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序章 妖界と妖怪
第1話 白猫
しおりを挟むがたんっ。
別室の物音に、朔はふと目が覚めた。と同時に、なにやらボソボソと音が聞こえる。
布団から這い出て、暗闇の中を手探りで進み、部屋を出て音のする方へ向かう。
ひた、ひた。
自分の足音が、夜の闇に静かに響く。
居間の明かりが見え、音の正体は叔父と叔母の声であったと気づく。
居間の扉に手をかけようとした、その瞬間。
「いつまであの子をここに置いておくつもりだ」
どくん。
心臓の鼓動が早くなった。
『あの子』とは、間違いなく自分のことだ。
「私だって早く他の家に寄越したいわよ。けれど、なかなか了承してくれないんだもの」
ため息交じりで答える叔母。
二人の会話に気づかれないよう、息をひそめる。彼らの話し声以外、静寂に包まれているというのに、心臓は脈打ち、妙に汗が流れる。
「はあ……うちだっていつまで預かれるかわからんぞ。ろくに金もないというのに。俺たちに話が来たのも、どうせ子どもがいないからちょうど良いだろうとか、そんな理由だろう」
「そうね。まったく……なんで事故なんかで死んじゃったのかしらね。あの子も可哀想だけど、そうはいっても周り巡って迷惑被るのはこっちなんだから」
ああ。やっぱりそうか。
最初から、ここにも居場所などなかったのだ。
静かに身を翻し、自室に戻った。
電気もつけず、明日の朝用に準備していた私服に着替える。
机の上に置いていた緑のピンが二つ。幼い頃貰った、祖母の形見だった。慣れた手つきで前髪に付ける。
そのまま、叔父と叔母に気づかれないよう、縁側から庭に、背の低い木から塀を越え、文字通り……家を出た。
振り返り、小さな声で一言。
「お世話になりました。……さようなら」
宛てもなく……歩き出す。
俯き顔で歩みを進める自分の脚をぼーっと眺めながら、昔の記憶に思いを馳せていた。
朔が幼子だった頃。両親は不慮の事故で亡くなった。
最初はなんのことかわからなかった。祖母の家で遊んでいた時、ふと鳴った電話で話す祖母の声が、ひどく震えていたこと。
『おばあちゃん、なにがあったの?おかあさんは?』
祖母の、朔を見下ろす眼は、涙で潤んで、手は震えていた。
そこからは記憶があまりない。葬式の時、ようやく両親には二度と会えないことが理解できたこと、『でもおかあさんとおとうさん、帰ってくるよね……?』と祖母に問うと、痛いくらいに強く抱きしめられたことはよく覚えている。
以来、祖母の家で暮らしていたが、その祖母も病でこの世を去り、いよいよ居場所がなくなった朔は、親戚のもとをたらい回しにされ、そして最後の親戚のもとも、たった今捨てられた……いや、勝手に逃げてきただけなのだが。
どちらにせよ、どうせ長くは居られない。だったらこちらからいなくなってやる……そんな意地はただの建前で、本当は、あの場所に居たくないだけだった。
薄々は気づいていた。歓迎されてないことも、時折冷ややかな眼差しを向けてくることも。
「どうせ私はただのお荷物、いない方がいい……」
ぽつり、呟き見上げた目線の先に、何か白い塊があるのが見えた。
少しずつ夜目がきいてきた為、ぼんやりと形が見て取れた。
白くてふわふわした毛並み、闇夜に光る眼、長い尻尾。
……猫?
「にゃ~~」
朔と目が合うや否や、ひと鳴きして近づいてきた。
……可愛い。
同時に、切ない気持ちが込み上げる。
「お前は側に来てくれるのに……なんで、みんな私を置いていっちゃうんだろう」
父も、母も、そして大好きな祖母も。
置いていかれて、ずっとひとりぼっち。外で手をつないだ親子を見るたび、いつも心臓が苦しくなっていたことを思い出す。
今も、ズキズキと胸が痛む。涙がにじむ。
「にゃあ」
ハッと気づくと、猫は心配でもしてくれているのか、朔の顔を見上げて鳴く。脚に頭や身体を擦り付け、甘えてきた。
屈んで優しく撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らして、さらに撫でろと言わんばかりに頭を擦り付けてくる。
その姿に、ふっ、と笑みがこぼれ、沈んだ気分が少し晴れた。
それにしても随分と人懐こい猫だ。まるで馴染みの人間に甘えるような。
けれど、この猫に見覚えはない。近所の家から逃げてきたのか、遥々この地へやって来たのか……?
そんな疑問を頭の中で巡らせていると、急に猫は甘えるのをやめ、さっと離れ歩き出した。
「ああ、もうちょっと撫でさせてくれてもいいじゃない~!傷心気味なんだからもっと癒しをくれても……!」
猫は離れたその場で立ち止まり、ふとこちらを振り向きひと鳴き。
まるで、「付いて来い」とでも言うように。
その先にあるのは、大きな木々と深い闇に包まれた小道。そもそも田舎の町故に山なんぞいくらでもあるが、妙にこの山の入り口は不気味だった。
「この辺に、こんな道あったっけ……」
ひやりと冷たい風が通る。風は、小道に吸い込まれているようだった。
猫だけじゃない。自分は何かに誘われている。
なんとなく、もう帰れないような気がした。
どくん、と心臓が脈打つ。
……構うもんか。どうせこの世に未練もない。
朔は、ゴクリと生唾を飲み込み、一歩、また一歩と踏み出す。
朔が付いて来たことを確認し、小道へ、深い闇へと進む猫を追い、朔も闇夜へ消えていった。
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