」記者が言いかけるが、その声は突如として駅構内に響きわたった緊急地震速報のサイレンにかき消された。
予想最大震度を告げる冷淡な機械音声にまじって、腹の底に響くような地響きが空気を震わせた。――停車中の汽罐車の車体がゆれ、運転室から慌てた様子の汽罐士が飛びだしてくる。
(今緊急地震速報が流れたということは……これはP波――初期微動か!? とすると、S波の揺れはこの数倍に……)
記者はほとんど反射的に逃げようと駈けだしたが、つづいてやって来たS波――主要動の大揺れが、彼の体をプラットフォームに叩きつけた。
駅の壁面が音をたてて裂け、剝がれた白いFRPの巨塊がプラットフォームに落ち、灰色の床に大穴をあけた。――豪奢なシャンデリアの一基が五番ホームの列車の上に落ち、客車の一輌を圧潰させる傍ら、七番ホームに入りかけていた七〇系通勤電車がばたばたと横転する。――プラットフォームにも亀裂が走り、その裂け目にはさまった乗客が、つづく揺れで瓦礫の下に呑み込まれていった。
静かな喧騒にみちていた大阪駅の構内は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
本州大震災――――
M九・八、震度七強――二×××年八月二五日、午後一時三七分に発生した古今未曾有の大災害の引金は、小さな――ほんの小さな地殻変動だった。
本来、地震というものは主に、地殻を構成するプレート同士のひずみが限界に達してプレート自体が跳ね上がったときか、断層がずれたときに発生する。
だが、幸か不幸か、ここ数十年の日本列島直下のプレート群は、たまったひずみのエネルギーを少しずつ受け流し、伊豆=小笠原海溝に沿った海底プレート内の空隙――メタン・ハイドレートの採掘により生じた厖大な空間――に蓄積するようになっていた。そして、地質学者の見解では――その循環は、あと百五十年はつづくと考えられていた。
だが、日本史上最悪の大震災とされた〈南海トラフ地震〉によってプレートの配置が変化してからというもの、その微妙な均衡は揺らぎかけていた。そこへ、未踏の地であった海底プレート内部――フィリッピン海プレートの地下四五キロメートル地点に位置する断層のずれによって発生した微震が、崩れかかっていた均衡を完全に崩壊させたのである。
大震災の嚆矢として、フィリッピン海プレートの内部が南北一八〇キロにわたって裂け、広域断層地震を引きおこした。その地震の衝撃により、これまでひずみをためこみ続けていたユーラシア・北米・太平洋の三プレートの境界線で連続的に海溝型地震が発生し――それらの震動は連合して、ほぼ同時に日本列島をおそったのである。
「大阪もですか……日本もすっかり昭和に戻りましたな」ホームのベンチでビール壜の口に嵌まったコルク栓をぬきながら、E新聞の記者がいった。
「ええ、JRも国鉄――国営企業に逆戻りしましたし、なにより――動態保存の蒸気機関車まで駆り出される始末ですからね……最近の車輛はどうも――費用対効果ばかり気にかけたせいで、めっぽう脆いんですよ。おかげで動態保存の蒸気機関車までが駆り出される始末です。動態保存とはいっても、そう長くはもたんのですがね……」と、記者の隣に座る白髪頭の駅長が言った。「ようやく夏になってインフルエンザの死者も減ったというのに、いやなことは続くものですね……」
「それに、こう黒煙ばっかり吐かれちゃあ――奇麗な壁が台無しですな……」記者はよく廻らない頭で見当違いなことを言いつつ、壜ビールをいっきに呷った。「そのうち、ビールなんかも消えるんでしょうな……そのあとはいったい――何を飲めってんです?」
「焙茶か、麦茶でも――おなじ麦なんですから……」記者のしかめ面をみながら、駅長が皮肉っぽく言う。――彼の声に重ねるように、出発を告げる汽笛が高らかに鳴った。
「そんな殺生な……おっと、それでは私はこれで。三等席を予約してありますので」記者がそう言うと、駅長が驚いたように言った。
「取材の方はよろしいのですか?まだほとんど話していませんが……」
「いえ、ここには出張からの帰りで寄っただけですから……ちかごろは新聞の発行もむずかしくなってきていまして――隔週の壁新聞がせいぜいですよ」記者は皮肉っぽい笑みを顔に貼りつけて、よれよれの背広についた埃をはらいながら言った。「おかげで私もこのとおりの素寒貧でしてね――会社だっていまにも破産しそうな勢いですよ」
記者は億劫そうに腰をあげ、赤帯のまかれた三等客車にむかって歩きだした。――すると、ふと彼の脚に、かすかな振動が伝わってきた。
どことなく違和感を感じて顔をあげるが、動いている列車は一編成もない。
(地震の――初期微動か? いや、緊急地震速報は鳴っていないしな……)
「どうしました?もう出発時刻になりますよ」彼が足をとめて考えていると、駅長が怪訝そうに声をかけた。
「いえ、どうも地震のような――」記者が言いかけるが、その声は突如として駅構内に響きわたった緊急地震速報のサイレンにかき消された。
予想最大震度を告げる冷淡な機械音声にまじって、腹の底に響くような地響きが空気を震わせた。――停車中の汽罐車の車体がゆれ、運転室から慌てた様子の汽罐士が飛びだしてくる。
(今緊急地震速報が流れたということは……これはP波――初期微動か!? とすると、S波の揺れはこの数倍に……)
記者はほとんど反射的に逃げようと駈けだしたが、つづいてやって来たS波――主要動の大揺れが、彼の体をプラットフォームに叩きつけた。
駅の壁面が音をたてて裂け、剝がれた白いFRPの巨塊がプラットフォームに落ち、灰色の床に大穴をあけた。――豪奢なシャンデリアの一基が五番ホームの列車の上に落ち、客車の一輌を圧潰させる傍ら、七番ホームに入りかけていた七〇系通勤電車がばたばたと横転する。――プラットフォームにも亀裂が走り、その裂け目にはさまった乗客が、つづく揺れで瓦礫の下に呑み込まれていった。
静かな喧騒にみちていた大阪駅の構内は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
本州大震災――――
M九・八、震度七強――二×××年八月二五日、午後一時三七分に発生した古今未曾有の大災害の引金は、小さな――ほんの小さな地殻変動だった。
本来、地震というものは主に、地殻を構成するプレート同士のひずみが限界に達してプレート自体が跳ね上がったときか、断層がずれたときに発生する。
だが、幸か不幸か、ここ数十年の日本列島直下のプレート群は、たまったひずみのエネルギーを少しずつ受け流し、伊豆=小笠原海溝に沿った海底プレート内の空隙――メタン・ハイドレートの採掘により生じた厖大な空間――に蓄積するようになっていた。そして、地質学者の見解では――その循環は、あと百五十年はつづくと考えられていた。
だが、日本史上最悪の大震災とされた〈南海トラフ地震〉によってプレートの配置が変化してからというもの、その微妙な均衡は揺らぎかけていた。そこへ、未踏の地であった海底プレート内部――フィリッピン海プレートの地下四五キロメートル地点に位置する断層のずれによって発生した微震が、崩れかかっていた均衡を完全に崩壊させたのである。
大震災の嚆矢として、フィリッピン海プレートの内部が南北一八〇キロにわたって裂け、広域断層地震を引きおこした。その地震の衝撃により、これまでひずみをためこみ続けていたユーラシア・北米・太平洋の三プレートの境界線で連続的に海溝型地震が発生し――それらの震動は連合して、ほぼ同時に日本列島をおそったのである。
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