10 / 10
9・脈動
しおりを挟む
人口三五〇万を擁する巨大近代都市・大阪の中枢部、梅田に聳える白堊の建造物――大阪駅の三番プラットフォームで、近代駅舎とは不釣り合いなC62型汽罐車が黒煙を噴いていた。
「大阪もですか……日本もすっかり昭和に戻りましたな」ホームのベンチでビール壜の口に嵌まったコルク栓をぬきながら、E新聞の記者がいった。
「ええ、JRも国鉄――国営企業に逆戻りしましたし、なにより――動態保存の蒸気機関車まで駆り出される始末ですからね……最近の車輛はどうも――費用対効果ばかり気にかけたせいで、めっぽう脆いんですよ。おかげで動態保存の蒸気機関車までが駆り出される始末です。動態保存とはいっても、そう長くはもたんのですがね……」と、記者の隣に座る白髪頭の駅長が言った。「ようやく夏になってインフルエンザの死者も減ったというのに、いやなことは続くものですね……」
「それに、こう黒煙ばっかり吐かれちゃあ――奇麗な壁が台無しですな……」記者はよく廻らない頭で見当違いなことを言いつつ、壜ビールをいっきに呷った。「そのうち、ビールなんかも消えるんでしょうな……そのあとはいったい――何を飲めってんです?」
「焙茶か、麦茶でも――おなじ麦なんですから……」記者のしかめ面をみながら、駅長が皮肉っぽく言う。――彼の声に重ねるように、出発を告げる汽笛が高らかに鳴った。
「そんな殺生な……おっと、それでは私はこれで。三等席を予約してありますので」記者がそう言うと、駅長が驚いたように言った。
「取材の方はよろしいのですか?まだほとんど話していませんが……」
「いえ、ここには出張からの帰りで寄っただけですから……ちかごろは新聞の発行もむずかしくなってきていまして――隔週の壁新聞がせいぜいですよ」記者は皮肉っぽい笑みを顔に貼りつけて、よれよれの背広についた埃をはらいながら言った。「おかげで私もこのとおりの素寒貧でしてね――会社だっていまにも破産しそうな勢いですよ」
記者は億劫そうに腰をあげ、赤帯のまかれた三等客車にむかって歩きだした。――すると、ふと彼の脚に、かすかな振動が伝わってきた。
どことなく違和感を感じて顔をあげるが、動いている列車は一編成もない。
(地震の――初期微動か? いや、緊急地震速報は鳴っていないしな……)
「どうしました?もう出発時刻になりますよ」彼が足をとめて考えていると、駅長が怪訝そうに声をかけた。
「いえ、どうも地震のような――」記者が言いかけるが、その声は突如として駅構内に響きわたった緊急地震速報のサイレンにかき消された。
予想最大震度を告げる冷淡な機械音声にまじって、腹の底に響くような地響きが空気を震わせた。――停車中の汽罐車の車体がゆれ、運転室から慌てた様子の汽罐士が飛びだしてくる。
(今緊急地震速報が流れたということは……これはP波――初期微動か!? とすると、S波の揺れはこの数倍に……)
記者はほとんど反射的に逃げようと駈けだしたが、つづいてやって来たS波――主要動の大揺れが、彼の体をプラットフォームに叩きつけた。
駅の壁面が音をたてて裂け、剝がれた白いFRPの巨塊がプラットフォームに落ち、灰色の床に大穴をあけた。――豪奢なシャンデリアの一基が五番ホームの列車の上に落ち、客車の一輌を圧潰させる傍ら、七番ホームに入りかけていた七〇系通勤電車がばたばたと横転する。――プラットフォームにも亀裂が走り、その裂け目にはさまった乗客が、つづく揺れで瓦礫の下に呑み込まれていった。
静かな喧騒にみちていた大阪駅の構内は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
本州大震災――――
M九・八、震度七強――二×××年八月二五日、午後一時三七分に発生した古今未曾有の大災害の引金は、小さな――ほんの小さな地殻変動だった。
本来、地震というものは主に、地殻を構成するプレート同士のひずみが限界に達してプレート自体が跳ね上がったときか、断層がずれたときに発生する。
だが、幸か不幸か、ここ数十年の日本列島直下のプレート群は、たまったひずみのエネルギーを少しずつ受け流し、伊豆=小笠原海溝に沿った海底プレート内の空隙――メタン・ハイドレートの採掘により生じた厖大な空間――に蓄積するようになっていた。そして、地質学者の見解では――その循環は、あと百五十年はつづくと考えられていた。
だが、日本史上最悪の大震災とされた〈南海トラフ地震〉によってプレートの配置が変化してからというもの、その微妙な均衡は揺らぎかけていた。そこへ、未踏の地であった海底プレート内部――フィリッピン海プレートの地下四五キロメートル地点に位置する断層のずれによって発生した微震が、崩れかかっていた均衡を完全に崩壊させたのである。
大震災の嚆矢として、フィリッピン海プレートの内部が南北一八〇キロにわたって裂け、広域断層地震を引きおこした。その地震の衝撃により、これまでひずみをためこみ続けていたユーラシア・北米・太平洋の三プレートの境界線で連続的に海溝型地震が発生し――それらの震動は連合して、ほぼ同時に日本列島をおそったのである。
「大阪もですか……日本もすっかり昭和に戻りましたな」ホームのベンチでビール壜の口に嵌まったコルク栓をぬきながら、E新聞の記者がいった。
「ええ、JRも国鉄――国営企業に逆戻りしましたし、なにより――動態保存の蒸気機関車まで駆り出される始末ですからね……最近の車輛はどうも――費用対効果ばかり気にかけたせいで、めっぽう脆いんですよ。おかげで動態保存の蒸気機関車までが駆り出される始末です。動態保存とはいっても、そう長くはもたんのですがね……」と、記者の隣に座る白髪頭の駅長が言った。「ようやく夏になってインフルエンザの死者も減ったというのに、いやなことは続くものですね……」
「それに、こう黒煙ばっかり吐かれちゃあ――奇麗な壁が台無しですな……」記者はよく廻らない頭で見当違いなことを言いつつ、壜ビールをいっきに呷った。「そのうち、ビールなんかも消えるんでしょうな……そのあとはいったい――何を飲めってんです?」
「焙茶か、麦茶でも――おなじ麦なんですから……」記者のしかめ面をみながら、駅長が皮肉っぽく言う。――彼の声に重ねるように、出発を告げる汽笛が高らかに鳴った。
「そんな殺生な……おっと、それでは私はこれで。三等席を予約してありますので」記者がそう言うと、駅長が驚いたように言った。
「取材の方はよろしいのですか?まだほとんど話していませんが……」
「いえ、ここには出張からの帰りで寄っただけですから……ちかごろは新聞の発行もむずかしくなってきていまして――隔週の壁新聞がせいぜいですよ」記者は皮肉っぽい笑みを顔に貼りつけて、よれよれの背広についた埃をはらいながら言った。「おかげで私もこのとおりの素寒貧でしてね――会社だっていまにも破産しそうな勢いですよ」
記者は億劫そうに腰をあげ、赤帯のまかれた三等客車にむかって歩きだした。――すると、ふと彼の脚に、かすかな振動が伝わってきた。
どことなく違和感を感じて顔をあげるが、動いている列車は一編成もない。
(地震の――初期微動か? いや、緊急地震速報は鳴っていないしな……)
「どうしました?もう出発時刻になりますよ」彼が足をとめて考えていると、駅長が怪訝そうに声をかけた。
「いえ、どうも地震のような――」記者が言いかけるが、その声は突如として駅構内に響きわたった緊急地震速報のサイレンにかき消された。
予想最大震度を告げる冷淡な機械音声にまじって、腹の底に響くような地響きが空気を震わせた。――停車中の汽罐車の車体がゆれ、運転室から慌てた様子の汽罐士が飛びだしてくる。
(今緊急地震速報が流れたということは……これはP波――初期微動か!? とすると、S波の揺れはこの数倍に……)
記者はほとんど反射的に逃げようと駈けだしたが、つづいてやって来たS波――主要動の大揺れが、彼の体をプラットフォームに叩きつけた。
駅の壁面が音をたてて裂け、剝がれた白いFRPの巨塊がプラットフォームに落ち、灰色の床に大穴をあけた。――豪奢なシャンデリアの一基が五番ホームの列車の上に落ち、客車の一輌を圧潰させる傍ら、七番ホームに入りかけていた七〇系通勤電車がばたばたと横転する。――プラットフォームにも亀裂が走り、その裂け目にはさまった乗客が、つづく揺れで瓦礫の下に呑み込まれていった。
静かな喧騒にみちていた大阪駅の構内は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
本州大震災――――
M九・八、震度七強――二×××年八月二五日、午後一時三七分に発生した古今未曾有の大災害の引金は、小さな――ほんの小さな地殻変動だった。
本来、地震というものは主に、地殻を構成するプレート同士のひずみが限界に達してプレート自体が跳ね上がったときか、断層がずれたときに発生する。
だが、幸か不幸か、ここ数十年の日本列島直下のプレート群は、たまったひずみのエネルギーを少しずつ受け流し、伊豆=小笠原海溝に沿った海底プレート内の空隙――メタン・ハイドレートの採掘により生じた厖大な空間――に蓄積するようになっていた。そして、地質学者の見解では――その循環は、あと百五十年はつづくと考えられていた。
だが、日本史上最悪の大震災とされた〈南海トラフ地震〉によってプレートの配置が変化してからというもの、その微妙な均衡は揺らぎかけていた。そこへ、未踏の地であった海底プレート内部――フィリッピン海プレートの地下四五キロメートル地点に位置する断層のずれによって発生した微震が、崩れかかっていた均衡を完全に崩壊させたのである。
大震災の嚆矢として、フィリッピン海プレートの内部が南北一八〇キロにわたって裂け、広域断層地震を引きおこした。その地震の衝撃により、これまでひずみをためこみ続けていたユーラシア・北米・太平洋の三プレートの境界線で連続的に海溝型地震が発生し――それらの震動は連合して、ほぼ同時に日本列島をおそったのである。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる